[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
産経新聞【主張】東氏当選 業界とのしがらみを断て
http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/shucho/070122/shc070122000.htm
「しがらみ」だけの分析。ダメダメな社説。
しがらみから一番遠い東国原が一番有利だった、というだけでは無かったはず。
読売新聞[プレ統一選]「政党の影がますます薄くなった」
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20070121ig90.htm
有権者の間に、政党不信がさらに広がっていることを示す結果である。
保守分裂、民主党不在、相乗りといった選挙では、政策の選択肢を示す活発な論戦は最初から期待できない。そうした状況への有権者の不満が、既成政党への不信につながっているのだろう。
そうなのか?
世論調査で政党支持率が落ちてきたことを踏まえての社説だとはおもうが、なんか大雑把すぎるような。
中川秀直の反論有り。
(県知事選)「保守大同団結」を上回る価値など存在しない
http://www.nakagawahidenao.jp/pc/modules/wordpress0/index.php?p=424
毎日新聞社説:宮崎知事選 政党不信がそのまんま…
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20070122ddm005070012000c.html
東京都で青島幸男知事が、大阪府で横山ノック知事が誕生したのは95年。その後、全国各地で政党を頼りにしない無党派知事が続々生まれて地方分権をリードしてきた。しかし、昨年、「改革派」を名乗ってきた知事も含めて次々と事件で失脚。「選挙は建設業界などに頼らざるを得ない」という無党派の限界ものぞかせた。このため、今また政党が地方自治に積極的に関与すべき時だとの声は無党派知事の中からも出ている。
にもかかわらず、政党は有権者のニーズに応えられない。小泉政権が終わり、自民党は無党派層へのアピールより組織を重視する方向に傾いているが、こうした「古い自民党」への回帰が不信の根底にあるのではないか。
「無党派知事の中からも…」て誰だろう?
中川秀直だけが「古い自民党」を強く否定するため、孤軍奮闘してるような印象がある。 他の人は力不足か、違う方向を向いてるように見える。
朝日新聞社説:http://www.asahi.com/paper/editorial20070123.html
二つ合わせて一つの社説といったほうがいいかも。
自民と民主 頼りなさ競うようでは
参院選まであと半年。2大政党が頼りなさを競うようでは、国民は選びようがない。無党派層が45%を占めたのはその表れだろう。小泉時代の05年の郵政総選挙直後は27%だった。
一度の世論調査で決めつけることはできないが、無党派層がこのまま増え続けて「第1党」の座に定着すれば、政治が漂流しかねない。
何を今更
宮崎知事選 「1票」が迫る荒療治
官製談合事件で前知事が逮捕されたあとの県政を、行政経験のない芸能人に託す県民の選択に驚いた人も多かろう。
お笑いの世界からの転身といえば、横山ノック元大阪府知事が思い浮かぶ。その末路が強制わいせつでの有罪判決だっただけに、東氏にも一抹の不安がつきまとう。そんな受け止めをする人も少なくないはずだ。
ただ、東氏は約80項目のマニフェストを掲げ、地元の言葉で地方自治への真摯(しんし)な取り組みを強調した。投票率も前回より5ポイント上がった。東京都に青島幸男、大阪府に横山両知事を誕生させた1995年の選挙戦との違いは大きい。
選挙運動をしなかった青島氏や、各党相乗りの官僚OBに挑んだ横山氏は、政党不信の受け皿として票をかき集めた。それに比べて、東氏への支持にはある種の期待が込められているように見える。
しがらみのなさを生かし、現状を打ち破る荒療治もいとわない意気込みだ。
当時の大阪の声
386 名前:無党派さん[] 投稿日:2007/01/22(月) 15:44:55 ID:8+oFPnFb
ノックの大阪府民の低レベルさに比べれば、今回は上等だったんじゃない。
私もあの選挙大阪にいたが大阪人は口々にこう言ってた。
「誰にしてもあかんわ、どうせダメならノックでええわ」
その結果行財政は悪化、府民にキッチリしわ寄せはいった
右肩上がりの経済の時代にまかり通った癒着構造が、いつまでも許されるはずがない。そうしたゆがみを、有権者がみずからの1票でたたき壊しにかかった。それが、東氏の勝因ではないか。
「右肩上がりの経済の時代にまかり通った癒着構造」てのは違うだろう。
宮崎は改革派の前知事がそれを打ち破ろうとして、県外の業者と手を組もうとした事件だったのではないのか?
昨年の福島、和歌山の出直し知事選でも、東氏のような知名度のある第3の候補者が旧弊打破を訴えていれば、どう転がったか分からない。
知名度だけでは勝てないだろう。
日経新聞 社説2 新知事で宮崎は変われるか(1/23)
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20070122MS3M2200222012007.html
1993年のゼネコン汚職時には、知事が逮捕された宮城、茨城ともに出直し選は低投票率となり、有権者にはしらけムードが漂った。今回の宮崎は約30年ぶりの高い投票率になり、前知事逮捕を受けた昨年11月の福島の出直し選も投票率は上昇した。
青島やノックとは、ここが大きく違うはず。 初期の田中康夫の方に近いのかなぁ?
しかし田中の場合は地元有力者の推薦があったが、東の場合はマイナスから、泡沫候補からの当選だからなぁ。
河北新報 そのまんま東氏当選/政治のプロへの不信の表れ
http://www.kahoku.co.jp/shasetsu/2007/01/20070123s01.htm
小泉純一郎前政権が劇場型政治を通じて改革姿勢を示し、辛うじてつなぎ留めていた無党派層をはじめ、自民、民主など既成政党の支持者の多くの票が流れたのは、政治不信を裏付ける。
自民の中川秀直幹事長は、選挙結果について、「敗因は保守分裂にある。保守が大同団結できないときに何が起こるか、しっかりと心に刻みたい」とコメントを出したが、問われているのは、候補者擁立問題や選挙の仕方ではない。政治が誰のために、どちらを向いて行われているかだ。
政治不信というより「政党不信」だろう。投票率がこれだけ高かったのだから。
「小泉が好きだけど、自民党は嫌い」という人は、かなり多かった。
東京新聞 不信の嵐に吹き飛ぶ 既存政党、元官僚 なぜ負けた
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20070123/mng_____tokuho__000.shtml
東氏の勝因:「知名度」「タイミング」
他候補の敗因:「政治不信」「官僚不信」「出馬表明が遅れ、時間との戦いだった」
そういう分析が多いけれど、なんか外している感じ。
まぶちすみおの「不易塾」日記
http://www.election.ne.jp/10679/archives/0005061.html
いわく、県民党としての流れが期待されているということ。
言い換えれば、国政とは違って地方政治では政党政治からの脱
却が求められているということになる。
自民党も民主党も、既存政党の政治に対しての不満圧力という
ものは相当に高い。
与野党併せての支持率の低下は、如実にそれを物語っている。
昨年お会いした北川教授(前三重県知事)も「マニフェスト選
挙を突き詰めていくと、地域政党という新たな政治体制の姿が
見えてくる」とおっしゃっていた。まさに、これこそ地方分権、
いや地域主権のあるべき姿ではないだろうか。
自前の候補者を立てられないことへの言い訳か?
宗男日記
http://blog.goo.ne.jp/kouich3big/e/b06fd7f8c06d4cbef777b1fc9475a1e2
今日も朝からテレビは、昨日に続いてそのまんま東さんのオンパレードだったが、一晩にして日本で一番の有名人になってしまった。選挙中の愚直な訴え、走って握手し、一人で頑張る姿に、私も自分の選挙を想い起こし、シンパシーを感じたものだ。宮崎県発展の為、指導力を発揮してもらいたい。
マラソン仲間だしな。
中川秀直 (県知事選)「保守大同団結」を上回る価値など存在しない
http://www.nakagawahidenao.jp/pc/modules/wordpress0/index.php?p=424
ところで、私は無党派と基礎票を分ける分類には問題があると思っている。マスコミで無党派といわれる層は、基本は「保守」だからだ。昔から、後援会や友好団体に所属している方でも、ご本人が納得しなければ投票していただけない。しかし、昔は、推薦候補以外は180度政策の違う人だから選択の余地はなかったが、冷戦崩壊後の今日は選択の余地が広がっているのである。何党であれ、なぜその候補がいいのかの説明責任は重いものになっているのだ。
だから、私は無党派対策と友好団体対策は究極において一であると思っている。それを切り分けた対策は、いずれからも支持されないだろう。もしも、単純化して「小泉自民党以前=友好団体重視、小泉自民党=無党派対策重視」とするならば、安倍自民党は両方を一にした選挙戦略をとることが特徴となる。
『マスコミで無党派といわれる層は、基本は「保守」』かぁ。
たしかに東氏は保守」票を、かなり取った。
そのまんま東、圧勝も前途多難…早くも短命の声
http://www.zakzak.co.jp/gei/2007_01/g2007012204.html
■政治評論家の屋山太郎さんの話
そのまんま東氏の当選は保守王国にはびこっていた談合体質、官僚政治に風穴を開けた。(同じタレント知事だった大阪府の)横山ノック氏は政治家として素人だったが、東氏は大学で地方自治を勉強しただけあって、政治感覚はノーマル。言うことが的確で、陽気な性格も県民にウケるのでは。義理やしがらみもないから、逆にやりやすい。勇気を持って正しいことを呼びかけ、真面目にやっていれば、改選を控えた県議会も何でも否決するわけにはいかなくなるのではないか。
■評論家の佐高信さんの話
玄人という県政の専門家が、実は汚職の専門家というのを見せ付けられたので、県民はピンクスキャンダルがあっても素人を選んだのではないか。ただ、素人であればあるほど、専門家である県の職員に取り込まれる危険も大きい。故青島幸男元都知事と同じようにならないことがこれからの課題。素人の強みは田中康夫前長野県知事のように何でも県民にオープンにすることしかない。県民は汚職の連鎖を断ち切ることしか期待してないのだから、1期で辞めるのが望ましい姿ではないか。
二人の「素人」という言葉の使い方の差が興味深い。
私は屋山太郎の見解の方を支持するな。
新知事は、保守陣営に評判が良いという印象。 前知事の路線を継承し、議会ともそれなりに妥協すると予想。
リベラルは途惑ってる、というか、いまだ理解不能の現象なのではないか?
お元気ですか。
問題は、マスコミの無党派層という分析がアンシャンなんですよ。
佐々木氏が好きな右・左という論理がすでに古い。だって、東は、右じゃなく、左じゃなく、真ん中ではないはず。
昔は、左が少し前だったけど、いまは右が少し前ってこと。
東はどうかっていうと、右でも左でもない。
でも、右左という価値観で政党もマスコミも展開しているから、その価値観を否定することは、政党もマスコミも自らの価値観を失うことになる。だから、無党派なんて言葉を使うんだと思っています。
同様に、格差社会という語が持つ、上と下も、その議論に専心する人たちも浅薄だ。
前進か後退か…。
そういうこと。
保守とは、既存権益を守ることではなく、旧守派とも違う。
と感じている。
漠然と反自民であることを前提にしているのだろうなぁ。
東国原知事は、愚直なほどの民主主義者かもなぁ。 「スミス 都に行く」というイメージ。
次のエントリーのタイトルにしようかな
95年の青島・ノックのことを調べている途中。 団藤さんのところで歴史の勉強。
団藤保晴の「インターネットで読み解く!」
第30回「政治・選挙制度改革が変えたもの」 (97/12/04)
http://dandoweb.com/backno/971204.htm