[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
『次郎物語』 第一部〜第五部
下村湖人 著
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1097.html#sakuhin_list_1
パソコンのモニターでも読めるけれど、これだけ長編だと辛い。 普通に本で読むべき物語だな。
テレビドラマ化も何回かされている。 寝小便のシーンを妙に憶えている。
三回映画化されているけれど、微妙に描き方が違うようだ。
1987年版だと、実母の性格がかなり違っているみたいだ。
実母:高橋恵子 養母:泉ピン子 かぁ…。 ちょっと微妙なキャスト。
古い方を観たほうがいいように思うなぁ。
時代が下るにつれて、母親を「悪役」というか…、厳しく描けなくなってきたのだろうか?
あらすじを比較。
1955年版
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD24564/story.html
小高い丘の分教場で小使をしながら細々と暮らしている勘作、お浜夫婦のもとに病弱な次郎が預けられてから早くも七年、夫婦はわが子より可愛い腕白ざかりの次郎を、心ならずも村一番の旧家本田家に返さなければならぬ日が来た。手許に引き取ったものの勝気な生みの母民子と祖母は、次郎がすこしも自分たちになじまないのは蔭でお浜が入れ智恵するからだと邪推し、長男の恭一や三男俊三よりもきびしく躾けようとするが、祖父と父俊亮は何かにつけて次郎をかばうのだった。
1960年版
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD22936/story.html
昭和二年、次郎は九歳になった。彼には兄・恭一、弟・俊三の兄弟がいたが、母・お民の乳が足りぬため、今までお浜の許へ里子に出されていたのだった。兄弟は「士族」の子らしく成長したが、次郎は「庶民」の子に育っていた。そのため、祖母や母に冷たく扱われた。次郎の味方になってくれるのは、父と飯たきのお糸婆さんだった。学校からの帰り道、次郎はお糸婆さんの家をさがしている関取に会った。病気で親類に帰っているお糸婆さんの許に案内した。関取は大豊といい、お糸の孫だった。
1987年版
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD17834/story.html
昭和の初め、次郎は母・お民の体が弱かったため、生まれてすぐお浜の家に預けられた。お民も元気になり実家に引きとられたが、お浜になついている次郎は連れ戻されるたびに逃げ帰るのだった。次郎の実家、本田家は、古くから続いた由緒正しい家柄で、士族の格式を守り子供たちの躾も厳しかった。6歳の夏、とうとう実家に連れ戻された次郎は、それまで自然の中で伸び伸びと育てられていたから、本田家の家風に息もつまりそうな思いの日々が始まる。祖母のおことは、乳母のお浜を恋しがる次郎に何かにつけて辛くあたった。体の丈夫でないお民は、おことと次郎の間でおろおろするばかり。
今の時代、乳が出ないから乳母とか里子いうのは、ほとんど無いだろうな。
育児用粉ミルクが普及したのは1950年代頃。
http://ja.wikipedia.org/wiki/粉ミルク
自宅出産と施設出産の比率が半々になったのが1958年。 それ以降はほとんど病院で産むようになった。
病院で産まれ粉ミルクで育った世代が40代。 その母親が70代あたり。
科学の進歩が信じられた世代、そして高度成長を支え、戦争で苦労した世代でも有る。
六十代、七十代の女性の多くは、自分たちのしてきた結婚や、出産、そして夫との関係を、「楽しかった」と言い切れるようなものとは考えていないようなのです。「あんな結婚ならしなければ良かった」「娘たちは出産を避けて通れるものならそうしてほしい」とさえ思っています。そしてそのような考え方は、現在の二十代から四十代の女性に見事に反映しているようです。
「オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す」 三砂 ちづる 著 より
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4334032664/sr=8-1/qid=1161786753/ref=sr_1_1/250-7344768-5977014?ie=UTF8&s=books
なんていうか、昭和を戦前戦後で分ける歴史観が主流ではあるけれど、文化的断絶は1950年代にあるよう思えてくる。
一応は広義の「戦後」では有るけれど。
【関連】
「オーマイ」誕生秘話
http://londonbridge.blog.shinobi.jp/Entry/195/
アンネナプキンの歴史
http://londonbridge.blog.shinobi.jp/Entry/196/
代用食品
http://londonbridge.blog.shinobi.jp/Entry/197/