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昨今のマスコミ批判の重要な要因にオウム報道がある。
そのときその渦中にTBSにいた下村健一氏の1999年の講演録と2004年のラジオでの発言を見つけたので、これを元に考察して見ようとしたが…
ちょっと、ぐだぐだに成ってしまった。

マスコミから市民メディアに到るまでの経緯と、オウムにどう向き合うのか、という話が混在して、書いた本人でさえ読みにくいが…とりあえずアップしてみる。



99年7月8日 同志社大学講演会
http://www1.doshisha.ac.jp/~kasano/STUDENT/junior99/junior99-shimomura.html

 3年前、ちょうど私がニューヨークに転勤する直前のあの"オウム報道フィーバー"の頃、私はオウム教団自体よりも、世の中の反オウム大合唱のほうがずっと恐かった。明らかになった犯罪行為だけを批判するのならいいけれど、何でもかんでもオウムは悪い、それに異を唱える奴は非国民、という集団ヒステリー反応。これは本当に恐かったです。だって、オウムが全員一丸となって暴走した結果出る犠牲者の数と、日本社会が一丸となって暴走した結果出る犠牲者の数とでは、どっちが甚大か、明らかじゃないですか。日本社会全体がどこかに向かってバッと走る方がずっと恐い、というのはみんな学校で歴史を勉強して(或いは半世紀余り前に自ら体験して)分かってるはずなのに、どうしてこんなにすぐに大合唱してしまうのか。


この講演はTBSを退社する前後の時期なのだが、これは自身がTBSというマスコミに属していたからこその感慨なんだろう。
何を報道対象として選ぶのかは、フリーならば個々のジャーナリストの判断だろう。 しかし、TBSが報道対象を選ぶ姿勢は、どうやら「日本社会全体」の利益被害者の「数」が基準となっていたらしい。

オウム関連の下村氏の言葉を分析するならば
「オウムが全員一丸となって暴走した結果出る犠牲者の数」
からは、下村氏は一連のオウム事件を「一部が暴走した」事件と捉えていたようだ。

オウム報道の中心にいて、村上春樹の「アンダーグラウンド」(1997年)「約束された場所で―underground 2」(1998年)の後でさえもこうなのかと思い、ちょっと憂鬱になる。

2004年に下村氏は元オウム信者にインタビューしています。
http://www.tbs.co.jp/radio/np/eye/040320.html
http://www.tbs.co.jp/radio/np/eye/040327.html
このインタビューだと、オウム事件を「一部が暴走」という視点からは捉えてはいない様なのだが…

これだけ≪考えずに指示に従う≫構造だと、今また「麻原回帰」と公安の報告でも言われる中で、また何か上層部から指示が出たらそのまま従ってしまう一般信者がいるのでは、と心配する声もあるだろう。しかし、何事も可能性がゼロとは言えないが、今のアーレフには、攻撃的行動に出る≪手段≫が特に無い。差し迫った危険よりは、むしろそうやって「怖い、怖い」と仲間はずれにし続けて、反社会的気持ちを彼らにわざわざ与える方が、よっぽど危険ではないだろうか。


下村氏は、はたしてどれくらいの取材をしてオウム(アレフ)の危険性を判断しているのだろうか? ちょっと疑問に思う。 「日本社会全体」を考えるという視点から、受け入れ側の問題が興味の中心のように見える。
相変わらず「オウムの暴走」よりも「日本社会の暴走」のほうが大きな問題、緊急の課題だと考えているように思えるのだが…

では「マスコミの暴走」についてはどうなのだろうか。
前出の講演の質疑応答から

【Q】 最近の"野村サッチー"報道についてどう思うか。

【A】 実は昨日アメリカから帰ってきたばかりで、サッチー問題とかあまり分からないのですが、何かすごいことになっているらしいというのは聞いています。向こうでも日本の新聞は読めますので、その紙面の下にある週刊誌の広告で見出しを見て、何これという感じで受け止めている程度ですので、きわめて大雑把なことしか言えませんが、あれはある面で、もう沙知代さんに対するいじめじゃないですか。沙知代さんが何をしたかは知りませんが、見出し等を見ていても、よってたかってあんな事こんな事をした、と叩いてますでしょ。その読者やサッチーバッシングをしている人たちというのは、みんなとりあえず、いじめる側に寄っていればいい、と思って振る舞っている感じがして仕方がないのです。いつ流れが一変して自分がいじめられる側になるか分からないのに、とりあえずいじめる側に乗っているか、見て見ぬふりをして、いじめられる人を助けない。小学校のクラスで行われている風景と、全く一緒なのではないかと思います。一般的なことしか言えなくてすみません。


この質問は、マスコミこそ「非国民と罵る集団ヒステリー反応」をしたのではないか、という批判だったような気がする。 おそらく質問者はマスコミ側の報道姿勢に対するコメントを期待したのだろうけれど、下村氏はマスコミの受け手・読者のほうの話にずらしてしまった。

下村氏は現在は自称「市民メディア・アドバイザー」となっっているけれど、それはこの時のマスコミ批判への、彼なりの答えなのだろう。 「主要メディアが報じぬ話」を中心に情報発信をしています。

それはそれで、まぁ評価すべきことだとは思う。

しかし、ちょっと気になる点もある。
「市民」はメディアリテラシーを高めなければいけないということで、啓蒙活動をしている。
影響力の強いマスコミに対しての批判も忘れてはいない。
そして市民メディア・アドバイザーを「職業」と自称している。

これら一連の活動は、彼の中では一貫しているのだろうけれど…
http://www.tbs.co.jp/radio/np/eye/040612.html

林:
松本サリン事件の時にテレビが果たした世論形成と、10年が経った今とでは、随分変わったように思います。あの頃あった報道系のワイドショーなど、《その他の視点》を提示する部分が、全部ネットに落ちていった。誹謗中傷もすごくあって、どんどん増殖して、形成されているような気がしています。
下村:
ネットに落ちてきたのは、誹謗中傷だけでなく、もう反対の端の方も、ですよね。


彼は「市民」は「非国民と罵る集団ヒステリー反応」をするものだ、という思いがある一方で、市民メディアにも期待を寄せているのだろう。
そして市民メディアを応援するのが自分の役割と捉えて、「職業」と自称しているのだろうが…

ぶっちゃけ、アクセルとブレーキを同時に踏んでいるような態度じゃないかなぁ
ある種のエリート意識というか、上からものを言う姿勢も感じられる。

さて「市民メディア」の明日はどっちだ 
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追記
投稿者:倫敦橋 HP 2006/07/24 20:37 EDIT
下村氏の講演は淺野教授のゼミが主催したもののようです。
ちなみに、淺野教授は2001年の松本一家の修学拒否・転入届不受理についてのこんな発言をしています。

http
・浅野健一(同志社大学教授)
日本人はアジアの3000万の人々を殺した天皇に対して非常に寛容だ。ドイツでは今でもヒトラーを称賛するだけで処罰されるというのに。こんなに寛容な民族が、ことアレフに対してはなぜここまで厳しいのか?
今の日本はアレフをスケープゴートにすることで、いろいろな社会の矛盾を覆い隠してしまっている。
無題
投稿者:小6 HP 2006/07/26 17:35 EDIT
天皇って忙しかったんだね
          
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