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年末、書店でちょっと驚いたこと。

甦るヴェイユ / 吉本 隆明

新書版で発売されていること、1470円という新書っぽくない価格だったこと両方にびっくり。 もともとは1992年にJICC出版局 から出た本(当時も1400円)なので。

そうしたら、雑誌「世界」1月号にもヴェイユの記事が載っていた。

戦争とイーリアス(後編)   今福龍太 (東京外国語大学)
http://www.iwanami.co.jp/sekai/2007/01/200.html

wikiの記述は簡単なものしか載ってなかったよなぁ、と確認したら、ものすごいボリュームにふくれあがってた。 大晦日に、頑張った人がいたようだ。
蘇っているのだろうか? アマゾンを見ると、それなりに新しい本が並んでいる。

wikipediaのシモーヌ・ヴェイユ 
  
まぁ、頑張りはわかるが、これじゃぁ誰も読まないだろうなとも思う。
私が書き加えるとするなら…

シモーヌ・ヴェイユ(Simone Weil, 1909年2月3日 パリ、フランス - 1943年8月24日 ロンドン、イギリス)は、フランスの哲学者である。父はユダヤ系の医師で、数学者のアンドレ・ヴェイユは兄。

リセ時代、哲学者アランの教えを受け、パリの女子高等師範学校に入学、哲学のアグレガシオン(1級教員資格)を優秀な成績で取得する。卒業後、1931年にはリセの教員となる。
ヒトラーが台頭するドイツの政治・社会を分析し雑誌に発表するなど、政治活動も始める。
教員をやめ、労働階級の境遇を分かち合おうと工場や農場で単純肉体労働に従事。身体をこわす。
1936年、スペイン内戦に際して、人民戦線派義勇兵に志願。
前線では鉄砲を空に向かって撃つ。 後方に回され炊事当番をしているとき、鍋をひっくり返し、やけどをおってフランスに帰国。
1938年、修道院の礼拝中での神秘体験を期にキリスト教に帰依するが、教会とは距離を置く。
1942年にはアメリカに移住し、その後、ロンドンに移り、ド・ゴールの自由フランス軍にレジスタンスとして参加しようとする。
看護婦部隊編成計画を立案するが実現不可能と却下される。
戦争の悲惨さ、残酷さに抗議してハンストを行い、1943年、34歳でその生涯を閉じる。


こんな感じかなぁ?

最近の「蘇り」は、いわゆる後期ヴェイユ(1938年以降?)のことが中心なのかな?
私は、いわゆる前期の、ヒトラー政権誕生前夜のドイツ旅行記とか社会分析のころが、なんていうか、好きかも。

最初に読んだのが
工場日記 / シモーヌ ヴェイユ
だった、という影響もあるかな。

前期の、いわゆる普通に鋭い社会分析をしていた人が、いろんな事があって……語句が微妙にアレで、怒る人もいると思うが……「壊れて」いく、その落差が、ちょっと凄い。



シモーヌ・ヴェーユ著作集〈5〉根をもつこと
のタイトルの件で、某氏のことを根に持っているのかもしれない w
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