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カリール・ジブランの「子供について」という詩を紹介したのだけれど、その中の一節で、ちょっと気がついたことなど。

あなたは弓です。 その弓から、子は生きた矢となって放たれて行きます。



レバノン産まれのキリスト教徒の詩人ということなので、これは創世記におけるイシュマエルの伝承を踏まえているのじゃないかなと、ふと思う。

イシュマエルはアブラハムの息子でアラブ人の先祖、弓矢を射る者とされています。

神がその子と共におられたので、その子は成長し、荒れ野に住んで弓を射る者となった     創世記 / 21章 20節(新共同訳)


つまり、神が射手になり弓(母親)を引き絞り、矢(子供)を的に射るという、神を讃える詩です。


イシュマエルとイサクは共にアブラハムの息子で兄弟です。

イサクとイシュマエル wikiより

イサクが生まれる前、出産をあきらめていたサラは、女奴隷のハガルによってアブラハムにイシュマエルをもうけさせていた。ところが、ハガルは増長して主人のサラを軽視するようになり、サラの腹から生まれたイサクをイシュマエルがからかっている光景をサラが目にしたことから、サラはアブラハムに母子を追い出すよう迫る。アブラハムは神の「心配せず妻の言う通りにせよ(取意)」とのお告げを受けてこの母子を追い出す。母子は放浪のあげく、泉を見つけて安堵する。この系列はイシュマエル人としてヘブライ人(ユダヤ人)とは別の民族になったとして、旧約にも登場する(ヨセフをエジプトへ連行したのもイシュマエル人の隊商である)。のちに、アラブ人はこのイシュマエルを祖とするイシュマエル人の子孫と称し、アラブ人が開いたイスラム教ではイサクよりもイシュマエルが重視される。



wikiでは省かれているけれど、ハガルは妊娠中にも追放され荒れ地をさまよっています。

イシュマエルとその母ハガルの母子の話は、けっこう文学や絵画のモチーフにされています。
裏聖母子像という感じかなぁ。 嘆きの母子、さすらいの母子像として描かれてる。

 荒れ地をさまよう母子。 息子が死に瀕して嘆いている姿。泉で天使と会う場面。などの絵画。
http://images.google.com/images?client=opera&rls=ja&q=Hagar%20%20Ishmael&sourceid=opera&ie=UTF-8&oe=UTF-8&sa=N&tab=wi
ハガル・イシュマエル母子を追放するアブラハム
http://images.google.com/images?svnum=10&hl=ja&lr=&safe=off&client=opera&rls=ja&q=Hagar++Abraham&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2
ハガルの帰還  http://www.salvastyle.com/menu_baroque/cortona_hagar.html
ハガルと天使
http://images.google.com/images?client=opera&rls=ja&q=Hagar%20meets%20the%20Angel&sourceid=opera&ie=UTF-8&oe=UTF-8&sa=N&tab=wi

奴隷と自由人、「霊」と「肉」という喩えとして、パウロの手紙にも出てくるし、正妻と妾との対立、という文脈というのもある。
ユダヤとアラブの対立の原点なんて言い方をされることも多い。

そういえばアブラハムとサラは、不妊・高齢出産の象徴でもあるなぁ。


以下、新共同訳聖書からの引用です
ハガルの逃亡と出産
創世記 / 16章


アブラムの妻サライには、子供が生まれなかった。彼女には、ハガルというエジプト人の女奴隷がいた。

サライはアブラムに言った。「主はわたしに子供を授けてくださいません。どうぞ、わたしの女奴隷のところに入ってください。わたしは彼女によって、子供を与えられるかもしれません。」アブラムは、サライの願いを聞き入れた。

アブラムの妻サライは、エジプト人の女奴隷ハガルを連れて来て、夫アブラムの側女とした。アブラムがカナン地方に住んでから、十年後のことであった。

アブラムはハガルのところに入り、彼女は身ごもった。ところが、自分が身ごもったのを知ると、彼女は女主人を軽んじた。

サライはアブラムに言った。「わたしが不当な目に遭ったのは、あなたのせいです。女奴隷をあなたのふところに与えたのはわたしなのに、彼女は自分が身ごもったのを知ると、わたしを軽んじるようになりました。主がわたしとあなたとの間を裁かれますように。」

アブラムはサライに答えた。「あなたの女奴隷はあなたのものだ。好きなようにするがいい。」サライは彼女につらく当たったので、彼女はサライのもとから逃げた。

主の御使いが荒れ野の泉のほとり、シュル街道に沿う泉のほとりで彼女と出会って、言った。「サライの女奴隷ハガルよ。あなたはどこから来て、どこへ行こうとしているのか。」「女主人サライのもとから逃げているところです」と答えると、主の御使いは言った。「女主人のもとに帰り、従順に仕えなさい。」

主の御使いは更に言った。「わたしは、あなたの子孫を数えきれないほど多く増やす。」

主の御使いはまた言った。「今、あなたは身ごもっている。やがてあなたは男の子を産む。その子をイシュマエルと名付けなさい/主があなたの悩みをお聞きになられたから。
彼は野生のろばのような人になる。彼があらゆる人にこぶしを振りかざすので/人々は皆、彼にこぶしを振るう。彼は兄弟すべてに敵対して暮らす。」

ハガルは自分に語りかけた主の御名を呼んで、「あなたこそエル・ロイ(わたしを顧みられる神)です」と言った。それは、彼女が、「神がわたしを顧みられた後もなお、わたしはここで見続けていたではないか」と言ったからである。

そこで、その井戸は、ベエル・ラハイ・ロイと呼ばれるようになった。それはカデシュとベレドの間にある。

ハガルはアブラムとの間に男の子を産んだ。アブラムは、ハガルが産んだ男の子をイシュマエルと名付けた。

ハガルがイシュマエルを産んだとき、アブラムは八十六歳であった。




ハガルとイシュマエル
創世記 / 21章


サラは、エジプトの女ハガルがアブラハムとの間に産んだ子が、イサクをからかっているのを見て、アブラハムに訴えた。「あの女とあの子を追い出してください。あの女の息子は、わたしの子イサクと同じ跡継ぎとなるべきではありません。」

このことはアブラハムを非常に苦しめた。その子も自分の子であったからである。

神はアブラハムに言われた。「あの子供とあの女のことで苦しまなくてもよい。すべてサラが言うことに聞き従いなさい。あなたの子孫はイサクによって伝えられる。
しかし、あの女の息子も一つの国民の父とする。彼もあなたの子であるからだ。」

アブラハムは、次の朝早く起き、パンと水の革袋を取ってハガルに与え、背中に負わせて子供を連れ去らせた。ハガルは立ち去り、ベエル・シェバの荒れ野をさまよった。

革袋の水が無くなると、彼女は子供を一本の灌木の下に寝かせ、
「わたしは子供が死ぬのを見るのは忍びない」と言って、矢の届くほど離れ、子供の方を向いて座り込んだ。彼女は子供の方を向いて座ると、声をあげて泣いた。

神は子供の泣き声を聞かれ、天から神の御使いがハガルに呼びかけて言った。「ハガルよ、どうしたのか。恐れることはない。神はあそこにいる子供の泣き声を聞かれた。
立って行って、あの子を抱き上げ、お前の腕でしっかり抱き締めてやりなさい。わたしは、必ずあの子を大きな国民とする。」

神がハガルの目を開かれたので、彼女は水のある井戸を見つけた。彼女は行って革袋に水を満たし、子供に飲ませた。

神がその子と共におられたので、その子は成長し、荒れ野に住んで弓を射る者となった。

彼がパランの荒れ野に住んでいたとき、母は彼のために妻をエジプトの国から迎えた。




二人の女のたとえ
ガラテヤの信徒への手紙 / 4章 21〜31節


わたしに答えてください。律法の下にいたいと思っている人たち、あなたがたは、律法の言うことに耳を貸さないのですか。

アブラハムには二人の息子があり、一人は女奴隷から生まれ、もう一人は自由な身の女から生まれたと聖書に書いてあります。

ところで、女奴隷の子は肉によって生まれたのに対し、自由な女から生まれた子は約束によって生まれたのでした。

これには、別の意味が隠されています。すなわち、この二人の女とは二つの契約を表しています。子を奴隷の身分に産む方は、シナイ山に由来する契約を表していて、これがハガルです。

このハガルは、アラビアではシナイ山のことで、今のエルサレムに当たります。なぜなら、今のエルサレムは、その子供たちと共に奴隷となっているからです。

他方、天のエルサレムは、いわば自由な身の女であって、これはわたしたちの母です。

なぜなら、次のように書いてあるからです。「喜べ、子を産まない不妊の女よ、/喜びの声をあげて叫べ、/産みの苦しみを知らない女よ。一人取り残された女が夫ある女よりも、/多くの子を産むから。」

ところで、兄弟たち、あなたがたは、イサクの場合のように、約束の子です。

けれども、あのとき、肉によって生まれた者が、“霊”によって生まれた者を迫害したように、今も同じようなことが行われています。

しかし、聖書に何と書いてありますか。「女奴隷とその子を追い出せ。女奴隷から生まれた子は、断じて自由な身の女から生まれた子と一緒に相続人になってはならないからである」と書いてあります。

要するに、兄弟たち、わたしたちは、女奴隷の子ではなく、自由な身の女から生まれた子なのです。

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national fish and wildlife foundation
投稿者:national fish and wildlife foundation HP 2007/01/03 13:58 EDIT
I next went to the Mertons.
          
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