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宮本百合子の手紙を、何となく読んでこんな記述を見つけた。(読みにくいので適当に改行)

一九四四年(昭和十九年) 六月十一日

 ガンサーの本、ガンジーの伝のところ、面白くガンジーの自伝というものをよみたいと思います。聖書的率直さと天真爛漫さだそうです。ガンジーが、肉体の欲望を支配する力を得ようとしていろいろ努力して、四十年来成功しているそうですが、このひとはトルストイのように、自分の目的達成の困難さを、女のせいにしていかめしくかまえもしないし、ストリンドベリーのように、妙に精神的にひねくれもしないし、キリスト教徒でない、自然さがあるらしくて、そんなことも面白いと思います。

十五歳で十歳の妻と結婚したのだそうです。北の生活の中では、わからない人間成長と性の問題のくいちがった様相があるわけです。インドでは体が、果物のように熟してしまうのね。精神は生活経験の蓄積の時間が入用ですから、体にまけて、萎えて、未成長のまま早老してしまうのでしょう。インドの聖人たちが、みんな肉体の支配について巨大な意力を動員しなければならないのは、実際の風土に対する人間的プロテストなのね。自然におけるそういう条件への抵抗と、イギリスというああいうガンコな壁への抵抗で、インドの人々の生活は、意力あるものは極めて強靭な意力を要するのでしょう。

ガンジーは、ゴムのような男の由、堂々たるヨーロッパ人が大汗でおっつけない程迅く、やせて軽い体を一本の長い杖をついて運ぶ由。ガンジーの矛盾だらけ、不思議な素朴さ(経済問題について)は、即ちインドの一般生活のおそるべき低さと比例する困難さに応じたものであるというのは、興味をうごかされました。糸車も漫画に描くよりはインドとして意味があるのですね、いろいろ感じました。

ガンジーのつよさ、力の諸源泉、そのコムビネーションについて。キリスト以来というのは或は当っているかもしれません。インドには、全く、「いわれなくしていやしめられたる者」が充満しているのですものね。ガンジーの秘書をしているのはミス何とか云ってイギリスの海軍大将の娘の由。ミス一人の良心で、イギリスの歴史を償おうというのは、荷が重すぎるでしょうね。


「十二年の手紙」より
http://www.aozora.gr.jp/cards/000311/card33192.html



ガンジーの矛盾だらけ、不思議な素朴さ(経済問題について)は、即ちインドの一般生活のおそるべき低さと比例する困難さに応じたものであるというのは、興味をうごかされました。

ここあたりの記述は、ノーベル賞のマイクロクレジットにすんなり繋がっていくように感じる。
フリードマン「フラット化する世界」に描かれるインドにも、繋がると思う。

1960年代後半70年代初めの、政治闘争に背を向けインドに渡った人達は、こういた古くからの共産党のインドへ視線には関心は無かったようにも見える。

1960年代後半に世界的にブームになった、ヒッピーのインド放浪とは、いったい何だったのだろうか?
単純に、簡単にドラッグが手に入ったからなのか?
時間が止まっている国だとか、宗教・民衆・マハラジャ・宗教ばかりで語られていたという印象の方が強い。



JB tribute
JBのライブにマイケル・ジャクソンとプリンスが乱入するYouTube映像。
マイケルとプリンスが絡んでいる場面はないけれど、同一ステージにいたとは、ちょっと驚き。
JBに指名されたら、断れないよな。
http://www.youtube.com/watch?v=No9N7WKQlqc
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