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この本の中の記述についての読者からメールでの質問と、その返事が掲載されていた2006年11月19日の日記が、なんの説明もなく削除されていました。
- Shinya talk http://www.fujiwarashinya.com/talk/
- 返事の部分は http://londonbridge.blog.shinobi.jp/Entry/237/ の方に転載してあります。
詳細な反論が滝本太郎弁護士のblogでなされており、直接メールも送られています。
それが削除の理由なのかな?
2006/11/29 「備忘録 黄泉の犬」 http://sky.ap.teacup.com/takitaro/333.html
2006/12/27 「再び「黄泉の犬」について。」 http://sky.ap.teacup.com/takitaro/347.html
2006/12/27 「「黄泉の犬について-3」」 http://sky.ap.teacup.com/takitaro/348.html
2007/1/2 「藤原新也さんに」 http://sky.ap.teacup.com/takitaro/351.html
この件は後で、もうすこし詳細に書くつもりだが、いつになることやら…
倫敦橋の隠れ里:カテゴリー「藤原新也」 http://londonbridge.blog.shinobi.jp/Category/12/
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図書館で雑誌のバックナンバーをパラパラと眺めていたら永沢光雄氏が2006年11月1日死去していたことを知る。 1959年生まれ 享年47歳。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B1%CA%C2%F4%B8%F7?
1996年出版の「AV女優」、私は文庫になった時点でしか読んではいないけれど、かなり衝撃的だった。
出版元のヴィレッジセンターのサイトに書評が集められている。
http://www.villagecenter.co.jp/book/av.html
別のところで大月隆寛氏が「これは五十年後には貴重な民族資料」と言っているが、すでに90年代の貴重な資料になっていると思う。
書評の中には「彼女たちのの実像・素顔」などという言葉もあるけれども、「AV女優が語った『自画像』」という感じだろう。 真実かどうかはわからないが、インタビュアーにそういう物語を語った90年代…
しかし、あまりの大評判のせいか、その後のAVの冒頭には、必ずインタビュー場面がつくようになった気がする。 もともとが雑誌『ビデオ・ザ・ワールド』巻末の記事だから、インタビューのスタイルが真似(?)されるのは、まっとうな流れなのだろう。 いはゆる「実用」にもなる記事だった。
43歳で下咽頭ガンの手術でインタビュアーが声を失い、アルコールによる肝機能障害を患う。
これは知らなかった。 紙で産経新聞を読んでいないから、連載に気がつかなかった。
この記事が遺稿になってしまった。
「生老病死」最後の手紙 永沢光雄氏死去 「脅えることなく慰められ」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/books/art/26035/
これから3冊ほど刊行予定があるらしい。
http://www.chikumashobo.co.jp/pr_chikuma/0701/070109.jsp
声を失ってから小説を2冊出版しているので、小説も在るのかな? 過去に各種媒体に書いていたものを集めるのだろうか?
まず新聞連載が書籍化されるのだろうけれど…
その前に、何冊か読んでみよう。
ご冥福をお祈りします。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B1%CA%C2%F4%B8%F7?
1996年出版の「AV女優」、私は文庫になった時点でしか読んではいないけれど、かなり衝撃的だった。
出版元のヴィレッジセンターのサイトに書評が集められている。
http://www.villagecenter.co.jp/book/av.html
別のところで大月隆寛氏が「これは五十年後には貴重な民族資料」と言っているが、すでに90年代の貴重な資料になっていると思う。
書評の中には「彼女たちのの実像・素顔」などという言葉もあるけれども、「AV女優が語った『自画像』」という感じだろう。 真実かどうかはわからないが、インタビュアーにそういう物語を語った90年代…
しかし、あまりの大評判のせいか、その後のAVの冒頭には、必ずインタビュー場面がつくようになった気がする。 もともとが雑誌『ビデオ・ザ・ワールド』巻末の記事だから、インタビューのスタイルが真似(?)されるのは、まっとうな流れなのだろう。 いはゆる「実用」にもなる記事だった。
43歳で下咽頭ガンの手術でインタビュアーが声を失い、アルコールによる肝機能障害を患う。
これは知らなかった。 紙で産経新聞を読んでいないから、連載に気がつかなかった。
この記事が遺稿になってしまった。
「生老病死」最後の手紙 永沢光雄氏死去 「脅えることなく慰められ」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/books/art/26035/
これから3冊ほど刊行予定があるらしい。
http://www.chikumashobo.co.jp/pr_chikuma/0701/070109.jsp
声を失ってから小説を2冊出版しているので、小説も在るのかな? 過去に各種媒体に書いていたものを集めるのだろうか?
まず新聞連載が書籍化されるのだろうけれど…
その前に、何冊か読んでみよう。
ご冥福をお祈りします。
勧告のバラッド
堕落して、思慮分別を失って、
根性はひがみ、智慧は働かず、
常識が缺けて、道理の判らぬ 男たちよ、
生まれながらの本性に背いた仕事をやつている、
途方もない馬鹿、無知の充満した阿呆ども、
卑怯未練な心から 厭でたまらぬ死に屈従
している奴等よ、ああ、君たちを恥辱の中に
陥れる醜さが なぜ君たちに悔恨を起こさせないのか。
如何に多くの若者が 他人(ひと)の所有の財寶を
奪ひ取らうとして死ぬか、よく鑑(かんが)みよ。
人 各々は 過ちを自分の中に 看(かへり)みて、
復讐をしてはならない、じつと耐(こら)へよ、
俺たちは この世が牢屋であることを よく知つている。
だからと言つてその為に、短氣でない有徳の人は
ぶつたり、蹴たり、攫(さら)つたり、盗んだり、掠奪したり、
無法に人を殺(あや)めたりするのを、正しい道とはしない。
かういふ非行に 青春を過ごす輩は
神からは 見棄てられ、眞理には 全く反(そむ)いて、
揚句の果ては、他人(ひと)の所有の財寶を
奪ひ取らうと 拳骨や腕を捩(ねじ)つて苦悶する。
ちよろまかし、お世辞をつかひ、裏切つていながら笑ひ、
お恵みを乞ひ、嘘をつき、確信も無いのに断言し、
からかつたり、瞞(だまか)したり、毒藥を調合したり、
罪を犯した生活をして、隣人を信用せずに
疑心を抱いて眠つたり、そんな事が何にならうか。
そこで俺は結論する。 善を行ふ努力をしよう、
勇氣を振ひ起さう、神の励(はげ)ましに応へよう、
俺たちは安堵する日が一週に一日もなく、
他人(ひと)の所有の財寶を 奪ひ取らうとする俺たちの
悪事の因果応報は 親兄弟にも跳辺(はねかへ)つて来る。
平和に暮らさう、確執を絶滅しよう。
若者も老人も、皆、一致して和合しよう。
神の掟(おきて)がそれを望むのだ、使徒パウロは
適法的に 羅馬書(ロマしょ)の中に さう語る。
俺たちに必要なのは、秩序と、身分や信頼だ。
それらの点に氣を附けよう。他人(ひと)の所有の財寶を
奪ひ取らうとして真の神の港を失はぬやうに。
鈴木信太郎訳
http://ja.wikipedia.org/wiki/フランソワ・ヴィヨン
雑詩篇からの一節。
『形見の歌』『遺言詩集』から一説引用しようかなとも思ったけれど、なんか時期はずれのような気がしたし、妙に長いからやめた。
堕落して、思慮分別を失って、
根性はひがみ、智慧は働かず、
常識が缺けて、道理の判らぬ 男たちよ、
生まれながらの本性に背いた仕事をやつている、
途方もない馬鹿、無知の充満した阿呆ども、
卑怯未練な心から 厭でたまらぬ死に屈従
している奴等よ、ああ、君たちを恥辱の中に
陥れる醜さが なぜ君たちに悔恨を起こさせないのか。
如何に多くの若者が 他人(ひと)の所有の財寶を
奪ひ取らうとして死ぬか、よく鑑(かんが)みよ。
人 各々は 過ちを自分の中に 看(かへり)みて、
復讐をしてはならない、じつと耐(こら)へよ、
俺たちは この世が牢屋であることを よく知つている。
だからと言つてその為に、短氣でない有徳の人は
ぶつたり、蹴たり、攫(さら)つたり、盗んだり、掠奪したり、
無法に人を殺(あや)めたりするのを、正しい道とはしない。
かういふ非行に 青春を過ごす輩は
神からは 見棄てられ、眞理には 全く反(そむ)いて、
揚句の果ては、他人(ひと)の所有の財寶を
奪ひ取らうと 拳骨や腕を捩(ねじ)つて苦悶する。
ちよろまかし、お世辞をつかひ、裏切つていながら笑ひ、
お恵みを乞ひ、嘘をつき、確信も無いのに断言し、
からかつたり、瞞(だまか)したり、毒藥を調合したり、
罪を犯した生活をして、隣人を信用せずに
疑心を抱いて眠つたり、そんな事が何にならうか。
そこで俺は結論する。 善を行ふ努力をしよう、
勇氣を振ひ起さう、神の励(はげ)ましに応へよう、
俺たちは安堵する日が一週に一日もなく、
他人(ひと)の所有の財寶を 奪ひ取らうとする俺たちの
悪事の因果応報は 親兄弟にも跳辺(はねかへ)つて来る。
平和に暮らさう、確執を絶滅しよう。
若者も老人も、皆、一致して和合しよう。
神の掟(おきて)がそれを望むのだ、使徒パウロは
適法的に 羅馬書(ロマしょ)の中に さう語る。
俺たちに必要なのは、秩序と、身分や信頼だ。
それらの点に氣を附けよう。他人(ひと)の所有の財寶を
奪ひ取らうとして真の神の港を失はぬやうに。
鈴木信太郎訳
http://ja.wikipedia.org/wiki/フランソワ・ヴィヨン
雑詩篇からの一節。
『形見の歌』『遺言詩集』から一説引用しようかなとも思ったけれど、なんか時期はずれのような気がしたし、妙に長いからやめた。
おはよう、明日は聖バレンタインさまの日
明日は聖バレンタインの日
朝も早くに
私のような乙女もあなたの窓辺に立って
あなたのバレンタインになる。
起きた彼は服を着て
扉を開ける
入るときは生娘だけど出るときは女
神様!なんてひどいんでしょう!
若い男はみんなそう、ヤリたいだけ。
結婚するっていったでしょ、押し倒す前に。
「そのつもりだったさ、俺のベッドに来なきゃな」
To-morrow is Saint Valentine's day,
All in the morning betime,
And I a maid at your window,
To be your Valentine.
Then up he rose, and donn'd his clothes,
And dupp'd the chamber-door;
Let in the maid, that out a maid
Never departed more.
By Gis and by Saint Charity,
Alack, and fie for shame!
Young men will do't, if they come to't;
By cock, they are to blame.
Quoth she, before you tumbled me,
You promised me to wed.
So would I ha' done, by yonder sun,
An thou hadst not come to my bed.
ハムレット 第4幕 第5場
CD も出てます。
R.シュトラウス:3つのオフェーリアの歌 平松英子
http://www.amazon.co.jp/R-シュトラウス-3つのオフェーリアの歌-平松英子/dp/B00005HSTO/
こっちは少しだけ試聴できます。
Richard Strauss: Ophelia-Lieder, Op. 67; Enoch Arden, Op. 38; Piano Sonata, Op. 5; 5 Piano Pieces, Op. 3
http://www.amazon.co.jp/Richard-Strauss-Ophelia-Lieder-Sonata-Pieces/dp/B0000028O4
ドイツ語訳だと「おはよう、今日は聖バレンタインさまの日」となっているな。
ちょっと、時季はずれになってしまったかも
明日は聖バレンタインの日
朝も早くに
私のような乙女もあなたの窓辺に立って
あなたのバレンタインになる。
起きた彼は服を着て
扉を開ける
入るときは生娘だけど出るときは女
神様!なんてひどいんでしょう!
若い男はみんなそう、ヤリたいだけ。
結婚するっていったでしょ、押し倒す前に。
「そのつもりだったさ、俺のベッドに来なきゃな」
To-morrow is Saint Valentine's day,
All in the morning betime,
And I a maid at your window,
To be your Valentine.
Then up he rose, and donn'd his clothes,
And dupp'd the chamber-door;
Let in the maid, that out a maid
Never departed more.
By Gis and by Saint Charity,
Alack, and fie for shame!
Young men will do't, if they come to't;
By cock, they are to blame.
Quoth she, before you tumbled me,
You promised me to wed.
So would I ha' done, by yonder sun,
An thou hadst not come to my bed.
ハムレット 第4幕 第5場
CD も出てます。
R.シュトラウス:3つのオフェーリアの歌 平松英子
http://www.amazon.co.jp/R-シュトラウス-3つのオフェーリアの歌-平松英子/dp/B00005HSTO/
こっちは少しだけ試聴できます。
Richard Strauss: Ophelia-Lieder, Op. 67; Enoch Arden, Op. 38; Piano Sonata, Op. 5; 5 Piano Pieces, Op. 3
http://www.amazon.co.jp/Richard-Strauss-Ophelia-Lieder-Sonata-Pieces/dp/B0000028O4
ドイツ語訳だと「おはよう、今日は聖バレンタインさまの日」となっているな。
ちょっと、時季はずれになってしまったかも
ズレすぎてるし、アイロニカルにすぎる
「NHK問題」武田 徹 著
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480063366/
本書の終わりの方で武田氏はこう書いている。
確かに、そういう印象の新書だった。
思い起こせば、文庫になった「偽満州国論」(中公文庫) を読んだときも似たような印象を持った。 「どこの星の満州国の話か」と。 ひょっこりひょうたん島と満州国を同列において考えるという視点は、それなりに面白かったが、ものすごく違和感を感じてた。
日本の公共放送のはじまりをラジオ体操という側面から探り、戦後すぐのGHQとの関係、「日曜娯楽版」の政治風刺の問題の流れは、たしかに興味深い。
しかし民放との関係は、ほとんどページが割かれていない。電波三法におけるアメリカ流とイギリス流がミックスされた経緯も、あまりにさらっと流されている。
個々のエピソードは興味深いけれど、具体的な考察からずれつつけている。
「我が軍」と呼ばずに「英国軍」にこだわったBBCを思うべきというが、BBCについての考察も実にあっさりしている
BBCは英国にとって「非国民」なメディアなのだろうか? などという素朴な疑問が出てくる。
この本は武田氏の日記によれば「準備をいれて3年ぐらい、実際に作業にかかりはじめて1年半ぐらいかかった」そうである。
執筆中はちょうど「NHK・ETV事件」の裁判中であり、受信料不払い運動の真っ最中だった。
事件には軽く触れる程度で、著者独特の「ずれた」視点からNHK問題を論じているのだが… それにしても「ずれ」すぎているのではないか。
第5章で『「王の声を」伝えるメディア』であったBBCが、フォークランド紛争で「我が軍」と呼ばずに「英国軍」と呼び続けたエピソードが論じられている。
ではNHKはどうなのか、たとえばイラクの時はとか、CNN・フランス・アルジャジーラの場合は…… と話が続くと思いきや「テレビ天皇制」というように、近代皇室の歴史や戦後日本論の方にずれていってしまう。
この件については前著「戦争報道」(ちくま新書)で論じているから、今回はスルーということなのかもしれないが、はぐらかされたという印象。
第6章にはGoogleについて触れた部分もある。 Googleの中立性や検索の限界を指摘し、自動ランキングシステムの外に出ることも必要ではないかと提言している。 将来Googleのランキング上位のみを注目して、調査や番組編成することへの危惧なのだろうが…
しかし、問題はそれ以前の部分ではないのか? 番組制作者がGoogle頼みになってしまうのではないか、という未来の危険性を論じる前に、もっと考える問題があるはず。
マスコミに対する不信は、ネットで各国の複数のメディアと並列して読まれ比較されるようになって、より大きくなってきた。 マスコミに無視される情報が多数有り、情報選択の偏向が明らかになったのも一因だ。 現状は、視聴者がネットを通じて見ている情報を、何故見えない振りをするのか(本当に見えていない可能性もあるが)が問われているのではないか?
ネット=Googleに頼る危険性を論じる前に、そもそもネットのメリットさえも活用せずにいる現状があるはず。 そこあたりを無視し、先走って危険性を論じているのではないか。 「どこの星のNHKの話か」と感じる部分だ。
そもそも第6章は、受信料を払うことで視聴者がNHKに対してモノをいう「権利」が発生するのではないか、という考察から始まっている。 ネットで異議申し立てができるという流れの中で、Googleなどの話が出てくる。
話のスジが違うのではないか? 受信料問題からGoogleの問題へと、奇妙にテーマがずれてしまっている。
個々のエピソードは面白いが、半分以上が「机上の空論」という読後感だった。
それに、すでに「非国民」「非市民」「非科学」「反ジャーナリズム」のメディアは日本国内に存在しているのではないのかなぁ。
「非常識」「下品」「暴力的」な低俗番組は国境を越えている。
「風雲たけし城」は世界各国で真似され、暴力的でロリなアニメは日本名物だ。 AV嬢の写真が中国公営事業のポスターに流用されいてもいるぞ。
「NHK問題」武田 徹 著
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480063366/
本書の終わりの方で武田氏はこう書いている。
行き着いた論旨において世間一般のNHK論とはずいぶんとかけ離れたものになったと思う。「どこの星のNHKの話か」などと揶揄されそうである。
p243
確かに、そういう印象の新書だった。
思い起こせば、文庫になった「偽満州国論」(中公文庫) を読んだときも似たような印象を持った。 「どこの星の満州国の話か」と。 ひょっこりひょうたん島と満州国を同列において考えるという視点は、それなりに面白かったが、ものすごく違和感を感じてた。
日本の公共放送のはじまりをラジオ体操という側面から探り、戦後すぐのGHQとの関係、「日曜娯楽版」の政治風刺の問題の流れは、たしかに興味深い。
しかし民放との関係は、ほとんどページが割かれていない。電波三法におけるアメリカ流とイギリス流がミックスされた経緯も、あまりにさらっと流されている。
個々のエピソードは興味深いけれど、具体的な考察からずれつつけている。
「我が軍」と呼ばずに「英国軍」にこだわったBBCを思うべきというが、BBCについての考察も実にあっさりしている
あるいは市民運動が国家と敵対することを焦るあまりに自らの党派性、共同性に縛られて公共性を失うとしたら、公然と非市民を表明するメディアへ。さらにたとえば科学者たちが自らの利益を求めて独走するとしたら、あえて非科学を標榜するメディアへ。そして果てはジャーナリズムまでが自らの組織の倫理に拘泥し、報道の公共性を見失うようであれば、反ジャーナリズムを表明することすらいとはない組織へ……。
ここでは「非国民」「非市民」「非科学」「反ジャーナリズム」といった概念が、共同体の閉鎖的な思考を乗り越え、公共性の側に自らをひらいてゆくという意味での積極的な言葉として用いられている。
p236
BBCは英国にとって「非国民」なメディアなのだろうか? などという素朴な疑問が出てくる。
この本は武田氏の日記によれば「準備をいれて3年ぐらい、実際に作業にかかりはじめて1年半ぐらいかかった」そうである。
執筆中はちょうど「NHK・ETV事件」の裁判中であり、受信料不払い運動の真っ最中だった。
事件には軽く触れる程度で、著者独特の「ずれた」視点からNHK問題を論じているのだが… それにしても「ずれ」すぎているのではないか。
第5章で『「王の声を」伝えるメディア』であったBBCが、フォークランド紛争で「我が軍」と呼ばずに「英国軍」と呼び続けたエピソードが論じられている。
ではNHKはどうなのか、たとえばイラクの時はとか、CNN・フランス・アルジャジーラの場合は…… と話が続くと思いきや「テレビ天皇制」というように、近代皇室の歴史や戦後日本論の方にずれていってしまう。
この件については前著「戦争報道」(ちくま新書)で論じているから、今回はスルーということなのかもしれないが、はぐらかされたという印象。
第6章にはGoogleについて触れた部分もある。 Googleの中立性や検索の限界を指摘し、自動ランキングシステムの外に出ることも必要ではないかと提言している。 将来Googleのランキング上位のみを注目して、調査や番組編成することへの危惧なのだろうが…
しかし、問題はそれ以前の部分ではないのか? 番組制作者がGoogle頼みになってしまうのではないか、という未来の危険性を論じる前に、もっと考える問題があるはず。
マスコミに対する不信は、ネットで各国の複数のメディアと並列して読まれ比較されるようになって、より大きくなってきた。 マスコミに無視される情報が多数有り、情報選択の偏向が明らかになったのも一因だ。 現状は、視聴者がネットを通じて見ている情報を、何故見えない振りをするのか(本当に見えていない可能性もあるが)が問われているのではないか?
ネット=Googleに頼る危険性を論じる前に、そもそもネットのメリットさえも活用せずにいる現状があるはず。 そこあたりを無視し、先走って危険性を論じているのではないか。 「どこの星のNHKの話か」と感じる部分だ。
そもそも第6章は、受信料を払うことで視聴者がNHKに対してモノをいう「権利」が発生するのではないか、という考察から始まっている。 ネットで異議申し立てができるという流れの中で、Googleなどの話が出てくる。
話のスジが違うのではないか? 受信料問題からGoogleの問題へと、奇妙にテーマがずれてしまっている。
個々のエピソードは面白いが、半分以上が「机上の空論」という読後感だった。
それに、すでに「非国民」「非市民」「非科学」「反ジャーナリズム」のメディアは日本国内に存在しているのではないのかなぁ。
「非常識」「下品」「暴力的」な低俗番組は国境を越えている。
「風雲たけし城」は世界各国で真似され、暴力的でロリなアニメは日本名物だ。 AV嬢の写真が中国公営事業のポスターに流用されいてもいるぞ。