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とりあえず主な関係者、言及するだろう人達の生年をまとめてみた。
浅間山荘事件で最年少だった加藤元久と、坪内祐三・大塚英志は二つ違い。
つまり1958年生まれが現役で高校入学すると、3年生に加藤元久の同級生がいるという関係。
加藤元久が高校に入学した頃は、大学紛争が高校に飛び火していた。 まぁ、政治活動から男子の長髪解禁運動とか制服廃止運動まで、いろいろあった。
1960年前後に生まれた高校生に、教師は直近の思い出として高校紛争のことを話したりもする。 部活などやっていると、伝説の先輩という形で武勇伝が語り継がれていたりもする。 大学とか職場によっては、先輩の友人の友人は活動家という距離感だ。
大塚英志「彼女たちの連合赤軍」
1994年雑誌初出だった。
この当時の大塚は、団塊世代批判論のようなのを多数書いていた。
盛んに上野千鶴子に論争ふっかけていたという印象。
連合赤軍については、とりあえず共通の事実関係の認識は共有できていたと思う。
坪内祐三『一九七二―「はじまりのおわり」と「おわりのはじまり」』
こっちは2000年からの「諸君!」での連載をまとめた本。
連載のきっかけは、若者(団塊ジュニア?)と昭和の話(3億円事件)をしていて、話が通じなかったことだったそうだ。
「この連載は団塊ジュニアに向けての歴史解説という役目があるかも」という意識は、若干は有るように思える。
彼は、2000年当時の大学生に向けて1970年前後の大学紛争の話をする困難さを感じていたのだろう。
映画「光の雨」監督: 高橋伴明
これは2001年公開。
連合赤軍事件の映画化に挑むスタッフとキャストたちの姿を描いた群像劇、という構成になっている。
この映画は、実は同名小説の映画化というのとは、ちょっと違う。 立松和平が小説「光の雨」をなかなか書けなかった事件もストーリーの中に取り込むという、ちょっと複雑な構造になっている。
団塊世代の監督(劇中の監督と、現実の監督の両方)と若い役者・スタッフとの意識のすれ違いもテーマの一つだ。
東浩紀/笠井潔 「動物化する世界の中で―全共闘以降の日本、ポストモダン以降の批評」
2002年の2月から、その年の暮れにかけて集英社新書ホームページ上で公開された往復書簡をまとめたモノ。
1948年生まれの笠井潔と、1971年生まれの東浩紀とで、まるで話が通じていない。
北田暁大 『嗤う日本の「ナショナリズム」』
北田も1971年生まれ。 この本は2005年に出版された。
北田にとって連合赤軍事件は、もはや遠い過去の出来事で、文献による「研究対象」とされているという印象がある。
11月1日、毎日新聞に若松孝二監督「実録・連合赤軍」の記事が載った。
若松監督は「事件当時に若者だった団塊の世代の人たちや今の若い人に見てもらい、あの事件が残したものを考えてほしい」と話しているようだ。
「今の若い人」にはたして届くのだろうか、かなり疑問を感じているのだがなぁ。
さて、ここではどうやって書こうか…
塩見孝也 1941年生
川島 豪 1941年生
田宮高麿 1943年生
永田洋子 1945年生
坂口 弘 1946年生
坂東國男 1947年生
笠井潔 1948年生
上野千鶴子 1948年生
吉野雅邦 1948年生
植垣康博 1949年生
加藤能敬 1949年生(1972年当時22歳)
加藤倫教 1952年生(1972年当時19歳)
加藤元久 1956年生(1972年当時16歳)
坪内祐三 大塚英志 1958年生(1972年当時14歳)
東浩紀 北田暁大 1971年生
浅間山荘事件で最年少だった加藤元久と、坪内祐三・大塚英志は二つ違い。
つまり1958年生まれが現役で高校入学すると、3年生に加藤元久の同級生がいるという関係。
加藤元久が高校に入学した頃は、大学紛争が高校に飛び火していた。 まぁ、政治活動から男子の長髪解禁運動とか制服廃止運動まで、いろいろあった。
1960年前後に生まれた高校生に、教師は直近の思い出として高校紛争のことを話したりもする。 部活などやっていると、伝説の先輩という形で武勇伝が語り継がれていたりもする。 大学とか職場によっては、先輩の友人の友人は活動家という距離感だ。
大塚英志「彼女たちの連合赤軍」
1994年雑誌初出だった。
この当時の大塚は、団塊世代批判論のようなのを多数書いていた。
盛んに上野千鶴子に論争ふっかけていたという印象。
連合赤軍については、とりあえず共通の事実関係の認識は共有できていたと思う。
坪内祐三『一九七二―「はじまりのおわり」と「おわりのはじまり」』
こっちは2000年からの「諸君!」での連載をまとめた本。
連載のきっかけは、若者(団塊ジュニア?)と昭和の話(3億円事件)をしていて、話が通じなかったことだったそうだ。
「この連載は団塊ジュニアに向けての歴史解説という役目があるかも」という意識は、若干は有るように思える。
彼は、2000年当時の大学生に向けて1970年前後の大学紛争の話をする困難さを感じていたのだろう。
映画「光の雨」監督: 高橋伴明
これは2001年公開。
連合赤軍事件の映画化に挑むスタッフとキャストたちの姿を描いた群像劇、という構成になっている。
この映画は、実は同名小説の映画化というのとは、ちょっと違う。 立松和平が小説「光の雨」をなかなか書けなかった事件もストーリーの中に取り込むという、ちょっと複雑な構造になっている。
団塊世代の監督(劇中の監督と、現実の監督の両方)と若い役者・スタッフとの意識のすれ違いもテーマの一つだ。
東浩紀/笠井潔 「動物化する世界の中で―全共闘以降の日本、ポストモダン以降の批評」
2002年の2月から、その年の暮れにかけて集英社新書ホームページ上で公開された往復書簡をまとめたモノ。
1948年生まれの笠井潔と、1971年生まれの東浩紀とで、まるで話が通じていない。
北田暁大 『嗤う日本の「ナショナリズム」』
北田も1971年生まれ。 この本は2005年に出版された。
北田にとって連合赤軍事件は、もはや遠い過去の出来事で、文献による「研究対象」とされているという印象がある。
11月1日、毎日新聞に若松孝二監督「実録・連合赤軍」の記事が載った。
若松監督は「事件当時に若者だった団塊の世代の人たちや今の若い人に見てもらい、あの事件が残したものを考えてほしい」と話しているようだ。
「今の若い人」にはたして届くのだろうか、かなり疑問を感じているのだがなぁ。
さて、ここではどうやって書こうか…
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一冊、購入しました。
あと、このサイトがまとまっていますよ。
http
もし、既にエントリにリンクされていたら恥ずかしいですが・・・。
「連合赤軍リンチ事件」のほうの人物紹介もネットだと貴重だと思う。(若干記述に悪意が感じられるけれど)
ただ、ちょっと残念なのは
1970年12月18日 革命左派 板橋区志村署上赤塚派出所(交番)の銃奪取闘争が抜けている。
深夜、武装した革命左派3人が交番襲撃。立番していた高橋巡査が重傷を負い、応戦した阿部巡査長が最高幹部・柴野春彦を射殺し2人を検挙。
翌日「柴野同士虐殺糾弾声明」が出され、赤軍派やML派より「闘争支持」のアピール文が出され、26日の「柴野同志虐殺弾劾抗議追悼集会」には1000人ほどが集まった。
このとき始めて、革命左派と赤軍派の、簡単な顔合わせが有ったはず。
永田洋子「16の墓標」にはリンチ殺人の死者以外に、この柴野も「墓標」に含まれてます。
翌年の12月18日に土田警視庁警務部長邸・爆破事件。 土田警務部長夫人・民子さんが即死。近くにいた長男(当時13歳)も重傷。
(この事件はサイトに有るのに、何故このページに言及してないのか、不思議)