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藤原新也についてもう少し書こうと思ったら、こんなニュースが有った。

連合赤軍 永田・坂口両死刑囚の再審棄却 東京地裁
http://www.sankei.co.jp/shakai/jiken/061202/jkn061202002.htm

まだ再審請求の棄却がされてなかった事の方に驚いた。
再審請求はあの安田好弘弁護士が担当してたはず。
1993年最高裁で上告棄却、死刑が確定している。2000年に再審請求して、その判断がようやく下されたということなのだろう。

ちょっと前に連合赤軍の法廷闘争について調べていた。
裁判が革命運動の延長線上にあり、裁判制度がいろいろ戦術的に使われ、被告人同士の相互批判・自己批判の繰り返しがあり、刑務所改善運動・死刑廃止運動も絡んでいて、ものすごくウンザリした。

それはさておき、
坂口弘氏は1996年4月24日麻原彰晃こと松本千津夫被告の初公判に際し、朝日新聞社宛に手記をよせている。
当時、逃亡中の林泰男に向けてのメッセージです。

オウム信者へ「早く目を覚まして」

この手紙が、あなた<オウム信者のこと>を始めとする潜伏中の皆さんの目に触れることを念じつつ書いています。

かつて、重大な過ちを犯した人間である私は、地下鉄サリン事件など一連の事件に関与したオウム真理教信者の方々に対し、痛ましい思いで深い同情を禁じえません。

あなた方は、サリンをまくためにオウム真理教に入信されたわけではないでしょう。また、地下鉄サリン事件を立案し、計画したわけでもないようです。教団の中にあって、たまたまその地位や立場が悪かったために指名手配され、実行に関与することになったのです。私自身の経験から、組織の中にいて、そのような指示を容易に拒めるものではないことはよくわかります。

以下略
ほぼ原文のまま。 <>内は新聞社の書き足し。 手記全文は次のエントリー



さて、2006年3月筆名を松永英明と名乗る元オウム信者が手記を書き始めている。

その中の一節

オウム・アレフ(アーレフ)の物語
http://aum-aleph.g.hatena.ne.jp/matsunaga/20060320

 オウム真理教は、いつの間にか「テロ組織」として認定されていた。だが、これは理解していただきたいところだが、テロリストになりたくて、あるいはテロを起こすためにオウム真理教に入った人はいないということだ。テロを起こすことは団体の目的ではなく、入信する動機が「この団体に入ればテロが実行できる」と思っていた人はいない。教団に残っている人たちも、あの上祐でさえ、テロがやりたくて残っているわけではない。もしテロリストになりたければ、もっと別のテロ組織に入った方がいい。なぜなら、それは武力闘争をすることが団体の目的の中に明記されているからである。アーレフではそれは完全に禁じられているし、もうこれ以上警察に関わりたくないとうんざりしていて、警察に張り合う気力さえないのが現状だ。そこだけは理解しておいていただきたい。


坂口の手記をお手本にしているように思える。

逃亡オウム信者にむけて自首を勧め、指導者への帰依からの脱却を勧めた手記が、こんな形で参考にされるとは、なんともはやと溜息が出る。

ご本人から、この手記は読んでいないとのコメントがありました。

それで、前のエントリーとかぶるけれど、藤原新也氏について。

「黄泉の犬」について読者からメールでの質問があり、それが返事とともに公開されている。
http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php?mode=cal_view&no=20061119

2006/11/19(Sun)
 ○○○○さま
 
 ○○さんは、この宗教がオウム神泉の会からオウム真理教となり、その後、早川紀代秀(ホーリーネーム・ティローパ)が教団に入り、この集団が北朝鮮の息のかかる過激な政治集団となった過程をご存じですか。
 麻原の地位の下にありながら麻原を支配していた早川紀代秀がこの集団が利用できると考えたのは、オウム真理教が世間から叩かれることにより除々に怒りを貯め込んだモンスターと化しつつあったからです。
 まだ弱者の1救済組織に過ぎなかった初期のオウム真理教が叩かれるきっかけは入信者の中に多数、崩壊家庭の家族から逃げ出した者がおり、世間とマスコミはきわめて小市民的な反応(家族から信者を誘拐したという)によって除々にオウム真理教と麻原を追いつめて行きます。彼らは追われるままに日本国中をさまよい、最後に麻原の故郷である熊本に居を構えるのですが、そこでも迫害に会い世間を完全に遮断し、敵にまわすことになります。

 いわゆる私たちが認識しているオウム真理教とその犯罪は麻原とその信者が起こした事件であるとともに、小市民が起こした事件でもあると私は認識しております。つまり小市民も迂遠して殺人を犯しているということ。ジム・ジョーンズ率いる人民寺院の信者たちが起こしたガイアナでの集団自殺もそうですが、世界の宗教集団がカルト化し、攻撃的に変容するか自傷化するかの過程には必ずこの小市民による根拠のない迫害がその芽を作っております。オウム真理教の場合もその例外ではありませんでした。

 私はオウム真理教の残存組織の内情を知らないわけではありません。
 彼らはすでに政治集団として利用されるほどの怒りも体力も財力もありません。
 ただし、その集団の前歴が大きな犯罪が関わっていることにより、過剰な監視と、再びの小市民的迫害がなされるなら、また再びその集団がカルト化するおそれは決して皆無ではありません。その時にこそ神格化される麻原は意味を持つわけです。
 そしていっかいのただの人間をモンスター化させてしまう小市民的な感性が貴方の中にも眠っていることを、残念ながら貴方の文面からも感じざるを得ません。たぶんそれは私の中にも眠っているはずです。
 それがいかに私たち小市民感覚とはかけ離れた集団であろうと、信教の自由を私たちの手によって迫害するのではなく、守ることが敷衍して人々の命を救い、民主主義を守ることだと思っております。

                          藤原新也


われわれ「小市民」は殺人犯だったのかぁ…… オヒオヒ

藤原氏のオウムについての認識は、オウム信者、親族の自己申告による主観的な「事実」を元にしたもののようだ。
この手の擁護論の定番である、「カルト」として一般化・相対化する論調になっている。

また、こんな弁明(?)も書いている。

http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php?mode=cal_view&no=20061130

2006/11/30(Thu)
事実を事実として伝えるのみ
(略)
また、最近、この本で触れているオーム真理教事件に関して少々の誤解が一人歩きをしているようなので、ひとこと付けくわえておきたい。
私はこの本で麻原彰晃と水俣病の関連に言及しているが、そのことをもってしてオーム真理教とその元教祖の擁護をするという意識はまったくない。私はただ自分が出会った事実を事実として淡々と書いたまでだ。そのことによって麻原の犯した罪が微塵も変わることはありえない。
マスコミがこの本を取り上げないひとつの理由に国家転覆をもくろみ、無差別な殺人を犯した者を、擁護するかに誤解されかねないものには触れたくないということだろうが、またそのことによって天皇問題と同じようにオーム真理教事件問題に別の角度で触れることが今日では暗黙のタブーとなっている現実を知った思いがある。
(略)


本は未読なのだが、藤原氏はオウムと関わらざるを得なかった「小市民」に取材をしているのだろうか。
元(?)オウム信者や親族が語った「事実」の検証をしているのだろうか。
プロパガンダに乗せられたか、または自ら乗っているようにも見える。

タブーだから触れられないのではなく、あまりに主観的で事実誤認が多いからトンデモ本扱いされているだけではないのか?

藤原氏は「擁護をするという意識はまったくない」のかもしれないが、本やblogの文章はオウム・アレフ擁護・弁明の文脈でさんざん利用されていくのだろう。
かつての坂口の手記がそうなったように。


かなり、ウンザリする。
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無題
投稿者:松永 2006/12/10 00:09 EDIT
その手記は読んだことなかったです。
読んだと決めつけられ、一方的にプロパガンダされるとは、なんともはやと溜息が出る。
近日中に修正します
投稿者:倫敦橋 HP 2006/12/10 11:24 EDIT
こんにちは

本文中か追記という形にするか、考え中ですが。
          
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