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![]() | Addicted To You 宇多田ヒカル (1999/11/10) 東芝EMI この商品の詳細を見る |
オフィシャルサイト
http://www.richardavedon.com/
死ぬまで現役バリバリだった。
雑誌だとThe New Yorker Magazine、広告では H&M ・ CEO ・ Kenneth Cole ・ Barely There ・ Bill Blass ・ Levi's ・ Club Monaco ・ Dior でオサレな人は知ってるような気もするが…宇多田経由でしか、若者には知られていない予感も。
Calvin Klein の広告も印象に残ってるが、ネットでなかなか見つからない。
私が一番最初に衝撃を受けたのが、マリリン・モンローのポートレートだった。

Marilyn Monroe, New York, May 6, 1957
vip、セレブは、たいてい撮られていたような気がする。
若いラムズフェルド
http://www.artnet.com/artwork/161759/_Richard_Avedon_Donald_Rumsfeld_Secretary_of_Defense_Washington_DC_May_7_1976.html
ブッシュ父 CIA長官当時
http://www.artnet.com/artwork/161758/_Richard_Avedon_George_Bush_Director_CIA_Langley_Virginia_March_2_1976.html
水俣・写真とくると、ユージン・スミスも忘れられないなぁ。
水俣の写真が6枚掲載されてるページ。
http://www.geocities.com/minoltaphotographyw/williameugenesmith.html
その次のページに、代表的な写真が載ってます。
藤原新也の写真の軌跡をたどるなら、↓がオフィシャルサイトよりも充実してる。
http://orz.sankinkoutai.com/
アサヒグラフに初登場時、月刊プレイボーイ(全東洋街道)、アサヒカメラの画像があります。
アサヒカメラ1978年3月号「木村伊兵衛賞候補者発表」の名前や写真集の書名をみると、なんとなく当時の「写真界」の空気が感じられるかも。
1月1日付け朝日新聞の記事での定義
今、25歳から35歳にあたる約2千万人は、日本がもっとも豊かな時代に生まれた。そして社会に出た時、戦後最長の経済停滞期だった。「第2の敗戦」と呼ばれたバブル崩壊を少年期に迎え、「失われた10年」に大人になった若者たち。「ロスト・ジェネレーション」。第1次大戦後に青年期を迎え、既存の価値観を拒否した世代の呼び名に倣って、彼らをこう呼びたい。
去年の8月に、わたしも一応その話題を書いてたりする。
鳥越氏の世代観とは
「戦争を知らないこども達」を知らない子供達。「団塊ジュニア」とか言われて、10代の頃からいろいろ論じられてきた世代。 人口が多いから商売のターゲットにもされた世代。
という認識。
この世代は、以前にも別の呼び方で論じられたような気がするなぁ。
雇用問題のみに絞ったように見える朝日新聞の定義ってのは、中途半端だなとは思う。
あっという間に「死語の世界」逝きかも。
ちなみに中国での「失われた世代」は、文革の時代に下放(農村に配属)されたり、勉学の機会を奪われた世代。現在 50才代。
芸大の哲学授業でのエピソードより
先生は俺のレポートを読んで”サルトルは読みましたか”って言った。俺は”それ、サルの研究者ですか”っていった。先生は笑いながら、”あれを読めばすこしはヒントはあるかもしれない”って言った。読んだけどぜんぜんピンとこなかったな。だいたい思想とか文学やる人、世間知らずの真面目なお坊ちゃんが多いじゃない。本当は一番世間知らなきゃいけないひとが。そんなの読んでも頭ではわかっても身にならないのよ。
えーと、サルトルがお坊ちゃんというのだけ合ってるかな w
こういった哲学・思想・文学のイメージの原点は、フレッド・アステア、オードリー・ヘプバーン主演「パリの恋人」じゃないのか?
本屋でバイトする哲学好きのあか抜けない少女が、フレッド・アステア演じるファッション誌のカメラマンに発見されてパリに行き、一流モデルになる、というお話です。
ヘプバーン演じる少女は「共感主義(empathycalism)を唱える哲学教授フロストル」の信奉者で、パリを舞台に恋のさや当てするミュージカル。
黒のタートルネック(実存主義ファッション)で歌い、踊るヘプバーンが素敵 [emoji:e-265]ハート
哲学教授のモデルはサルトル。
写真家のモデルがアヴェドンだったりする。
当然カメラマンがヘプバーンのハートをつかむ w
哲学者をバカにし、写真家に転身した藤原新也の原点は、まさかこれだったり…という妄想も楽しいが…
連想ゲームじゃないのだがなぁ…、正月TV特番の見過ぎで演芸脳になってしまったかな w
【追記】
ヘプバーンの魅力に気づいたカメラマンが、いつしか彼女にメロメロになっていく、というストーリーだったかも
森へ ― この奈落の闇の中に怪しくくりひろげられる極彩のファンタジー
糸、つづれ、女、漆黒の淵を求めて地の果 てに舞い狂う。
北米の巨大な原生林に、いま桃山の風が吹きぬ ける。
写真集の構想から完成までの苦闘を書いた文章を何処かで読んだ。 クライマックスは「大自然とモデルの共鳴が、なんたら…奇跡の瞬間…」だったか。
あまりの自画自賛と、仕掛けの派手さと写真のつまらなさに、かなりしらけた。
パルコ劇場の芝居で、舞台美術にも挑戦してたな。 まぁ芸大油絵科出身だから、そんなに突飛ではないのかもしれないが。
藤原新也というと、パルコの広告とか、バブルの頃の思い出と重なるなぁ。
藤原新也を読まなくなったのはいつ頃だったか?
ググってみて思い出した。 1988年頃からだ。
http://d.hatena.ne.jp/Maybe-na/20050313/1110722598
[ニセ社会学]現実と虚構の混同
その後、1988年には目黒で中学生が自分の母親とおばあさんを殺す事件がありました。そして、写真家の藤原新也氏はこの事件に対し、「これはゲームの『ドラゴンクエスト?』のアイテムを集めて、ある手順に従って敵を倒していくのにそっくりだ」と指摘しました。思いもよらないところからテレビゲームが現実に影響を及ぼすという全く新しい指摘が出てきたことに、その当時の人はみんな驚きました。まあ、よっぽどトンデモでもない限り、新しい見解というのは大概もてはやされるものでおっとなんでもありません。
ついでに、この方は“写真家”つまり芸術家の方なのですから、犯罪についての見解は述べるべきではない、と私は考えていたりします。芸術家がその芸術に没頭するあまり社会常識からぶっ飛ぶことはよくあることで、あくまで一般人とは違う、ある種の非常識さを持っているからこそ芸術家は素晴らしいとも言えると思うのです。ですから、犯罪とかそういうことに口を出すのが正しいとは思えなかったりするのですが。まあ、芸術家が言ったことだからなおさら珍しく、注目を浴びたとも考えられますが。…途中で「珍しい」から「正しい」にすりかわった気もしますけど。まあなんにせよ、当時に限って言えば、藤原氏の指摘は非常に現実的だったわけです。
あと、どの本だったかなぁ?
どこかの田舎に滞在していた話。
『毎朝松田聖子の歌の町内放送(?)で起こされる。 その歌声を年代順に聞いていくと、ある時期から「母性」が感じられる。 ちょうどその時松田聖子が病気入院していたこととからして、彼女はその時妊娠し、中絶したのに違いない。 そのために声が変化したのだろう。』
なんてことも書いていた。
アイドル論みたいなのも、この頃だろうか?
そのころから、雑誌に写真が載れば一応は見るけれど、時事的な話などが雑誌に掲載されてても読まなくなったな。
HPの日記も、かなり初期は目を通していたが、すぐに読まなくなった。
「旅」そのものの事実関係の記録ではなくて、「旅」を題材にした文芸という意味での創作。
残念ながら随伴した人の書いた「曾良日記」のようなモノが無いけれど。
ちなみに、私は西原理恵子・鴨志田穣の紀行文やタイ滞在記が大好きだ。
華僑と印僑との戦いとか、アジアで煮詰まった日本人達とか、ともかくいろいろ大爆笑できる。
藤原氏の紀行文では見えないものも有る。
で、まぁ、1964年生まれの鴨志田氏はカメラを買ってタイに渡り、紆余曲折を経て現在「エッセイスト、フリージャーナリスト、カメラマン」と呼ばれるようになるわけだが…
60年代後半から若者の世界放浪ブームというのが、根強くある。
宗教的なものを求めたり、革命運動のためとか、自分探しというのも大きな動機の一つだろう。
藤原氏がメジャーになってから以降は、「第二の藤原を目指せ」みたいな、写真を撮って紀行文を書こうとする若者が確実に増えたように思う。 また雑誌社もそういう人を求めていたような気がする。
イタリア留学経験のあった坂東真砂子氏も、そういう流れのなかで、旅行ライターになったはず。
藤原氏が取材旅行するときは、どうやっているのだろうか?
現地の案内役や助手に、いわゆる目のでない煮詰まった鴨志田氏のような人物を探して、雇っているのではないのか?

