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代理出産について、ネットを少々眺めているけれど、倫理問題として語るけれども宗教と絡めて論じている人は、意外と少ないという印象。
時節柄なのか「産む機械」という論調が多いのかなぁ? 商業化とか、妊婦の健康などの問題に言及する人も多い。
カトリックは、当然のように反対している。
生命のはじまりに関する教書
「人間の生命のはじまりに対する尊重と生殖過程の尊厳に関する現代のいくつかの疑問に答えて」ISBN: 978-4-87750-033-7
http://www.cbcj.catholic.jp/publish/roma/seimei/seimei.html
公式見解をいまいち探しきれなかったので、Pro-Life 派の団体のサイトから
体外受精:倫理的含意および代替案 O-Malley, Seam P. (オオマルリ・シイム)
http://japan-lifeissues.net/writers/oma/oma_01invitro-ja.html
ここでは 「養殖された」赤ん坊 という表現を使ったりしている。
イタリアでは代理母はおろか、人工授精や体外受精にも厳しい制約がある。
2005年にそれらの規制緩和に関する国民投票があり、投票自体が無効になっていました。
この件に言及してたblog
media@francophonie:イタリアでバイオエシックスに関する国民投票
http://blog.livedoor.jp/media_francophonie/archives/24935722.html
フランスのリベラシオンの記事翻訳です
あんとに庵◆備忘録:教会と生命倫理
http://d.hatena.ne.jp/antonian/20050625/1119631569
極東ブログ:先週実施されたイタリアの国民投票
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2005/06/post_8765.html
イタリアの国民投票というのは、50万人の署名て要求でき、投票率が5割を超えなければ無効という仕組みなんだなぁ、ボイコット戦術が有効なんだな、ところで日本はどうなってたかなぁ…などという感慨もあるわけだが…
日本で「生殖補助法」というのは、出来るのだろうか?
推進派というのは、わりと目立ってはいる。
反対派というか、学会が慎重な姿勢ではあるわけだが、論理的・倫理的に議論をリードしている風ではない。 カトリックの教義で反対、というようにいくとも思えない。
米国や欧州のようにキリスト教がベースにない日本やアジアでは、どんな議論になるのだろうか。
日本の場合「イエ」の論理が無くなった空白に、「遺伝子」という概念がすっぽりとはまったのじゃないかな、などと感じているけれど。
時節柄なのか「産む機械」という論調が多いのかなぁ? 商業化とか、妊婦の健康などの問題に言及する人も多い。
カトリックは、当然のように反対している。
生命のはじまりに関する教書
「人間の生命のはじまりに対する尊重と生殖過程の尊厳に関する現代のいくつかの疑問に答えて」ISBN: 978-4-87750-033-7
http://www.cbcj.catholic.jp/publish/roma/seimei/seimei.html
公式見解をいまいち探しきれなかったので、Pro-Life 派の団体のサイトから
体外受精:倫理的含意および代替案 O-Malley, Seam P. (オオマルリ・シイム)
http://japan-lifeissues.net/writers/oma/oma_01invitro-ja.html
ここでは 「養殖された」赤ん坊 という表現を使ったりしている。
イタリアでは代理母はおろか、人工授精や体外受精にも厳しい制約がある。
2005年にそれらの規制緩和に関する国民投票があり、投票自体が無効になっていました。
人工授精:イタリアで自由化の国民投票 賛否両論で物議
毎日新聞 2005年6月10日 ローマ海保真人
イタリアで12、13の両日、人工授精と体外受精の自由化の是非を問う国民投票が行われる。カトリック教国のイタリアでは、人工授精は認められているものの制限が厳しく、リベラル派が緩和を求めていた。だが、ローマ法王庁(バチカン)はヒト胚(はい)の実験研究などにつながる緩和案が、キリスト教倫理に反するとして有権者に異例の投票ボイコットを呼び掛け、政界も賛否が分かれるなど物議をかもしている。
昨年2月に成立した「生殖補助法」は人工授精と体外受精を不妊の夫婦のみに認め、第三者による精子・卵子の提供、代理母、ヒト胚の凍結保存と実験研究などを禁じた。このためリベラル派や革新系政党は「妊娠の可能性や医療研究を阻む法」だと反発、署名を集め規制各項目の撤廃を問う国民投票の実施にこぎつけた。
だが、法王庁は性道徳や生命倫理、遺伝子操作に厳格な立場から、この動きに反発、投票率が5割を超えなければ無効となるためカトリック教徒に公に棄権を呼び掛けている。法王ベネディクト16世も先月30日のイタリア司教会議で、緩和案を「キリスト教精神に反する文化の一形態だ」と批判。側近のルイニ枢機卿は制限のないヒト胚の実験研究が「恐怖と不安をもたらす」と警告した。
毎日新聞 2005年6月14日 ローマ海保真人
人工授精と体外受精の規制緩和が争点となったイタリアの国民投票は12、13の両日行われたが、投票率が5割を超えず、無効となった。緩和に反対したローマ法王庁(バチカン)による投票ボイコットの呼び掛けが、大きく影響したとみられる。
欧州で最も厳しいとされる現行の「生殖補助法」に関し、第三者の精子・卵子提供や、ヒト胚(はい)の凍結保存・実験研究などを禁じた条項を撤廃するか否かが争点となったが、投票率は約26%にとどまり、規定により投票自体が無効となった。
法王庁とカトリック教会は、そもそも受精卵やヒト胚を「生後の人間」と同等とし、実験研究などを認める今回の緩和案に強く反対。法王ベネディクト16世も公に批判、教会をあげて棄権キャンペーンを繰り広げた。
一方、不妊治療の自由化のため規制の撤廃を求めたリベラル派にとっては惨敗に等しく、落胆の声が広がった。
この件に言及してたblog
media@francophonie:イタリアでバイオエシックスに関する国民投票
http://blog.livedoor.jp/media_francophonie/archives/24935722.html
フランスのリベラシオンの記事翻訳です
あんとに庵◆備忘録:教会と生命倫理
http://d.hatena.ne.jp/antonian/20050625/1119631569
極東ブログ:先週実施されたイタリアの国民投票
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2005/06/post_8765.html
イタリアの国民投票というのは、50万人の署名て要求でき、投票率が5割を超えなければ無効という仕組みなんだなぁ、ボイコット戦術が有効なんだな、ところで日本はどうなってたかなぁ…などという感慨もあるわけだが…
日本で「生殖補助法」というのは、出来るのだろうか?
推進派というのは、わりと目立ってはいる。
反対派というか、学会が慎重な姿勢ではあるわけだが、論理的・倫理的に議論をリードしている風ではない。 カトリックの教義で反対、というようにいくとも思えない。
米国や欧州のようにキリスト教がベースにない日本やアジアでは、どんな議論になるのだろうか。
日本の場合「イエ」の論理が無くなった空白に、「遺伝子」という概念がすっぽりとはまったのじゃないかな、などと感じているけれど。
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向井亜紀・高田延彦夫婦の記者会見がけっこうニュースになっていた。
なぜ最高裁判決時にじゃなくて、今の時期にこういう動きになったかといえば、判決を受けて法務局から今後どうするかという督促があり、態度を決定する期限が今日であったかららしい。
『どういう形で日本国籍をつくりますか? 高田の実子・母親欄に代理母とするか、特別養子縁組申請か? それとも?』
「アメリカ人の子供を預かっている日本人夫婦として生きていく」
まぁ、生まれた子供は日本の戸籍には載らないが、アメリカでの出生届では夫婦の実子であると確定しているので、そっちを優先するというか…
実母と記載されたい向井と、実母と記載されたくない代理母と、日本の法律との間で複雑怪奇になっている。
ややこしい法律議論にこだわらざるを得ないのは、どうやら代理母出産契約上の問題であるらしい。
なんちゅうか、代理母ビジネス界の代理戦争の最前線にたたされているのかな、とか思う。
アメリカの出生届と言えば、元プレイメイトの父親DNA鑑定のニュースも同時に流れている。
出生届の父親と、DNA鑑定の父親が違っていた。 遺産相続も絡んで、ものすごい騒ぎらしい。
なんだかなぁ、とは感じる。
元プレイメイトが、他人の卵子で子供を産んでいたりしたら、さらにややこしくなって、野次馬として見てる分には面白いだろうが……
野田聖子の元パートナー鶴保康介議員のHPに「産む機械」についての複雑な思いが書いてあった。
そのほか諏訪マタニティークリニックの根津八紘院長が、凍結精子による死後生殖を公表というニュースもある。
「生殖医療」というより「繁殖」という言葉の方が、ふさわしいような気がする今日この頃
なぜ最高裁判決時にじゃなくて、今の時期にこういう動きになったかといえば、判決を受けて法務局から今後どうするかという督促があり、態度を決定する期限が今日であったかららしい。
『どういう形で日本国籍をつくりますか? 高田の実子・母親欄に代理母とするか、特別養子縁組申請か? それとも?』
「アメリカ人の子供を預かっている日本人夫婦として生きていく」
まぁ、生まれた子供は日本の戸籍には載らないが、アメリカでの出生届では夫婦の実子であると確定しているので、そっちを優先するというか…
実母と記載されたい向井と、実母と記載されたくない代理母と、日本の法律との間で複雑怪奇になっている。
ややこしい法律議論にこだわらざるを得ないのは、どうやら代理母出産契約上の問題であるらしい。
なんちゅうか、代理母ビジネス界の代理戦争の最前線にたたされているのかな、とか思う。
アメリカの出生届と言えば、元プレイメイトの父親DNA鑑定のニュースも同時に流れている。
出生届の父親と、DNA鑑定の父親が違っていた。 遺産相続も絡んで、ものすごい騒ぎらしい。
なんだかなぁ、とは感じる。
元プレイメイトが、他人の卵子で子供を産んでいたりしたら、さらにややこしくなって、野次馬として見てる分には面白いだろうが……
野田聖子の元パートナー鶴保康介議員のHPに「産む機械」についての複雑な思いが書いてあった。
2007/02/06 和歌山新報「がんばってます」掲載
厚生労働大臣の発言が波紋を呼んでいる。
女性は子供を生む機械?そんなことあるわけない。
しかし、最先端の不妊治療を経験したものとして発言に対する批判の大合唱になんとなく違和感を感じるのである。
経験した人ならわかると思うが、一般的に男性は不妊治療に疎外感を感じている。
そこでの男性の役割は配偶者にたいする優しさとか、思いやりとかより、はっきり言って「精子製造機」である。
まさに最先端の医学は職人技であり、医師という職人に命の誕生を預けているという意味では仕方のないことなのかも知れないが、情けないやらなんやらで涙することも多い。
男性がそうだから女性もというわけではないが、不妊治療の現場は多くの国民が想像するよりはるかに機械的だ。
http://www.tsuruho.com/hitorigoto.html
そのほか諏訪マタニティークリニックの根津八紘院長が、凍結精子による死後生殖を公表というニュースもある。
「生殖医療」というより「繁殖」という言葉の方が、ふさわしいような気がする今日この頃
夢遊病者のロマンセ
緑色わたしの好きな緑色。
緑の風、緑の枝よ。
海の上には船。
山の中には馬。
腰には影をおき、
娘には欄干で夢を見る。
緑の肉体、緑の髪、
冷たい銀色の眼、
緑色わたしの好きな緑色、
ジプシーの月の下で
物みな娘を見つめているが、
娘にはそれらを見ることができない。
*
緑色わたしの好きな緑色。
大きな霜の星々は
影の魚をつれて来るが、
魚は夜明けの道を開く。
いちじくの木は
枝のやすりで風をこすり、
泥棒猫の山は、
とがった刺をさかだてる。
しかし、誰が来るのだろう? そして何処から……?
娘はなおも欄干で、
緑の肉体、緑の髪
苦い海の夢を見る。
Federico Garcia Lorca 2 de agosto de 1924
会田由訳
ROMANCE SONAMBULO
Verde que te quiero verde.
Verde viento. Verdes ramas.
El barco sobre la mar
y el caballo en la montana.
Con la sombra en la cintura
ella suena en su baranda,
verde carne, pelo verde,
con ojos de fria plata.
Verde que te quiero verde.
Bajo la luna gitana,
las cosas le estan mirando
y ella no puede mirarlas.
*
Verde que te quiero verde.
Grandes estrellas de escarcha,
vienen con el pez de sombra
que abre el camino del alba.
La higuera frota su viento
con la lija de sus ramas,
y el monte, gato garduno,
eriza sus pitas agrias.
?Pero quien vendra? ?Y por donde...?
Ella sigue en su baranda,
verde carne, pelo verde,
sonando en la mar amarga.
*
Compadre, quiero cambiar
mi caballo por su casa,
mi montura por su espejo,
mi cuchillo por su manta.
Compadre, vengo sangrando,
desde los montes de Cabra.
Si yo pudiera, mocito,
ese trato se cerraba.
Pero yo ya no soy yo,
ni mi casa es ya mi casa.
Compadre, quiero morir
decentemente en mi cama.
De acero, si puede ser,
con las sabanas de holanda.
?No ves la herida que tengo
desde el pecho a la garganta?
Trescientas rosas morenas
lleva tu pechera blanca.
Tu sangre rezuma y huele
alrededor de tu faja.
Pero yo ya no soy yo,
ni mi casa es ya mi casa.
Dejadme subir al menos
hasta las altas barandas,
dejadme subir, dejadme,
hasta las verdes barandas.
Barandales de la luna
por donde retumba el agua.
*
Ya suben los dos compadres
hacia las altas barandas.
Dejando un rastro de sangre.
Dejando un rastro de lagrimas.
Temblaban en los tejados
farolillos de hojalata.
Mil panderos de cristal,
herian la madrugada.
*
Verde que te quiero verde,
verde viento, verdes ramas.
Los dos compadres subieron.
El largo viento, dejaba
en la boca un raro gusto
de hiel, de menta y de albahaca.
!Compadre! ?Donde esta, dime?
?Donde esta mi nina amarga?
!Cuantas veces te espero!
!Cuantas veces te esperara,
cara fresca, negro pelo,
en esta verde baranda!
*
Sobre el rostro del aljibe
se mecia la gitana.
Verde carne, pelo verde,
con ojos de fria plata.
Un carambano de luna
la sostiene sobre el agua.
La noche su puso intima
como una pequena plaza.
Guardias civiles borrachos,
en la puerta golpeaban.
Verde que te quiero verde.
Verde viento. Verdes ramas.
El barco sobre la mar.
Y el caballo en la montana.
NHKで放映されたアントニオ・ガデス舞踊団 「カルメン」を見て、思わずコピペ。 劇中で使われていたのはこの詩のはず。(スペイン語は分からん)
カーテンコールも気を抜けない舞台だった。
緑色わたしの好きな緑色。
緑の風、緑の枝よ。
海の上には船。
山の中には馬。
腰には影をおき、
娘には欄干で夢を見る。
緑の肉体、緑の髪、
冷たい銀色の眼、
緑色わたしの好きな緑色、
ジプシーの月の下で
物みな娘を見つめているが、
娘にはそれらを見ることができない。
*
緑色わたしの好きな緑色。
大きな霜の星々は
影の魚をつれて来るが、
魚は夜明けの道を開く。
いちじくの木は
枝のやすりで風をこすり、
泥棒猫の山は、
とがった刺をさかだてる。
しかし、誰が来るのだろう? そして何処から……?
娘はなおも欄干で、
緑の肉体、緑の髪
苦い海の夢を見る。
Federico Garcia Lorca 2 de agosto de 1924
会田由訳
ROMANCE SONAMBULO
Verde que te quiero verde.
Verde viento. Verdes ramas.
El barco sobre la mar
y el caballo en la montana.
Con la sombra en la cintura
ella suena en su baranda,
verde carne, pelo verde,
con ojos de fria plata.
Verde que te quiero verde.
Bajo la luna gitana,
las cosas le estan mirando
y ella no puede mirarlas.
*
Verde que te quiero verde.
Grandes estrellas de escarcha,
vienen con el pez de sombra
que abre el camino del alba.
La higuera frota su viento
con la lija de sus ramas,
y el monte, gato garduno,
eriza sus pitas agrias.
?Pero quien vendra? ?Y por donde...?
Ella sigue en su baranda,
verde carne, pelo verde,
sonando en la mar amarga.
*
Compadre, quiero cambiar
mi caballo por su casa,
mi montura por su espejo,
mi cuchillo por su manta.
Compadre, vengo sangrando,
desde los montes de Cabra.
Si yo pudiera, mocito,
ese trato se cerraba.
Pero yo ya no soy yo,
ni mi casa es ya mi casa.
Compadre, quiero morir
decentemente en mi cama.
De acero, si puede ser,
con las sabanas de holanda.
?No ves la herida que tengo
desde el pecho a la garganta?
Trescientas rosas morenas
lleva tu pechera blanca.
Tu sangre rezuma y huele
alrededor de tu faja.
Pero yo ya no soy yo,
ni mi casa es ya mi casa.
Dejadme subir al menos
hasta las altas barandas,
dejadme subir, dejadme,
hasta las verdes barandas.
Barandales de la luna
por donde retumba el agua.
*
Ya suben los dos compadres
hacia las altas barandas.
Dejando un rastro de sangre.
Dejando un rastro de lagrimas.
Temblaban en los tejados
farolillos de hojalata.
Mil panderos de cristal,
herian la madrugada.
*
Verde que te quiero verde,
verde viento, verdes ramas.
Los dos compadres subieron.
El largo viento, dejaba
en la boca un raro gusto
de hiel, de menta y de albahaca.
!Compadre! ?Donde esta, dime?
?Donde esta mi nina amarga?
!Cuantas veces te espero!
!Cuantas veces te esperara,
cara fresca, negro pelo,
en esta verde baranda!
*
Sobre el rostro del aljibe
se mecia la gitana.
Verde carne, pelo verde,
con ojos de fria plata.
Un carambano de luna
la sostiene sobre el agua.
La noche su puso intima
como una pequena plaza.
Guardias civiles borrachos,
en la puerta golpeaban.
Verde que te quiero verde.
Verde viento. Verdes ramas.
El barco sobre la mar.
Y el caballo en la montana.
NHKで放映されたアントニオ・ガデス舞踊団 「カルメン」を見て、思わずコピペ。 劇中で使われていたのはこの詩のはず。(スペイン語は分からん)
カーテンコールも気を抜けない舞台だった。
「君は何かアルバイトしてる?」
「うん、地図の解説を書いてるの。ほら、地図を買うと小冊子みたいのがついてるでしょ? 町の解説とか、人口とか、名所についていろいろ書いてあるやつ。ここにこういうハイキング・コースがあって、こういう伝説があって、こういう花が咲いて、こういう鳥がいてとかね。あの原稿を書く仕事なのよ。あんなの本当に簡単なの。アッという間よ。日比谷図書館に行って一日がかりで本を調べたら一冊書けちゃうもの。ちょっとしたコツをのみこんだら仕事なんかいくらでもくるし」
「コツって、どんなコツ?」
「つまりね、他の人が書かないようなことをちょっと盛り込んでおけばいいのよ。すると地図会社の担当の人は『あの子は文章が書ける』って思ってくれるわけ。すごく感心してくれたりしてね。仕事をまわしてくれるのよ。べつにたいしたことじゃなくていいのよ。ちょっとしたことでいいの。たとえばね、ダムを造るために村がひとつここで沈んだが、渡り鳥たちは今でもその村のことを覚えていて、季節がくると鳥たちがその湖の上をいつまでも飛びまわっている光景が見られる、とかね。そういうエピソードをひとつ入れておくとね、みんなすごく喜ぶのよ。ほら情景的で情緒的でしょ。普通のアルバイトの子ってそういう工夫をしないのよ、あまり。だから私もけっこういいお金とってるのよ、その原稿書きで」
「でもよくそういうエピソードがみつかるもんだね、うまく」
「そうねえ」と言って緑は少し首をひねった。「見つけようと思えばなんとか見つかるものだし、見つからなきゃ害のない程度に作っちゃえばいいのよ」
「なるほど」と僕は感心して言った。
「ピース」と緑は言った。
“你在打什么工呀?”
“写地图的解说。你知道的,买地图的时候不是会附上一本小册子吗?上头有街道名称啦、人口啦、风景区什么的,还印了很多别的,比如说这儿有徒步旅行路线啦、有这种传说啦、开这种花啦、有这种鸟之类的。我就是负责写这些东西,这真的很简单,一下子就好了。只要到日比谷图书馆花上一天的时间查资料,便足够写一本了。你只要抓住一点诀窍,做起来就不难。”
“什么样的诀窍?”
“也就是说,你只要添加一些别人没写过的东西就可以了。这么一来,地图公司的人便会觉得你会写文章。他们会对你非常佩服,把工作全交给你!你不必做得太好,一点点就行了,比如说,为了建水坝,这儿曾淹没了一个村镇,但候鸟仍记得这个村镇,只要季节一到,人们便看得到一群鸟在湖上徘徊不去的情景。你这么加油添醋的话,他们都会很喜欢的,你看嘛!这不是又有气氛又有雅趣吗?一般打工的人不会这么做的。我写那些稿子还赚了不少钱咧!”
“可是这种资料好找吗?”
“嗯……”阿绿微微倾着头。“只要想找就找得到。真找不到的话就酌情创作一下嘛!”
“原来如此。”我佩服之至。
>「ピース」と緑は言った。
は、どうやら訳しきれなかった模様。 コピペしたサイトでは省かれてた。
村上春樹が、どうして人気があるのか、日本国内だけではなく世界中に翻訳され人気なのか、ちょっと謎だ。
オサレな会話がいいのかなぁ。
「なるほど」が“原来如此”、「やれやれ」が“唉”
「うん、地図の解説を書いてるの。ほら、地図を買うと小冊子みたいのがついてるでしょ? 町の解説とか、人口とか、名所についていろいろ書いてあるやつ。ここにこういうハイキング・コースがあって、こういう伝説があって、こういう花が咲いて、こういう鳥がいてとかね。あの原稿を書く仕事なのよ。あんなの本当に簡単なの。アッという間よ。日比谷図書館に行って一日がかりで本を調べたら一冊書けちゃうもの。ちょっとしたコツをのみこんだら仕事なんかいくらでもくるし」
「コツって、どんなコツ?」
「つまりね、他の人が書かないようなことをちょっと盛り込んでおけばいいのよ。すると地図会社の担当の人は『あの子は文章が書ける』って思ってくれるわけ。すごく感心してくれたりしてね。仕事をまわしてくれるのよ。べつにたいしたことじゃなくていいのよ。ちょっとしたことでいいの。たとえばね、ダムを造るために村がひとつここで沈んだが、渡り鳥たちは今でもその村のことを覚えていて、季節がくると鳥たちがその湖の上をいつまでも飛びまわっている光景が見られる、とかね。そういうエピソードをひとつ入れておくとね、みんなすごく喜ぶのよ。ほら情景的で情緒的でしょ。普通のアルバイトの子ってそういう工夫をしないのよ、あまり。だから私もけっこういいお金とってるのよ、その原稿書きで」
「でもよくそういうエピソードがみつかるもんだね、うまく」
「そうねえ」と言って緑は少し首をひねった。「見つけようと思えばなんとか見つかるものだし、見つからなきゃ害のない程度に作っちゃえばいいのよ」
「なるほど」と僕は感心して言った。
「ピース」と緑は言った。
“你在打什么工呀?”
“写地图的解说。你知道的,买地图的时候不是会附上一本小册子吗?上头有街道名称啦、人口啦、风景区什么的,还印了很多别的,比如说这儿有徒步旅行路线啦、有这种传说啦、开这种花啦、有这种鸟之类的。我就是负责写这些东西,这真的很简单,一下子就好了。只要到日比谷图书馆花上一天的时间查资料,便足够写一本了。你只要抓住一点诀窍,做起来就不难。”
“什么样的诀窍?”
“也就是说,你只要添加一些别人没写过的东西就可以了。这么一来,地图公司的人便会觉得你会写文章。他们会对你非常佩服,把工作全交给你!你不必做得太好,一点点就行了,比如说,为了建水坝,这儿曾淹没了一个村镇,但候鸟仍记得这个村镇,只要季节一到,人们便看得到一群鸟在湖上徘徊不去的情景。你这么加油添醋的话,他们都会很喜欢的,你看嘛!这不是又有气氛又有雅趣吗?一般打工的人不会这么做的。我写那些稿子还赚了不少钱咧!”
“可是这种资料好找吗?”
“嗯……”阿绿微微倾着头。“只要想找就找得到。真找不到的话就酌情创作一下嘛!”
“原来如此。”我佩服之至。
>「ピース」と緑は言った。
は、どうやら訳しきれなかった模様。 コピペしたサイトでは省かれてた。
村上春樹が、どうして人気があるのか、日本国内だけではなく世界中に翻訳され人気なのか、ちょっと謎だ。
オサレな会話がいいのかなぁ。
「なるほど」が“原来如此”、「やれやれ」が“唉”
思ってるのより口で言ったことのほうが悪いかもしれないわね。だってあたしの考えでは、あなたはそれほど死にたいんじゃなくて、それより、そうまわりの人たちに思いこませて、家の中で大将になって、悲しんでいるお母さんを苦しめたいのよ。あなたが命を縮めたがっていると単純に思いこんでいるランドリを苦しめたいのよ。あたしはだまされませんよ、シルヴァン。あたしはね、あなたのことをほかの人たちと同じに、いやほかの人たちよりずっと死ぬのをこわがっていると思うし、あなたをかわいがっている人たちをこわがらせて喜んでいるんだとおもっているのよ。死ぬつもりだっておどかすと、いちばんもっともな、一番必要なものごとがひっくりかえってしまうのを見て、喜んでるのよ。まったく、ひとこと言いさえすれば、まわりのことがなんでも自分の思いどおりになるのは、とても便利だし、気持ちがいいわね。そんなふうにして、あなたはここではみんなを支配しているのよ。だけど、それは自然に反しているんだし、神様のお許しにならないやり方でそうしているんだから、神さまがお罰しになって、我を張らずにおとなしくしていたらなるはずがないほど、あなたを不幸になさっているのよ。それだからあなたは楽しく暮らせるように生まれていながら、ゆううつにくらしているんだわ。どうすればあなたが気だてのいい、おとなしい人になれたが、言ってあげましょうか、シルヴァン。両親がうんとつらく当たればよかったのよ。ひどく貧しくて、毎日のパンにもこと欠いて、そのかわりぶたれることは多いってふうにね。もしあなたがあたしやあたしの弟みたいに育てられたら、恩知らずになるどころがわずかなことにも感謝するようになったでしょうね。
「愛の妖精」
ジョルジュ・サンド作/篠沢秀夫訳
http://www.gutenberg21.co.jp/fairy.htm
「デジタル書店 グーテンベルグ21」で冒頭部分が立ち読みできるけれど、冒頭だと退屈な「田園小説」としか思えないだろうな。
ツンデレというかツンツンというか、恋をしてきれいになる女の子のお話でもあるんだけどなぁ。
ほんとは、ヒロインの少女ファディットが自分のことを語る部分の方がもっと面白いのだけれど、なんとなく、こっちの方を引用。
「愛の妖精」
ジョルジュ・サンド作/篠沢秀夫訳
http://www.gutenberg21.co.jp/fairy.htm
「デジタル書店 グーテンベルグ21」で冒頭部分が立ち読みできるけれど、冒頭だと退屈な「田園小説」としか思えないだろうな。
ツンデレというかツンツンというか、恋をしてきれいになる女の子のお話でもあるんだけどなぁ。
ほんとは、ヒロインの少女ファディットが自分のことを語る部分の方がもっと面白いのだけれど、なんとなく、こっちの方を引用。