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ヘルマン・ヘッセというと、日本では初期の小説である「車輪の下」が、何故か一番人気だ。
受験戦争・学校への反抗の話が出ると、必ず誰かが言及しているような印象がある。

その他にも、ヘッセの初期の小説は少女マンガというか24年組のギムナジウムモノの元ネタ(?)となったりもしている。 アニメ「少女革命ウテナ」(1997年)にも「デミアン」からの一節が引用されてたりとか、根強い人気がある。

ヘッセの作風は、第一次大戦後、「デミアン」以降からかなり変わっていく。
雑に言えば現代文明批判が前面に出て、学園小説では無くなってきたとでも言うか…(「デミアン」は、まだ学園モノではあるけれど)…東洋への憧れとか、ユング心理学の影響が強くなってくる。

1960年代のアメリカの若者にも、ヘッセは大流行。 日本と違って、「デミアン」以降の後期の作品が人気だった。
小説「荒野の狼」をそのままバンド名にしちゃうグループが出て、大ヒットを飛ばしたりもする。

Born to be Wild The Steppenwolf
http://www.youtube.com/watch?v=Od93fFqGEok
エド・サリバンショーに出たときの映像。Views数が一番多いようなので。

「荒野の狼」のあらすじは、ぶっちゃけて言えば、中年男がGALに会うという話。 (端折りすぎ)


さて藤原新也は、2000年に浜崎あゆみと仕事をしている。 彼女の詞と藤原の写真とのコラボレート。
今年には、また別の若手女性シンガーソングライターとの仕事を発表するようだ。
何故そういう仕事をするかが謎だったが、藤原新也が自身を密かに「荒野の狼」と自認しているとするならば、すんなり理解できそうな気がする。

そうだとすると、分かり易すぎ、古典的過ぎるような気もするけれども。

【参考】

藤原新也を熱く語る松岡正剛
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0160.html

ヘッセは、松岡正剛も田口ランディも大好きみたい
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0479.html

田口ランディは藤原新也を崇拝(?)してるみたいだし
http://runday.exblog.jp/4953124/
http://runday.exblog.jp/4993212/
http://runday.exblog.jp/5181412/

浜崎あゆみ - goo 音楽
浜崎あゆみ - goo 音楽

浜崎あゆみの作詞法のガイドライン part4だよね
http://ex13.2ch.net/test/read.cgi/gline/1147361146/


「荒野の狼」のなかでのヘルミーネの言葉 (ちょっと長い)



「あなたは心のなかに人生像を描いていました。信仰を抱き、要求を持っていました。行動し、苦しみ、犠牲を払う用意をしていましたーーところがだんだんに気がついてみると、世間はあなたから、行動や犠牲などはいっこうに要求しないし、人生というものも、英雄的な役割とかそういったもののある、気高い勇ましい詩ではなくて、市民的な、居心地のよい部屋であり、そこで人は食べたり飲んだり、コーヒーを飲んだり靴下をつくろったり、カルタをやったり、ラジオ音楽を聞いたりして、すっかり満足しているのです。もっと別なことを望んで、もっと別なものを心のなかに持っている人、つまり英雄的で、美しいものとか、偉大な詩人に対する尊敬とか、聖者に対する尊敬とかを、望んだり持ったりしている人は、道化だし、騎士ドン・キ・ホーテだというわけです。そうです、あなた、わたしの場合もそれと寸分たがわなかったのです。わたしは、すぐれた才能にめぐまれた娘で、高い理想に従って生き、高い要求を自分に課して、尊い使命を果たすように定められていました。大きな運命をになうことができたのです。王様の妻や、革命家の恋人や、天才の妹や、殉教者の母にもなれるところでした。ところが、人生がわたしに許してくれたのは、まあわりに趣味のいい、といった遊び女になることだけでしたーーそれだけでも、やっとのことで許されたのです! これがわたしのたどった道でした。わたしはしばらくのあいだ、なんの希望もなくなり、長いことその罪を、自分の身にさがしまわっていました。人生というものは、結局のところいつも正しいものにちがいない、その人生が、わたしの美しい夢をあざ笑っているのならば、それならばほかならぬわたしの夢自身が、おろかであり、まちがっていたのだろう、とそんなふうにわたしは考えたのです。でも、そう考えてみても、なんの役にもたちませんでした。(…)わたしの知りあいとか、となりの人たちとか、五十人やそれ以上の人たちとその運命とを、よく見つめてみたわけです。するとわたしにはわかったのです、ハリー、わたしの夢の方が正しかったのだ、と。あなたの夢と同じに、夢のほうがずっと正しかったのです。人生のほうが、現実のほうが、まちがっていたのです。わたしのような女が、タイプライターの前にすわって、かねの亡者に仕えながら、あわれに無意味に年をとっていったり、あるいはその金の亡者と、おかねのために結婚したりするか、それともまたは一種の娼婦になりさがるかするほかに、なんの道もないのだということは、まったくまちがったことです。それはあなたのような人が、ただ一人、気おくれしながら絶望して、剃刀に手をのばさなければならなくなるのとおなじように、まちがっていることです。わたしの場合の不幸は、より物質的で道徳的であり、あなたの場合は、より精神的かもしれませんーーでも道はおんなじです。わたしには、あなたがフォックストロットをこわがったり、バーやダンスホールをきらったり、ジャズ音楽や似たようなありとあらゆるがらくたに対して反抗したりするのが、わからないとでも思いますか? わたしには、わかりすぎるくらいにわかっているのです。政治に対するあなたの嫌悪も、政党や新聞の、おしゃべりや無責任なゼスチュアに対するあなたの悲しみも、今度の戦争や、これからくる戦争に対して、それからまた今時の人が考えたり読んだり、建設したり、音楽をやったり、お祭りを祝ったり、教養をつんだりするそのやり方に対して、あなたの抱く絶望も、みんなよくわたしにはわかります。正しいのはあなたなんです。荒野の狼さん、あなたが絶対に正しいのです。でも、それでもあなたは没落しなければなりません。この単純で、安逸で、ほんのわずかなものに満足している今日の世界に対して、あなたはあまりにも要求が多すぎ、欲求が強すぎます。世界はあなたを吐き出してしまいます。あなたはこの世界のためには、ひとまわり容積が大きすぎます。今の時代に生きてゆこうと望み、生きてゆくことを喜びたいと思うなら、あなたやわたしのような人間になってはならないのです。雑音のかわりに音楽を、楽しみごとのかわりに心からの喜びを、おかねのかわりに魂を、盲目的な仕事のかわりに真実の仕事を、たわむれのかわりにほんとうの情熱を要求する人にとっては、この小ぎれいな世界は、故郷ではないのです……」

辻ひかる訳
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無題
投稿者:JN HP 2007/01/13 13:06 EDIT
え、そうなんですか、わたしヘッセ大好きです。そんな関係があるなら、視野をひろげてみようかな。
無題
投稿者:倫敦橋 HP 2007/01/14 01:38 EDIT
藤原新也がヘッセを読んでいて、それを意識しているかわかんないけれど
読み手は、ヘッセと似たようなモノを求め、受け取ってるという印象が有るなぁ
魂の遍歴とか、いろいろと。 

ayuにも、どこかヘッセの影響が有るような印象が。
引用した部分をいろいろいじれば、歌詞をいくつか作れそうな気もする
          
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