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「あなたの子宮を貸してください」 平井美帆 著
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4062133431/ref=sr_11_1/250-7344768-5977014?ie=UTF8
著者のHP http://hiraimiho.main.jp/
内容(「BOOK」データベースより)
現状では最新の代理母に関しての本のようだ。
色々新しい情報を知ることが出来る。
確かに古い不正確な情報で議論していても不毛だ。カリフォルニアの産科医、日本のコーディネーター、代理母を頼んだ人のインタビューが興味深い。 関西の50代の出産届を受理されなかった夫婦への取材もある。
この著者によると、アメリカでは既に3万5千件以上の代理出産が行なわれ、統計はないが日本人夫婦も400組前後行っているという現実がある。そこから考えるべきという感じの本だった。
著者のHP見ても解るとおり、推進派に近い立場で書かれた本なので、批判派への取材はほとんど無い。
代理母で生まれ、成長した子供たちへの取材はない。 代理母を選んだ夫婦への取材も、もっぱら妻側へのインタビューがメイン。
夫が目立つのは、例の関西の50代夫婦の夫のみという印象も。
代理母に不利なデータ類はあんまり出さずに、代理母推進派のデータが基礎になっているように思えた。
いろいろメモ。
ベビーMみたいな、代理母が自分の卵子使って妊娠する方法は時代遅れ。
代理母と子供との遺伝子的繋がりのため、代理母が子供に執着しがちなため。
だから 代理母×卵子提供者×精子 という形で、代理母と遺伝的繋がりがない方法で子供作るのが主流。
ちなみに乳をあげると、そこでも情が移るので、授乳もしないケースが多い。
不妊治療のあげく高齢になって自分の卵子も使えない親が子供を望むケースが多いので、別の若い女性から卵子提供を受けるのが一般的らしい。
しかし日本人の場合、自分の卵子を使いたがる傾向が高いとのこと。
単純に妊娠の可能性をあげるためならば、違う女性の卵子と掛け合わせた複数の受精卵を代理母の子宮に入れる方法があるらしい。
つまり代理母の子宮に、母親の遺伝子が違う双子(以上)ができる可能性がある。
さすがに医者は倫理的にまずいだろうと、実施はしていない模様だが…
着床の可能性を高めるため、複数の受精卵つかうのはデフォ。
過去には5つ子の例もあった。 さすがにこのときは一人障碍。
今は3つくらいまでが限度らしい。
日本人の場合やっとできた子供、ということで減胎をいやがる親が多いので、何とか無理しても産ますケースが多いとのこと。
代理母がどんな人かというと
DQNは極力排除。 やはりビジネスとしては悪評が致命的だから、カウンセリングなどが重視されている。
ベビーM事件のようなケースは、現在はあり得ないとのこと。 それだけの実績は有るという自身があるようだ。 ごく希なケースで悪評が立ったことを残念がっている風。
アメリカでは、代理母本人の卵子を使う方法での代理出産は、確かに禁止の方向で少数。
しかし、代理母と遺伝的つながりがない方法は事情が別、ということらしい。
許可、または許可と法解釈できる 23州
禁止、または禁止と法解釈できる 9州
どちらか不透明 18州
日本の代理母コーディネーターへの取材によると、難しい仕事でビジネスとしては厳しすぎるということ。 年に5組も扱えればいい方。
医療費が高いのに加え、一般的な保険が使えない。 双子が未熟児で産まれるとそれだけで数千万円かかる。 双子で産まれ、赤ん坊の入院が長引けば1億円超えるケースもしばしば。
依頼人との交渉でも、あまりに身勝手な振る舞いに失望することも多い。
代理母プログラムは縮小の方向にあり、卵子提供プログラムの方が事業の主流になっているようだ。
現在渦中の人でもある諏訪マタニティークリニック(長野県下諏訪町)の根津八紘(やひろ)院長への取材もある。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4062133431/ref=sr_11_1/250-7344768-5977014?ie=UTF8
著者のHP http://hiraimiho.main.jp/
内容(「BOOK」データベースより)
日本人依頼主、産婦人科医、代理出産エージェンシー、代理母…日米韓三元取材による、心にしみるノンフィクション。
現状では最新の代理母に関しての本のようだ。
色々新しい情報を知ることが出来る。
確かに古い不正確な情報で議論していても不毛だ。カリフォルニアの産科医、日本のコーディネーター、代理母を頼んだ人のインタビューが興味深い。 関西の50代の出産届を受理されなかった夫婦への取材もある。
この著者によると、アメリカでは既に3万5千件以上の代理出産が行なわれ、統計はないが日本人夫婦も400組前後行っているという現実がある。そこから考えるべきという感じの本だった。
著者のHP見ても解るとおり、推進派に近い立場で書かれた本なので、批判派への取材はほとんど無い。
代理母で生まれ、成長した子供たちへの取材はない。 代理母を選んだ夫婦への取材も、もっぱら妻側へのインタビューがメイン。
夫が目立つのは、例の関西の50代夫婦の夫のみという印象も。
代理母に不利なデータ類はあんまり出さずに、代理母推進派のデータが基礎になっているように思えた。
いろいろメモ。
ベビーMみたいな、代理母が自分の卵子使って妊娠する方法は時代遅れ。
代理母と子供との遺伝子的繋がりのため、代理母が子供に執着しがちなため。
だから 代理母×卵子提供者×精子 という形で、代理母と遺伝的繋がりがない方法で子供作るのが主流。
ちなみに乳をあげると、そこでも情が移るので、授乳もしないケースが多い。
不妊治療のあげく高齢になって自分の卵子も使えない親が子供を望むケースが多いので、別の若い女性から卵子提供を受けるのが一般的らしい。
しかし日本人の場合、自分の卵子を使いたがる傾向が高いとのこと。
単純に妊娠の可能性をあげるためならば、違う女性の卵子と掛け合わせた複数の受精卵を代理母の子宮に入れる方法があるらしい。
つまり代理母の子宮に、母親の遺伝子が違う双子(以上)ができる可能性がある。
さすがに医者は倫理的にまずいだろうと、実施はしていない模様だが…
着床の可能性を高めるため、複数の受精卵つかうのはデフォ。
過去には5つ子の例もあった。 さすがにこのときは一人障碍。
今は3つくらいまでが限度らしい。
日本人の場合やっとできた子供、ということで減胎をいやがる親が多いので、何とか無理しても産ますケースが多いとのこと。
代理母がどんな人かというと
ということらしい。代理母になる女性はごく一般的な中流家庭に育ち、伝統的な価値観を持っている人が多い。
社会で自分のやりたいことを追求するのではなく、家庭で母親としての役割を最重要視する。
DQNは極力排除。 やはりビジネスとしては悪評が致命的だから、カウンセリングなどが重視されている。
ベビーM事件のようなケースは、現在はあり得ないとのこと。 それだけの実績は有るという自身があるようだ。 ごく希なケースで悪評が立ったことを残念がっている風。
アメリカでは、代理母本人の卵子を使う方法での代理出産は、確かに禁止の方向で少数。
しかし、代理母と遺伝的つながりがない方法は事情が別、ということらしい。
許可、または許可と法解釈できる 23州
禁止、または禁止と法解釈できる 9州
どちらか不透明 18州
日本の代理母コーディネーターへの取材によると、難しい仕事でビジネスとしては厳しすぎるということ。 年に5組も扱えればいい方。
医療費が高いのに加え、一般的な保険が使えない。 双子が未熟児で産まれるとそれだけで数千万円かかる。 双子で産まれ、赤ん坊の入院が長引けば1億円超えるケースもしばしば。
依頼人との交渉でも、あまりに身勝手な振る舞いに失望することも多い。
代理母プログラムは縮小の方向にあり、卵子提供プログラムの方が事業の主流になっているようだ。
現在渦中の人でもある諏訪マタニティークリニック(長野県下諏訪町)の根津八紘(やひろ)院長への取材もある。
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諏訪の件やアメリカの件を考えると、準実子または準養子とうい概念が必要なのかもしれませんね。ただ、そういう概念を提出することがその技術を是認することになるのだとすれば、難しいですね。
2ちゃんねるの向井氏のスレと、母娘代理出産のスレの温度差が気になっています。
向井氏の件は「1」のソースを見れば本人の卵子を使ったと有るけれど、定期的に「誰の卵子」という質問が出てくる。
遺伝子的には親子ではあっても、「家族」の中に第3者の「子宮」が介入してくることに
嫌悪感が有るみたい。
卵子も子宮も第3者から提供されていたら、もっとバッシングされそう。
母や姉妹が代理母するのには、そこまでの抵抗が少ないように見える。
卵子も精子も子宮も家族内で完結している。
向井の代理母捜しの本の題名は「プロポーズ」。
第三者の子宮というのでは抵抗があるため、疑似結婚のような儀式までして一時的に「家族」を装っている。
家族の中に第三者(精子・卵子・子宮)がはいることに、どうしても抵抗が有るみたいだ。
代理母で産まれても、遺伝子が繋がっていれば大丈夫。
けれども遺伝的繋がりのない子供を受け入れるのには、相当に高いハードルが有るみたいだ。
血族主義というのは、西洋的な価値観が入ってからの概念ではないでしょうか。
歴史的な日本では、娘婿などの血族関係は尊ばれたけれど、姻族・養子だからといって、明確に区別されたのでもない。乳兄弟というのもある…。
血の繋がった放蕩息子を勘当して、出来のいい奉公人を跡取りにした例はくさるほどある。
スピリチュアルな考え方からいえば、血族を絶対視することもない。ダライラマのような世襲制度は極端とはいえ、DNAのみ家族の絆とすることの非情さを私は感じています。
「家を継ぐ」というのが崩壊して、核家族となり、そこに「遺伝子」という概念がすっぽりはまったのじゃないのかな、と疑ってます。
1950〜60年代は、科学万能の時代。このころから山を削り川を護岸で堅め、東京じゃ川をふさいで道路にしたり、高速道路を架けたりしてた。
それをやってきた世代、現在70代(?)あたりが、古い倫理を捨て科学の進歩万歳イケイケのような気がする。
根津八紘院長がこの世代のはず。
遺伝子信仰。…御意。
私はスピリチュアリズムおよび、江戸時代尊崇の退行派・グノーシス派かなぁ…。
話そのものは聞いていないのだけど、視聴者からの感想を読むコーナーで「魂の遺伝子という言葉が印象的でした」云々と…
内心「うわー!」と驚いた。
この手の、科学的言葉を宗教に絡めるのは、オウム以降は用心するべきなのに…
霊的な真実を否定する宗教が存在することがそもそもおかしいのですよね。
自らの霊的な存在に気づけば、オウムなど寄せ付けることはない。
なぜ、大学で科学を勉強していた人たちがオウムに引き寄せられていったのは、そういうことでしょうね。
わたしは頑なな禅者でいたいと思っています。