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2005年9月のShinya talkを読んでいる。 選挙まっただ中である。
この中の1枚の写真が、ちょっとネットで話題になっていたようだ。
電車内で座り込む女子高生達


9月19日に藤原新也氏は「乙女年齢の子が自身をゴミ化するような状況」と言葉は辛辣に書くが、彼女たちをそれほど非難はしていない。
おそらく「渋谷」という本は、この写真の少女達の内面に迫ろうとして書かれた本なのだろう。

ネットの感想をちょっと追いかけた。

四畳半寝太郎:まなざしと美醜〜「醜い」女子高生に思う〜
http://slumber365.blog2.fc2.com/blog-entry-151.html
カトラー:きみは電車女を見たか?
http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2005/10/post_53db.html
木村剛:「電車女」に耐えられない時代遅れ(?)のオジンたち
http://kimuratakeshi.cocolog-nifty.com/blog/2005/11/post_7e19.html
貞子ちゃんの連れ連れ日記:『電車男』は昔からいました♪(男性学事始)
http://diary.jp.aol.com/uvsmfn2xc/275.html 

カトラー氏の語るd電車女を始めとして 『若い女の子現象』になると 男の人のブロガーは すこぶる切れが悪くなるのですけど なぜ。

ただの時間節約とただの反抗期なんじゃない????



昔の旧制高校的「バンカラ」の現代的少女的噴出という面があるのかな、などと思ったりもするが、よくわからないな。


ぜんぜん関係ない話題でのエントリーなのだが、私が藤原新也氏に感じる鬱陶しさってのに近いような気がしたので、ちょいと引用。

仲俣暁生:ピテカントロプスは「鹿鳴館」だった!?〜宮沢章夫の東大「80年代」講義
http://d.hatena.ne.jp/solar/20060720/p1

興味深いのは、大塚英志が彼の本のなかで、自分に都合よく位置づけた観のある「岡崎京子」(的なもの)を、宮沢章夫もまた、もうひとつの「80年代」の側に置こうとしていることだ。そもそも「おたく」なる差別語が、中森明夫が「岡崎京子」的なるものを自陣営の側に引き込むために編み出されたものだった、と私は考える。大塚、中森、宮沢といったひとたちが、自分の言葉ではなく、自分より若い世代の「オンナノコ」の感性に託すことで表現したかったこととは、いったい何だったんだろう。岡崎京子と同学年の私には、それがよくわからないし、わからないがゆえに、彼らの言説が鬱陶しい。




それはさておき、2005年9月のShinya talk は選挙に関する感想がメイン。
女刺客を「自民コンパニオン」、「マンバみたいな扇千景」と書き、山古志村村長・長島忠美を「”恥ずかしい”を通り越して人間のクズである。」とまで書いている。
酔っぱらい還暦オヤジの戯言レベルになっているなぁ。



ちなみに、カトラー氏が藤原新也氏の写真を掲載したら、本人から(?)クレームが来たらしいが… 此処ではどうなるだろうかな?
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