忍者ブログ
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

『ウェブ2.0は夢か現実か?―テレビ・新聞を呑み込むネットの破壊力』 佐々木俊尚著 宝島社新書
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/479665416X/itmedia-22/ref=nosim/

読んでいる途中だけど、冒頭のエピソードでちょっと驚いたので、とり急ぎ書いてみる。

サンデー毎日2003/1/5-12号(12/24発売)pp.33-35『「ロード・オブ・ザ・リング」の字幕翻訳で大騒動 ハリウッドがあの戸田奈津子氏を解任!?』を記事を書いたのが佐々木氏だったのかぁ
取材経過のメールが公開されて、私も当時読んではいたのだが…

記事本文
http://homepage3.nifty.com/sasakitoshinao/sunday_loadofthering.html

LotR 英語なんでも掲示板
http://herbs.la.coocan.jp/cgi-bin/treebbs/treebbs.cgi
取材のご報告#1(ド・長文) [ハーブ]のツリーにメールのやりとりが公開されています。

コミュニティからも好評をえてました
http://miyako.cool.ne.jp/cgi-bin/treebbs/treebbs.cgi?log=1543


この件に関しての記述は3ページ程。2002年の、ちょっと古い事件ということでサラっと書かれている。
しかし、これはかなり画期的な事件だったと思う。

記事・メールを読むだけでも、ほぼこの事件の概要がわかるけれども、もう少し詳しいことならば。

字幕問題資料棚
http://miyako.cool.ne.jp/LOTR/think/jimaku.html

この事件で充実してしまった、洋画好きならば、いちどはチェックすべき「戸田奈津子wiki」
http://the-thing.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/wiki/wiki.cgi?%B8%CD%C5%C4%C6%E0%C4%C5%BB%D2

彼がこのサンデー毎日の記事を書いていたことを知って、私の中で彼の評価がちょっと高くなって、思わず新書を買ってしまった w



【追記】
新書の記事は、↓の再掲です
http://blog.goo.ne.jp/hwj-sasaki/e/1e4a7c59538a01659983ad62dd050a02
PR
妊娠9週目で有ることが発覚。

9週の胎児を「赤ん坊」と表現。
受精の瞬間が生命の誕生という立場かな。 となると、中絶は殺人という展開かぁ…

雰囲気としては、中絶反対というトーンが強いドラマになりそうな気がするな。
家族の絆がテーマっぽいしなぁ。
少子化対策ドラマのつもりなのかも。


それにしても「できちゃった婚」をテーマとするドラマって、作れ無いのかな?
「14才」という設定はあざとすぎる。 ちょっと不快だ。

基礎知識
19世紀初頭のアメリカでは、中絶に関していかなる法律も存在していなかった。伝統的な慣習法に従い、胎児が魂を吹き込まれ生命を持ちうるのは胎動(quickening)の瞬間からと考えられ、胎動前の中絶は犯罪ではなかった。
医者にとっても、母胎にとっても胎動以前に手術する方が危険が少ない。
ファンです。
wikipediaの記述があまりに簡単すぎるので、私が聞きかじったことその他、いろいろ書いてみる。 

wikipedia(2006/10/03時点での記述)

藤 圭子(ふじ けいこ、本名:宇多田純子 1951年7月5日-)は岩手県一関市生まれ、北海道旭川市育ちの歌手。
『怨歌』と呼ばれるような夜の世界の女の感情を歌った暗く陰鬱な歌で、1960年代終わりから1970年代初めにかけて人気であった演歌歌手。
宇多田ヒカルの実母。前夫は前川清。

幼いころから浪曲歌手の父、三味線瞽女の母の門付に同行し旅回りの生活を送り、自らも歌った。
17才の時にさっぽろ雪まつりのステージで歌う姿が、レコード会社の関係者の目に留まり歌手デビューする事になる。
石坂まさをと組んで、ヒット曲を連発した。
そのヒットから、テレビアニメ『さすらいの太陽』のヒロインのモデルにもなった。
今は歌手を引退して娘の歌手としての活躍ぶりを見守っている。



旧姓:阿部
古くからの関係者は「じゅんちゃん」と読んでいるらしい。
三味線瞽女=盲目の旅芸人 民謡などを主なレパートリーにしてる人。

家族:父、阿部 壮(浪曲師 松平国二郎) 母、阿部澄子(曲師 寿々木澄子) 姉、兄、博(後の歌手藤三郎)。

1954年 
北海道旭川市へ移住 小中学校時代をここで過ごす。
温泉、炭坑、飯場、リゾート(当時はそんな洒落たものじゃないが)への巡業に同行。
初ステージは10歳、歌は畠山みどりの「出世街道」や美空ひばり等

中学3年生で北海道岩見沢市の「岩見沢ホテル喜楽園」の専属歌手になる。
当時の芸名 三条純子

1968年2月
札幌雪まつり(岩見沢かも?)でステージで歌っているところ、スカウト(?)され一家で上京。
作曲家八州秀章氏のもとでレッスンを始める。
夜は浅草・錦糸町界隈で流しをする。
未成年のため、また三味線での伴奏のため母親同伴。

まだカラオケのない時代。8トラ式小型ジュークボックスが飲み屋に普及するのは1971年以降。

「島純子」の名前で「男の仁義」ソノシート初吹き込み。
レコード会社回りするが…メジャーデビューへの道は険しい。

作詞家澤ノ井龍二(後の石坂まさを)に出会う。澤ノ井の家に住み込みレコード会社への売り込みを本格的に開始する。

1969年9月25日
「新宿の女」でデビュー
11月8日
新宿25時間キャンペーンを行う。 西向天神社を出発新宿の盛り場を流して回った。
弱小新興芸能プロダクションならではの、身体を張ったキャンペーン。 

1970年3月5日
1stLP「新宿の女/演歌の星 藤圭子のすべて」発売
1970年4月
「圭子の夢は夜ひらく」がシングルカット。
1970年7月
2stLP 「女のブルース」発売

1stアルバム「新宿の女/演歌の星藤圭子の全て」 2ndアルバム「女のブルース/演歌の星藤圭子」 前川清との競演アルバム「演歌の競演 清と圭子」の3枚連続で42週間連続オリコン・アルバムチャート1位。
シングル中心だった歌謡曲スターのなかでは、LP中心に売れたのも特異。

NHK紅白歌合戦 初出場 「圭子の夢は夜ひらく」歌唱


あまりの大ヒットで、興業など仕切りきれなくなって大手プロダクションに移籍というか譲渡される。
しかし、そこには先輩の陰湿ないじめが…

男性歌手の持ち歌を、女の私が歌うから無問題という理屈で、先輩歌手の歌を勝手に歌っちゃっう仁義を知らない「わがまま娘」でもあったのも一因。
カバー曲が元歌(先輩)より凄かったというのも妬まれる原因に

洋楽好きで、ど演歌路線がイヤだったらしい。
「好きで歌っているんじゃない。仕事で歌ってる」発言で、歌謡界の大御所に嫌われてたらしい。
(だから芸能界内部での不評は、割り引いて聞くべきだと思う。)


1971年6月  前川清と婚約発表。 8月結婚。
1972年8月  前川清と離婚発表

前川清はカトリック。 長崎出身だから子供の頃からなのかな?
そのため離婚するとき、二人でバチカンまで許しを請いに行った。

1974年5月
喉のポリープを手術。 声が綺麗になりすぎた(?)

1979年8月
突然の引退声明 渡米

1981年
芸能界復帰
藤圭似子の名前でドラマ「新海峡物語」に主演。テレビ朝日、毎週木曜夜10時、本人をイメージする役柄・役名だった。共演、芦田伸介、近藤正臣、樋口可南子、 原作五木寛之
同時に主題歌シングル「蛍火」をCBSソニーから発売。

前作「海峡物語」(77年放映)で新人歌手売り出しに賭けた「艶歌の竜」こと高円寺竜三(芦田伸介)が、今度は引退した歌手・藤圭似子のカムバックにかかわってくる実録風ドラマ。(まるで梶原一樹原作のプロレス漫画のようだ)
低視聴率のため13回の予定が11回で打ち切られる。
民衆の怨歌VSアメリカナイズされた音楽ビジネス、ちゅう構図だったが、これが失敗。

1979年には毎日放送製作のドラマシリーズ「木曜座・水中花」原作・五木寛之、主演松坂慶子、主題歌も大ヒットしていたが、既に五木は時代遅れすぎた。

デビュー当時の藤圭子の歌を『怨歌』と名付けたのは五木寛之。
そのため、彼女の歌の幅を狭めてしまった感があるが、さらに再デビューのこの件で、私は五木が嫌いだ。


1982年 NYにて宇多田照實と結婚。
1983年1月19日 NYにて 長女 光 出産。
「ひかる」という名前は、盲目の母に光がさすように付けたという説が有る。

1984年10月 
名前を元の藤圭子に戻し、シングル「蝶よ花よと」をリバースターから発売、11月同名のアルバムも発売。

1986年6月  ポリドールへ移籍
1990年〜  アメリカでインディーズレーベルでアルバム発表
1996月8日  日本クラウンへ移籍


ヒカルを祖母に預け、圭子は営業という時期があった。
夫婦喧嘩でヒカルが祖母の所に避難(?)したことも

宇多田照實とは離婚→再婚4回(?)繰り返す。
夫婦喧嘩(離婚騒動)を有利に運ぶため、梨本に相談(というか夫の悪口をリーク)したこともある。

デビュー当時は歌のイメージのため、テレビ出演のときは笑うなと事務所に言われてたらしい。

大ヒットで大金転がり込んだため家庭崩壊、両親(ひかるの祖父母)が離婚

演歌歌手の場合ヒット1曲で御殿が建つほど稼げたはずなのだが、事務所とのトラブルで金が残らなかった。

金銭管理、自己プロデュースが苦手な人のようだ。

中卒コンプレックスがあったせいか、渡米の理由の一つが「勉強のため」だった。
ヒカルの大学進学なども、中卒コンプレックス解消のためじゃないかとも思える。

阿木燿子・宇崎龍堂コンビの曲も後に歌っているが、もう少し早めにそっちの路線を追求してれば…  内藤やす子みたいになれてたかもと思うが…

北海道つながり、水商売女性の愛唱歌つながり(白いギターつながりも?)で中島みゆきなんかにも挑戦してほしかったかなぁ。

試聴はこちらで (ポップアップを許可する必要有り)
http://www.tsutaya.co.jp/item/music/view_m.zhtml?pdid=20020982

藤圭子 コンプリート・シングル・コレクション 15年の輝石(WMPで試聴可 カバー曲が聴けます)
http://www.co-cfc.co.jp/detail.msp?id=1676

歌謡スター名鑑(デビューがら大ブレイクまでの軌跡)
http://www.ringohouse.com/starFiles/keiko_Folder/keiko.html

映画 藤圭子 わが歌のある限り(1971) (自伝的映画 大ヒットまで)
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD19547/index.html

アニメ『さすらいの太陽』
http://park1.aeonnet.ne.jp/~bee-hp/tv/sasurai/sasurai.htm

1970年 吉祥寺でキャンペーン中の藤圭子
藤圭子 1
藤圭子 2

kiis blue 24 より
http://homepage.mac.com/kiis/blues/blue_24.html
写真はここから 1970年の音楽(jazz、ロック、アイドル等)の話と写真がいっぱい。

【関連】 
藤圭子について
http://londonbridge.blog.shinobi.jp/Entry/192/
http://londonbridge.blog.shinobi.jp/Entry/256/
http://londonbridge.blog.shinobi.jp/Entry/257/
印象に残っている映画のひとつ

「暗殺」1966・松竹  監督:篠田正浩 丹波哲郎(清河八郎)


「幕末で一番頭が良かった男」という描かれ方がはまっていたなぁ。

篠田監督最後の作品「スパイ・ゾルゲ」は、この作品の戦中版リメイクだと思う。

【追記】
ワイドショーやネットで霊界話がメインになるのが、ちょっとイヤな感じ。
映画のシーンがあんまり流れなかったことが残念。 バラエティ、キーハンター、Gメンばかりというのがなぁ

テレビ局スタッフがそういう年齢なのか? 映画だと著作権等がネックになっているのか?
映画スターとしての丹波追悼番組というのが観たいのだが…

しかしまぁ、邦画の大作には殆どゲスト出演しているような気もするのが、凄いところでもある。 どマイナー映画を始め500本以上に出ているからなぁ…

新内閣発足と重なるのも、何かの縁かも。
なんとなく世代交代という雰囲気かなぁ
死国

出演:夏川結衣 筒井道隆  監督:長崎俊一

1999年当時「リング2」と同時上映、ポスターは栗山千秋
プログラムピクチャー会社としての角川は貴重だと思ってはいるが、そのためにちょっと損をしている映画かな。 宣伝では栗山千秋しか思い出せない。

主演の二人の美男美女コンビは綺麗に撮れているし、ロケの映像もそこそこ綺麗。
こういう映画はコンスタントに作られるべきだと思うな。

原作を読んだときは、ラストが石鎚山で大SFX映画にでもなっているかと思ったが…実際はこぢんまりとした感じ。 というか、セットが安っぽいなぁ。

前半は古典的怪談風で手慣れた感じだけれど、後半の伝記的部分がうまく繋がっていない。
佐藤允がやっていた修験者役はいらなかったのじゃないだろうか。
代わりに日浦康鷹(栗山千秋の父親役)大杉漣に、原作本来の活躍させた方がよかったような気がしたなぁ。



狗神 INUGAMI

出演:天海祐希 渡部篤郎 山路和弘  監督:原田眞人

第51回ベルリン国際映画祭コンペティション出品作品(2001)かぁ…何を勘違いしてるのか…
原作をそれなりにうまくアレンジし、先祖は平家落人という設定で先祖祭りは甲冑姿とか、部分的にはうまいとは思うが、全体としては散漫だったかなぁ。
結末を変えてはいるが、失敗。 意味不明になってしまった。
無駄に裸を出し過ぎ、その割に天海さんの露出は控えめ…

役者さん達の熱演は見応え有り。 超ベテラン藤村志保、淡路恵子もはまってはいるけれど…

天海さんが、最初は白髪を気にするような「中年女性」から、どんどん若く綺麗になっていくのに対して、渡部篤郎が中途半端なのが一番良くないのかも。 
彼は最初から最後まで「凡庸な二枚目のいい人」でしかなかった。 物語の鍵を握る人物なのだから、狂気・色気・野生のどこか特出したモノを出してほしかった。
Copyright ©  -- 倫敦橋の隠れ里 --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Material by 妙の宴
powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]