×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
事件の本を読んでいても、活字だけだと今ひとつ具体的なイメージが掴めない。
特に山岳ベースの具体的なイメージが見えてこないのが不満になる。
写真で見る連合赤軍事件なんてのが有ればいいのだけれど、それでも建物の外観写真だけじゃ具体的な部分が解らない。
そこが映画を見ようと思った、一番の動機だった。
映画自体は意欲作であり、それなりに評価できるけれど…
「若い人に伝えたい」という制作者の思いから、事件当時の説明もそこそこ丁寧に解説されてはいるけれど、やはり予備知識が無いとつらい映画だった。
連合赤軍事件の映画化に挑むスタッフと若い役者たちの姿を描いた群像劇、という構成はうまいと思う。
映画の中で撮られている映画と、その映画を作ることの困難さの両面で、それぞれに考えさせられた。
山岳アジト、洞窟やファッションもよく再現されていたと思う。
山岳アジトそのものは、かなり本格的な作りだったのだなぁ…
柱に縛る、吊す、床下に放置というのは、活字のみだと状況がよく解らなかったし。
事件当事者の手記にある、よく革命歌を合唱していたという描写が少ないなと思った。
途中の打ち上げシーンで、若い役者達の革命歌合唱は良かった(笑えた)だけに、ちょっと残念。
映画で亡くなった人物全員を描写しなくちゃいけない、という思いがあったようだ。
そのためか、ペース配分のメリハリがないまま、延々とリンチシーンが続いたりする。
個々の人物全員に台詞・見せ場を振り分けて、時間不足になったのかな?
逆にいまいち唐突・散漫な印象になったように思う。
劇中の人物名は、実在の人物とは変えてある。 あくまでも「フィクション」という立場。
「実録」だという若松孝二版とは、そこが違うけれど、以下は実在の人物名で、個々の人物の印象を書いてみます。
劇中映画は坂口の視点で話が始まり、終わるのだけれど、状況に振り回される人物にしか見えない。 狂言回しという役割になってしまったかなぁ。
革命左派視点だから、森をはじめとする赤軍派のことがよくわからない。
両党の統一問題、セクト間の駆け引きという部分は、大幅に省かれたような感じ。
永田は雰囲気が出ていたとおもう。
いかにも頭が悪そうな感じでリアリティを感じた。
オーディション時点では地味なのだが、総括シーンは凄い迫力だ。
映画「光の雨」の功績の一つは、「永田洋子=ブス説」を無効にしたことじゃないだろうか。
かなり初期から議論の的になっているのだけれど、ブスじゃなくてもああいう行動をとることが出来るというのが、説得力がある演技で証明されたように思う。
森については、どうなんだろうなぁ、 …微妙。
弁が立つようにも、腕っ節が強いとかのカリスマ性なんてのは、今ひとつ感じられない。 猜疑心が強いところだけが強調されていたようだ。
何故あんな独裁が可能になったのかが、いまひとつ描写されていないかんじ。
遠山は、オーディション時からそれと解る女王様ぶりで、脚本とキャスティングが成功したとおもう。
映画前半は彼女が引っ張っている。
向山は小説家志望ということで、原作と同じく思い入れたっぷり創作されているが…、映画としては冗長じゃないかな。
尾崎の総括は劇中劇の最初の山場。
もうけ役だな。
その他は、金子関係の描写が今ひとつ印象に残らないのは、映画のペース配分のメリハリがないまま後半に出てくるせいだろうか?
パンタロンや風呂などの、総括のきっかけとなった個々の事象だけを台詞に取り入れているけれど、それだけじゃぁやはり唐突な印象がある。
映画を見る前に予備知識があったから、それなりに事態を理解できたけれど、とにかく詰め込みすぎという印象のみが強かった。
削るとするならば監督(大杉連)の場面と、向山の所かなぁ。
以下は、役名とモデルになった組織・人物とキャストの対照表です。
特に山岳ベースの具体的なイメージが見えてこないのが不満になる。
写真で見る連合赤軍事件なんてのが有ればいいのだけれど、それでも建物の外観写真だけじゃ具体的な部分が解らない。
そこが映画を見ようと思った、一番の動機だった。
映画自体は意欲作であり、それなりに評価できるけれど…
「若い人に伝えたい」という制作者の思いから、事件当時の説明もそこそこ丁寧に解説されてはいるけれど、やはり予備知識が無いとつらい映画だった。
連合赤軍事件の映画化に挑むスタッフと若い役者たちの姿を描いた群像劇、という構成はうまいと思う。
映画の中で撮られている映画と、その映画を作ることの困難さの両面で、それぞれに考えさせられた。
山岳アジト、洞窟やファッションもよく再現されていたと思う。
山岳アジトそのものは、かなり本格的な作りだったのだなぁ…
柱に縛る、吊す、床下に放置というのは、活字のみだと状況がよく解らなかったし。
事件当事者の手記にある、よく革命歌を合唱していたという描写が少ないなと思った。
途中の打ち上げシーンで、若い役者達の革命歌合唱は良かった(笑えた)だけに、ちょっと残念。
映画で亡くなった人物全員を描写しなくちゃいけない、という思いがあったようだ。
そのためか、ペース配分のメリハリがないまま、延々とリンチシーンが続いたりする。
個々の人物全員に台詞・見せ場を振り分けて、時間不足になったのかな?
逆にいまいち唐突・散漫な印象になったように思う。
劇中の人物名は、実在の人物とは変えてある。 あくまでも「フィクション」という立場。
「実録」だという若松孝二版とは、そこが違うけれど、以下は実在の人物名で、個々の人物の印象を書いてみます。
劇中映画は坂口の視点で話が始まり、終わるのだけれど、状況に振り回される人物にしか見えない。 狂言回しという役割になってしまったかなぁ。
革命左派視点だから、森をはじめとする赤軍派のことがよくわからない。
両党の統一問題、セクト間の駆け引きという部分は、大幅に省かれたような感じ。
永田は雰囲気が出ていたとおもう。
いかにも頭が悪そうな感じでリアリティを感じた。
オーディション時点では地味なのだが、総括シーンは凄い迫力だ。
映画「光の雨」の功績の一つは、「永田洋子=ブス説」を無効にしたことじゃないだろうか。
かなり初期から議論の的になっているのだけれど、ブスじゃなくてもああいう行動をとることが出来るというのが、説得力がある演技で証明されたように思う。
森については、どうなんだろうなぁ、 …微妙。
弁が立つようにも、腕っ節が強いとかのカリスマ性なんてのは、今ひとつ感じられない。 猜疑心が強いところだけが強調されていたようだ。
何故あんな独裁が可能になったのかが、いまひとつ描写されていないかんじ。
遠山は、オーディション時からそれと解る女王様ぶりで、脚本とキャスティングが成功したとおもう。
映画前半は彼女が引っ張っている。
向山は小説家志望ということで、原作と同じく思い入れたっぷり創作されているが…、映画としては冗長じゃないかな。
尾崎の総括は劇中劇の最初の山場。
もうけ役だな。
その他は、金子関係の描写が今ひとつ印象に残らないのは、映画のペース配分のメリハリがないまま後半に出てくるせいだろうか?
パンタロンや風呂などの、総括のきっかけとなった個々の事象だけを台詞に取り入れているけれど、それだけじゃぁやはり唐突な印象がある。
映画を見る前に予備知識があったから、それなりに事態を理解できたけれど、とにかく詰め込みすぎという印象のみが強かった。
削るとするならば監督(大杉連)の場面と、向山の所かなぁ。
以下は、役名とモデルになった組織・人物とキャストの対照表です。
登場人物 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
カッコ内は、モデルとなった実在の組織・人物と思われる部分。 ★印は、原作(小説「光の雨」)にも登場する人物。 |
PR
この記事にコメントする
この記事へのトラックバック
トラックバックURL: