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かっぱかっぱらった
かっぱらっぱかっぱらった
とってちってた
かっぱなっぱかった
かっぱなっぱいっぱいかった
かってきってくった
かえる
かえるかえるは みちまちがえる むかえるかえるは ひっくりかえる
きのぼりがえるは きをとりかえる とのさまがえるは かえるもかえる
かあさんがえるは こがえるかかえる とうさんがえる いつかえる
いるか
いるかいるか いるかいないか
いないかいるか いないかいるか
いないいないいるか いるいるいるか
いつならいるか いっぱいいるか
よるならいるか ねているいるか
またきてみるか ゆめみているか
やんま
やんまにがした
ぐんまのとんま
さんまをやいて
あんまとたべた
まんまとにげた
ぐんまのやんま
たんまもいわず
あさまのかなた
ばか
はかかった
ばかはかかった
たかかった
はかかんだ
ばかはかかんだ
かたかった
はがぬけた
ばかはがかけた
がったがた
はかなんで
ばかはかなくなった
なんまいだ
ののはな
はなののののはな はなのななあに
なずななのはな なもないのばな
たそがれ
たそがれくさかれ
ほしひかれ
よかれあしかれ
せがれをしかれ
たそがれくまかれ
きつねかれ
けれどおちうど
かるなかれ
たそがれはなかれ
みずながれ
なかれたたかれ
かれののわかれ
衆議院議員馳浩 「はせ日記」平成18年10月17日(火曜日)より
http://www.incl.ne.jp/hase/schedule/s061017.html
朝一番の国会対策正副委員サロン室に、長勢法務大臣と下村官房副長官がご機嫌うかがいと情報収集のために顔を出す。
新聞各紙の社説にも出ている「代理出産制度の法的整理」「生命倫理基本法(仮称)」などの話題で話し合う。
「厚生労働省の問題なんだよな、一義的には。我々はその仕切りを受けて法的措置をする立場なんだよ!」
と、する長勢大臣。
「代理出産ねぇ、おばあちゃんが孫を産むとはねぇ・・・・うんんん・・・」
と、首を傾げる下村副長官。
そうはいうものの、医療技術が発達した現在、倫理や想像を超える生命医療は可能。だとすれば、子宮を無くした若い女性が代理出産をやむを得ず求める可能性は高くなるので、法的な整理は必要。
尊厳死の法制化も含めて、「生命倫理」についての医療技術と倫理の間を法的に埋め合わせねばならない時期だ。
俺は尊厳死の法制化も代理出産も基本的には反対なんだけど、「可能性があり、どうしてもその方法でしか対応できない」という限定の上で認められないものかとの思いはある。
さらに理解を深めたい。
省庁間の垣根が高いのと、関心の薄さが感じられるなぁ。
女性閣僚が何人もいたのに(看護婦出身の南野法相とか)、結局だれかが問題提起しなければ動かないというところか。
今回の内閣だと「科学技術政策担当」「イノベーション担当」「沖縄及び北方対策担当」「少子化・男女共同参画担当」「食品安全担当」である高市早苗がやるべき仕事なんだろうとは思うが、さて
高市早苗公式サイト
http://rep.sanae.gr.jp/
サイトを見ると、ちょとゴチャゴチャしている印象。 センスが古いかな。 ネット広報スタッフに人材がいないような感じ。 一回業者に発注してそのまま、みたいだ。
これで科学技術政策担当・イノベーション担当と言われても、今ひとつ微妙かも。
得意分野とも思えないが、どうなるかなぁ
天敵・ライバル(?)の野田聖子との関係も気になるところ
9週の胎児を「赤ん坊」と表現。
受精の瞬間が生命の誕生という立場かな。 となると、中絶は殺人という展開かぁ…
雰囲気としては、中絶反対というトーンが強いドラマになりそうな気がするな。
家族の絆がテーマっぽいしなぁ。
少子化対策ドラマのつもりなのかも。
それにしても「できちゃった婚」をテーマとするドラマって、作れ無いのかな?
「14才」という設定はあざとすぎる。 ちょっと不快だ。
基礎知識
19世紀初頭のアメリカでは、中絶に関していかなる法律も存在していなかった。伝統的な慣習法に従い、胎児が魂を吹き込まれ生命を持ちうるのは胎動(quickening)の瞬間からと考えられ、胎動前の中絶は犯罪ではなかった。
医者にとっても、母胎にとっても胎動以前に手術する方が危険が少ない。
今日全国紙社説にはがっかりした。
今回は50代での出産と言うことで、母体の「危険性」が主に批判されているけれど、ちょっとピントがずれてるような印象も。
産婦人科学会の、かつての提言のみに準拠して書くのも、しょうがないのだろうけれど、手抜きっぽい。
京都新聞 2006年09月06日
凍結精子出産 国民的議論始める時だ
http://www.kyoto-np.co.jp/ad_tokusyuu/ad_sanka/2006_news/060906a.html
体外受精は結婚年齢の高齢化などにより不妊治療として年々増加傾向にある。〇四年に誕生した体外受精児は過去最高の約一万八千人に上る。生殖補助医療はすでに身近なものになっている。
だが悩ましいのは、明確なルールがない中で、第三者提供の精子による人工授精や精子の売買、代理出産…と、さまざまな形態の親子関係が起こり得る状態にあることである。
こうした状態を無視できず判決は補足意見で「医療行為の名において既成事実が積み重ねられていく事態を放置できない」と厳しく批判。法制化を先送りしている国会、政府による解決を促した。
これ以上の先送りは怠慢といわれても致し方ないだろう。まずは厚労省などの審議会を再開し、死後生殖の是非について意見集約することだ。情報を公開し国民的な論議の中で、社会的合意が得られる新しい「親子関係」のルールを打ち出すべきだ。
忘れてならないのは、すでに生まれている子どもたちが社会的な不利益をこうむらず、尊重されることを保障することである。「出自を知る権利」も今後大きなテーマになろう。生殖医療の主役はあくまで子どもであることをいま一度胸に刻み、真剣な議論を重ねたい。
産経社説 「孫」代理出産 やはり法整備急ぐべきだ
http://www.sankei.co.jp/news/061017/edi000.htm
読売社説 「孫」代理出産]「現実的なルール作りを急ぎたい」
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20061016ig91.htm
朝日社説 代理出産 法整備は待ったなしだ
http://www.asahi.com/paper/editorial20061017.html#syasetu2
毎日社説:生殖技術 包括的な法整備の検討を
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20061017k0000m070168000c.html
それにしても、朝日新聞は相変わらず…せめて「事実」を書いてほしいぞ。
朝日新聞社説
政府は専門委員会の提言に基づき、代理出産を罰則付きで禁止する法律を作ろうとした。しかし、国会議員の関心が低いこともあって成立の見通しが立たず、法案提出は見送られている。
京都新聞社説
厚生労働省や法務省の各審議会は死後生殖や親子法制の論議を重ねてきた。厚労省は二〇〇三年には凍結保存精子による死後生殖を禁止する方向性を打ち出したが、自民党内の反対で審議は中断したままである。法務省も足踏み状態だ。
【追記】
京都新聞社説 2006年10月17日掲載で言及。
http://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/index.html
韓国では昨年、アジアで初めての生命倫理法が施行された。クローン人間づくりの禁止から遺伝情報の保護まで、幅広く法律の網をかぶせている。欧州でも早くから法整備が行われている。
わが国も問題を先送りせずに国内論議を詰めるべきだ。政府も生殖補助医療への支援に前向きな姿勢を示し始めたが、かつての「脳死臨調」のような議論の場が要るのではないか。最新の医療と法、国民の価値観などを幅広く検討し、法制度を整えるのが急務だ。
以前から問題点を指摘し続けただけのことはある、冷静で具体的な提言。
全国紙よりもずっとマシだ。 全国紙はパニック起こしているだけ、知識が10年くらい前で止まっているような印象だった。
読売新聞10月18日付・編集手帳
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20061017ig17.htm
「梁塵秘抄」、太宰治の小説「桜桃」から母親の立場から書いている。
これはこれで、まぁ正直な気持ちなんだろうが…
男性が女性や母親の立場を代弁するような不自然さも感じるな。
全体的に「父親」の姿が見えないのが、この手の問題の特徴ではあるのだが
天声人語は芥川を引いてきた。
http://www.asahi.com/paper/column20061018.html
それにしても、平仮名とは奇をてらいすぎ。
原作では河童の胎児はもう少し賢い。 河童の社会についての説明もある。
パロディとしちゃぁ、下だな。
朝日新聞全体にいつも感じられる「勝手に弱者の声を捏造する」タイプのコラムで、かなり不愉快。
「産まれて来たくない」と言った場合どうなるか、なんてことは考えていなさそうなのにも呆れる。
母体保護法はかつて優生保護法と呼ばれていた。 「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的とする(旧1条)。」という優生学的な色彩をも帯びた法律だったことについて、いろいろ議論もあったことを忘れているのだろうな。
青空文庫。「河童」の4章より。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/69_14933.html
その代わりに我々人間から見れば、実際また河童(かっぱ)のお産ぐらい、おかしいものはありません。現に僕はしばらくたってから、バッグの細君のお産をするところをバッグの小屋へ見物にゆきました。河童もお産をする時には我々人間と同じことです。やはり医者や産婆(さんば)などの助けを借りてお産をするのです。けれどもお産をするとなると、父親は電話でもかけるように母親の生殖器に口をつけ、「お前はこの世界へ生まれてくるかどうか、よく考えた上で返事をしろ。」と大きな声で尋ねるのです。バッグもやはり膝(ひざ)をつきながら、何度も繰り返してこう言いました。それからテエブルの上にあった消毒用の水薬(すいやく)でうがいをしました。すると細君の腹の中の子は多少気兼ねでもしているとみえ、こう小声に返事をしました。
「僕は生まれたくはありません。第一僕のお父(とう)さんの遺伝は精神病だけでもたいへんです。その上僕は河童的存在を悪いと信じていますから。」
バッグはこの返事を聞いた時、てれたように頭をかいていました。が、そこにい合わせた産婆はたちまち細君の生殖器へ太い硝子(ガラス)の管(かん)を突きこみ、何か液体を注射しました。すると細君はほっとしたように太い息をもらしました。同時にまた今まで大きかった腹は水素瓦斯(すいそガス)を抜いた風船のようにへたへたと縮んでしまいました。
ぢつは、与謝野晶子、ゲーテ「ファウスト」、ヘッセを引用した後、次は「マクベス」からマクベス夫人の台詞とか、オイディプス王あたりを考えてた。
意表をついて少女漫画とか、未見の映画・小説にしようかなぁ
「数年後には偶然に任せて子どもを産んだら、ひんしゅくを買う時代になるでしょう」
http://www.ambafrance-jp.org/IMG/pdf/Label_france49.pdf
ラベル・フランス(以下L.F.):現在、科学技術を見通すと、どのような懸念を抱かれるでしょうか?
ジャック・テスタール(以下J.T.):私はクローン人間づくりのように、根拠のない脅威をめぐる論争がマスコミを多くにぎわせているように思います。仮に近い将来、人間のクローンがつくられたとしても、その技術は手技の段階に長くとどまることでしょう。それほどクローン人間づくりは、私たちの倫理的、哲学的、文化的な原則と相反するものなのです。
他方、胚の選別といった他のより差し迫った危険を隠すために、クローン人間づくりの問題を振りかざしている政治家や研究家、企業家などもいます。このすぐにでも工業化が可能な技術は、人類の出現以来くり返し出現してきた、障害者の排除という古い幻想を蒸し返すきっかけとなりかねません。
今では、「DNAチップ」による遺伝子診断で、胚のゲノム情報を解析し、遺伝的異常の有無を短時間で特定できるようになりました。すでにイギリスのある検査企業では、この遺伝子診断を1日で行うサービスを1000ドルで提供しています。近い将来には1時間、10ドルで診断できるようになるでしょう。
L.F.:胚を選別する前に、いかに胚を大量につくるかという問題がありますが。
J.T.:それに関しては、精子が問題なのではありません。というのも、男性は一日通常2億個の精子をつくっていますが、受精に必要なのは一つだけだからです。要するに、問題の鍵を握るのは卵子なのです。女性は自然の状態では一月に一つの卵子しかつくれません。排卵誘発剤を使用してもせいぜい10程度にしか増えず、本格的に胚を選別するにはあまりに少なすぎます。
しかし現在、新しい技術が開発されつつあります。卵巣の小さな断片には何千もの卵母細胞が含まれていますが、それらを100から200の卵子に培養できることが知られています。
さらに言えば、5カ月目の胎児から細胞を取り出せれば理想的です。というのも、胎児は少なくとも500万の卵母細胞を持っているからです。小さな女の子から簡単な外科手術で卵巣のごくわずかな部分を採取して、凍結保存することも考えられます。彼女が後に大人になって子どもが欲しくなったら、パートナーとともに受精卵をオーダーした研究所を訪れ、そこで10、100と並ぶ受精卵の遺伝的プロフィールの中から、どれを選ぶかと聞かれることでしょう。その時に性別の選択もできるでしょう。完璧な赤ちゃんは永遠に無理でしょうが、それでも生物学的に恵まれた赤ちゃんが出現することになります。
L.F.:そこに市場があるのでしょうか?
J.T.:巨大市場です。というのも、先進国ではすべての妊娠にかかわってくるからです。体外で行われる検査や受精の数がどれほどになるかを想像してみてください。今のところ、人々はまだ偶然に任せる方がいいと考えています。技術の信頼性に問題があるというのがその理由です。とはいえ、こうした新しい考えにすでに慣れはじめているのも事実です。
10年、20年、30年後には、科学の進んだ近代社会で、最高の保証を得ることなしに、偶然に任せて子どもを産んだら、ひんしゅくを買うようになるかもしれません。こうした検査を受けなかった人には、社会保障から出産費用の払い戻しが受けられなくなる可能性すらあります。そして豊かな国々に限られた仮想エリートだけが、人類の「高い質」を備えるという異常な局面を迎えるまでになるでしょう。現在みられる進歩において最も憂慮すべきことは、人々がいとも簡単に人間は単なる遺伝子の産物であるという考えに納得しているということです。
L.F.:こうした行き過ぎを阻止するためには、どのような規制を設ければよいのでしょうか?
J.T.:私たちの同業者に対して、国の内外を問わず、現在フランスの国内法でのみ成文化されている規則の尊重を約束するよう提案しました。それは遺伝子診断は、「遺伝病の発生率の高い」夫婦間で受精した胚を対象に、それぞれ一つの遺伝性疾患のみを検査する、というものです。私たちが接触を図った臨床医の大半が、この提案に応じませんでした。
特にアメリカでは、民主主義と「夫婦の自由」に対する侵害であると非難する人もいました。事がここに至った以上は、もう後戻りはできません。もはや「生命倫理」は、技術分野の現実に人々を慣らすための言説にすぎないのです。
インタヴュアー エマニュエル・テヴノン
フランス外務省発行季刊広報誌「ABEL FRANCE」第49号・2003年1-3月
特集「バイオテクノロジー 人類の危機か?」 より
