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いろいろ補足情報


少女漫画的日常:大塚英志の少女漫画史観
http://d.hatena.ne.jp/nogamin/20061018/1161176807

70年代以降の話だけれど、TB・コメント欄が濃過ぎる!

宮本大人のミヤモメモ
11月24日、高橋真琴&藤本由香里−少女マンガの源流をたずねて
http://d.hatena.ne.jp/hrhtm1970/20061126/1164477273


藤本由香里「少女マンガのセクシュアリティ 〜レイプからメイドへ〜」
http://www.tinami.com/x/interview/10/
http://www.tinami.com/x/interview/11/

ここ最近の話題に関連してる部分とか


藤: 竹宮(恵子)さんは原点は学生運動だって仰ってました。彼女は学生運動のために一年か二年かマンガをお休みしているんですよ。

は: 全共闘世代ですか。

サ: 昭和25年2月生まれですよね。

は: じゃあ大学入ったら1967年だから、入学したらすぐに大学紛争だ!

藤: そのときに竹宮さんは、一見正しく見えるものが正しくなかったり、一見正しくないように見えるものが正しかったり、あるいはセクト同士の意見が一致していても、その賛成している理由が全然違ったり、というようなことを見て、このことを表現したいと思ったのがそれからの創作の原点だと仰ってましたね。だから自分の作品は最終的には、黒と白とがせめぎ合っている話、表と裏がせめぎ合っている話っていうふうになっていく、と。



「女王様は発狂がお好き 〜めくるめく発狂の華麗な世界〜」 〜 一条ゆかり
http://www.tinami.com/x/girlscomic/ichijyo-yukari/

Q:誰が最初に少女マンガで強姦を描いたのか
A:もりたじゅん『しあわせという名の女』りぼんコミック1971年1月号

その2ヶ月後の一条ゆかり『彼…』りぼんコミック1971年3月号から
一条ゆかり



りぼん 1970年 11月号 風間宏子「涙にさようなら 藤圭子物語」
風間宏子「涙にさようなら 藤圭子物語」

1970年暮れ発売のミニアルバム(正月向け?)
藤圭子「女は恋に生きていく」

ジャケット上部の「藤圭子、クール・ファイブ、野村真樹、和田アキ子ベスト・ヒット集」という名前の並び順は当時のレコード会社RCAにおける4人のランク付け。

野村真樹=柘植の飛猿(野村将希) 当時はにしきのあきらとライバルだった。
藤圭子「女は恋に生きていく」は最高4位 
クールファイブ「愛のいたずら」は最高8位

当時のヒットチャート(ずれたらスマソ)
1970/12/10
1 1 1 京都の恋            渚 ゆう子        11   11
2 2 4 走れコータロー         ソルティ・シュガー   10   10
3 3 2 銀座の女            森 進一        10   168
4 5 8 女は恋に生きてゆく       藤 圭子        4   53
5 − − 誓いの明日           ザ・タイガース     1   94
6 6 5 愛のきずな           安倍律子        7   7
7 8 9 誰かさんと誰かさん       ザ・ドリフターズ    3   39
8 4 3 ふたりの関係          ヒデとロザンナ     5   31
9 7 7 おんな占い           南 雄二とフルセイルズ 4   4
10 10 10 愛のいたずら          内山田洋とクールファイブ6   64
http://www.os.rim.or.jp/~katokiti/chart202.htm

【噂の真相 1999年11月号】特集1:発掘スクープ!宇多田ヒカル誕生の背景にあった藤圭子と沢木耕太郎の隠された”悲愛”
http://www.ebookbank.jp/wowow/ep/item/1-5134/

1970年代後半、藤圭子のノンフィクションを本にするため1年半密着取材しているうちに恋愛関係になったそうです。
で、沢木は妻子を捨て、一足先にNYへ逝っていた藤圭子と結婚し、そしてニューヨーク市立大へジャーナリストとして留学する予定だった。
しかしどういうわけかその計画を断念し、妻子とよりを戻し平穏な生活に戻ってしまった。そして藤圭子のノンフィクションもお蔵入りへ。
そして失意の藤圭子は、たまたまそばにいた宇多田の父親とヤケクソ気味で結婚。そしてヒカルが誕生した。

まぁ、噂真ネタだけど…

【関連】 
藤圭子について
http://londonbridge.blog.shinobi.jp/Entry/192/
http://londonbridge.blog.shinobi.jp/Entry/256/
http://londonbridge.blog.shinobi.jp/Entry/257/

藤圭子 コンプリート・シングル・コレクション 15年の輝石(WMPで試聴可 カバー曲が聴けます)
http://www.co-cfc.co.jp/detail.msp?id=1676

ここでも試聴可 (ポップアップを許可する必要有り)
http://www.tsutaya.co.jp/item/music/view_m.zhtml?pdid=20020982

歌謡スター名鑑(デビューがら大ブレイクまでの軌跡)
http://www.ringohouse.com/starFiles/keiko_Folder/keiko.html

映画 藤圭子 わが歌のある限り(1971) (自伝的映画 大ヒットまで)
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD19547/index.html

三上寛 - 夢は夜ひらく(2003)
http://www.youtube.com/watch?v=dmUISholB3Q

アンサーソング? これはすごい!

アニメ『さすらいの太陽』
http://park1.aeonnet.ne.jp/~bee-hp/tv/sasurai/sasurai.htm

さすらいの太陽〜心のうた〜 唄 堀江美都子
http://www.youtube.com/watch?v=k7dUAfT__1E

さすらいの太陽〜昭和40年代ヒット曲メドレー
http://www.youtube.com/watch?v=8wlS0eAb1FE
PR
最近話題のポロニウムの発見者の一人、マリー・キュリーは子供向け伝記の常連。
その伝記の書かれ方を、斎藤美奈子が「キュリー夫人はセーラームーンである」と「紅一点論」で評している。

紅一点論  著者 斎藤美奈子 1998年7月13日刊行 ISBN4-89436-113-2 C0095
出版社のサイト。 
http://www.villagecenter.co.jp/book/kouitten.html

書評をありったけ集めてるので、あえて付け足すこともないかな。

宮本百合子の書いた、有る意味古典的な小伝が青空文庫に載ってます。
とりあえず基本的なことは、ここを読むべし。
科学者としての部分は知っていたけれど、大戦中に光線治療車を開発し、自ら戦場で治療にあたっていたというのは、私は大人になるまで知らなかった。

キュリー夫人の命の焔
http://www.aozora.gr.jp/cards/000311/files/3961_12716.html
誕生からノーベル賞受賞まで

キュリー夫人
http://www.aozora.gr.jp/cards/000311/files/3135_10753.html
続編。 第一次世界大戦から祖国ポーランド独立まで

Marie driving one of the radiology cars in 1917
第1次大戦中「小キュリー」を運転するマリー・キュリー
Marie driving one of the radiology cars in 1917


「愛と科学の母」「夫の死を乗り越え」たキューリー夫人が、「田舎出のガリ勉娘」で「年下の同僚とおとなの恋に落ちていた」ということには、当然触れていない、とても感動的な小伝です。



写真は http://nobelprize.org/nobel_prizes/physics/articles/curie/index.html からの転載
カリール・ジブランの「子供について」という詩を紹介したのだけれど、その中の一節で、ちょっと気がついたことなど。

あなたは弓です。 その弓から、子は生きた矢となって放たれて行きます。



レバノン産まれのキリスト教徒の詩人ということなので、これは創世記におけるイシュマエルの伝承を踏まえているのじゃないかなと、ふと思う。

イシュマエルはアブラハムの息子でアラブ人の先祖、弓矢を射る者とされています。

神がその子と共におられたので、その子は成長し、荒れ野に住んで弓を射る者となった     創世記 / 21章 20節(新共同訳)


つまり、神が射手になり弓(母親)を引き絞り、矢(子供)を的に射るという、神を讃える詩です。


イシュマエルとイサクは共にアブラハムの息子で兄弟です。

イサクとイシュマエル wikiより

イサクが生まれる前、出産をあきらめていたサラは、女奴隷のハガルによってアブラハムにイシュマエルをもうけさせていた。ところが、ハガルは増長して主人のサラを軽視するようになり、サラの腹から生まれたイサクをイシュマエルがからかっている光景をサラが目にしたことから、サラはアブラハムに母子を追い出すよう迫る。アブラハムは神の「心配せず妻の言う通りにせよ(取意)」とのお告げを受けてこの母子を追い出す。母子は放浪のあげく、泉を見つけて安堵する。この系列はイシュマエル人としてヘブライ人(ユダヤ人)とは別の民族になったとして、旧約にも登場する(ヨセフをエジプトへ連行したのもイシュマエル人の隊商である)。のちに、アラブ人はこのイシュマエルを祖とするイシュマエル人の子孫と称し、アラブ人が開いたイスラム教ではイサクよりもイシュマエルが重視される。



wikiでは省かれているけれど、ハガルは妊娠中にも追放され荒れ地をさまよっています。

イシュマエルとその母ハガルの母子の話は、けっこう文学や絵画のモチーフにされています。
裏聖母子像という感じかなぁ。 嘆きの母子、さすらいの母子像として描かれてる。

 荒れ地をさまよう母子。 息子が死に瀕して嘆いている姿。泉で天使と会う場面。などの絵画。
http://images.google.com/images?client=opera&rls=ja&q=Hagar%20%20Ishmael&sourceid=opera&ie=UTF-8&oe=UTF-8&sa=N&tab=wi
ハガル・イシュマエル母子を追放するアブラハム
http://images.google.com/images?svnum=10&hl=ja&lr=&safe=off&client=opera&rls=ja&q=Hagar++Abraham&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2
ハガルの帰還  http://www.salvastyle.com/menu_baroque/cortona_hagar.html
ハガルと天使
http://images.google.com/images?client=opera&rls=ja&q=Hagar%20meets%20the%20Angel&sourceid=opera&ie=UTF-8&oe=UTF-8&sa=N&tab=wi

奴隷と自由人、「霊」と「肉」という喩えとして、パウロの手紙にも出てくるし、正妻と妾との対立、という文脈というのもある。
ユダヤとアラブの対立の原点なんて言い方をされることも多い。

そういえばアブラハムとサラは、不妊・高齢出産の象徴でもあるなぁ。


以下、新共同訳聖書からの引用です
「オーマイ」は「王米」、つまり代用食品開発から出発したというのが、ヘー だったので、少し調べてみた。

ネット上に代用米についての情報は、あんまり無かった。

まず基本的なところから言えば、「米は日本人の主食ではない」
http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-58.htm
このサイトでは最初に、「弥生時代説」と「第2次世界大戦後説」両論を併記しているけれど、実態として主食だった時期は極々最近の一時期という結論です。
 日本人にとって、米は単なる食べ物ではない、神聖であって、粗末にした日には目までつぶすほどの霊力を持つ物であり、それ故に貨幣として全ての価値基準にさえなったのである。天照大御神が天孫ニニギノミコトを豊葦原瑞穂国に降臨せしめた時、稲穂を渡し「これを日本人の主食としなさい」といったという神話がある。「日本人」(弥生人から現代人)の歴史は「米を主食にしたいと願い続けた歴史」であったともいえるのである。


代用米開発の動機は、いわゆる皇国史観の影響と米不足と科学技術への期待だったように思えるなぁ。

「米」ではなく小麦粉で作る「オーマイ(王米)」の開発が1955年、チキンラーメン発売が1958年。
インスタントラーメンは、「麺」ではあるけれど中華料理のラーメンそのものではないあたり、いろいろ同時代性を感じる。

このほかに、プレスハムも同時代。 プレスハムは、畜肉(当時はマトンや馬肉)をつなぎでくっつけたもので、いわゆる古典的な「ハム」「ソーセージ」とは別物で、日本独自のモノ。

魚肉ソーセージも同時代で、新素材のフィルム開発と保存料の発展がキーポイント。
常温で流通保存できるところが画期的。

食糧不足・米不足のため、食材を無駄なく使う食品の工業化の流れが、1950年代に大きく進んだようだ。
こうやって調べていくと、即席麺(腰のないスパゲッティも)・プレスハム・魚肉ソーセージというのは戦後昭和の味なんだなと、ちょっとしみじみする。
昭和30年代までの日本は、「貧しい」国だったなぁ… そして変に工夫好きで名前(体面?)にこだわる…

「おいしんぼ」みたいに憂う気持ちはないけれど、バブル時代の本物志向というのには、それなりの意味があったかなとも思ったり。
その一方で、現在は「ハンバーガー」という名前でありながら魚肉や豆腐を使ったモノが多数有り、もはや名前と中身が一致しないことは当然という感覚も有ったりするなぁ。

食事をする、というよりも「栄養補給」…
グルメといいつつ「情報を消化」してるような感覚と、どこか2極分化しちゃってる気分。
(微妙に、例のタヒチのエッセイに共感する部分でもある)

雑然とメモ

「栄養と料理」デジタルアーカイブの中の「代用食」
http://libsv2.eiyo.ac.jp/eiyotoryori/freekey/searchArticle.do;jsessionid=F9B53507426446A8C3EE51E17DA15D5E
戦中戦後のレシピがいろいろ有って、涙ぐましいと思うと同時に、意外と質素で健康的、経済的なのかもしれないとも思ったりする。

タンポポコーヒーは、現在ノンカフェイン飲料として評価されているっぽい。
漢方薬の材料でもあるから、コーヒーと思わなければいいのかも。 飲んだことはないけれど。

最近のNHK連続テレビ小説「純情きらり」で、本物の味噌が作れなくなっていく描写があった。
ついでに代用醤油をしらべていたら「毛髪醤油」というのが… ウヘッ


代用酒については漫画「夏子の酒」程度しか知らなかった。
「やかたの厨房から281〜290号」
http://www5d.biglobe.ne.jp/~yakatada/sub29.htm
日露戦争とホワイトリカー、鈴木梅太郎(幻のビタミン発見)の「理研酒」の話が興味深い。

「ボンカレー」の大塚グループは、ちょっと違うジャンルかなぁと思うが…この会社も波瀾万丈だなと思った。朝鮮戦争特需は、大塚製薬にも波及していたのだな。
昭和を代表する会社の一つだし、看板もテレビ広告も懐かしい風景だ。

徳島新聞「企業人・大塚正士」
http://www.topics.or.jp/rensai/ootuka/
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