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歌田さんの青土社やジャストシステムでの本・雑誌は、昔読んでいたと思う。
週刊アスキーも、たしか創刊準備号から読んでいた記憶がある。
仮想報道も、たぶん最初期から読んでいた。
歌田さんは、おそらく「教科書には載らないインターネットの歴史」とか言う本に出てくるような、危ないサイトもほぼリアルタイムで読んでいたはずです。
SNSとか検索ビジネス等についても、かなり以前から書いています。

だから、web.1.0とかweb.2.0 なんて本を書いてもおかしくない立場のような気もするけれど、まぁ資質が向いていないのだろうかなぁ

こちらからTBを送って、歌田さんの記事の所に一時的に表示されたあとに消されたのですが、まぁ通っただけで放置されるよりも、リアクションが有ったことが解って、妙にうれしかったりもする。


ちなみに、詩はほとんど手打ちでやってます。
なかなか書けなくても、キーボードを打っていると、なんとなく勢いがつくようなので。
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幻の報道機関設立計画(3)


泉さんがgooに載せたプロフィールから

泉 あい
山口県出身。音楽講師を7年勤めた後、結婚のため上京。主婦をしながらOLとして働いていたが、2001年DVにより結婚生活は崩壊。同年、新しいスタートを切ろうとした矢先に乳がんを宣告される。読者とともに歩むルポライターを目指して、2005年1月「GripBlog 〜私がみた事実〜」を開設。ブログ・インターネットを拠点として、取材活動を行っている。
http://blog.goo.ne.jp/election2005/e/d76483b63c4d1ddd189711abdb45776b

別の場所で2001年9月に乳がんを宣告され、乳房の1/4を摘出し、抗がん剤・放射線治療を受け克服されたと書いておられます。



時系列で情報を並べると
2003年頃の変態出会い系サイトは、2004年には「シングルと病気」blogとフォーラムに衣替えします。
サイトに入るには、ユーザID or E-mailとパスワードが必要だったようです。

>このHPでもっとなかよしが増えたらうれしいです
>さみしがりな私です・・・どうか気軽に話しかけてくださいね

こう書かれていましたが、う〜む、気軽にメールアドレスを通知するのには危険なかをりが……
ここで、ライター志望であることを告白しています。

>派遣社員をしながらノンフィクションライタ−を目指しています


2005/08/02付けで「私のがん体験」というのが、日系bpのデジタルarena に掲載されます。これはNPO法人楽患ねっとに投稿されたものの転載で、『がんサポート』(2004年12月号〜)に寄稿していたものだそうで、馬といる写真も載っています。
http://www.rakkan.net/index.php?dialogue=html&main_part=report_rolemodel_10.html
文中に「38歳1ヶ月」と書いてあるし、1966年生まれの午年いて座 (11/23〜12/21)だそうなので、2004年12月か翌月に書いたものでしょう。

2005/01/05にGrip Blog として初めての取材活動を開始。
奈良女児誘拐殺人事件に関連してなのですがですが、得意分野はシングル、闘病、DV だと思えるのに、なぜロリコン問題を? アブノーマルな性癖つながりということは、あるかもしれないが。
それで、やってることはなんと新宿の街頭で100人へのインタビュー!!! (実際には50人)

メールアドレス集め、街頭100人インタビュー活動をする泉あいって何者なんだろうか?

続く


カテゴリー付け替えました
せりふはぼくがやってみせたように、軽く歯切れよく発音すること。
とにかく役者は力みたがるが、わめくだけなら町のひろめ屋でたくさんだ。
身ぶりも手ぶりもこんなふうにやたらと空を切ったりしないで、万事おだやかにたのむ。
どんなに感情が激して、荒れ狂う嵐のまっただなかに身をおいても、あくまで節度をうしなわぬ自然な演技が必要だ。
まったく吐き気をもよおすからな、おおげさなかつら頭で荒れ放題、やたらに激情をふりまわして、かぶりつきの客の鼓膜を突きやぶり、要するに無意味な身ぶり手ぶりやどたばた芝居しかわからぬ客の機嫌をとる。――そんな役者は鞭でひっぱたかれるべきだよ。
阿修羅のごときターマガンドも、暴君ヘロデも顔負けのあんな演技はよしてくれ。


おとなしすぎても困るがね、そこはめいめい自分の頭をはたらかして、身ぶりをせりふに、せりふを身ぶりに調和させる。
特に注意を要するのは、自然の節度を踏み外さないこと、誇張はすべてよろしくない。
そもそも劇の本質は昔も今も、一言で言えば、鏡をかかげて自然をうつしだすことだ。
正しいものの正しさも、みにくいもののゆがみも、現実世界の全状況をありのままにとらえること――そこにやりすぎや手ぬかりがあれば、しろうとは面白がるとしても、目のあるひとは嘆くだろう。
尊重すべきはそのひとたちの批判であって、大向こうの受けではない。
いや、ぼくが見た役者のなかにも、――評判だけはずいぶん高いようだったが、――ひいきめにみたってキリスト教徒の口のききかたではないし、歩きかたにいたってはキリスト教徒とも、異教徒とも、人間とさえ思えない。
ふんぞりかえって、わめきちらして、その不自然な動きたるや、たたき大工がこしらえた、しかもこしらえそこなった人形、およそ神の作りたもうた人間とは見えなかった。



                           氷川玲二訳
神よ、
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。
詩人どもの後ろには――
何千人の町の人たち。
学生、
淫売、
請負人。

みんなぁ!
待ってくれ!
きみらは乞食じゃないぞ、
物乞いはやめるんだ。





    「ズボンをはいた雲」の一節(小笠原豊樹訳)
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