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オーマイニュース日本版はほとんど見ていない。
重い。見にくい。見ても面白くない…

それにしても、講演会の告知くらい編集局blogですればいいのに


http://www.labornetjp.org/labornet/EventItem/00_2006_3Q/1155204687061staff01
2006/09/12 立命館大学産業社会学部研究会市民ジャーナリズムの論理と課題
立命館大学産業社会学部研究会
「市民ジャーナリズムの論理と課題」

報告者 オ・ヨンホ(呉連鎬) 『OhmyNews』代表
討論者 神保 哲生『ビデオニュース・ドットコム』代表、本学・特別教授

共催:コリア研究センター(代表:徐勝法学部教授)

9月12日(火)13:30〜16:00
産業社会学部共同研究室(修学館3F) 
無料



http://www.soboro.jp/news/event/index.html
『市民メディアって何? 〜市民がつくるメディアの今と未来〜』

『オーマイニュース』代表オ・ヨンホさん、和英バイリンガルのカルチャーウェブマガジン『REALTOKYO』/季刊アート雑誌『ART iT』発行人兼編集長の小崎哲哉さん、また京都を代表する市民メディア『京都三条ラジオカフェ』および9月に発足する『市民メディア全国交流協議会』準備会の福井文雄さんを迎え「市民メディアの今と未来」をじっくり考えてみたいと思います。

■日時
2006年9月12日(火)
DIALOGUE open 18:00 start 18:30 close 21:00
■会場
京都文化博物館別館ホール(京都・三条高倉角)
■料金
DIALOGUE(トークイベント)のみ:1,000円 / WORKSHOP+DIALOGUE:1,800円 ※小学生以下無料

DIALOGUEシートご予約受付中!

#もう閉め切ってるかも



「市民メディアサミット06」はオーマイニュースも参加しているのに、記事がないみたいだ。
http://www.janjan.jp/media/0609/0609100969/1.php

JANJANやレイバーネットよりも、金なら有るだろうに
やる気がないのか、能力がないのか、人がいないのか…
その全部かもしれない、と思えるからなぁ…

準備blogを見て駄目だろうと思ってはいたが、これほどに駄目だったとは。
いろいろ予想はしていたが、予想以上というか以下というか…
これまで散々言及したし、いまさら書くこともないようなものだが…
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  短く切られたカシの木


カシの木よ、お前はなんと切り詰められたことよ!
なんとお前は異様に奇妙に立っていることよ!
お前はなんと度々苦しめられたことだろう!
とうとうお前の中にある者は反抗と意志だけになった。
私もお前と同じように、切り詰められ、
悩まされても、生活と絶縁せず、
毎日むごい仕打ちを散々なめながらも、
光に向かってひたいをあげるのだ。
私の中にあった優しいもの柔らかいものを
世間が嘲って息の根をとめてしまった。
だが、私というものは金剛不壊だ。
私は満足し、和解し、
根気よく新しい葉を枝から出す、
いくども引き裂かれても。
そして、どんな悲しみにも逆らい、
私は狂った世間を愛し続ける。



高橋健二訳
『はじまりの卵の物語』『満月の夜古池で』『死国』『狗神』『ラ・ヴィタ・イタリアーナ』『愛を笑い飛ばす女たち』『わたし』読了。
こんな形で坂東眞砂子を読むとは思わなかったな。

映画化された『死国』を見てから、小説も読むことになるのかな、などと漠然と思っていた。(映画は未見、栗山千明が好みじゃないせいかも)
それとも、四国巡礼とか、狗神信仰などの宗教・民俗絡みで読むことになったかなぁ。歴史物で読むことになったかも…

『死国』『狗神』は面白かった。
他の長編は、もうすこし落ち着いてから読みたいな。


『わたし』
自伝的小説
作中の思い出話が、他の小説の中の”あの”エピソードに発展したのかなぁ、と思われるところが多々あり、興味深かった。 この小説単独では、いまいち面白くは読めなかったかもしれない。(そういう意味で素人にはお勧めできない、かも)
固有名詞やニックネームが頻出するが、あくまでも小説・フィクションとして読むべきだとも思う。 かなり脚色していると思われるので「事実」と受け取るのは危険だろう。


『はじまりの卵の物語』
児童文学作家だった頃の作品。 
角川文庫巻末の『死国』の紹介の中に「直木賞作家の原点がここに!」とあるが、本当の原点は児童文学時代の作品だろう、と思った。

巻末の編集者が書いた紹介
誰も知らない町の秘密を知った結花。謎の石を手にパラレルワールドへ。現代の女の子の冒険。


パラレルワールドには、くちばしを持った人間「羽根族」、草から進化した「草人」、猫そっくりな「猫目族」、「牛足族」が登場します。 
鼻が利く「犬族」は出てこない(w  犬族を書いてみたら『狗神』に成ってしまったのではないか?

風が吹くと歌うやさしい「草人」の描写は、どこか『死国』の”神の谷”に通じてるようにも思える。
謎の石というモチーフも、ありがちとはいえ、やはり『死国』にも…


『満月の夜古池で』
児童文学という分類が有るけれど、最近の児童文学とは小学生を主人公にしたライトノベル、という感じじゃないだろうか?
まぁ、そんな感じの1冊。1997年だから、既に「ホラー作家」としての地位は確立してるなぁ。 普通に職業作家として優秀だと思う。
男の子が主人公、蛇女もちらっと登場。 動物変身譚でもあるな。

児童文学の作品は、おそらく小学生を主人公にした話が多いと思うのだが、『死国』『狗神』もは子供の頃の思い出・体験が大きな位置を占めている。
児童文学の主人公が成長して(成長しなかったりもするが)、後の伝奇小説の登場人物になったとも思える。
まぁ『狗神』は高校時代の件だったりするが…


『ラ・ヴィタ・イタリアーナ』
1997年〜1998年イタリア滞在中のエッセイ。マルコポーロを題材とした『地涯ての地』執筆のためイタリアに渡った時の現地報告。
観光ではなく、仕事や留学での長期海外生活者の視点はなかなか興味深い。
棲む場所についてとか、役所との交渉とか、いろいろイタリアならでは(?)のトラブル報告が多い。

自動車運転免許取得の苦労話も面白い。
四国島内の取材では、両親に車の運転を頼んでいたらしい。 『わたし』では両親についてほとんど触れていなくて、ちょっときつい書き方もしているが、そこは まぁ やはり「小説」としての脚色なんだろうなと思った。

理系/文系という分類はあまり意味はないと思うけれど、いちおう高校の頃は物理が得意、大学も住居学科で、理系ということになるかな。 でも機械は苦手っぽい。
他のエッセイや『わたし』によれば、高校の頃は漫画も書いていたらしい。 インテリア・建築の興味や勉強は「絵」経由という部分もあったのかな、などと思う。


『愛を笑い飛ばす女たち』
タヒチでの生活をメインとしたエッセイ集
小説の惹句に「日本人の土俗的感性を惹起する」とあるが、そういう発想が生まれたのは海外留学・旅行・滞在経験から来たものだというのがわかる。
四国→関西→イタリア→東京→タヒチという遍歴のなかで土俗的感性と欧米流の個人主義の関係を考えているようだ。

カバー裏のロングヘアーの全身写真はお気に入りらしい。『わたし』に記述有り、東京駅駅前での撮影だそうだ。 海外では切れ長の目、長い黒髪は東洋美人の証だと思う。 そんな感じの写真。(1998年〜2000年頃撮影か? 最近はおかっぱにしてるようだが)

bandou1.jkpg
なぜこれだけの騒動になるのかが、やはり、いまだによく解らなかったりする。
左右新旧とか地域差じゃぁ説明つかない気がする。 ペット観の違いなのかなぁ?

・坂東氏の行為
・崖から投げ捨てること
・その理屈
・それを載せる日経新聞

と分けて書いてみる。

「間引き」を非難するのは、いきすぎだと考えている。
崖から…は まぁ、有りだと思っている。 川に流すのが伝統的方法だとは思うが、しょうがない。

その理屈
ペットの間引きと言えばいいのに「子猫殺し」という過剰な意味づけをしちゃっているところに、最大の問題があるように思う。
自分の気持ちと猫の気持ちを重ね、避妊ではなく間引きを選ぶという理屈は、かなり個人的な事情によるもので、理解されにくいだろう。
「猫はあくまでもペットであり、避妊も間引きもやむなし」と言い切るならば(わしはこの立場)ひとつの態度として、一貫していると思うのだが…
坂東氏は自分の気持ちと猫の気持ちを重ねているが、これは批判者とも共通する感情だ。 そこあたりで、奇妙に論理が混乱している。

「ホラー作家」だから非常識…のようなありがちな偏見は、ちょっとなぁ… 常識や良識を強く意識するからこそ「非常識」の部分が書けるわけだから。
ただ、その「常識」の分析に独自の偏向が有るようだ。

日経新聞は、特に悪くないと思う。
文頭に「糾弾されるかも…」という断りはあるし、これで青少年に悪影響というのは言いがかりのように思う。
ツッコミどころが多いなぁ。 ネットの評判は追いかけていないけれど、おそらくぼろくそだろう。
反論としては弱いし、現代日本論としてもいまいち。
あえて寄稿する意味がなかったように思う。 反論しないで、小説を書いて答えとする方が良かったろうになぁ。

作家個人としての社会に対する怒りや、孤独というのは何となく理解できるけれど、ロジカルに自分の行動を説明しようとするのは下手だと思う。
自身については「ビューキ」と書いてるけれど、その説明もかなり個人的なもので、説得力が有るとは思えない。
ウーマンリブと言われていた頃の論じ方や、マルクス主義と接近したフェミニズム論議をそのまま引き継いで論じているような印象も。 マルクス主義じゃなくてエンゲルスじゃないか、とも思う。
それに朝日新聞社説メソッド「ちょっと待ってほしい」まで駆使しているから…

今回の騒動は、「(人の代理として)動物を愛する心やさしい人たち」の中に潜む殺意の大きさを露呈させた。


「殺意」という言葉使いも、ちょっとどうかと思うなぁ。 そもそもは「間引き」を「子猫殺し」と書いたことから始まった騒動だ。
一連の騒動の中で「殺」を多用していることが、問題を混乱させているようにも思う…というか喧嘩売ってるのだろうな。


子猫殺しに対する病的な攻撃はやめて、そろそろこんな現象の起きた日本社会の深淵を覗きこみ、話し合う時ではないだろうか。

と有るけれど、板東氏はこれ以上話し合う気は無いと思うし、たとえ話し合っても噛みあわない不毛な議論になりそうだ。

いちおう弁護派
【若干のメモ】 無駄に長い
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