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黄泉の犬 藤原 新也 (2006/10) 文藝春秋 この商品の詳細を見る |
やっと読了。
とりあえず簡単な印象だけメモ。
第二章の「インタビュー」はほとんど後から書き足したモノだろうな。
p254の ”ただ在る” に関しての記述でサルトルを連想。
そうしたら p288 で ”それ、サルの研究者ですか”
なるほどなぁ。 芸大の先生がサルトルを読むように勧めた気持ちが、わかる。
藤原氏は、結局今に至るまでサルトル等は読んでいないのだろうか?
高校時代に「学生運動」挫折、恩師の転任。フムフム
「ゴリラが消える」での芸大時代のことも興味深い。
んん… いかにも田舎出の芸大生が、当時の海外アートシーンを夢見て、突っ張ってた感じを彷彿とさせる。
インドでの最初の写真は、自分の足跡の記録(文字通り)。
現地役人の証明書を付けて、画廊へ売り込もうとしていた。
60年代っぽい。
オウムの熊本県波野村進出を「故郷に錦を飾る」というような文脈で捉えているみたいだ。
自身の「故郷喪失」体験と重ねすぎているのではないか?
「盲目となる恐怖と怒り」を重視しているようだ。
目が見えるのに盲学校に「捨てられた」、という事に関しては、触れられていないな。
…というか、そもそも第1章は10年前の取材に加筆したものだけれど、その後の調査とか新事実などは追いかけていないのではないのか?
全体の印象は、「藤原新也物語」の中に「オウム真理教物語」が組み込まれている「創作」、または再構成された記憶。
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