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節操のない四題噺みたいなタイトルだな。 (本文中でタグを活用した方がいいのかも)
まだblogを書き始めて半年、それほどテーマを広げないつもりだと思いつつも、何故か過去に即席麺に言及していたりする。
「継続」ってのは、こんな意味があるのかな、などと思ったりする。
「オーマイ」誕生秘話
代用食品
1950年代は、小麦粉をどうやって食べるかということが国家的課題(?)だったように思う。
オーマイスパゲッティは、小麦粉で作る代用米研究がそもそもの出発点だし、インスタントラーメンも同じような所から出発したのではなかったかなぁ。
安藤百福さんのご冥福をお祈りします。
ところで、名前が似ていて日本製粉(NIPPN)は迷惑と思っているのではないかと思う、オーマイニュース日本版のことだけれど…
編集部のインタビューを見ていて「やはり駄目だなぁ」と改めて感じる。
オーマイニュース編集部に行ってきました。(下)
http://yaplog.jp/parsleymood/archive/482
「(ページデザインの)美しさ」ねぇ…… 5〜7人の名前を記入することが美しくないと思っているわけなのだなぁ。
これは、紙媒体でのみ仕事をしていた人ならではの感覚なのだろう。
blogで便利だと感じるのは、各エントリーを複数の手段で閲覧できることだ。 blog内部でも日付・タイトル・カテゴリー・検索という手段がある。
オーマイニュース日本版を最初に見て驚いたのは、そういったblogの常識といえる記事の閲覧方法がまったく考慮されていなかったこと。 読みたい記事を探す手段が、決定的に貧弱だった。 そもそもトップページで記事タイトルは途中で切れてる。「全記事」のほうから探そうにも、写真がいっぱいで糞重かった。
編集部が美しいと思っている「全記事」は、ネットを雑誌のように読む「初心者」に対してとって取っつきやすいように、というコンセプトなのだろう。 ネットズレした閲覧者にはほとんど利益はない。 使いにくいだけだ。
記事タイトル一覧と記者名、日付のみを20〜100くらい表示した方が、遙かに便利だ。記者名をクリックすると、その記者の記事が一覧表示されるともっと便利。
現在の「全記事」だと、タイトル・サブタイトル・リード・写真が、それぞれ一つの同じ記事にリンクされているが… これは無駄だし、サイトが重くなる要因の一つじゃないか?
紙媒体出身の編集部の美意識では、これが美しいということになるのだろうが…
左右とか記事・記者のレベルとかの問題なんかよりも、こういった紙媒体そのままの「美意識」で作られたサイトであることの方が、私には違和感がある。
私がネットというかパソコンを使い始めて、それまでの紙媒体と違って便利だと感じたのは、データを様々な角度から再編集・再構成できることだった。
表計算ソフトは、そもそもそういった用途のために開発が続けられてきた。
文章などでも、文字検索やら時系列に並べ替えることで、新しい発見があった。(ネットバトルの基本的技術だし w)
時系列からの連想だが…
図書館で藤原新也のエッセイ集をちょっと眺めてた。
改めて驚いたのは、初出の情報がほとんど無かったこと。
「丸亀日記」は新聞連載だが、日付無し。「幻世」は70〜80年代の各雑誌などに書いたのをまとめているのだが、書かれた時期に10年くらい幅があるのではないか?
「黄泉の犬」の1章も、途中までは1995年時の取材だったとは気づかなかった。
彼の詳しい年譜がないから今ひとつわからないのだが、上京や芸大入学、インドへの旅立ちは何年のことなのだろうか?
ギターの件で「フォークゲリラの時代」などと書いてしまったが、これはちょっと時期的には合わないだろうな。 (wikiの吉田拓郎の記述から類推 拓郎は2年年下)
彼ほど時代と密着している人はいないと思うのだが、それにしても、これほど日付に無頓着なのは興味深い。 あえて無視してるのだろうか?
ちなみにアイドル論で日本を精神分析していたのは「乳の海」だった。
都はるみ・藤圭子・山口百恵・松田聖子という流れ。
私は、この本以降から藤原新也を読まなくなったのだなぁ。
まだblogを書き始めて半年、それほどテーマを広げないつもりだと思いつつも、何故か過去に即席麺に言及していたりする。
「継続」ってのは、こんな意味があるのかな、などと思ったりする。
「オーマイ」誕生秘話
代用食品
1950年代は、小麦粉をどうやって食べるかということが国家的課題(?)だったように思う。
オーマイスパゲッティは、小麦粉で作る代用米研究がそもそもの出発点だし、インスタントラーメンも同じような所から出発したのではなかったかなぁ。
安藤百福さんのご冥福をお祈りします。
ところで、名前が似ていて日本製粉(NIPPN)は迷惑と思っているのではないかと思う、オーマイニュース日本版のことだけれど…
編集部のインタビューを見ていて「やはり駄目だなぁ」と改めて感じる。
オーマイニュース編集部に行ってきました。(下)
http://yaplog.jp/parsleymood/archive/482
P 市民記者は名前が出るのに、担当編集者のクレジットがないというのはどうしてですか。
H それは入れてもいいかもしれないですね。ただ、編集者も何人かで見ているんですよね。最低でも二人は見てますから。最初に見る人と、オリジナルと比較して確認する人がいるんですよ。そうなると、何人も挙げられていて鬱陶しいという人もいるかもしれないし、(ページデザインの)美しさという点もある。そこは組織として責任を負っている面はあるよね。入れた方が透明度という点ではいいのかもしれませんが、誰を挙げればいいのかなど、難しい問題もあります。
「(ページデザインの)美しさ」ねぇ…… 5〜7人の名前を記入することが美しくないと思っているわけなのだなぁ。
これは、紙媒体でのみ仕事をしていた人ならではの感覚なのだろう。
blogで便利だと感じるのは、各エントリーを複数の手段で閲覧できることだ。 blog内部でも日付・タイトル・カテゴリー・検索という手段がある。
オーマイニュース日本版を最初に見て驚いたのは、そういったblogの常識といえる記事の閲覧方法がまったく考慮されていなかったこと。 読みたい記事を探す手段が、決定的に貧弱だった。 そもそもトップページで記事タイトルは途中で切れてる。「全記事」のほうから探そうにも、写真がいっぱいで糞重かった。
編集部が美しいと思っている「全記事」は、ネットを雑誌のように読む「初心者」に対してとって取っつきやすいように、というコンセプトなのだろう。 ネットズレした閲覧者にはほとんど利益はない。 使いにくいだけだ。
記事タイトル一覧と記者名、日付のみを20〜100くらい表示した方が、遙かに便利だ。記者名をクリックすると、その記者の記事が一覧表示されるともっと便利。
現在の「全記事」だと、タイトル・サブタイトル・リード・写真が、それぞれ一つの同じ記事にリンクされているが… これは無駄だし、サイトが重くなる要因の一つじゃないか?
紙媒体出身の編集部の美意識では、これが美しいということになるのだろうが…
左右とか記事・記者のレベルとかの問題なんかよりも、こういった紙媒体そのままの「美意識」で作られたサイトであることの方が、私には違和感がある。
私がネットというかパソコンを使い始めて、それまでの紙媒体と違って便利だと感じたのは、データを様々な角度から再編集・再構成できることだった。
表計算ソフトは、そもそもそういった用途のために開発が続けられてきた。
文章などでも、文字検索やら時系列に並べ替えることで、新しい発見があった。(ネットバトルの基本的技術だし w)
時系列からの連想だが…
図書館で藤原新也のエッセイ集をちょっと眺めてた。
改めて驚いたのは、初出の情報がほとんど無かったこと。
「丸亀日記」は新聞連載だが、日付無し。「幻世」は70〜80年代の各雑誌などに書いたのをまとめているのだが、書かれた時期に10年くらい幅があるのではないか?
「黄泉の犬」の1章も、途中までは1995年時の取材だったとは気づかなかった。
彼の詳しい年譜がないから今ひとつわからないのだが、上京や芸大入学、インドへの旅立ちは何年のことなのだろうか?
ギターの件で「フォークゲリラの時代」などと書いてしまったが、これはちょっと時期的には合わないだろうな。 (wikiの吉田拓郎の記述から類推 拓郎は2年年下)
彼ほど時代と密着している人はいないと思うのだが、それにしても、これほど日付に無頓着なのは興味深い。 あえて無視してるのだろうか?
ちなみにアイドル論で日本を精神分析していたのは「乳の海」だった。
都はるみ・藤圭子・山口百恵・松田聖子という流れ。
私は、この本以降から藤原新也を読まなくなったのだなぁ。
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