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せりふはぼくがやってみせたように、軽く歯切れよく発音すること。
とにかく役者は力みたがるが、わめくだけなら町のひろめ屋でたくさんだ。
身ぶりも手ぶりもこんなふうにやたらと空を切ったりしないで、万事おだやかにたのむ。
どんなに感情が激して、荒れ狂う嵐のまっただなかに身をおいても、あくまで節度をうしなわぬ自然な演技が必要だ。
まったく吐き気をもよおすからな、おおげさなかつら頭で荒れ放題、やたらに激情をふりまわして、かぶりつきの客の鼓膜を突きやぶり、要するに無意味な身ぶり手ぶりやどたばた芝居しかわからぬ客の機嫌をとる。――そんな役者は鞭でひっぱたかれるべきだよ。
阿修羅のごときターマガンドも、暴君ヘロデも顔負けのあんな演技はよしてくれ。


おとなしすぎても困るがね、そこはめいめい自分の頭をはたらかして、身ぶりをせりふに、せりふを身ぶりに調和させる。
特に注意を要するのは、自然の節度を踏み外さないこと、誇張はすべてよろしくない。
そもそも劇の本質は昔も今も、一言で言えば、鏡をかかげて自然をうつしだすことだ。
正しいものの正しさも、みにくいもののゆがみも、現実世界の全状況をありのままにとらえること――そこにやりすぎや手ぬかりがあれば、しろうとは面白がるとしても、目のあるひとは嘆くだろう。
尊重すべきはそのひとたちの批判であって、大向こうの受けではない。
いや、ぼくが見た役者のなかにも、――評判だけはずいぶん高いようだったが、――ひいきめにみたってキリスト教徒の口のききかたではないし、歩きかたにいたってはキリスト教徒とも、異教徒とも、人間とさえ思えない。
ふんぞりかえって、わめきちらして、その不自然な動きたるや、たたき大工がこしらえた、しかもこしらえそこなった人形、およそ神の作りたもうた人間とは見えなかった。



                           氷川玲二訳
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