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「ゆめつづれ」(1979年 パルコ出版)という写真集は、えらく豪華で手間のかかった作り(バブルだったのだなぁ)だった。、




森へ ― この奈落の闇の中に怪しくくりひろげられる極彩のファンタジー
糸、つづれ、女、漆黒の淵を求めて地の果 てに舞い狂う。
北米の巨大な原生林に、いま桃山の風が吹きぬ ける。


写真集の構想から完成までの苦闘を書いた文章を何処かで読んだ。 クライマックスは「大自然とモデルの共鳴が、なんたら…奇跡の瞬間…」だったか。
あまりの自画自賛と、仕掛けの派手さと写真のつまらなさに、かなりしらけた。

パルコ劇場の芝居で、舞台美術にも挑戦してたな。 まぁ芸大油絵科出身だから、そんなに突飛ではないのかもしれないが。
藤原新也というと、パルコの広告とか、バブルの頃の思い出と重なるなぁ。


藤原新也を読まなくなったのはいつ頃だったか?
ググってみて思い出した。 1988年頃からだ。

http://d.hatena.ne.jp/Maybe-na/20050313/1110722598
[ニセ社会学]現実と虚構の混同

その後、1988年には目黒で中学生が自分の母親とおばあさんを殺す事件がありました。そして、写真家の藤原新也氏はこの事件に対し、「これはゲームの『ドラゴンクエスト?』のアイテムを集めて、ある手順に従って敵を倒していくのにそっくりだ」と指摘しました。思いもよらないところからテレビゲームが現実に影響を及ぼすという全く新しい指摘が出てきたことに、その当時の人はみんな驚きました。まあ、よっぽどトンデモでもない限り、新しい見解というのは大概もてはやされるものでおっとなんでもありません。

ついでに、この方は“写真家”つまり芸術家の方なのですから、犯罪についての見解は述べるべきではない、と私は考えていたりします。芸術家がその芸術に没頭するあまり社会常識からぶっ飛ぶことはよくあることで、あくまで一般人とは違う、ある種の非常識さを持っているからこそ芸術家は素晴らしいとも言えると思うのです。ですから、犯罪とかそういうことに口を出すのが正しいとは思えなかったりするのですが。まあ、芸術家が言ったことだからなおさら珍しく、注目を浴びたとも考えられますが。…途中で「珍しい」から「正しい」にすりかわった気もしますけど。まあなんにせよ、当時に限って言えば、藤原氏の指摘は非常に現実的だったわけです。




あと、どの本だったかなぁ?
どこかの田舎に滞在していた話。 
『毎朝松田聖子の歌の町内放送(?)で起こされる。 その歌声を年代順に聞いていくと、ある時期から「母性」が感じられる。 ちょうどその時松田聖子が病気入院していたこととからして、彼女はその時妊娠し、中絶したのに違いない。 そのために声が変化したのだろう。』
なんてことも書いていた。

アイドル論みたいなのも、この頃だろうか?

そのころから、雑誌に写真が載れば一応は見るけれど、時事的な話などが雑誌に掲載されてても読まなくなったな。
HPの日記も、かなり初期は目を通していたが、すぐに読まなくなった。
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