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粗暴なやつには 喜びがあり、
やさしいやつには なげきがあるが、
ぼくはなんにも 欲しくない、
誰が気の毒というわけもない。

気の毒といえば そいつはぼく自身のこと――ちっとばかりおかわいそう。
宿なしの野良犬たちもかわいそう。
さて だから――
居酒屋へまっしぐらに入りびたったというわけだ。

きみたち ちみもうりょうの亡者のくせに、なんだって ぼくに悪態をつく?
それともなにかい、もう同国人あつかいはできんとでも言うのかね?
ちょいとした酒代(さかて)が要れば
パンツまで質に入れあげたおたがいではないか。

濁り目を 窓に向ければ
胸のうさ 焼けつくばかり
街道 ひとり陽の中に濡れに濡れ
とめどなく 寄せてかえす。

街道に小僧がいる。鼻たれ小僧がひとりいる。
空気は焼け むさくれてカラカラよ。
この小僧 とってもしあわせなできなんだ。
鼻くそほじりに ほうけてる。

ほじくれ、ほじくれ、かわいいやつ、ういやつ。
その指を つけ根まで押し込みな。
けどな、そう、そんなどえらい力でな、
てめえの心に突っ込むのだけは止めときな。

わしかい? わしぁもうおしまい――おじけづいてる。
ごらんよ この瓶の林を!
コルクをこうしてあつめてる――
なに、心に栓をするためさ。




「与太もんの愛恋」の一節 内村剛介訳
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佐々敦行「東大落城」と一緒に借りて読んだ。
単行本だと黒白を基調とした装丁や手触りが似ている。

立松和平は、この小説を書くためにトラック2台分くらいの資料を読んだらしい。
たしかに興味深い証言が(おそらくそのまま)引用されていており、興味深いけれど…
小説としては、かなり不満が多い。


時代設定について

時代設定が西暦2026年!! 
その時代は死刑が廃止され、恩赦で釈放された坂口をモデルとした主人公が、若者に事件のことを語っていくという物語。

かなり驚いた。 理解に苦しむ、というか腹が立った。
これを書いている2006年のさらに20年後。 小説の若者は大学浪人ということなので、まだ生まれていないぞ。

まず風俗描写に無理が有りすぎ。
大学浪人が壁の薄い安アパートで一人暮らし。中古のバイクで暴走し、恋人とゲーセンで体感ゲームやって憂さを晴らす。 その恋人は援助交際(?)している!

1998年(小説執筆時)にアパートを建てたとしても築28年だから、壁が薄いとなると余程の安アパートだろうし、バイクのイメージも仮面ライダーか片岡義男だ。 ゲームに至っては…
これは1998年頃の風俗と1970年代が入り交じったものだろう。
登場する若者も、単に記号としての「若者」でしかない。

死期の迫る主人公が事件を知らない若者に向かい、最後の力を振り絞って語り始めるのだが…
つまり、事件が世間から忘れ去られるために、2026年という設定が必要だったということなのだろうか?
事件は1972年、最高裁判決が93年、坂口の本も同じ年で、98年当時の「若者」にとっても充分に「過去」で有ったはずだ。 
映画「光の雨」は、そういう状況を背景にしている。 映画の設定の方が、余程気が利いている。


この小説は事件発生時の「過去」と、それが忘れ去られた「未来」しか書いていない。 「現在」を舞台にしていない。
この事件については、大勢の者が衝撃を受け、論じ続け、再審請求だって進行中だったのに、そういう言葉は小説の中には何一つ無い。

この小説が書かれた1998年、著者や事件当事者は50代になっている。 (子供は作れなくもないけれど)自分たちの子供に向けて書いているわけでもなさそうだ。 
見えない未来の若者(孫の世代だろうか?)に向かって、「事件を総括した」というアリバイ作りをしているように見えてしまう。

事件当事者たちの手記は「現代」の人に向けて書かれている分だけ、まだマシに思える。


主人公について

主人公は坂口弘をモデルにしており、基本的に「あさま山荘1972」の記述・視点をベースにしている。
しかし、出所後に支援者が誰もいない。 事件の詳細を後世に残せずにいる。 誰でもいい、とにかく死ぬまでに誰かに聞いてもらいたいと焦る「玉井」という人物像は、坂口弘に対してかなり失礼ではないのか?

そもそも山岳アジトで、過去の活動から生い立ちに至るまで自己批判と総括をやり続けた事件であり、彼らは逮捕拘留後も獄中や獄外でそれを延々と継続している。
逆に言えば、そういう総括ばっかりするような人々だったからこそ、この事件が起こったとも言える訳なのだから、80歳になり、やっと若者に語りかけることが出来たという人物像には、かなり違和感を感じる。


登場人物

様々な人物や霊魂、銃までが主人公の口を借りて語るという構成にも違和感がある。
連作小説という形をとって主人公を変えても良かったのじゃないか?
何故、一人にのみ語らせるのか?

それこそ主人公の経験だけを書くという方法もあるだろうに。 ベースにしている坂口弘「様山荘1972」では、見てきたようなフィクションは書かなくても、充分に事件の概要・個々の人物像を推測できる手がかりが多数有った。

上杉和枝(永田洋子)の語りの語尾が「〜だわ」「〜よね」となっており、読んでいてかなりイライラするが、これは、永田洋子の獄中からの手紙の文体を模したもの。

玉井潔(坂口弘)vs倉重鉄太郎(森恒夫)については、それなりに力が入っていて読ませるけれど…

黒木利一(向山茂徳)は小説家志望だったため、著者の思い入れがかなり入っているみたい。


彼らと関わった一般人の描写は少ない。
いわゆる当時の「労働者」は、パートのおばちゃんくらいしか出てこない。
シンパの恋人とか、狭い世界のみでの話だ。
担当刑事・公安とかの「権力側」は、型どおりの描写。

あとは目撃情報・被害報告が、調書からそのまま引用されるのみ。

結末で唖然 (ネタバレを含む)

小説後半に、少女は「天使」とまで書かれる。 語り手の玉井の臨終を予感させるラストで、彼は「光の雨」の中に吸い込まれていく。
つまりは少女に罪を告白し、癒され救われるという詰末。
「聖なる少女娼婦に告白し、救われる」というのは、手塚治虫版「罪と罰」みたいだ。

彼らは地獄に行くに決まっている、と思うのだがなぁ。 著者は悪人正機説なんだろうか?
結果的に「極左運動を潰した」ことが善行というのなら、それもまた一つの立場だろうけど。
かなり安易に救いを導入しているように見える。

現実の坂口弘の著作活動等を、私は評価しているけれど…、この本はそうゆう立場でもないようだ。
小説の主人公は当時を回想し「夢を見ていた」などとも語っているが、著者も今でも同じ夢を見続けているのではないか。

この事件は「悪霊」の再現だと言われていた。
日本版「悪霊」として構想するべきだったが、ファンタジー小説になってしまった。
 
烏賀陽氏は喧嘩のやり方を知らないのかな? などと書いてしまったが、そうでもないみたい。
かつての上司 森啓次郎氏をギャフンといわせた戦歴が有った。

■元週刊朝日編集長・森啓次郎氏からの抗議文について■
http://ugaya.com/column/taisha_morikeijiro.html

2003年当時に、この事件というかサイトを読んでいたはずなのだが、同一人物だとは気がつかなかった。 ましては音楽中心のライターになっていたとはなぁ…

ネットの取材経験やパソコン情報誌編集部に在籍、ネットで連載の仕事をしていても、どことなく浮いてしまうような行動(チェーンメール的行動)をとってしまったというところだろうか?

今回の騒動は、ピンチじゃなくてチャンスだと思うのだがなぁ。
しっかりとオリコンの謎を追究してもらいたいところだ。
「暴露本」じゃなくて、ちゃんと取材した本を出せば、売れるのではないか?



森啓次郎について

1948年生まれ、東京都出身。
70年代は「科学朝日」、80年代は「週刊朝日」の編集部員。
90年代は「Asahiパソコン」「ぱそ」「週刊朝日」編集長を歴任。
ビルゲイツインタビューの「アサヒパソコン」は10万部超えと、名物記者・編集長だった。
現在、朝日ニュースターニュース・キャスター。

愛称は「モリピカ」「六本木の怪僧ラスプーチン」「森K」(もりけー)

視点: 森啓次郎エッセイ
http://asahi-newstar.com/program/shiten/cast/
番外地を設置してみた。

流行るだけのことはあるなと思う。

これまでは、直接on書きする気はなかったけれど、これだったら直接書きたくなるかも。

やたらとテンプレートに「savanna」が多いと思ったら、そういうわけだったのかと、納得。

「はまぞう」「ビデオキ」が簡単で便利。 読書メモにつかうことになるかな?

まだ未公開
http://d.hatena.ne.jp/LondonBridge/
PJニュース編集長 小田光康氏がオーマイニュースへ「エール」を送っているが…

佐々木俊尚氏はオーマイニュースを食い物にするのか
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2844334/detail?rd

ヘーと思ったのは「PJの中にはオーマイニュースの市民記者に登録している者も数多い。わたしはこれを奨励している。」ということ。
一応ライバル関係だと思ったのだが、奨励していたというのには、ちょっと驚く。

blogを持っている記者が投稿記事を自サイトにも載せていたりするから、そういうのも推奨しているのかな。
同じ記事でも、目に触れる機会は多いほどいい。 むしろそうすべきということなのかしら?

記事の内容は、「内紛騒ぎは見苦しい、佐々木さんは立ち位置をはっきりさせるべき」かなぁ。
「食い物」というのは、後で始末記を書くのではないかという観測から、だろうな。


ただ、この人は相変わらず、ずれていると思うのは以下の部分。

内輪もめでサイトを盛り上がらせるようなことはして欲しくない。それこそ、マスコミからの嘲笑の的になってしまう。「やはり、市民ジャーナリズムはファントムだったのだ」と。


今現在マスコミはオーマイニュースを持ち上げるのに必死だということが見えていない。
クリステルも取材に来たし、TBSも密着取材。 鳥越氏も「オーマイニュース編集長」の肩書きでメディアに露出し続けている。
既存マスコミは、オーマイニュースがネットで嘲笑の的になっていることを隠避し続けている。
それは何故なのか、ということを考えるべきだろうに。


それにしても小田光康氏は「既存マスコミからもっと注目されたい」という思いで、PJニュース編集長をやっているのだろうか?
あの「パブリック・ジャーナリスト宣言」の意気込みはどこへいったのやら。


【関連】
「パブリック・ジャーナリスト宣言」
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__976981/detail

佐々木俊尚:小田光康氏にインタビューした
http://blog.goo.ne.jp/hwj-sasaki/e/b1b83bdd9e9c611bc7b41a5a3fc3ea18
http://hotwired.goo.ne.jp/original/sasaki_it/050705/index.html

ライブドアPJに忠告し忘れた欠陥 [ブログ時評10]
http://dando.exblog.jp/2000900/
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