×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
仮想報道 Vol.438 が掲載された週刊アスキーが発売されました。
一読して、歌田さんは辞書を引いたり史料を調べるような文献探索が好きなんだな、と改めて感じました。もしかしたら地図を見るのも好きで、Google Earth にはまっているかも知れないと想像しています。
「ジャーナリスト」時代の回想も興味深かった。
「これからの社会を変えていくなまなましい”現場”は、まさにネットの中にあるように、見えた。(中略)それも二次情報ではなくて、しばしば当事者自身が書いたり、しゃべったりしたことにそのままアクセスできる。」
ネットでアクセス出来るようになったのは、一次情報ではないでしょうか。 「現場」と「一次情報」は、辞書を引くまでもなく違った概念です。 「事実」とも距離があります。
今回の記事は「仮想報道の連載は、”ネットの一次情報”の報道・解説・批評などを行う活動だった」という総括のように思えます。
連載はもう438回を超えました。 インターネットが拡大・発達をするなかで、一個人の視点で「仮想報道」を続けてきたのは、大変にすばらしい仕事です。 まさにarchiveになっていると思います。
これからも連載が長く続くことを期待しています。
一読して、歌田さんは辞書を引いたり史料を調べるような文献探索が好きなんだな、と改めて感じました。もしかしたら地図を見るのも好きで、Google Earth にはまっているかも知れないと想像しています。
「ジャーナリスト」時代の回想も興味深かった。
「これからの社会を変えていくなまなましい”現場”は、まさにネットの中にあるように、見えた。(中略)それも二次情報ではなくて、しばしば当事者自身が書いたり、しゃべったりしたことにそのままアクセスできる。」
ネットでアクセス出来るようになったのは、一次情報ではないでしょうか。 「現場」と「一次情報」は、辞書を引くまでもなく違った概念です。 「事実」とも距離があります。
今回の記事は「仮想報道の連載は、”ネットの一次情報”の報道・解説・批評などを行う活動だった」という総括のように思えます。
連載はもう438回を超えました。 インターネットが拡大・発達をするなかで、一個人の視点で「仮想報道」を続けてきたのは、大変にすばらしい仕事です。 まさにarchiveになっていると思います。
これからも連載が長く続くことを期待しています。
PR
歌田氏の自著の紹介で気になる部分があります。
『20世紀のメディア 4』1996年
>彼(ヴァニヴァー・ブッシュ)の生涯から浮かび上がる「道をたどる」ことへの興味と、彼が生んだ「ハイパーテキスト」概念の結びつきを見ることで、ハイパーテキストのより大きな可能性を探る。
『科学大国アメリカは原爆投下によって生まれた』2005年
> いまのウェッブの「リンク」のもとになるアイデアを考え(中略)たアメリカの科学者ヴァニヴァー・ブッシュの伝記。
この二つの本は同じテーマを扱っています。大幅に再調査し新資料を探し出した、まぁライフワークというのは大げさだろうけれど、労作です。
9年の歳月が「ハイパーテキストの可能性」を『「リンク」の元になるアイデア』に書き換えることになったのだなぁ、という感慨があります。
しかし、本当にそうなのかという疑問を感じています。
ブッシュのアイデアは「ハイパーテキスト」どまりじゃないでしょうか。
大量の文献を効率よく読むための仕組みというのが基本で、それ以上の意味づけは、やや強引な気がします。
1996年でもリンクはコミュニケーションの一手段として機能しており、無断リンク禁止論議も盛んでした。
webサイトはハイパーテキストですが、リンクはコミュニケーションの問題、外のサイトとの関係性が問題となっていました。
そういえば、リンクよりもメールこそがインターネットコミュニケーションの本質だ、という話が盛り上がってもいました。 チェーンメール、デマメールがよく話題になっていましたね。
「20世紀…」の中で「ハイパーテキストのより大きな可能性」は、コミュニケーションツールの「リンク」を予感させるものとして論じられていたのでしょうか?
「ハイパーテキストのより大きな可能性」は「マニュアル」「図書館」「新聞」、そしてラジオやテレビ・ビデオのようなメディアとしてのみ考察されているような印象を持ちました。
『20世紀のメディア 4』1996年
>彼(ヴァニヴァー・ブッシュ)の生涯から浮かび上がる「道をたどる」ことへの興味と、彼が生んだ「ハイパーテキスト」概念の結びつきを見ることで、ハイパーテキストのより大きな可能性を探る。
『科学大国アメリカは原爆投下によって生まれた』2005年
> いまのウェッブの「リンク」のもとになるアイデアを考え(中略)たアメリカの科学者ヴァニヴァー・ブッシュの伝記。
この二つの本は同じテーマを扱っています。大幅に再調査し新資料を探し出した、まぁライフワークというのは大げさだろうけれど、労作です。
9年の歳月が「ハイパーテキストの可能性」を『「リンク」の元になるアイデア』に書き換えることになったのだなぁ、という感慨があります。
しかし、本当にそうなのかという疑問を感じています。
ブッシュのアイデアは「ハイパーテキスト」どまりじゃないでしょうか。
大量の文献を効率よく読むための仕組みというのが基本で、それ以上の意味づけは、やや強引な気がします。
1996年でもリンクはコミュニケーションの一手段として機能しており、無断リンク禁止論議も盛んでした。
webサイトはハイパーテキストですが、リンクはコミュニケーションの問題、外のサイトとの関係性が問題となっていました。
そういえば、リンクよりもメールこそがインターネットコミュニケーションの本質だ、という話が盛り上がってもいました。 チェーンメール、デマメールがよく話題になっていましたね。
「20世紀…」の中で「ハイパーテキストのより大きな可能性」は、コミュニケーションツールの「リンク」を予感させるものとして論じられていたのでしょうか?
「ハイパーテキストのより大きな可能性」は「マニュアル」「図書館」「新聞」、そしてラジオやテレビ・ビデオのようなメディアとしてのみ考察されているような印象を持ちました。
80年代の青土社といえばニューアカのまっただ中である。
93年フリーになって美術評論や人物評伝の方面の仕事がメインになるのかと思いきや、1994年『デジタル・ライティングへの招待』という技術書のようなものををアスキーから出している。
これは、技術書というより「ハイパーテキスト」について論じた本のように思える。
1996年にジャストシステム出版で2冊ほど書いている。これも「ハイパーテキスト」関連の本だろう。
・『20世紀のメディア 4』(共著/1996年/ジャストシステム)
・マルチメディアの巨人(ジャイアント)―ヴァネヴァー・ブッシュ--原爆・コンピュータ・UFO(1996年/ジャストシステム)
1997年週刊アスキー創刊。元SPA!の中の人が編集長で、今とはまったく別の週刊誌だった。
なんちゅうか、インターネット世代向けの情報・カルチャー・オピニオン誌みたいなのを目指していたような気がする。 1年くらいで売り上げ不振により現在の路線に変更
ここに現在まで続く「仮想報道」の連載を開始する。 スタイルは今と全然変わっていない。 相当初期から全文をネット上に掲載しています。
連載をまとめた本が3冊出ている。
最近出された『科学大国アメリカは原爆投下によって生まれた』(平凡社、2005年)
は、『マルチメディアの巨人』を大幅加筆したものですが、好評です。
読売新聞書評 http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20050829bk0b.htm
朝日新聞書評 http://book.asahi.com/review/TKY200509270290.html
朝日新聞be on Sunday http://www.be.asahi.com/be_s/20051016/20051005TKAI0010A.html
その他の著作
『本の未来はどうなるか―新しい記憶技術の時代へ』』(2000年/中公新書)
ハイパーテキストについて。
『「ネットの未来」探検ガイド―時間と言葉の壁を超える』(岩波アクティブ新書、2004年)
専修大学文学部の情報産業論講座の参考書です。
以下の本も使って歌田さんが講義しておられます。
●メディア・リテラシー
菅谷明子『メディア・リテラシー世界の現場から』
●インターネット
村井純『インターネット』『インターネットII』(岩波新書)
矢野直明『インターネット術語集』『インターネット術語集II』(岩波新書)
●マスメディアの変容
青木日照・湯川鶴章『ネットは新聞を殺すのか』(NTT出版)
93年フリーになって美術評論や人物評伝の方面の仕事がメインになるのかと思いきや、1994年『デジタル・ライティングへの招待』という技術書のようなものををアスキーから出している。
これは、技術書というより「ハイパーテキスト」について論じた本のように思える。
1996年にジャストシステム出版で2冊ほど書いている。これも「ハイパーテキスト」関連の本だろう。
・『20世紀のメディア 4』(共著/1996年/ジャストシステム)
・マルチメディアの巨人(ジャイアント)―ヴァネヴァー・ブッシュ--原爆・コンピュータ・UFO(1996年/ジャストシステム)
ここで、ちょっとジャストシステムについて
当時ジャストシステムは一太郎を作るだけじゃなく、出版事業やマルチメディア(懐かしい言葉だ)に進出しようとしていた。
音楽ソフトやjustnetというプロバイダもあったなぁ。 あなたのホームページを本にします、という企画がすでにあったはず。 自費出版を支援するような事業もやろうとしていたけれど、結局その計画も縮小に縮小を重ねて、結局「マイペンシル」と簡易製本キットになった。
今にして思えば、IT企業がWebを有効活用するため、コンテンツを充実させようしているのに通じている。
出版事業ではそこそこ良質の本を出していた記憶がある。
日本語に関してとか、印刷や本の歴史と未来についてという、社風に沿ったテーマがメインだった。
売れ線を狙ったパソコンのHow toモノも出していたかなぁ?
しかし出版部もプロバイダも、採算がとれなくて撤退してしまった。
歌田氏はそこに編集者として関わっていたのだろうか?
1997年週刊アスキー創刊。元SPA!の中の人が編集長で、今とはまったく別の週刊誌だった。
なんちゅうか、インターネット世代向けの情報・カルチャー・オピニオン誌みたいなのを目指していたような気がする。 1年くらいで売り上げ不振により現在の路線に変更
ここに現在まで続く「仮想報道」の連載を開始する。 スタイルは今と全然変わっていない。 相当初期から全文をネット上に掲載しています。
連載をまとめた本が3冊出ている。
最近出された『科学大国アメリカは原爆投下によって生まれた』(平凡社、2005年)
は、『マルチメディアの巨人』を大幅加筆したものですが、好評です。
読売新聞書評 http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20050829bk0b.htm
朝日新聞書評 http://book.asahi.com/review/TKY200509270290.html
朝日新聞be on Sunday http://www.be.asahi.com/be_s/20051016/20051005TKAI0010A.html
その他の著作
『本の未来はどうなるか―新しい記憶技術の時代へ』』(2000年/中公新書)
ハイパーテキストについて。
『「ネットの未来」探検ガイド―時間と言葉の壁を超える』(岩波アクティブ新書、2004年)
専修大学文学部の情報産業論講座の参考書です。
以下の本も使って歌田さんが講義しておられます。
●メディア・リテラシー
菅谷明子『メディア・リテラシー世界の現場から』
●インターネット
村井純『インターネット』『インターネットII』(岩波新書)
矢野直明『インターネット術語集』『インターネット術語集II』(岩波新書)
●マスメディアの変容
青木日照・湯川鶴章『ネットは新聞を殺すのか』(NTT出版)
ココセレブhttp://celeb.cocolog-nifty.com/blog/2005/10/post_7a3e.htmlから
作家、ジャーナリスト。1958年生まれ。青土社『現代思想』編集部をへて、85年より『ユリイカ』編集長に就任。93年よりフリーで編集・執筆活動をし、専修大学講師などもつとめる。 著書に『科学大国アメリカは原爆投下によって生まれた』『「ネットの未来」探検ガイド』『インターネットは未来を変えるか?』がある。連載は週刊アスキー『仮想報道』、アートスケープ『IT 美術情報』など。
blogをやっておられます。
歌田明弘の『地球村の事件簿』 http://blog.a-utada.com/chikyu/
専修大学文学部の情報産業論で兼任講師をしておられます。
シラバス http://www.senshu-u.ac.jp/School/bungaku/syllabus/bun_m_008.html
2006年5月から情報ネットワーク法学会のデジタルジャーナリズム研究会(DJ研)に参加されるようです。
上智大学の橋場義之さん、佐々木俊尚さんが運営の中心で、歌田明弘さん、ダンギルモアの「ブログ 世界を変える個人メディア」を邦訳した平さん、御手洗さん、徳力さん、R30さん、泉さん、オーマイニュースの方、出版社の方など15人が連続討論していくようです。
ガ島通信の記事より http://d.hatena.ne.jp/gatonews/20060520/1148132175
デジタル・ジャーナリズム研究会 http://in-law.jp/kkikaku.htm#djk
blogの記事が2ちゃんねるで時々話題になることがありましが、最近はblog界隈で大きな議論を呼ぶ記事を書かれ、またそれに対するメールのやりとりで大騒ぎになっています。
われわれはみな「隠れオウム」の容疑者
http://blog.a-utada.com/chikyu/2006/06/post_4d6d.html
「われわれがオウム事件で忘れていること」
http://blog.a-utada.com/chikyu/2006/06/post_cb57.html
Bigbangさんの質問とその返答
http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2006/06/post_629e.html
http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2006/06/post_6082.html
http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2006/06/post_9350.html
まとめサイトも有ります。
アレフブロガーの時代
http://alephblogger.blogspot.com/
松永オウム事件まとめサイト
http://kawakamihideaki.web.fc2.com/index.html
松永英明さんファンクラブ(まとめサイト)
http://d.hatena.ne.jp/Fukui_Toshiki/
作家、ジャーナリスト。1958年生まれ。青土社『現代思想』編集部をへて、85年より『ユリイカ』編集長に就任。93年よりフリーで編集・執筆活動をし、専修大学講師などもつとめる。 著書に『科学大国アメリカは原爆投下によって生まれた』『「ネットの未来」探検ガイド』『インターネットは未来を変えるか?』がある。連載は週刊アスキー『仮想報道』、アートスケープ『IT 美術情報』など。
blogをやっておられます。
歌田明弘の『地球村の事件簿』 http://blog.a-utada.com/chikyu/
専修大学文学部の情報産業論で兼任講師をしておられます。
シラバス http://www.senshu-u.ac.jp/School/bungaku/syllabus/bun_m_008.html
2006年5月から情報ネットワーク法学会のデジタルジャーナリズム研究会(DJ研)に参加されるようです。
上智大学の橋場義之さん、佐々木俊尚さんが運営の中心で、歌田明弘さん、ダンギルモアの「ブログ 世界を変える個人メディア」を邦訳した平さん、御手洗さん、徳力さん、R30さん、泉さん、オーマイニュースの方、出版社の方など15人が連続討論していくようです。
ガ島通信の記事より http://d.hatena.ne.jp/gatonews/20060520/1148132175
デジタル・ジャーナリズム研究会 http://in-law.jp/kkikaku.htm#djk
blogの記事が2ちゃんねるで時々話題になることがありましが、最近はblog界隈で大きな議論を呼ぶ記事を書かれ、またそれに対するメールのやりとりで大騒ぎになっています。
われわれはみな「隠れオウム」の容疑者
http://blog.a-utada.com/chikyu/2006/06/post_4d6d.html
「われわれがオウム事件で忘れていること」
http://blog.a-utada.com/chikyu/2006/06/post_cb57.html
Bigbangさんの質問とその返答
http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2006/06/post_629e.html
http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2006/06/post_6082.html
http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2006/06/post_9350.html
まとめサイトも有ります。
アレフブロガーの時代
http://alephblogger.blogspot.com/
松永オウム事件まとめサイト
http://kawakamihideaki.web.fc2.com/index.html
松永英明さんファンクラブ(まとめサイト)
http://d.hatena.ne.jp/Fukui_Toshiki/
ロンドン・ブリッジ
あの黒い水を見てごらん
「人市」の汚物を押し流す泥の大河をごらん。
お前はそこに見るだろう、時に
日光を受けて金いろに光る藁屑が流れて行くのを。
出来るならつぎに、僕の心の中をごらん!
お前はそこに仄かな光を見るかも知れない
これは僕の心が、むかし美しかったころの、思い出のようなもの
だ
これがあるために、心はせめて、いくぶんかなぐさめられる。
どうやら希望は日光に似ている
言わばどちらも明るさだ
一つは荒んだ心の聖い夢となり
一つは泥水に金の光を浮かべてくれる。
あの黒い水を見てごらん
「人市」の汚物を押し流す泥の大河をごらん。
お前はそこに見るだろう、時に
日光を受けて金いろに光る藁屑が流れて行くのを。
出来るならつぎに、僕の心の中をごらん!
お前はそこに仄かな光を見るかも知れない
これは僕の心が、むかし美しかったころの、思い出のようなもの
だ
これがあるために、心はせめて、いくぶんかなぐさめられる。
どうやら希望は日光に似ている
言わばどちらも明るさだ
一つは荒んだ心の聖い夢となり
一つは泥水に金の光を浮かべてくれる。
