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赤毛のアンシリーズには、昔はまってたなぁ。
新潮文庫の村岡花子訳で全部読んだ。
そもそもアニメの再放送を見たのがきっかけだった。
アニメの初期段階に宮崎駿が関わっていた。声優オーディションで最後まで主人公役を山田栄子と島本須美が争い、後の宮崎ヒロインとしてのきっかけとなった、というのは有名。
松本侑子が、英米文学からの引用をときあかした訳注つき全文訳『赤毛のアン』シリーズを出している。
やりすぎと思えるくらい、非常にきめ細かくやってる。 とうとうこんなサイトまで作ってしまった。
赤毛のアン電子図書館
http://homepage3.nifty.com/office-matsumoto/an.htm
松本さんは前世紀から自分のHPをもって、日記を公開してました。
そこで出版社とのトラブル報告をしてて、ものすごく面白かった。
1996年に松本侑子『罪深い姫のおとぎ話』(角川書店)が出版されます。 これはグリム童話のパロディ寓話集。
ちょっと遅れて「本当は恐ろしい グリム童話」桐生操 KKベストセラーズが出版されるが、その中に松本さんの作品からの盗用が見つかる。 そして、それがそのまま角川文庫になりそうになる。
それで、いろいろ各方面とあれこれやるのだが…
ペンクラブ所属の弁護士に著作権で相談したのだが、全然話にならない。実はその弁護士は2代目で、最初は父親が担当していたのをそのまま引き継いだだけだったとか…
編集者とか翻訳者仲間の話など、出版界の内幕がチラホラと…
まとめサイト、検証サイトも充実してたな。
桐生操みたいなお手軽なアンソロジーじゃなく、原典や一次資料にあたらなければいけないな、実は原典の方がずっと面白いな、と改めて感じた事件でもあった。
小倉千加子『「赤毛のアン」の秘密』も読んだなぁ。
この当時の小倉さんの手法は、小説の主人公と作者を故意に一体化させて論じる方法論だった様に思う。
この本だったかなぁ、雑誌連載だったか(イマーゴ?)は、エミリー・シリーズの主人公と作者モンゴメリを同一視したような評伝になっていたような記憶が…
この手法で小倉さんは大やけどしちゃったりする。
いま調べてみたら1994年かぁ。
『文藝』に発表した「幼形成熟の復讐」で松浦理英子さんが激怒。 松浦さんが小倉さんを「殺してやります」と、週刊文春に書いてしまったりする。
小倉さんが松浦さんの一連の小説の主人公を、作者本人のように論じちゃった、という話だったと記憶。
赤毛のアンといえば、アンは養子。 マシューとマリラは姉弟の独身者なんだよなぁ。
(ん? この話題は見えないトラックバックか?)
ふと羽田空港不審者侵入で思い出したこと。 1969年9月4日羽田空港侵入火炎瓶投擲事件
http://www12.ocn.ne.jp/~chi0010/haneda.htm
新潮文庫の村岡花子訳で全部読んだ。
そもそもアニメの再放送を見たのがきっかけだった。
アニメの初期段階に宮崎駿が関わっていた。声優オーディションで最後まで主人公役を山田栄子と島本須美が争い、後の宮崎ヒロインとしてのきっかけとなった、というのは有名。
松本侑子が、英米文学からの引用をときあかした訳注つき全文訳『赤毛のアン』シリーズを出している。
やりすぎと思えるくらい、非常にきめ細かくやってる。 とうとうこんなサイトまで作ってしまった。
赤毛のアン電子図書館
http://homepage3.nifty.com/office-matsumoto/an.htm
松本さんは前世紀から自分のHPをもって、日記を公開してました。
そこで出版社とのトラブル報告をしてて、ものすごく面白かった。
1996年に松本侑子『罪深い姫のおとぎ話』(角川書店)が出版されます。 これはグリム童話のパロディ寓話集。
ちょっと遅れて「本当は恐ろしい グリム童話」桐生操 KKベストセラーズが出版されるが、その中に松本さんの作品からの盗用が見つかる。 そして、それがそのまま角川文庫になりそうになる。
それで、いろいろ各方面とあれこれやるのだが…
ペンクラブ所属の弁護士に著作権で相談したのだが、全然話にならない。実はその弁護士は2代目で、最初は父親が担当していたのをそのまま引き継いだだけだったとか…
編集者とか翻訳者仲間の話など、出版界の内幕がチラホラと…
まとめサイト、検証サイトも充実してたな。
桐生操みたいなお手軽なアンソロジーじゃなく、原典や一次資料にあたらなければいけないな、実は原典の方がずっと面白いな、と改めて感じた事件でもあった。
小倉千加子『「赤毛のアン」の秘密』も読んだなぁ。
この当時の小倉さんの手法は、小説の主人公と作者を故意に一体化させて論じる方法論だった様に思う。
この本だったかなぁ、雑誌連載だったか(イマーゴ?)は、エミリー・シリーズの主人公と作者モンゴメリを同一視したような評伝になっていたような記憶が…
この手法で小倉さんは大やけどしちゃったりする。
いま調べてみたら1994年かぁ。
『文藝』に発表した「幼形成熟の復讐」で松浦理英子さんが激怒。 松浦さんが小倉さんを「殺してやります」と、週刊文春に書いてしまったりする。
小倉さんが松浦さんの一連の小説の主人公を、作者本人のように論じちゃった、という話だったと記憶。
赤毛のアンといえば、アンは養子。 マシューとマリラは姉弟の独身者なんだよなぁ。
(ん? この話題は見えないトラックバックか?)
ふと羽田空港不審者侵入で思い出したこと。 1969年9月4日羽田空港侵入火炎瓶投擲事件
http://www12.ocn.ne.jp/~chi0010/haneda.htm
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笑えて泣ける、綺麗な風景が印象深い映画だった。
セルビア国境近くドリナ川が流れる山岳地帯の風景が、本当にきれいだ。
平凡な鉄道員の夫、アレルギー保ちで療養中のオペラ歌手の妻、有名サッカークラブのオファーを待つ息子、幼なじみの軍人、親戚の市長、郵便配達人、若いムスリムの看護婦、いい味出してる動物たち etc. 人物設定も楽しい。
たしかに寓意を読み取ろうと思えば、いくらでも仕掛けがありそうなのだが、それを抜きにしても充分に面白い。 ただ、有る程度予備知識がないと前半の描写は長すぎると感じちゃうかも。
この監督の映画は「アンダーグラウンド」しか見ていなかったけれど、題材が1992年ボスニアの田舎町ということで、ちょっと構えていたのだが、いい意味で裏切られた。
当時の状況を普通に描写するだけで微妙にシュールな雰囲気なるために、突拍子のない設定は必要なかったのかもしれないな。 いちおう実話を基にした映画ということになっている。
トンネルが完成したばかりでまだ列車は通らないので、手押しトロッコを使ってピクニックとか郵便配達するのが妙にほのぼのとして愉快。
そのうち戦争が激化するにつれ、様々な物(武器やら密輸物資、捕虜、麻薬なんかも)が鉄道で運ばれだして、やがて攻撃目標にもされたりするのだが…
時期柄サッカーについて。
主人公の息子はベオグラード・パルチザンのジュニアに以前所属していて、そこからのオファーを期待して田舎チームで頑張っているという設定。 忘れられてるのでは、と不安を口にする息子に友人が答える。
「ベオグラードの監督は物覚えがいい」
この監督は、オシム氏のことだったりする。
父と息子の会話。
息子「ナポレオンの試合の勝因は」
父 「戦争だろ?」
息子「そう 彼は敵の前線に自軍がいつ達するか計算して戦った。 速さが命だ」
オシム監督は一貫して「賢く走る」サッカーを言っていたんだろうな。
スタジアム乱闘シーンも、どことなく有名な実話を髣髴とさせる。
ベオグラード・パルチザンのオファーを待っていたのに、代わりに召集令状が届くというのは、パルチザンの意味を思うと笑うしかないジョークだ…
日本の鉄道普及率に対しての言及、「"ヒロシマ後"は もう理論はない」という軍人の言葉など、日本への微妙な親近感(?)もあったりする。 おそらく極東軍事裁判とも、これから比較されるのかもしれないな。
戦争を背景とした普通の恋愛映画としても面白いし、風景が美しいし、ロバ・猫・犬・クマ・家禽などの動物も楽しい。
あれこれ寓意を読み取るのも、また勝手だろうけれど、とにかくいい映画でした。
「ライフ イズ ミラクル」
http://www.gaga.ne.jp/lifeismiracle/
これがオフィシャルサイトにトラックバックされれば、私もブログ・ジャーナリストだぞっと(謎
セルビア国境近くドリナ川が流れる山岳地帯の風景が、本当にきれいだ。
平凡な鉄道員の夫、アレルギー保ちで療養中のオペラ歌手の妻、有名サッカークラブのオファーを待つ息子、幼なじみの軍人、親戚の市長、郵便配達人、若いムスリムの看護婦、いい味出してる動物たち etc. 人物設定も楽しい。
たしかに寓意を読み取ろうと思えば、いくらでも仕掛けがありそうなのだが、それを抜きにしても充分に面白い。 ただ、有る程度予備知識がないと前半の描写は長すぎると感じちゃうかも。
この監督の映画は「アンダーグラウンド」しか見ていなかったけれど、題材が1992年ボスニアの田舎町ということで、ちょっと構えていたのだが、いい意味で裏切られた。
当時の状況を普通に描写するだけで微妙にシュールな雰囲気なるために、突拍子のない設定は必要なかったのかもしれないな。 いちおう実話を基にした映画ということになっている。
トンネルが完成したばかりでまだ列車は通らないので、手押しトロッコを使ってピクニックとか郵便配達するのが妙にほのぼのとして愉快。
そのうち戦争が激化するにつれ、様々な物(武器やら密輸物資、捕虜、麻薬なんかも)が鉄道で運ばれだして、やがて攻撃目標にもされたりするのだが…
時期柄サッカーについて。
主人公の息子はベオグラード・パルチザンのジュニアに以前所属していて、そこからのオファーを期待して田舎チームで頑張っているという設定。 忘れられてるのでは、と不安を口にする息子に友人が答える。
「ベオグラードの監督は物覚えがいい」
この監督は、オシム氏のことだったりする。
父と息子の会話。
息子「ナポレオンの試合の勝因は」
父 「戦争だろ?」
息子「そう 彼は敵の前線に自軍がいつ達するか計算して戦った。 速さが命だ」
オシム監督は一貫して「賢く走る」サッカーを言っていたんだろうな。
スタジアム乱闘シーンも、どことなく有名な実話を髣髴とさせる。
ベオグラード・パルチザンのオファーを待っていたのに、代わりに召集令状が届くというのは、パルチザンの意味を思うと笑うしかないジョークだ…
日本の鉄道普及率に対しての言及、「"ヒロシマ後"は もう理論はない」という軍人の言葉など、日本への微妙な親近感(?)もあったりする。 おそらく極東軍事裁判とも、これから比較されるのかもしれないな。
戦争を背景とした普通の恋愛映画としても面白いし、風景が美しいし、ロバ・猫・犬・クマ・家禽などの動物も楽しい。
あれこれ寓意を読み取るのも、また勝手だろうけれど、とにかくいい映画でした。
「ライフ イズ ミラクル」
http://www.gaga.ne.jp/lifeismiracle/
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予選10試合での失点はわずか1点なのに、まさか1試合で6点も失点するとは、というセルビアモンテネグロだが…
旧ユーゴからはだいぶ小さくなった「ユーゴスラヴィア連邦共和国」がセルビア・モンテネグロに改名、そしてモンテネグロが正式国名「ツルナ・ゴーラ共和国」として独立が決まった。
ユーゴスラビアが本当になくなってしまうのだなぁ。
そこで、ちょっと前によんだ本。
「ユーゴスラヴィア:多民族戦争の情報像」岩田昌征:お茶の水書房
一般的な大きさじゃなくて15.5*20.0?と微妙に収まりが悪い。
内容は以下のところが詳しいです。
http://ima-ikiteiruhushigi.cocolog-nifty.com/yugoslavia/2005/01/post_1.html
旧ユーゴ時代からの経済関係から説き起こして、あれほどの戦争に至った原因を「階級形成闘争」という概念で解き明かしていく。
なぜ他の東欧諸国のように「ビロード革命」で収まらなかったのか、
なぜセルビアがこれほどまでに悪役にされてしまったか、
などについて現地新聞や現地取材を通して探っている。
「文明の衝突」とか、単純な正義感や人権感覚だけでは旧ユーゴは語れない。 「わかりやすい」ということは危ない、と思った本だった。
「なぜ戦争は終わらないか―ユーゴ問題で民族・紛争・国際政治を考える」千田 善
これは、同じ著者の「ユーゴ紛争―多民族・モザイク国家の悲劇」(講談社現代新書)がけっこうよかったので期待していたのだが…
これは、ちょっと「わかりやすすぎる」きらいが有るんだよなぁ。
まぁ、ピースボートでの講演が元なので、そっち方面に振れすぎてる印象だった。
「国際政治」と大きなテーマを書くよりも、きめ細かく旧ユーゴ関係を追って欲しいのだけどなぁ。
「ドリナの橋」イヴォ・アンドリッチ
もしも旧ユーゴを旅することが有ったら、ここを訪ねてみたいと思った。
そのまえに世界史を勉強し直す必要があるかも、というくらいの大河小説。というか橋に関わった人たちの群像小説。
誰か新たな人が、次の一章を書き加えるのだろうかなぁ。
ちなみに旧・ユーゴスラビアただ一人のノーベル文学賞受賞作家です。(故人)
旧ユーゴからはだいぶ小さくなった「ユーゴスラヴィア連邦共和国」がセルビア・モンテネグロに改名、そしてモンテネグロが正式国名「ツルナ・ゴーラ共和国」として独立が決まった。
ユーゴスラビアが本当になくなってしまうのだなぁ。
そこで、ちょっと前によんだ本。
「ユーゴスラヴィア:多民族戦争の情報像」岩田昌征:お茶の水書房
一般的な大きさじゃなくて15.5*20.0?と微妙に収まりが悪い。
内容は以下のところが詳しいです。
http://ima-ikiteiruhushigi.cocolog-nifty.com/yugoslavia/2005/01/post_1.html
旧ユーゴ時代からの経済関係から説き起こして、あれほどの戦争に至った原因を「階級形成闘争」という概念で解き明かしていく。
なぜ他の東欧諸国のように「ビロード革命」で収まらなかったのか、
なぜセルビアがこれほどまでに悪役にされてしまったか、
などについて現地新聞や現地取材を通して探っている。
「文明の衝突」とか、単純な正義感や人権感覚だけでは旧ユーゴは語れない。 「わかりやすい」ということは危ない、と思った本だった。
「なぜ戦争は終わらないか―ユーゴ問題で民族・紛争・国際政治を考える」千田 善
これは、同じ著者の「ユーゴ紛争―多民族・モザイク国家の悲劇」(講談社現代新書)がけっこうよかったので期待していたのだが…
これは、ちょっと「わかりやすすぎる」きらいが有るんだよなぁ。
まぁ、ピースボートでの講演が元なので、そっち方面に振れすぎてる印象だった。
「国際政治」と大きなテーマを書くよりも、きめ細かく旧ユーゴ関係を追って欲しいのだけどなぁ。
「ドリナの橋」イヴォ・アンドリッチ
もしも旧ユーゴを旅することが有ったら、ここを訪ねてみたいと思った。
そのまえに世界史を勉強し直す必要があるかも、というくらいの大河小説。というか橋に関わった人たちの群像小説。
誰か新たな人が、次の一章を書き加えるのだろうかなぁ。
ちなみに旧・ユーゴスラビアただ一人のノーベル文学賞受賞作家です。(故人)
最近70年代以降の事が気になってきたので、ちょっと各時代論のようなものを読んでいた。
七〇年代:坪内祐三「一九七二」
八〇年代:吉崎 達彦「1985年」 堀井憲一郎「若者殺しの時代」
九〇年代は、ついつい2005年12月号「特集 1990年代論 規律から管理へ」を選んでしまったのだが…
読み通すことが苦痛だった。 社会党共産党新左翼の機関誌を読まされている印象。
というか、まぁね なんていうか 無惨な感じ。
同じ出版社の雑誌ユリイカはそれなりに時流に乗って、まぁ気になる特集もあるのに、何故こんな執筆者たちを集めてしまうのだろうか?
ニューアカのあとに人材・人脈が枯渇してしまったのだろうか?
古典的な左翼用語を使って、なにやら分析しているがまるで届かない。
冒頭の酒井隆史はドラマ「ケイゾク」を分析しているが、これがそれほど意味がある考察なんだろうか? 90年代を象徴するドラマだったのか?
平井玄は映画「赤軍ーPFLP 世界戦争宣言」から段ボールハウスペインティングなどを論じているが、自身の運動論に酔っているとしか思えない。 そんなに資本主義が嫌いなのか?
倉数茂、日本の言語空間と対置されるべき「アジア」の実態がまるで無いのではないか。理念の中にしか存在していない「アジア」
で、ググってみると1969年生まれかぁ。写真について論じてるのをちょっと読んでみたけれど、たいしたこと無い、ただの若手という印象。
渡辺治。60年安保の時に中2だったというから、もろに全共闘世代。
軍事大国化批判・新自由主義批判が未だに有効だと思っているとは
毛利嘉孝 1963 年生まれかぁ。
ダンボールハウスとフリーターがキーワードなのだが、なんかずれている。
なぜこんなに素朴に政治が語れてしまうのだろうか? 美術評論もやっているのは倉数と同じだけれど、政治と芸術を語る言葉がなぜこんなに素直に反戦・反政府にずれていくのだろうか? なぜ、こんな風に反戦運動を持ち上げることが出来るのだろうか?
それこそ、戦前に芸術家・文化人が総動員されたことのネガのようにも思う。
道場親信 1967年愛知県生 まぁ、こうやって経歴を調べていくと、年齢というのはそれほど意味がないという気がしてくるな。 92年の牛歩戦術に呼応してデモに参加か。
これは政治状況の記述としては、まぁ違和感がない論文。
山の手緑
1970年生まれ。『現代思想』『文藝』などでアクティヴでラジカルな発言で注目を集めるダメ連周辺の“共産党ユニット”。退屈お手上げ会議、自由民権運動・ラジカル九州、投票率ダウン・キャンペーン……ググって周辺情報から抜き出したが、ものすごく脱力する。何処がラジカルなんだろうか? 単純に馬鹿だろ。 なんで連載させてるの? 色もの担当?
そうかぁ、70年代生まれでもサヨクになれるんだなぁ。日本の「サヨク」の伝統はちゃんと継承されているのだなと、妙なところで感心する。
七〇年代:坪内祐三「一九七二」
八〇年代:吉崎 達彦「1985年」 堀井憲一郎「若者殺しの時代」
九〇年代は、ついつい2005年12月号「特集 1990年代論 規律から管理へ」を選んでしまったのだが…
読み通すことが苦痛だった。 社会党共産党新左翼の機関誌を読まされている印象。
というか、まぁね なんていうか 無惨な感じ。
同じ出版社の雑誌ユリイカはそれなりに時流に乗って、まぁ気になる特集もあるのに、何故こんな執筆者たちを集めてしまうのだろうか?
ニューアカのあとに人材・人脈が枯渇してしまったのだろうか?
古典的な左翼用語を使って、なにやら分析しているがまるで届かない。
冒頭の酒井隆史はドラマ「ケイゾク」を分析しているが、これがそれほど意味がある考察なんだろうか? 90年代を象徴するドラマだったのか?
平井玄は映画「赤軍ーPFLP 世界戦争宣言」から段ボールハウスペインティングなどを論じているが、自身の運動論に酔っているとしか思えない。 そんなに資本主義が嫌いなのか?
倉数茂、日本の言語空間と対置されるべき「アジア」の実態がまるで無いのではないか。理念の中にしか存在していない「アジア」
で、ググってみると1969年生まれかぁ。写真について論じてるのをちょっと読んでみたけれど、たいしたこと無い、ただの若手という印象。
渡辺治。60年安保の時に中2だったというから、もろに全共闘世代。
軍事大国化批判・新自由主義批判が未だに有効だと思っているとは
毛利嘉孝 1963 年生まれかぁ。
ダンボールハウスとフリーターがキーワードなのだが、なんかずれている。
なぜこんなに素朴に政治が語れてしまうのだろうか? 美術評論もやっているのは倉数と同じだけれど、政治と芸術を語る言葉がなぜこんなに素直に反戦・反政府にずれていくのだろうか? なぜ、こんな風に反戦運動を持ち上げることが出来るのだろうか?
それこそ、戦前に芸術家・文化人が総動員されたことのネガのようにも思う。
道場親信 1967年愛知県生 まぁ、こうやって経歴を調べていくと、年齢というのはそれほど意味がないという気がしてくるな。 92年の牛歩戦術に呼応してデモに参加か。
これは政治状況の記述としては、まぁ違和感がない論文。
山の手緑
1970年生まれ。『現代思想』『文藝』などでアクティヴでラジカルな発言で注目を集めるダメ連周辺の“共産党ユニット”。退屈お手上げ会議、自由民権運動・ラジカル九州、投票率ダウン・キャンペーン……ググって周辺情報から抜き出したが、ものすごく脱力する。何処がラジカルなんだろうか? 単純に馬鹿だろ。 なんで連載させてるの? 色もの担当?
そうかぁ、70年代生まれでもサヨクになれるんだなぁ。日本の「サヨク」の伝統はちゃんと継承されているのだなと、妙なところで感心する。