[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
日本市場で成功するには 『オーマイニュースの挑戦』
http://www.mynewsjapan.com/kobetsu.jsp?sn=249
【Digest】
◇日本と違う前提条件
◇日本での試みの現状
◇時代と国民性
◇「準備された市民」がいない
◇あの時代、あの人がいたから
◇団塊ジュニアのマーケット特性
◇団塊ジュニア以降の心をとらえる記事の提供
◇日本の「情報流」の現状を気づかせる
◇戦中・戦後体制を脱皮させ、人々を精神的に充足させる
◇人類の普遍的真理に対する気づきを与える
これらの指摘をクリアして日本版の企画は行われているのだろうか。
私もだいたいは、この記事に同意するところが多いのだけれど。
いちおう私の現時認識だと、「準備された市民」がいないわけではないが、日本版に無関心というか、相手にさえしてもらっていない、というところかな。
一部(大部分?)は敵に回ってるだろうし。
カテゴリーの「スタッフから」をざっと読んだ限りでも、成功するとはまったく思えない。
そもそも自社の実態とか韓国本家の実態すらちゃんと把握していないのではないのか?
それとも記者募集のため故意に「素晴らしい」と思えるような情報を流しているのだろうか?
http://www.ohmynews.co.jp/blog/archives/2006/07/post_75.html
オーマイニュースはほとんどが市民記者の寄せてくれる記事で成り立ちます。
実際には
http://kusanone.exblog.jp/i22
報道機関としての土台の部分は、実は35人のプロ記者集団が支えている。ハードなニュースや分析記事はプロ記者が書き、市民記者に期待するのは「エッセイ」や「書評・映画評」「メディア評論」などなのだという。
と、オー・ヨンホ社長が述べている。
日本の「土台の部分」はどうなっているのかなと思い、ざっと読んでみたが…、まるで期待できないな。
7月以降コメント欄でさんざん突っ込まれているので、ここでまた書くのもなんなんだけど…
「世界市民記者フォーラム」リポート http://www.ohmynews.co.jp/blog/archives/2006/07/post_74.html
どんな活動している人たちが、何を話し合ったのか具体的に書けないものかと思う。
このレベルで満足してる編集部は無能だな。
編集長のインタビュー記事や各サイト、メディアでの記事にリンクを張る知恵もないようだし。
自前で編集長のインタビューの原稿起こしさえもできないのだろうか?
編集局の堀信氏について
真実とは??私たちの志
http://www.ohmynews.co.jp/blog/archives/2006/06/post_16.html
では、秋田の2名の児童が死亡した事件で、「あの母親が悪いか?」という質問には、私も含めほとんどの人が「はい」と答えるのではないでしょうか?
(略)
「OhmyNews」は「真実を市民のために報道」し、「社会正義を実現する」ことを志に組織されました。そのために「市民記者」という日本では新しいシステムも導入しています。わたしたちの取材だけではなく、「市民記者」の情報と目線を融合させ、現場の真実を伝える努力をします。
「ほとんどの人」に私を入れないで欲しいな。
ワイドショーに毒された先入観丸出しにして、なにを偉そうに「真実」とか「志」を語っているのやら。
〜視点を変える〜 http://www.ohmynews.co.jp/blog/archives/2006/06/post_25.html
という記事を書いているが、彼の視点が陳腐であることにうんざりする。
「社会正義」といって志を高く持とうとする一方で、「市民記者」と一体化しようと視点を低くしている。
アンバランスというか、頭でっかちなんだろうな。 自分なりの「社会正義」で頭がいっぱいなんだろう。
さて、創刊までのカウントダウンが続くけれど、本当に創刊できるのだろうか。
編集部のいう『オーマイニュースはほとんどが市民記者の寄せてくれる記事で成り立ちます。』が本当ならば、登録記者からの記事がそろそろ集まっていなければならないのではないか?
何を載せるか載せないのか、記事に問題ないかのチェック作業も進んでいるのだろうか?
編集部記者の取材記事の進行具合はどうなんだろうか。 準備blogに載っているレベルの記事では、とうていアクセスは稼げそうもないけれど。
アクセスが稼げなければ、バナー広告を主な収入と考えているビジネスモデルは成り立たないだろうし。
Yahoo!で検索すると準備blogはトップに来るけれど、Googleだと微妙。韓国版の紹介と炎上の記事が目立つかな。
自分を日本社会の外側において批判することが僭越であり、浅薄であることが市民記者メディアでは明確になると思います。
秋田の被疑者についても、彼女をコミニュティーから排除していった過程に、地域コミニュティーのマジョリティーの側の罪もある。そのことを捨象して、被疑者ばかりを断ずることはできぬのですよね。