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年末年始に読んだ本、読んでいる本、読もうと思う本など

日本赤軍派―その社会学的物語 / パトリシア スタインホフ
去年始めから読まなきゃと思っていた本。やっと読了。
「外の人」の視点が興味深い。

連合赤軍とオウム真理教―日本社会を語る / パトリシア・G. スタインホフ、伊東 良徳 他
破防法に関しての対談がメイン。
スタインホフ氏の専門は戦前日本の転向問題なので、そっちの知識が足りないと氏の関心事が理解しにくいかもなぁ。
日本社会がオウム信者を、どうやって「転向」させていくのかに注目しているみたいだが…
1996年の本なので、オウムに関しては、実はそんなに論じられてはいない。


日本社会がオウムを生んだ 日本社会がオウムを生んだ
宮内 勝典、高橋 英利 他 (1999/03)
河出書房新社

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高橋英利氏が語りまくり、宮内勝典氏は最初は聞き役、本の半ば過ぎからようやっと「対談」になっていくが…

詳しいことは後で書くと思うけれど、高橋氏の発言で気になったこと二つ。
●カミーユ・クローデルの彫刻に言及。 
おそらくこれのこと↓
献身

●リルケを「ロダンの弟子」と発言。 
ロダンはリルケを単なる「秘書」としてしか見ていなかったし、リルケも「弟子」のつもりはないだろう。


以下の宮内氏の2冊は読むべきか、ちょっと考慮中。
たぶん読むとは思うが…
善悪の彼岸へ / 宮内 勝典
金色の虎 / 宮内 勝典



黄泉の犬 黄泉の犬
藤原 新也 (2006/10)
文藝春秋

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なかなか進まない。


気が重くなる本ばかりなので、方向をちょっと変えてみたい。

ウェブ人間論 / 梅田 望夫、平野 啓一郎 他
NHK問題 / 武田 徹

しかし武田徹氏の本は、だいたいいつも最初の半分は、タイトルと直接は関係ない話(?)だからなぁ…

戦争報道 / 武田 徹
この本では、日本の植民地での日本語教育問題について、相当にページが割かれてたし
偽満州国論 / 武田 徹
に到っては、タイトルと中身の違いに腹が立った w

武田徹オンライン日記での、あまりの必死さに、一応は読んでみようかと思った。
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麻原彰晃の誕生 / 高山 文彦

『現代』1996年5〜8月号の連載と、『フォーカス』2001年6〜8月にかけての連載に加筆訂正したものです。
いままで単行本にならなかったのが、ちょっと不思議な気がする。

地道に関係者に取材を重ねており、地元の人や長兄、盲学校時代の担任、薬事法違反で逮捕さたときの担当警部補への取材も有ります。

1996年雑誌に発表されているわけなので、ネットで広く共有されてれる情報のネタもとが、やっと出版されたという印象。

たとえばGoogleキャッシュに残ってた「オウム真理教年表」とか

麻原を宗教者として、いろいろと論じる本は山のようにある。
この新書はそういった本とは一線を画して、あくまでも「松本智津夫の小伝」というスタンスで取材したものです。

著者は1958年生まれ、オウム信者達と世代が近いためか、なんていうか、いわゆる年長の「知識人」やコメンテーターが高所からたいそうな大言を吐くのとは違い、より対象に迫っているように感じた。


松本の兄弟についての取材に関しては、最近ちょっと気になっている。

前のエントリー:最近のオウム研究本の事実関係論争
http://belena.blog70.fc2.com/blog-entry-238.html



藤原新也著『黄泉の犬』  文藝春秋社
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4163685308
この本での麻原の兄へのインタビューの内容について、アマゾンのレビュー氏いわく

たぶん日本中のジャーナリストがインタビューしたかったであろう麻原彰晃の実兄に藤原新也だけが偶然と言う名の必然に導かれて行く経緯と、そこで確かめた麻原の闇が全て一つの底流によって繋がってしまう共時性に身震いしました。


こういうのを読むと、困ったもんだなと思う。 

同じ出版社から、まったく相反する見解の本が同じ年に出て、両方とも宣伝しにくいのだろうか?

田口ランディはさらに『黄泉の犬』での水俣病への視点を絶賛している。

田口ランディ公式ブログ
http://runday.exblog.jp/4953124/

この件については、滝本弁護士が苦言を呈している。

『日常生活を愛する人は?』-某弁護士日記 

2006/11/28 「備忘録 麻原彰晃の誕生」
http://sky.ap.teacup.com/takitaro/332.html
2006/11/29 「備忘録 黄泉の犬」
http://sky.ap.teacup.com/takitaro/333.html

藤原さん、よくもまあ、あの程度の材料で書いてしまうものだ、不思議。
著者自身は、重要なことを書いたのに反応がないのはおかしいというように言っておられるようですが、そんな事実関係だから、反応がないのは当たり前でしょう。

軽率極まりない。




藤原氏は松本智津夫の育った八代にいき、その風景を「砂漠」と書く。


 四方どちらを向いても人間の恣意を受け止める自然の抵抗感がなく、自分の勝手な恣意がどこまでも際限なく増殖していく快感と不安を覚える。中心感覚や人間の恣意を制御する禁忌や規範がないという意味において、それは砂漠の自然形態に似ていると終える。いや砂漠以上にそれは希薄だ。つまり泥土の上の、緑の色彩をほどこされた土地というものの幻影に他ならない。

黄泉の犬p34

藤原氏は松本智津夫が「砂漠」を見て育ち、公害を垂れ流すコンビナートを睨んでいたように想像を巡らしている。

高山氏の取材だと、松本家は村で一番最初にTVを購入(1958年)している。
松本智津夫は「エイトマン」「あんみつ姫」を見ていたのではないのか?

「黄泉の犬」は瀬戸内寂聴も絶賛かぁ…
http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php?mode=cal_view&no=20061219

なんだかウンザリする今日この頃



追記
『日常生活を愛する人は?』-某弁護士日記 に「黄泉の犬」についての追加エントリーが2つアップされました。
http://sky.ap.teacup.com/takitaro/347.html
http://sky.ap.teacup.com/takitaro/348.html
公式サイトの、えらく凝った映画予告編風の長編flashに驚く。
連載中からコミックで読んではいたが、知らなかった。

http://flowers.shogakukan.co.jp/barubara.html

3巻発売中…とあるなぁ。(苦笑) その頃から開設してたのか…
ベッドの中でくるくる回転するのは、「14歳の母」より早いな w
ウテナが元ネタなのかな? もっと前から有るのかな?

3巻まで読んでいたときには、まさか次の巻で完結するとは思えなかった。
あまりに登場人物と設定が込み入り、絡まっていくので、もっと長編になるかと思ってた。

第27回日本SF大賞を受賞だけど、読む人を選ぶマンガのような気がする。
世界観というか、「夢の中に入る」という設定をファンタジーじゃなくSFとして受け入れることができるかが、最初のハードルだと思う。

「スター・レッド」かと思ってたら「マージナル」になっていく話が、「海のアリア」の登場人物によって織りなされていく……そんなマンガでした。(意味不明) 
黄泉の犬 藤原新也著 文藝春秋社
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4163685308
この中の麻原の兄へのインタビューの内容が、いろいろ論議を呼んでいる模様。

藤原氏のサイトの日記より
http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php?mode=cal_view&no=20061114

2006/11/14(Tue)
「黄泉の犬」に関し、文春側との意思の確認があった。営業サイドとしては文春で出している本も他社本も「オウム」と名のつくものは惨敗で、昨今ふたたび注目されはじめているインド、アジアものにシフトしたいという意向があったと聞いた。麻原実兄との対話ついての下りは、すべて1995年当時の週刊誌のオウム関連の記事のデスク(彼はこれまでに訴えられたこと数十回、いわば裁判のプロであるとのと)として陣頭指揮にあたった人間に読んでもらっており、その彼が読んで(一部の懸念を残しつつも)「これなら問題ないだろう」という判断を下し出版に踏み切ったとのこと。


2006/11/19(Sun)  新興宗教と市民
http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php?mode=cal_view&no=20061119
で、読者とのメールのやりとりを公開。
松本死刑囚と水俣病の関係の問題についての質問と、その回答。

気になるところを、引用。

いわゆる私たちが認識しているオウム真理教とその犯罪は麻原とその信者が起こした事件であるとともに、小市民が起こした事件でもあると私は認識しております。

 ただし、その集団の前歴が大きな犯罪が関わっていることにより、過剰な監視と、再びの小市民的迫害がなされるなら、また再びその集団がカルト化するおそれは決して皆無ではありません。その時にこそ神格化される麻原は意味を持つわけです。


『日常生活を愛する人は?』-某弁護士日記 に書評がエントリーされる

2006/11/28 「備忘録−麻原彰晃の誕生」
http://sky.ap.teacup.com/takitaro/332.html
2006/11/29 「備忘録−黄泉の犬」
http://sky.ap.teacup.com/takitaro/333.html

藤原さん、よくもまあ、あの程度の材料で書いてしまうものだ、不思議。

著者自身は、重要なことを書いたのに反応がないのはおかしいというように言っておられるようですが、そんな事実関係だから、反応がないのは当たり前でしょう。

軽率極まりない。


藤原さんの反応?
http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php?mode=cal_view&no=20061130

2006/11/30(Thu)
事実を事実として伝えるのみ

また、最近、この本で触れているオーム真理教事件に関して少々の誤解が一人歩きをしているようなので、ひとこと付けくわえておきたい。
私はこの本で麻原彰晃と水俣病の関連に言及しているが、そのことをもってしてオーム真理教とその元教祖の擁護をするという意識はまったくない。私はただ自分が出会った事実を事実として淡々と書いたまでだ。そのことによって麻原の犯した罪が微塵も変わることはありえない。
マスコミがこの本を取り上げないひとつの理由に国家転覆をもくろみ、無差別な殺人を犯した者を、擁護するかに誤解されかねないものには触れたくないということだろうが、またそのことによって天皇問題と同じようにオーム真理教事件問題に別の角度で触れることが今日では暗黙のタブーとなっている現実を知った思いがある。



事実関係についての疑問が出されているのだが、それについての直接の答えにはなっていない。
藤原氏の「現実」の認識にも、疑問が多い。 あまりに主観的すぎるのではないか?


90年代初めのことを、ちょっと回想して、スポンタさんのblogに書いたコメントを再掲
http://plaza.rakuten.co.jp/sponta/diary/200611290000/#comment

パソコン通信時代の思い出

ニフティのフォーラムがオウム関係で荒れた頃というのは、具体的にいえば「ああいえば上祐」がTVで活躍していた頃でしょうか? 場所はfshiminとか?

私がニフティにはまっていたのは、そのちょっと前くらいまでで、そのころはあんまりアクセスして無いので詳しくはないのだけれど…。

90年代初めころ、ニフティに入会してビックリしたのは原理叩きが凄かったことですね。
91年に幸福の科学がフライデーにデモを仕掛けたり、白紙ファックス攻撃していたのを見て、そっちの方がオウムよりも攻撃的な集団という印象を持っていた。

オウムは、地道に教祖の書籍の宣伝をしていたという印象。
fshisoの書評会議室(?)に、盛んに投稿してたのは憶えている。

あちこちで原始仏教とか神秘思想について、いろいろと論じる?勧誘?しているらしいとは感じていたが、私は興味がなかったので、ほとんどスルーしてたなぁ…

在家芸能人の活動が目立っていた幸福の科学(攻撃的)、出家した宗教オタクのオウム(ひ弱・引きこもり)というのが、当時の私の印象だった。

イエスの箱船事件の記憶があるから、「マスコミのフレームアップじゃないか」という疑いも持っていた。

今思うと…複雑な気持ちが有る。
(December 2, 2006 12:30:53)


自コメントについて追記。

私は幸福の科学の活動批判はしてた。 しかしオウムに関しては「空気が読めない奴ら」とは感じていたが、特に批判もせず、おおむねスルーしていた。
「あんまり叩くのも、なんだかなぁ」みたいなことは、書いたような気がする。
読む人によって「擁護」ととられても、しょうがないかもしれない。

選挙については宣伝・布教行為、パフォーマンスとして捉えていたかな。 内田裕也や東郷健と同じレベル。

藤原氏は「小市民がオウムをカルトに追いやった」という認識のようだが、90年代初めのマスコミはオウムに寛容だったのではないか?
当時の事実関係の記述が、主観的にすぎるように思える。
誰かが「追いやった」のではなく、マスコミ・論壇が「背中を押した、容認した」のではないかという気持ちが、個人的に少しはある。

私にとっては「お前もオウム擁護派だったのではないか、島田裕巳、中沢新一の尻馬に乗っていたんじゃないか」といわれた方が、きついかもしれない。
佐々木俊尚氏の本を買ったのはこれが始めて。
ベストセラーだという『グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する』 文春新書は読んでいない。 ついでに言えば梅田 望夫著『ウェブ進化論』も読んでいないな。

ネットに掲載された彼の記事は、そこそこ読んでいると思う。
著者のHP http://homepage3.nifty.com/sasakitoshinao/index.html 
このサイトの「これまでの仕事」に2002年からの仕事のarchiveが有るのだけれど、彼の記事とは意識しないで読んだ記事が、結構あった。

さらに言えば、彼がアスキー在籍時(1999年10月〜2003年2月)には、月刊アスキーを毎月購読していた。

もっと遡れば、1990年代末の毎日新聞(佐々木氏在籍当時)はネット進出に積極的だったような印象がある。
ネット事件も、けっこう取り上げていた。 特集ページが有ったような記憶が… 
3大全国紙の中では弱小なのでネットに賭けていたのかな?
そこで記事を書いていたのだろうか? その縁でアスキー移籍なんだろうか?


この本は、Hotwired のサイトで『佐々木俊尚の「ITジャーナル」』として連載されたものを、再構成したものです。
本の内容を検索してみると、ほほ同じ文章がblogに残っています。 
http://blog.goo.ne.jp/hwj-sasaki/
でも、こうやって『新書』と言う形で活字になると、ここ数年の流れの見通しが、かなりすっきりします。

IT業界界隈の人達への取材がメイン。
「立ち位置」という言葉は2年くらい前(?)から使っていたんだな、なんてことも興味深かった。
技術的な話よりは、IT企業経営者へ元新聞社社会部記者がインタビューしていく話が多い。
BtoB、BtoCビジネスの取材をするとき、「B」の方への取材を積極的にしているけれども、「C」の方の動きや心情が見えていない、という感じがした。

オヤジ系 vs 技術者系の溝は埋まるか
http://blog.goo.ne.jp/hwj-sasaki/e/97037452d02c1ee5f5ee8e397f7a0eb4

この記事での、中古ゲーム問題でユーザーグループと会った話とか

インターネットが取材を変える日
http://blog.goo.ne.jp/hwj-sasaki/e/1e4a7c59538a01659983ad62dd050a02

映画「ロード・オブ・ザ・リング」の日本語字幕問題で、メールで取材した話

これらの「オタク」やネットでの活動をしている人達と佐々木氏の関わり合いを見ていると、「文化が違う」ということを感じる。
会社運営をしている人とは、それなりに通じるところが有るようだが…

最近、佐々木さんがBigBang氏と会ったそうだ。
http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2006/11/post_c402.html

佐々木さんとしては、どうも「連邦軍」と呼ばれるメンバーの言い分というか、何を考えているのかとか、そういうあたりを私から聞くことに関心があったようだ。


元新聞社社会部出身の記者として「大人」の社会の理論・感性の佐々木氏にとっては、ネットで活動する人が、なんとも謎の存在らしい。


『ウェブ2.0は夢か現実か?―テレビ・新聞を呑み込むネットの破壊力』 佐々木俊尚著 宝島社新書
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/479665416X/
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