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平成18年10月6日予算委員会
枝野幸男 1時間07分あたりから法務大臣への質問
正式な議事録
○枝野委員
だから我々は一元化を言っているんだということを申し上げておいて、今の話ともつながりますが、一件だけ、経済政策に入る前に、実は、きょうの新聞あるいはニュースでちょっと気になるものがありましたので、法務大臣にお尋ねをしておきたいと思います。
日本で初めて海外の女性に代理出産をしていただいた御夫妻の出生届が日本では不受理になって、これが裁判になりました。みずからも記者会見されているので名前を隠さなくていいと思いますが、タレントの向井亜紀さんと元プロレスラーの高田延彦さんの御夫妻。これは、東京高裁で、出生届を受理するようにという至極真っ当な決定が出たと私は思っていますが、報道によると、法務省は抗告をするという方向で検討に入ったという報道がなされております。現行法の、法のある意味ではエアポケットだと思います。代理出産ということは現行法は想定をしていなかった。
ただ、実は私も不妊治療で、私がというより私の妻が大分苦労をいたしまして、幸いことしの七月に、うちは体外受精でありますが、出産ができましたが、それでも生まれなくて、それでもわらにもすがる思いで代理出産という方法をとられたというこのお二人の思いというものは大変重いものだというふうに思っています。
現場の行政窓口が受理しなかったというところまでは理解できないことはありませんが、東京高等裁判所というそれなりに権威のある司法機関で、これは受理しなさいという決定をしたのでありますから、これは司法の判断に従いますということで法務省として処理をして、あとは立法的に、今後もこういうケースが出てくる可能性はたくさんありますので、どうするのかということを検討する。
現に今、出生届が出されていない、一種無国籍で宙ぶらりんの状態でお子さんはあられるということでありますので、これは上告すべきではないと思いますが、法務大臣の見解をお願いいたします。
○長勢国務大臣 今委員お話しのとおりの事実関係でございます。抗告期限が十日というふうに伺っております。
この判決は、議論の中身が、基本的に決定の中身は、アメリカの裁判所で確定をした裁判の効力を我が国において認めるということを中心にした決定というふうに承知をいたしております。従来、実子として認めるかどうかということについての判例、学説のほとんどは、分娩という事実によって発生をするという考え方で来ておりましたので、それとの関係が非常に不明確になっております。
そういうこともありますので、現在、今委員おっしゃるようなああいうお気持ちの方もおられることもありますし、また、高裁の決定でもございます。一方、これを抗告しないということになった場合に、今後の行政その他の取り扱いについての影響をどういうふうに考えるかという問題もあります。
そういうことを含めて、今、どうするかを検討中でございます。
○枝野委員 今後の立法政策論、これはできるだけ早く法務委員会の場で議論をされる必要があるかと思います。そういう問題は残ると思います。
しかし、現に、双子のお子さん、うちも双子なんですが、こちらも双子らしくて、双子のお子さんが出生届が出せない状態で宙ぶらりんでおられる。だれにとってもこれは受理をして問題はない。つまり、机の上の話以外は何の問題もない話だと思います。
しかも、東京高等裁判所の決定という、司法の一定の権威ある決定がなされているわけでありますから、やはりこれは、こうした場合の当事者の福祉というのを、別にこの件が特にではありません、一般的にこういった場合については、当事者の福祉というのを、法務省としては余り建前としての法律論のところに縛られずに進められることを期待したいというふうに思っています。
事実誤認と思われること等
日本で始めてではない。 昨年最高裁で判決が出ている。
無国籍で宙ぶらりんではない。 現在はアメリカ国籍。しかし普通の子供と同じ行政サービスは受けている。
区は「実母」ではなく「養母」として届け出るように指導していた。
思うこと少々、とりとめなく書いてみる。
「血縁関係」とか「血が繋がっている」という言い回しは、まだ普通にあると思うけれど、これからは「遺伝子が繋がってる」「DNAを残す」という言い方に変化しちゃうのだろうか。
平成13年5月20日 朝日新聞社説の表現は、なんだか奇妙な印象。
代理母と赤ん坊との遺伝子的繋がりが無くとも「初乳繋がり」は有るのだということだろうか。 そりゃぁ、たしかに医学的根拠も有るのだろうが…
血が繋がっていなくても、母乳で繋がってる。
微妙に据わりが悪い感じ。
乳母という存在は昔から有るし、乳兄弟という言葉も有るが、なんか微妙な違和感…
この判決のニュースを聞いた後、NHK大河を見ていた。 ちょうど世継ぎ問題の回。
淀君は、息子が秀吉の種じゃなくても織田家の血筋が残ればいいという感じ。
千代は側室をあてがうのだが… 床入りのシーンに、ちょっとドキドキした。
夫の遺伝子を残したい、高田の遺伝子を残すべきだ、という向井氏は分かり易い。
優れたアスリートの遺伝子情報が子供に引き継がれ、発現する確率は高い。
他に代え難いだろう。 養子ではなく、高田の子供がほしかったのだろう。
そういう向井氏の感情については、非難も揶揄もする気はない。
卵子を取り出すのは大変だ、というのは知識として知ってはいるつもりだが…
いまひとつ実感が湧かない。
男が射精して精子を出すのとは違う、医療行為で卵子を体外へ取り出すのだ、とは解ってはいるが…
へたに議論で熱くなると、そこあたりの区別が曖昧になりそうな気がする。
しかし、SFっぽい考えをすると、未来は射精とはいかないだろうが、それくらいの気軽さで卵子を体外に出し、人工子宮で育てるような方向に行ってしまいそうにも思える。
人工子宮じゃなくて、母親のクローンに妊娠を代行させた方がいいのかもしれない。
そういう事態になると、受胎告知が男女平等になってしまいそう。
現在は「できちゃった」と告白されて驚くのは男の方。
女は、まぁいろいろと体の変化等で自己診断もできるが…、医者から「おめでたです」と告知されてる。
女性にも「できちゃった」と医者とか第3者が告知するようになるのだろうか。
というか、既にそうなっているような気もするな。
そういえば、研究用の卵子と精子を受精させることを「試験姦」と呼ぶらしい。
この事件が、それにあたるそうだ。
【論文ねつ造】「研究員が自分の精子で受精卵作った」
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/01/14/20060114000018.html
・出生証明書(Birth Certificate)
アメリカで出産すると、出産に関わった医者が、出生証明書(Birth Cerfiticate)というものを発行し、その地区(郡)の役所に届けます。
この証明書には、母親の名前と父親の名前を書く欄があります。
カリフォルニア州に限っては、母親の名前の欄は、出産した代理母ではなく、依頼した女性の名前になります。
これは、弁護士が前もってカリフォルニア州裁判所判事のその旨の命令書をもらい、担当の産婦人科医にその書類を出産時に渡すのです。
産婦人科医は、判事の命令に従って、出生証明書を書き、郡役所に提出します。
その後、依頼者(ご両親)が郡役所に子供の正式な出生証明書を発行してもらいます。
そして、日本の区役所あるいは市役所に行き、その出生証明書と共に、子供の出生届を出します。
そうすれば、子供を自動的に自分の戸籍に入れることができるのです。
誰にも知られずに自分で産んだように子供を戸籍に載せることが可能なわけです。ですから養子縁組は不要になります。
この点でカリフォルニア州は代理出産に関して法律が確立された州といわれるのです。
代理母ドットコムより
http://www.dairi-haha.com/program.html
「誰にも知られず」というのは、どういうレベルなんだろうか?
日本の役所にも知られずに、ということなのかな?
今回の高裁判決だと、米国の州が発行した出生証明書を日本でもそのまま受理すべきだ、ということになるのだろうが…いいのか?
1962年の日本の最高裁判決においては「母と非嫡出子間の親子関係は、原則として、母の認知をまたず、分娩の事実により当然発生する」とされている。
これを根拠に、日本の役所では依頼者女性を「実母」とした出生届けを不受理としてきた。 「実母」は出産をした代理母の方。
去年の最高裁判決の報道(読売新聞)
高裁決定は、〈1〉女性は妊娠し、出産することで母性をはぐくむから、子の福祉の観点からも、出産した女性を母とすることに合理性がある〈2〉代理母による出産は第三者に多大な危険を負わせるうえ、依頼者と代理母の間で子を巡る争いが生じかねず、出生届の受理はこうした医療を容認するのに等しい――と指摘した。第1小法廷も高裁判断を「是認できる」とした。
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/kyousei_news/20051125ik04.htm
今回の判決との差は、卵子が誰のモノであったか、なのだろうか?
代理出産を巡っては、米国で双子をもうけた兵庫県内の50歳代の夫妻が出生届を不受理とした自治体の処分取り消しを求めた家事審判で、最高裁が昨年11月、法律上の母子関係を認めず、審判が確定している。しかし、この夫妻の場合、米国人女性から卵子の提供を受けて夫の精子と体外受精させ、その受精卵を別の米国人女性の子宮に移植して出産していた。精子、卵子が夫妻のものである向井さんのケースとは異なっている。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060930k0000e040016000c.html
【参考】
国内初の代理母出産について「週刊ポスト」 2001.6.8号に掲載された記事
『渦中の根津院長が「代理出産女性からの手紙」を公開』
http://www.hh.iij4u.or.jp/~iwakami/hmother1.html
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060930k0000e040016000c.html
毎日新聞は各方面への取材があり、社説でも取り上げている。
そのうち特集でも組むのだろうか?
各紙報道を読み比べてみるが、向井氏の言い分と裁判所の判断の解説が主であり、なぜ出生届が受理されなかったか、向井氏に対して、どういう方針で対応していたかについての解説が不十分だとおもう。
毎日新聞社説:代理出産 普遍的なルールが不可欠だ
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20061001ddm005070119000c.html
なんだか温い社説。 これでも抽象的すぎて解りにくい。
こういうことらしいが…
法的には、高田がアメリカ人の人妻とダブル不倫して双子が産まれた、という解釈。
双子はアメリカ人夫妻の子供。
代理母の夫が嫡出子否認して、のちに、高田が双子を認知する。
そうすると双子は高田の戸籍に入り、当然日本国籍を持つ。
戸籍上は高田は実父、向井は養母となる。実母はあくまでもアメリカの代理母。
養母というのが戸籍に載るのがイヤだったら、特別養子という制度もある。
しかし向井はその方法を断固認めず、裁判になった。
今回は各紙歓迎ムードで煽ってるのが気になる
読売・毎日では向井氏のblogに激励続々という記事がある。
向井さんのブログに激励続々…高裁の出生届受理命令で
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060930i106.htm
代理出産:ブログに喜びつづる…向井さん 激励殺到
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060930k0000e040021000c.html
これは明らかにマッチポンプ。 向井氏のblogのコメント欄は批判意見は一切載せないという方針だし、公認BBSでは賛否両論という感じ。
「アメリカの裁判で認められた」というTVコメントが有ったらしいが、アメリカ国内でも代理母については温度差がある。
正確にネバダ州というべきだとも思う。
(続く)
【参考】
Center for Biomedical Ethics and Law
東京大学大学院医学系研究科 生命・医療倫理人材養成ユニット
http://square.umin.ac.jp/CBEL/index.html
http://square.umin.ac.jp/CBEL/bioethics_data/surrogate_mother.html
代理母シンディインタビュー
http://www.globe-walkers.com/ohno/interview/dairibo.htm
代理母は社会的地位の低いブリーダー(繁殖)階級
http://www.globe-walkers.com/ohno/article/dairibo.htm
第6回 取材の裏側? 複数対象取材の難しさ−「代理母」リポートの場合(前編)
http://www.globe-walkers.com/ohno/school/column006.htm
第7回 取材の裏側? 複数対象取材の難しさ−「代理母」リポートの場合(後編)
http://www.globe-walkers.com/ohno/school/column007.htm
第10回 取材の裏側? 代理母インタビューの真実
http://www.globe-walkers.com/ohno/school/column010.htm
朝日新聞もかつては代理母には批判的だったはずなのに、いつのまにか態度豹変。
議論が深まったわけでも無いだろうに…
以下 平成13年5月20日 朝日新聞社説
wikipediaの記述があまりに簡単すぎるので、私が聞きかじったことその他、いろいろ書いてみる。
wikipedia(2006/10/03時点での記述)
藤 圭子(ふじ けいこ、本名:宇多田純子 1951年7月5日-)は岩手県一関市生まれ、北海道旭川市育ちの歌手。
『怨歌』と呼ばれるような夜の世界の女の感情を歌った暗く陰鬱な歌で、1960年代終わりから1970年代初めにかけて人気であった演歌歌手。
宇多田ヒカルの実母。前夫は前川清。
幼いころから浪曲歌手の父、三味線瞽女の母の門付に同行し旅回りの生活を送り、自らも歌った。
17才の時にさっぽろ雪まつりのステージで歌う姿が、レコード会社の関係者の目に留まり歌手デビューする事になる。
石坂まさをと組んで、ヒット曲を連発した。
そのヒットから、テレビアニメ『さすらいの太陽』のヒロインのモデルにもなった。
今は歌手を引退して娘の歌手としての活躍ぶりを見守っている。
旧姓:阿部
古くからの関係者は「じゅんちゃん」と読んでいるらしい。
三味線瞽女=盲目の旅芸人 民謡などを主なレパートリーにしてる人。
家族:父、阿部 壮(浪曲師 松平国二郎) 母、阿部澄子(曲師 寿々木澄子) 姉、兄、博(後の歌手藤三郎)。
1954年
北海道旭川市へ移住 小中学校時代をここで過ごす。
温泉、炭坑、飯場、リゾート(当時はそんな洒落たものじゃないが)への巡業に同行。
初ステージは10歳、歌は畠山みどりの「出世街道」や美空ひばり等
中学3年生で北海道岩見沢市の「岩見沢ホテル喜楽園」の専属歌手になる。
当時の芸名 三条純子
1968年2月
札幌雪まつり(岩見沢かも?)でステージで歌っているところ、スカウト(?)され一家で上京。
作曲家八州秀章氏のもとでレッスンを始める。
夜は浅草・錦糸町界隈で流しをする。
未成年のため、また三味線での伴奏のため母親同伴。
まだカラオケのない時代。8トラ式小型ジュークボックスが飲み屋に普及するのは1971年以降。
「島純子」の名前で「男の仁義」ソノシート初吹き込み。
レコード会社回りするが…メジャーデビューへの道は険しい。
作詞家澤ノ井龍二(後の石坂まさを)に出会う。澤ノ井の家に住み込みレコード会社への売り込みを本格的に開始する。
1969年9月25日
「新宿の女」でデビュー
11月8日
新宿25時間キャンペーンを行う。 西向天神社を出発新宿の盛り場を流して回った。
弱小新興芸能プロダクションならではの、身体を張ったキャンペーン。
1970年3月5日
1stLP「新宿の女/演歌の星 藤圭子のすべて」発売
1970年4月
「圭子の夢は夜ひらく」がシングルカット。
1970年7月
2stLP 「女のブルース」発売
1stアルバム「新宿の女/演歌の星藤圭子の全て」 2ndアルバム「女のブルース/演歌の星藤圭子」 前川清との競演アルバム「演歌の競演 清と圭子」の3枚連続で42週間連続オリコン・アルバムチャート1位。
シングル中心だった歌謡曲スターのなかでは、LP中心に売れたのも特異。
NHK紅白歌合戦 初出場 「圭子の夢は夜ひらく」歌唱
あまりの大ヒットで、興業など仕切りきれなくなって大手プロダクションに移籍というか譲渡される。
しかし、そこには先輩の陰湿ないじめが…
男性歌手の持ち歌を、女の私が歌うから無問題という理屈で、先輩歌手の歌を勝手に歌っちゃっう仁義を知らない「わがまま娘」でもあったのも一因。
カバー曲が元歌(先輩)より凄かったというのも妬まれる原因に
洋楽好きで、ど演歌路線がイヤだったらしい。
「好きで歌っているんじゃない。仕事で歌ってる」発言で、歌謡界の大御所に嫌われてたらしい。
(だから芸能界内部での不評は、割り引いて聞くべきだと思う。)
1971年6月 前川清と婚約発表。 8月結婚。
1972年8月 前川清と離婚発表
前川清はカトリック。 長崎出身だから子供の頃からなのかな?
そのため離婚するとき、二人でバチカンまで許しを請いに行った。
1974年5月
喉のポリープを手術。 声が綺麗になりすぎた(?)
1979年8月
突然の引退声明 渡米
1981年
芸能界復帰
藤圭似子の名前でドラマ「新海峡物語」に主演。テレビ朝日、毎週木曜夜10時、本人をイメージする役柄・役名だった。共演、芦田伸介、近藤正臣、樋口可南子、 原作五木寛之
同時に主題歌シングル「蛍火」をCBSソニーから発売。
前作「海峡物語」(77年放映)で新人歌手売り出しに賭けた「艶歌の竜」こと高円寺竜三(芦田伸介)が、今度は引退した歌手・藤圭似子のカムバックにかかわってくる実録風ドラマ。(まるで梶原一樹原作のプロレス漫画のようだ)
低視聴率のため13回の予定が11回で打ち切られる。
民衆の怨歌VSアメリカナイズされた音楽ビジネス、ちゅう構図だったが、これが失敗。
1979年には毎日放送製作のドラマシリーズ「木曜座・水中花」原作・五木寛之、主演松坂慶子、主題歌も大ヒットしていたが、既に五木は時代遅れすぎた。
デビュー当時の藤圭子の歌を『怨歌』と名付けたのは五木寛之。
そのため、彼女の歌の幅を狭めてしまった感があるが、さらに再デビューのこの件で、私は五木が嫌いだ。
1982年 NYにて宇多田照實と結婚。
1983年1月19日 NYにて 長女 光 出産。
「ひかる」という名前は、盲目の母に光がさすように付けたという説が有る。
1984年10月
名前を元の藤圭子に戻し、シングル「蝶よ花よと」をリバースターから発売、11月同名のアルバムも発売。
1986年6月 ポリドールへ移籍
1990年〜 アメリカでインディーズレーベルでアルバム発表
1996月8日 日本クラウンへ移籍
ヒカルを祖母に預け、圭子は営業という時期があった。
夫婦喧嘩でヒカルが祖母の所に避難(?)したことも
宇多田照實とは離婚→再婚4回(?)繰り返す。
夫婦喧嘩(離婚騒動)を有利に運ぶため、梨本に相談(というか夫の悪口をリーク)したこともある。
デビュー当時は歌のイメージのため、テレビ出演のときは笑うなと事務所に言われてたらしい。
大ヒットで大金転がり込んだため家庭崩壊、両親(ひかるの祖父母)が離婚
演歌歌手の場合ヒット1曲で御殿が建つほど稼げたはずなのだが、事務所とのトラブルで金が残らなかった。
金銭管理、自己プロデュースが苦手な人のようだ。
中卒コンプレックスがあったせいか、渡米の理由の一つが「勉強のため」だった。
ヒカルの大学進学なども、中卒コンプレックス解消のためじゃないかとも思える。
阿木燿子・宇崎龍堂コンビの曲も後に歌っているが、もう少し早めにそっちの路線を追求してれば… 内藤やす子みたいになれてたかもと思うが…
北海道つながり、水商売女性の愛唱歌つながり(白いギターつながりも?)で中島みゆきなんかにも挑戦してほしかったかなぁ。
試聴はこちらで (ポップアップを許可する必要有り)
http://www.tsutaya.co.jp/item/music/view_m.zhtml?pdid=20020982
藤圭子 コンプリート・シングル・コレクション 15年の輝石(WMPで試聴可 カバー曲が聴けます)
http://www.co-cfc.co.jp/detail.msp?id=1676
歌謡スター名鑑(デビューがら大ブレイクまでの軌跡)
http://www.ringohouse.com/starFiles/keiko_Folder/keiko.html
映画 藤圭子 わが歌のある限り(1971) (自伝的映画 大ヒットまで)
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD19547/index.html
アニメ『さすらいの太陽』
http://park1.aeonnet.ne.jp/~bee-hp/tv/sasurai/sasurai.htm
1970年 吉祥寺でキャンペーン中の藤圭子
kiis blue 24 より
http://homepage.mac.com/kiis/blues/blue_24.html
写真はここから 1970年の音楽(jazz、ロック、アイドル等)の話と写真がいっぱい。
【関連】
藤圭子について
http://londonbridge.blog.shinobi.jp/Entry/192/
http://londonbridge.blog.shinobi.jp/Entry/256/
http://londonbridge.blog.shinobi.jp/Entry/257/
