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編著者の遠藤薫氏は本書でも自サイトでも生年を明らかにしてないけれど、ちょっと調べればわかるし、ひろゆき氏との対談の写真も掲載されてることだから、いちおう書いておく。1952年7月神奈川県生まれの方です。
http://endo-lab.org/
サイトに掲載されている書評(1997年のものが中心)を読むと、ワープロからマイコン・パソコンへの移行を体験していたのだろうと想像できます。 パソ通もやっておられたのじゃないかな。
マルチメディアとかバーチャルリアリティ等を研究対象にしてきた方のようです。
2004年7月に本書の執筆を依頼され、若手研究者(東工大院生が中心)とMLで討論しながらスピード感を重視して10月に書き上げ11月30日出版。
遠山氏が主に基本部分を、若手が「現場からの報告」ということで個別の事件をそれぞれ書いています。
Amazonの出版社 / 著者からの内容紹介
イラク戦争三馬鹿自己責任、共同通信小池記者blog炎上(ホリエモン関係)、オーマイニュースは当然だが、長崎バスジャック(ネオ麦茶)、東芝クレーマー事件、各種オフ会(ゴミ拾い・エージェントスミス・吉野家etc)まで幅広く取り上げられている。 たしかに2ちゃんねるに大きな比重がおかれてるけれど、それだけでは無い。古くは筒井康隆「朝のガスパール」から村上春樹まで。
たとえば若手評論家である北田暁大、鈴木謙介なんかが勇ましくネットや2ちゃんねるを論じていても、「おまいら最近のニュース速報しか見てないだろ」という雰囲気があるのに対して、相当に古くからネットを見ているのが感じられます。 彼らなんかヒヨッコ扱いじゃなかろうか?
ライブドアニュースのパブリック・ジャーナリスト宣言 http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__976981/detail を読んで、頭を抱えてしまうような人じゃないかとも思う。
マルクスを模すのから始まって、「コスモポリタン」「デンノッホ(それにもかかわらず!)」「ベルーフ(天職)」「レコンキスタ」… 言葉一つ一つの説明を小田光康氏は熱く語りそうだけど、はたして大丈夫なのか、独りよがりにすぎないかという疑問を持つのだが…
遠藤氏は、そこあたりをちゃんと文献を挙げて解説しちゃいそうな気がする。
しかし、あまりに博覧強記にすぎる。
前半部分で<公共圏>−<公衆>−<群衆>モデルとその背後の象徴的闘争などを論じてるけれど、話が飛びまくりではないのか?
ベンヤミンのパサージュ論あたり(ポーとかボードレーヌの群衆)から始まって、おそらくオルテガを経てハーバーマスに、次にJ.J.ルソーにさかのぼり、古代ギリシャを経て、また現代に。 その中に、多数の論文の引用が挟み込まれる。
この本は遠藤氏がネット論を述べている本とは、厳密には言いがたい気がする。
内容紹介に有るとおり『足がかりを提供する』本として、これまであったネット事件、ネット論を網羅的にまとめ、紹介することの方に力が入っているとしか思えない。
もう最初から最後まで遠藤氏は引用を繰り返してます。 非常に読みにくいし、遠山氏の主張も何処にあるかは、結局はわからない。(そのために経歴やサイトを調べた)
まぁ北田・鈴木両氏のような力みまくりの主張をしているわけではなく、研究中といった感じなのかなぁ。
だからなのか、ひろゆき氏との対談も、ネットに詳しいおばさんと今時の若者のまたーりした雑談風になってしまった感じ。 まぁ、それなりに面白いけれど。
2004年執筆という時代性も強く感じたな。 2006年夏に2年前を懐かしむのもちょっと変な話だが。
2004年だったら、すでに民主党はネットでは相当に評判が悪かったが、選挙では議席を伸ばしていた頃。 そのせいか、所詮はネット世論、2ちゃんねるは特別な悪所、コップの中の嵐、という理解のされ方が一般的だったような気がする。 (これはアメリカ大統領選や韓国のネット事情と比べられてたかな。)
いろいろと図式化されたモデルが出てくるのだが、なんていうか<ネット>−<マスコミ>−<一般社会> という構図になりがちではないのかとも感じた。
ネット内の多様性、マスコミ・ジャーナリストの多様性や、それぞれの層の重なり、相互作用も一応は考慮されてはいるが、でも<ネット>vs<マスコミ>の対立抗争という形が基本形のように思える。
現在のblog界だと、たとえばこんな圏域が多数重なりながら有るのじゃないかなぁ。
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20060701/1151731443
あと、2002年1月の田中真紀子更迭事件について、Yahoo!掲示板のメッセージ数を挙げて論じてるのを見ると、当時は2ちゃんねるを見てなかったと思う。
(長崎バスジャック・ネオ麦茶事件は取り上げられてはいるけれど)
後の塩爺関連やオフ会などは詳しく論じられてるから、この頃には少しは見ていたのかな? でも1chに関してうといからなぁ…、たまに観察する程度か?
田中真紀子は、外相就任当時は2ちゃんねでもまだ期待する声は多かった。達増拓也の精神鑑定発言の時は凄かった。 しかし、活字メディアでは真紀子叩きが増えるが、テレビ朝日を中心とするワイドショーでは逆に持ち上げられてきたわけで、やがて2ちゃんねる内でも真紀子叩きが主流になってくる。
鈴木宗男に関しては、2000年6月に伝説のスレがたった。
▼鈴木宗男,復活当選無効で落とせるか?▼ http://piza.2ch.net/giin/kako/962/962203980.html
この19氏のルポで宗男氏は2ちゃんねるの人気者になり、のちのオニギリネタの原点ともなる。
これは凄くジャーナリスティックな事件だったと思う。
これらの底流のもとに真紀子・宗男更迭事件があり、そして「ムネオハウス」楽曲があったわけだが、そこあたりは省かれてる感じ。
まぁ、些細なことではあるけれど。
若手研究者の担当する個々の事件についての記述は、あえてこの本で読まなくてもいいかな。 ネットを探すか、もうちょっと詳しい本や雑誌はあるだろうし。
別に私は玄人でもないけれど、この本は素人にはお勧め出来ない。
まあお前(ry
インターネットと“世論”形成―間メディア的言説の連鎖と抗争 遠藤薫編著
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4501620501/503-1168760-6805514?v=glance&n=465392
http://endo-lab.org/
サイトに掲載されている書評(1997年のものが中心)を読むと、ワープロからマイコン・パソコンへの移行を体験していたのだろうと想像できます。 パソ通もやっておられたのじゃないかな。
マルチメディアとかバーチャルリアリティ等を研究対象にしてきた方のようです。
2004年7月に本書の執筆を依頼され、若手研究者(東工大院生が中心)とMLで討論しながらスピード感を重視して10月に書き上げ11月30日出版。
遠山氏が主に基本部分を、若手が「現場からの報告」ということで個別の事件をそれぞれ書いています。
Amazonの出版社 / 著者からの内容紹介
インターネットがコミュニケーション・メディアとして埋め込まれた社会における〈世論〉形成の諸相を論考。現在の社会において考えられるべき認識枠組みを提示した上で、電車男、佐世保事件、反日、Winny、ブログなど、ネット上に立ち現れたビビッドな事例を取り上げ報告。さらに、2ちゃんねる管理人西村博之氏と編者の対談を収録した。読者がネットワーク社会の中で考え、活動するための足がかりを提供する
イラク戦争三馬鹿自己責任、共同通信小池記者blog炎上(ホリエモン関係)、オーマイニュースは当然だが、長崎バスジャック(ネオ麦茶)、東芝クレーマー事件、各種オフ会(ゴミ拾い・エージェントスミス・吉野家etc)まで幅広く取り上げられている。 たしかに2ちゃんねるに大きな比重がおかれてるけれど、それだけでは無い。古くは筒井康隆「朝のガスパール」から村上春樹まで。
たとえば若手評論家である北田暁大、鈴木謙介なんかが勇ましくネットや2ちゃんねるを論じていても、「おまいら最近のニュース速報しか見てないだろ」という雰囲気があるのに対して、相当に古くからネットを見ているのが感じられます。 彼らなんかヒヨッコ扱いじゃなかろうか?
ライブドアニュースのパブリック・ジャーナリスト宣言 http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__976981/detail を読んで、頭を抱えてしまうような人じゃないかとも思う。
マルクスを模すのから始まって、「コスモポリタン」「デンノッホ(それにもかかわらず!)」「ベルーフ(天職)」「レコンキスタ」… 言葉一つ一つの説明を小田光康氏は熱く語りそうだけど、はたして大丈夫なのか、独りよがりにすぎないかという疑問を持つのだが…
遠藤氏は、そこあたりをちゃんと文献を挙げて解説しちゃいそうな気がする。
しかし、あまりに博覧強記にすぎる。
前半部分で<公共圏>−<公衆>−<群衆>モデルとその背後の象徴的闘争などを論じてるけれど、話が飛びまくりではないのか?
ベンヤミンのパサージュ論あたり(ポーとかボードレーヌの群衆)から始まって、おそらくオルテガを経てハーバーマスに、次にJ.J.ルソーにさかのぼり、古代ギリシャを経て、また現代に。 その中に、多数の論文の引用が挟み込まれる。
この本は遠藤氏がネット論を述べている本とは、厳密には言いがたい気がする。
内容紹介に有るとおり『足がかりを提供する』本として、これまであったネット事件、ネット論を網羅的にまとめ、紹介することの方に力が入っているとしか思えない。
もう最初から最後まで遠藤氏は引用を繰り返してます。 非常に読みにくいし、遠山氏の主張も何処にあるかは、結局はわからない。(そのために経歴やサイトを調べた)
まぁ北田・鈴木両氏のような力みまくりの主張をしているわけではなく、研究中といった感じなのかなぁ。
だからなのか、ひろゆき氏との対談も、ネットに詳しいおばさんと今時の若者のまたーりした雑談風になってしまった感じ。 まぁ、それなりに面白いけれど。
2004年執筆という時代性も強く感じたな。 2006年夏に2年前を懐かしむのもちょっと変な話だが。
2004年だったら、すでに民主党はネットでは相当に評判が悪かったが、選挙では議席を伸ばしていた頃。 そのせいか、所詮はネット世論、2ちゃんねるは特別な悪所、コップの中の嵐、という理解のされ方が一般的だったような気がする。 (これはアメリカ大統領選や韓国のネット事情と比べられてたかな。)
いろいろと図式化されたモデルが出てくるのだが、なんていうか<ネット>−<マスコミ>−<一般社会> という構図になりがちではないのかとも感じた。
ネット内の多様性、マスコミ・ジャーナリストの多様性や、それぞれの層の重なり、相互作用も一応は考慮されてはいるが、でも<ネット>vs<マスコミ>の対立抗争という形が基本形のように思える。
現在のblog界だと、たとえばこんな圏域が多数重なりながら有るのじゃないかなぁ。
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20060701/1151731443
あと、2002年1月の田中真紀子更迭事件について、Yahoo!掲示板のメッセージ数を挙げて論じてるのを見ると、当時は2ちゃんねるを見てなかったと思う。
(長崎バスジャック・ネオ麦茶事件は取り上げられてはいるけれど)
後の塩爺関連やオフ会などは詳しく論じられてるから、この頃には少しは見ていたのかな? でも1chに関してうといからなぁ…、たまに観察する程度か?
田中真紀子は、外相就任当時は2ちゃんねでもまだ期待する声は多かった。達増拓也の精神鑑定発言の時は凄かった。 しかし、活字メディアでは真紀子叩きが増えるが、テレビ朝日を中心とするワイドショーでは逆に持ち上げられてきたわけで、やがて2ちゃんねる内でも真紀子叩きが主流になってくる。
鈴木宗男に関しては、2000年6月に伝説のスレがたった。
▼鈴木宗男,復活当選無効で落とせるか?▼ http://piza.2ch.net/giin/kako/962/962203980.html
この19氏のルポで宗男氏は2ちゃんねるの人気者になり、のちのオニギリネタの原点ともなる。
これは凄くジャーナリスティックな事件だったと思う。
これらの底流のもとに真紀子・宗男更迭事件があり、そして「ムネオハウス」楽曲があったわけだが、そこあたりは省かれてる感じ。
まぁ、些細なことではあるけれど。
若手研究者の担当する個々の事件についての記述は、あえてこの本で読まなくてもいいかな。 ネットを探すか、もうちょっと詳しい本や雑誌はあるだろうし。
別に私は玄人でもないけれど、この本は素人にはお勧め出来ない。
まあお前(ry
インターネットと“世論”形成―間メディア的言説の連鎖と抗争 遠藤薫編著
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4501620501/503-1168760-6805514?v=glance&n=465392
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