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とりあえずのメモと愚痴
読みにくい本だ。 学者が学者向けに書いた論文集だが、執筆者によって視点のばらつきも感じられるかな。
全体の学術論文臭い記述の中に、普通のおばさん然とした遠藤薫氏と西村博之氏との対談がある。
やたらと文献の引用が多くてイヤになる。 読んでいてむかついたのは第2章。
リップマンはこう言うと引用。リップマンの認識はルーマンの理解とも響きあうとまた引用。 さらにリップマンの引用がまた出てくる。引用の中にはフッサールへの言及が、そしてさらにシュッツ、パーソンズへの言及まで有る。
教授が本をたくさん読んでおられるのは、わかりました。 ついていくのに疲れますが。
図表がたくさんあるが、妥当なんだろうか? かなり疑問が有るのだけれどなぁ。
2004年に執筆されたことも影響してるのかな。 現在の目で見ると、情報の選択のある種の偏りをちょっと感じる。 ネット事件のその後の展開を読み違えているのではないかという部分も有るようにも…
ネットの出来事を後追いで論理付け、または過去の理論で説明しようとして、やたらと引用やら参考文献が多くなっているのではないか。
とにかくもモデル化しようと、やたらと図表はあるが、どこか外してる感じもある。
この本を精読して紹介とか批判するのは、時間の無駄という気がしてきている。
まぁ、補助線として遠山教授のサイトを覗きながら読んでる最中だが。
OPERAを常用してるので、気がつかなかった。 テンプレの不具合というよりIEのバグだと思うが、しょうがない。
パソコン環境はMicrosoftというわけではなく、非Microsoftという感じ。
チャンスが有ればMacにswitchしたいと思い続けてるのだが…
OPERAは結構前から使っている。 ホリエモンのことは、その関係で始めて知ったのだったかなぁ。
日本での独占販売契約を強引に結んでトラブルになったときが2004年5月、イーバンク銀行との電話事件が2004年4月。2004年03月のターボリナックスを子会社にしたときだったか?
かなり強引で、ちょっとムッと来たことは確かだが、オン・ザ・エッジ時代にユードラの国内販売権を取得してたのを知って、それなりに納得した部分も有った。
社名の由来でもあるプロバイダ、メール、ブラウザ、OSが揃って、これは凄いことになるかもと一瞬は期待したのだが…
これらが揃っていながら、どこにシナジー効果があったのだろうか。(いや、なかった)
ユーザーには、ほとんどメリットはなかった。
かつての「本業」でさえこんな調子だから、ホリエモンがテレビで「シナジー効果」と言うのを聴くたびに胡散臭く感じてた。
2ちゃんねるのデジカメ板にこんなスレッドも有る。畑違いの人間のやっつけ仕事。
【驚愕】 ライブドア・ザ・レビュー 【個性的】
素人が最新高額カメラを使っても失敗するだけだから腕を磨かなければいけない、という教訓を身をもって示してくれるレビューだ。
佐々木俊尚氏がライブドアは優秀な人もいる集団と擁護してるが、まったくそうは感じられなかった。
ついでに言えば、ライブドアニュースのパブリック・ジャーナリスト宣言を最初に読んだときは失笑してしまい、それ以降は興味がなかった。
さすがの佐々木俊尚氏も擁護は出来ないみたいではある。
『小田光康氏にインタビューした』
今となっては感慨深いところ
佐々木
ネットでの小田さんのやりとりを見ていると、みずからへの批判に対して激しく反応していますね。ネットで批判されることを否定してはいけないと思うのですが、どうなんでしょうか? 私自身は、批判されることから逃げると、ネットのメディアは成り立たないと思っています
この後に佐々木氏は泉あい氏にインタビューしているのだが、こっちは好意的な雰囲気。
さらに、追記すると歌田明弘氏もライブドアニュースには呆れていたという感じ。
『ライブドアの復讐が始まった?』 http://blog.a-utada.com/chikyu/2005/02/post_2.html
歌田明弘氏の泉あい氏へ最初の言及は、おそらくこれかな。最初の自民党懇談会についての
『ポピュリズムとブログ』
http://blog.a-utada.com/chikyu/2005/09/post_fd74.html
自民党懇談会に警戒している感じ。 どこか、後の民主党懇談会の弁当問題を予感させる記事かも。●「普通のおばちゃんOL」が「何を思ったか大真面目にルポライターを目指す」という泉あい氏のブログ(http://www.surusuru.com/news/)。自民党のメルマガ作者やブロガーとの懇談会にも無理やり出席して、その様子を詳細に報告している。ほかにも、記者クラブについての取材をしたり、各党の政治家にインタヴューしたりと読みでたっぷりのジャーナリスティックなブログだ。
小田光康氏と湯川鶴章氏の関係も、いろいろ有ったようですなぁ。
泉あい氏の報道機関設立構想とDJ研の関係は、こういったライブドアニュースとの確執(?)も背景にあるのかな?
第二帝政時代のパリは「現代的」なものの出発点でもありました。
思いつくままにメモ
新聞の普及、鉄道の発展、写真、ジオラマ、ガス灯、イリュミネーション、ショーウィンドウ……群衆、遊歩街(パッサージュ)、大通り、デパート、万国博覧会、鉄とガラスの建造物……新聞小説、広告、ポスター、モード雑誌、女性の工場労働者、フェミニズム運動……消費文化、大量生産、複製技術、ブランド商品、ファッション、イミテーション……大衆演劇、野外コンサート、オペレッタ、オッフェンバック、マネ、印象派、象徴派、ジョルジュ・サンドなどなど……。
新聞の値下げ競争、広告欄の増大、人気小説家の新聞連載に高額の契約料
エドガー・アラン・ポーによるパリを舞台にした探偵小説の登場。 そして、それを紹介したボードレーヌ。
ポー作「マリー・ロジェの秘密」のオーギュスト・デュパンは新聞報道だけで殺人事件を解いてみせるという趣向。 「マリー・ロジェエの怪事件」青空文庫で作業中
政治的には、いろいろややこしい時代。
秘密結社は有ったろうけど、カルト宗教ってのは無かったかろうな。
「ことのは問題」が発覚した三月に「人はすべてシメールを背負う」http://jmseul.cocolog-nifty.com/jiji/2006/03/post_c9ca.html というエントリーがありましたが、そこで参照されてる詩は これ
ちなみに
サイト名の由来 プロフィールの由来
七月一四日はパリ祭。
テンプレを変えてみた。 また変えるかも
アメリカで起きたことが2年遅れで日本におきつつあるのかな、などとhotwiredの記事を読んでいて思ったりする。
2004年9月1日の記事
見直される「市民の声」としてのブログ
http://hotwired.goo.ne.jp/news/culture/story/20040909207.html
主流メディアが輝きを失ったもう1つの理由は、由緒正しい新聞雑誌が相次ぐスキャンダルに見舞われたことにある『ニュー・リパブリック』誌のスティーブン・グラス氏、ニューヨーク・タイムズ紙のジェイソン・ブレア氏、『USAトゥデイ』紙のジャック・ケリー氏らによる記事捏造事件だ。どの事件も、多くの米国人が長年抱いていた疑念記者たちは、自身のなすべき仕事に従事するだけにとどまらず、ときには話を完全に作り上げているという疑いが正しいことを完全に裏づけるものだった。
それでもなお、「正統派」ジャーナリストたちは、ブロガーを見下している。かつて紙媒体の記者たちがオンライン・ニュース専門の記者をさげすんだのと同じように。彼らはブログに監督者がいないこと(つまり自由だということ)に唖然とすると言う。ブログには編集の手が入らない。客観性も約束しないし、事実関係をチェックする者もいない。また大半はジャーナリストとしての訓練を受けていないまるで、ジャーナリズムに携わるのに免許か何かが必要であるような言い草だ。こうした正統派的な考え方でいくと、ブロガーはまったく信用できないということになる。
ジャーナリストとしての訓練や経験を積んでいる「正統派」というのが、炎上したblogの売りだった訳なのだが、実態としては
『ブログには編集の手が入らない。客観性も約束しないし、事実関係をチェックする者もいない』
という、「普通」のblogにすぎなかった、ということなのだろう。
紙媒体などの旧来メディアや大手ポータルサイトの看板となっても、一般人のblogと同じフラットな平面で扱われてしまう。
職業としてのジャーナリストたちは、特にフリーだとつらい時代になってしまったのだろうな。
その一方で「参加型ジャーナリズム」を推進しようとする動きもある。
記事中の「正統派」の言うblogの欠点は、逆に優位な点だとしているみたいだ。
機械的に逆転させてみる。
・編集の手が入らない=インタビューは無編集なほどよい。
・客観性よりも主観的に書く方がよい。
・事実関係のチェックは、読者のコメントで…
んんん〜、こうやってみるとGripBlogになってしまうなぁ。
小谷野敦さんには、いまいち興味はないし。(学者としては、まぁ優秀なんだろうが)
「バックラッシュ!」という本を買うかといえば、おそらく買わないだろう。
表紙に出てる執筆者だと、いまさらな上野千鶴子・嫌いな宮台真司・社会を論じると微妙な小谷真理というあたりで引っ掛かる。
公式サイトも苦手だ。http://d.hatena.ne.jp/Backlash/
出版社社長のメッセージが出てたけれど
オビのリードで盛り上がり、そのまま踊ってしまうか。本文をきっちり読んで、オビのリードは半分ネタなんだと気づくか。分厚い本なので、前者になってしまう気持ちはわかります。ですが、そこをなんとか踏みとどまっていただかないと、下手に「男女平等」を引き合いに出して『バックラッシュ!』を批評してしまった場合に、「ぜんぶ読んでいない」ということがわかってしまうわけでして……。
『バックラッシュ!』のオビ文と本文の関係は、そんなひねくれた関係となっておりますので、みなさんくれぐれもご注意くださいませ。(笑)
おそらく、買ったり借りたりしても全部は読まない(読めない)だろうと思う。
この本で、たぶん一番気合いを入れて書いているだろう一般的には無名な執筆者たちを、何故前面に出さないのだろうか? 直球勝負でいいじゃないか、とも思うが。
たしか90年代初めの本で、出た当初に以下の本は読んでいる。
『バックラッシュ―逆襲される女たち』 (単行本) スーザン ファルーディ
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4105281011/503-1168760-6805514?v=glance&n=465392
今となっては、憶えているのは映画の分析のところくらい。80年代の映画の「悪女」、メジャーリーグ2とかクレーマー・クレイマーが論じられてたのだっけか…
当時の米国の政治政策のバックラッシュの部分と、現在の日本を比べると興味深いかも、とも思ったりもするのだけれど…
どうも『バックラッシュ!』はそういう本では無さそうだしなぁ。 同じような書名だが、なんだかなぁ…
ピンクフロイドのスクリーンセーバーを前のパソコンに一時期いれていた。
彼らの音楽を使った映画『夜よ、こんにちは│ Buongiono, Notte』マルコ・ベロッキオ監督はそのうち見たいと思っている。
イタリアの赤い旅団によるアルド・モロ誘拐殺害事件をモチーフにした映画です。音楽がらみで知った映画じゃなくて、極左関係に興味があって、その関係で。
事件をちょっと調べたら、モロ氏の方に魅力を感じた。 かなりしたたかで、老練な政治家だったようだ。
ピンクフロイドよりもキングクリムゾンが好きだ。
前のエントリーで古いライブ音源云々というのは、このバンドのことも含む。
ジャズ・クラシックを聴くようになったきっかけでもあったな。
