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APC例会〜オーマイニュース日本上陸
http://www.labornetjp.org/news/2006/1154310126418staff01/view
アジア記者クラブ例会〜オーマイニュースをめぐってディスカッション
http://www.labornetjp.org/news/2006/0824/view
例会は8月24日開催。二次会にも30人近くが集まり盛り上がりましたが、「日刊ベリタ」「JANJAN」「オーマイニュース」「レイバーネット」などが、もっと連携していければいいのでは、という話も出ました。28日にスタートするオーマイニュースに注目していきたいものです。
ちなみに、「佐々木俊尚のオーマイニュースへの疑問 (上)」
http://www.ohmynews.co.jp/blog/archives/2006/08/post_116.html
が公開されたのが23日 22:37で、例会でも「立ち位置」の事が結構話題になったようだ。
こんなニュースも
「オーマイニュース」上の広告配信管理にDARTを導入 〜 市民参加型ニュースサイトを広告配信でサポート〜
http://www.doubleclick.ne.jp/company/press/2006/20060829.html
Yahoo!ファイナンス
http://quote.yahoo.co.jp/q?s=4841&d=t
ものすごく厳しい法律を制定して、後世から「猫総理」と呼ばれちゃったりとか…
日本の動物愛護法がどういうのか、いまひとつ解りにくいけれど江戸時代からの連続性はあるのだろうか? なんとなく欧米からの輸入のような気がするけれど。
wikiの生類憐れみの令に「黄門さまと犬公方」(山室恭子・文春新書)の記述が結構大きく取り上げられていた。
…「生類憐みの令の目的は、綱吉の時代にはまだ残っていた戦国時代の荒々しい風潮を一掃することであった」と推測している。ただ、意外性の強いお触れであったために江戸の人々は次々に裏をかいておちょくり、そのため幕府側も次々に詳細なお触れで対抗するという、ある意味で不幸なループに陥ったのではないかという。
新年の挨拶でこの説を引用する市長さんもいるみたいだ。
http://www.city.niihama.ehime.jp/gyoukaku/sityousitu/h18goreikai.htm
この新書は読んではいるが、他に誰がこの説を支持しているのかは今のwikiの記述では解らない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ノート:生類憐れみの令/削除
の方での議論まで見る必要が有る感じだ。
以前のwikiの記述には「網野善彦らに端を発する江戸時代見直し」という一文が有った。
それが外された経緯までは見ていないけれど…
「1980年代の…」というコピペらしき文がGoogleにやたら引っ掛かるから、「1980年代の網野善彦らに端を発する江戸時代見直し」という形でしばらく公開されていたのかな?
どうせなら田中優子、杉浦日向子も付け加えて欲しかったが…
それはさておき、そりゃぁ異議は出るだろうなぁ。
1974年年初版の山本七平「日本資本主義の精神」(光文社カッパビジネス)も、江戸時代見直しを書いていたし、他にも有ったような気がする。
【関連】
坂東眞砂子さんのコラムのこと
http://belena.blog70.fc2.com/blog-entry-150.html
坂東眞砂子さんは「いごっそう」
http://belena.blog70.fc2.com/blog-entry-157.html
あいつぁよっぽどみょうだ、まっすぐにゃゆかぬ。
そのわけしってるか、
鼻のむいたほうへむいてゆく。
どうりで、やっこさん、鼻まがり。
Peter White will ne'er go right;
Would you know the reason why?
He follows his nose wherever he goes,
And that stands all awry.
リジー・ボーデン 斧をとり
父親 40回 ぶった斬る
我に返って 目が覚めて
母親 41回 ぶった斬る
Lizzy Borden took an axe
And gave her mother forty whacks
When she saw what she had done
She gave her father forty-one.
ディン・ドン ベルが鳴る
仔猫は井戸の中にいる
誰が放り込んだんだ?
そいつはリトル・ジョニー・グリーン
誰が救い上げたんだ?
そいつはリトル・トミー・スタウト
なんて悪い子なんだろう
哀れな仔猫を投げ込むなんて
いたずらなんかしなかったのに
納屋のねずみを退治したのに
Ding, dong, bell,
Pussy's in the well.
Who put her in ?
Little Johnny Green.
Who pulled her out?
Little Tommy Stout.
What a naughty boy was that,
To try to drown poor pussy cat,
Who never did him any harm,
And killed the mice in his father's barn.
世紀の移る、ちょうどその時を私は生きている。
一枚の大きな紙から起こる風が感じられる、
神と、お前と、私とが書き、
見知らぬ者の手に高々とめくられる紙からの
その上でなおすべてのものの生まれ得る
新しい一ページの輝かしさが感じられる。
さまざまな静かな力が自分たちの広がりを調べている。
そしてたがいに暗く見かわしている
尾崎喜八訳
嘆き
誰に向ってお前は嘆こうとするのか 心よ? ますます見すてられて
お前の道は 不可解な人々の間をぬって もがきながら
進んでゆく だがしかし それもおそらくは空しいのだ
なぜなら お前の道は 方向を
未来への方向を保っているからだ
失われた未来への
以前 お前は嘆いたのだろうか? あれはいったい何だったろう? あれは
歓呼(よろこび)の木から落ちた一顆(ひとつぶ)の実 まだ熟れていない実であった
けれども いま 歓呼の木は折れる
私のゆるやかに伸びていた歓呼の木が 嵐のなかで
いま折れる
私の眼に見えない風景のなかの
いちばん美しい木が。私を眼に見えない
天使たちに分からせていたあの一本の木が
富士川英郎訳
簡単な解説
ライナー・マリア・リルケ(Rainer Maria Rilke, (1875年12月4日 - 1926年12月29日)
最初の詩は「時祷集」から。 26歳の時、女流彫刻家クララ・ヴェストホフと結婚した頃の詩作です。 結婚生活は長く続かず、1902年にリルケはパリに移住します。
「輝かしさ」と「暗さ」が微妙に同居してる。
「嘆き」は1914年7月の作。 第1次世界大戦が始まった年です。
以下のURLを参照
http://d.hatena.ne.jp/minshushugisha/20060228
http://jcphata.blog26.fc2.com/blog-entry-191.html
http://jcphata.blog26.fc2.com/blog-entry-210.html
「土佐高知」氏によると、こんな反論が有ったそうだ。
これにまず、10日に≪県民に水浴びせる坂東氏の「極論」≫と題する投書がのった。
趣旨は、坂東さんの論旨は「あまりの独善と狭窄(きょうさく)な」“文化マルキスト的”視点だと一刀両断に切りすてるものである。
板東氏はこの手の「釣り」が好きなのかなぁ?
それにしても「文化マルキシスト的」とは凄い言われようだな。意味がわからないけれど。
↓は板東さんの書いたものの引用のようだが…
板東真砂子「力の論理と自由民権運動」2002年8月18日付け高知新聞「視点」
土佐人の理屈っぽさ より引用
http://www.yokokai.com/blog/index.php?UID=1155823864
美也子さんかたTBもらった。 「あまりにもさらり」
たしかにそうかも (汗
世代や地域差がこの問題の受け取り方の落差になるのかなぁ、とも思うが…(わしは地方都市生まれで、板東氏と同じ歳だ)
でも、その一方で、やはりは反発があるだろうなという空気も感じてるので…微妙に配慮してる部分も多少は有るなぁ。(予防線を張りまくりだ)
あえて間引き、あえて屁理屈、あえて寄稿…という板東氏には、けっこう共感しているけれど…実は、彼女はすごい「いごっそう」なのかもしれない。
板東さんの本は↓ここを参考に、ぼちぼち読んでいこう
http://www2b.biglobe.ne.jp/~haruki/mys_bandou.html
それにしても、論点が拡散というか、奇妙に過激な方向に行きすぎるのも何だかなぁ、と…
【関連】
坂東眞砂子さんのコラムのこと
http://belena.blog70.fc2.com/blog-entry-150.html
あと気になったblogのメモなど
