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編集部からの新しいエントリーがアップされた。
危機管理としては大人の対応だと思う。混乱している内部の意見を複数、そのまま出すよりはマシだが…
しかしまぁ、マスコミ対策としては上出来、常道なんだろうが、ネットでは無力だろうな。
例によってURLを注目すると「post_124.html」。佐々木氏の(下)が「post_118.html」だったから、他の反論エントリー候補の中から選ばれた答えなのだろうか。
それとも、創刊時に公開予定の記事がはさまっているのかな?
それにしても、以前書いたことの繰り返しのようにも思い、なんだかウンザリしつつ…
佐々木編集員の問いかけに対して 平野日出木
http://www.ohmynews.co.jp/blog/archives/2006/08/post_124.html
他に発表する場はいくらでもある時代だ。 この言い方が通用したのは何年前だろうか…
ネット時間で遙か昔にライブドアがblogサービスの口火を切り、JANJAN、ライブドアPJが既にあり、「はてな」が米国進出を図り、mixiが上場しようとしている現状では、なんの説得力もない。
「できるだけ多様な言論を載せたい」というのは、佐々木氏が常勤記者から引き出した答えでもある。 しかし「立ち位置」が偏った記事ではないかと、さらに突っ込まれると「うーん、気がついたらそうなっちゃうんですよ。どうしてでしょう?」と常勤記者は答えてしまう。
平野氏は「無記名な日本の新聞記事vs実名のオーマイニュース」という対立軸を持ち出しているが、的はずれだ。 新聞に匿名記事が多いから批判されているわけでもない。
「自分の視点で書きましょう」とハッパをかけても、「無意識の左曲がり」によって『客観報道に一見見えながらも実は強烈に主観を打ち出すような』の記事しか書けない常勤記者たち…
せめて自身の「左曲がり」を自覚して記事を書けという佐々木氏の指摘について、何も答えていない。
ちゅうか「ノンポリ」と自称すること自体が、ある種の「無意識の左曲がり」の態度のように見える。
「無意識の左曲がり」を「多様な見方が交差するプラットフォーム」によって顕在化し、全体としての客観性を担保しよう、ということらしいが…
しかし、準備blogでそういう努力をしてきたのだろうか。
市民記者募集は告知しただけで集まるものではない。 それこそ「説得力ある記事を多く掲載」する必要があったのに「出し惜しみ」「チェック不足」「左曲がり」が露わになっただけだった。
編集部が旧来のジャーナリズムの悪癖をひきずったままの「既存メディアの劣化版 (co.ガ島氏)」に参加しようとする記者は、どれくらいいるのだろうか。
歴代の記者紹介を見てみると、なんだかNPOというかボランティア参加してるようにも見えるが…
「市民記者」がオーマイニュース日本版で書く意味とは何だろうか?
原稿料についてはともかく…
編集部のチェックが入ることでよりよい記事が書ける、訴訟リスクを有る程度軽減することができる、メディアへの露出への期待、くらいしか思いつかないが…
それにしても「メディア」としての成功ラインをどの辺に置いているのだろうかなぁ。
鳥越編集長はいろいろ強気の発言をしているが、これはまず実現不可能だろう。
「ビジネス」としての成功ラインはどうなんだろうか?
コメント欄記入にまで銀行口座開示が必要なため、登録に踏み切れない人も多そうなので、記者登録数は伸び悩みそうだ。
広告収入といってもなぁ… 一頃のライブドアのように韓流の広告ばかりになるのだろうか?
ソフトバンクの資金が続く限りは頑張るのだろうけれどもなぁ…
遠からず韓国版、インターナショナル版からの翻訳記事と、常勤記者やライターの記事だけになりそうな気がする。
危機管理としては大人の対応だと思う。混乱している内部の意見を複数、そのまま出すよりはマシだが…
しかしまぁ、マスコミ対策としては上出来、常道なんだろうが、ネットでは無力だろうな。
例によってURLを注目すると「post_124.html」。佐々木氏の(下)が「post_118.html」だったから、他の反論エントリー候補の中から選ばれた答えなのだろうか。
それとも、創刊時に公開予定の記事がはさまっているのかな?
それにしても、以前書いたことの繰り返しのようにも思い、なんだかウンザリしつつ…
佐々木編集員の問いかけに対して 平野日出木
http://www.ohmynews.co.jp/blog/archives/2006/08/post_124.html
守りたい何かがあるとすれば、それは「できるだけ多様な言論を載せたい」という、プラットフォームとしての立場です。
他に発表する場はいくらでもある時代だ。 この言い方が通用したのは何年前だろうか…
ネット時間で遙か昔にライブドアがblogサービスの口火を切り、JANJAN、ライブドアPJが既にあり、「はてな」が米国進出を図り、mixiが上場しようとしている現状では、なんの説得力もない。
「できるだけ多様な言論を載せたい」というのは、佐々木氏が常勤記者から引き出した答えでもある。 しかし「立ち位置」が偏った記事ではないかと、さらに突っ込まれると「うーん、気がついたらそうなっちゃうんですよ。どうしてでしょう?」と常勤記者は答えてしまう。
平野氏は「無記名な日本の新聞記事vs実名のオーマイニュース」という対立軸を持ち出しているが、的はずれだ。 新聞に匿名記事が多いから批判されているわけでもない。
既存メディアで勤務経験がある私を含むスタッフは、彼らが標榜する「客観報道」は現実には不可能だとよく知っています。だからこそ、私たちはあえて「自分の視点で書きましょう」と言っています。名前が「私のニュース(My News)」なのはそのためです。
「自分の視点で書きましょう」とハッパをかけても、「無意識の左曲がり」によって『客観報道に一見見えながらも実は強烈に主観を打ち出すような』の記事しか書けない常勤記者たち…
せめて自身の「左曲がり」を自覚して記事を書けという佐々木氏の指摘について、何も答えていない。
ちゅうか「ノンポリ」と自称すること自体が、ある種の「無意識の左曲がり」の態度のように見える。
「無意識の左曲がり」を「多様な見方が交差するプラットフォーム」によって顕在化し、全体としての客観性を担保しよう、ということらしいが…
しかし、準備blogでそういう努力をしてきたのだろうか。
市民記者募集は告知しただけで集まるものではない。 それこそ「説得力ある記事を多く掲載」する必要があったのに「出し惜しみ」「チェック不足」「左曲がり」が露わになっただけだった。
編集部が旧来のジャーナリズムの悪癖をひきずったままの「既存メディアの劣化版 (co.ガ島氏)」に参加しようとする記者は、どれくらいいるのだろうか。
歴代の記者紹介を見てみると、なんだかNPOというかボランティア参加してるようにも見えるが…
「市民記者」がオーマイニュース日本版で書く意味とは何だろうか?
原稿料についてはともかく…
編集部のチェックが入ることでよりよい記事が書ける、訴訟リスクを有る程度軽減することができる、メディアへの露出への期待、くらいしか思いつかないが…
それにしても「メディア」としての成功ラインをどの辺に置いているのだろうかなぁ。
鳥越編集長はいろいろ強気の発言をしているが、これはまず実現不可能だろう。
「ビジネス」としての成功ラインはどうなんだろうか?
コメント欄記入にまで銀行口座開示が必要なため、登録に踏み切れない人も多そうなので、記者登録数は伸び悩みそうだ。
広告収入といってもなぁ… 一頃のライブドアのように韓流の広告ばかりになるのだろうか?
ソフトバンクの資金が続く限りは頑張るのだろうけれどもなぁ…
遠からず韓国版、インターナショナル版からの翻訳記事と、常勤記者やライターの記事だけになりそうな気がする。
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平野さんは「多様な言論を載せたい」と仰っているが、その具体的な作業が分かっての発言なのだろうか。
「多量な言論(量)を載せたい」なら、彼らにできないことはない。だが、「多様な言論(質)を載せること」が彼らのできるとは思えない。
つまり、市民記者との対話を禁じられた編集者たちには、集まった「多量な言論」を「多様な言論」に分類・対照・要約することはできないと考えるからだ。
そして、もし、そのような多様な言論に対照されたとき、編集長や編集部の立ち位置がいかに偏狭な場所にあるかが露呈されるならば、それを経営陣は許さぬはずだ。
ところで、いまだオーマイニュース日本版はスタートしていない。
サーバー攻撃でも受けているのだろうか…。
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