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「集団による思考や編集」が発揮されて、マスコミを動かした例としてはNHK「奇跡の詩人」以降なにが有るかなぁ?
「韓国ES細胞スキャンダル」とか「きっこ」だろうか。

最近の話題は「コメント欄炎上」だろうか。 経産省部長ブログ・PSE法問題での「炎上」は2ちゃんねる経由じゃなかったのが興味深い。 誹謗中傷じゃなくて、ちゃんとした批判のコメントが多かった。 しかし組織として議論・説明するべきところを、個人の公務中の更新問題で閉鎖という顛末には、けっこう暗い気分になる。
本来はblogのコメント欄内やTBでうまく議論できればいいのだろうけれど、何故かそれはうまくいっていない。
これを「ネット右翼」とか「ネットいなご」と同列において「炎上」と報道するジャーナリスト(新聞報道)にも【がっかり】だ。


2005年の時点だと、個人ニュース系サイト(というのかな)に取り上げられるとアクセス数が激増するというのがトレンドだったようだ。
しかし、それが論争のハブという形では機能していない。 いわゆる「炎上」を煽るような形で機能してるような印象も有ったりするしなぁ…

日本人は議論が苦手なんだろうか?


「集団による思考や編集」は、「はてな」の様々な機能とかwikiなどが追求しているようにも思う。
Digg/Pliggがそこに加わることになるのだろうかなぁ


しかし「ネット右翼」とか「ネットいなご」の話も遠い昔のように感じてしまう今日この頃 (苦笑



ネットの歴史について、参考にしてるサイト

「ネットバカ一代」 パソ通から掲示板文化、2ちゃんねるにいたる回想
http://piza.2ch.net/yume/kako/955/955467895.html

2 ちゃんねる研究 改訂版
http://www2.econ.osaka-u.ac.jp/~matumura/2ch.html
(2ちゃんねるの歴史については山のように有るが、Googleで最初にでてきたサイト)

ばるぼら氏のウェブ版の「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史」
http://web.archive.org/web/20030801113739/http://blogdex.tripod.co.jp/encyclopedia/

yomoyomo氏の『I can't blog.』 blog草創期について
http://www.yamdas.org/column/technique/blog.html

松永英明氏の『日本のウェブログの歴史(詳細版)』2004年06月のエントリー
http://kotonoha.main.jp/weblog/000844_history.html
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2006/7/23のサンデープロジェクトを見る。

加藤・管・田原は、かなり駄目だなと思う。 筑紫がいまだにキャスターをやっているのだから、消え去ることは無いのだろうけれど。

話を振られたひな壇の評論家が口をつぐむ。 こいつも、駄目だな。 田原の跡目を狙うくらいの暴言が欲しいところだが、保身が先に来ていた。

櫻井よしこ氏の目に殺気を感じた。 加藤紘一だけは絶対に許さない、という決意を固めたのだろうな。
今回は疑惑の指摘を数点述べたのみでとどめ、後から攻勢をかける戦術と見たが…

櫻井さんは、ちょっと苦手なんだけれど、こういうときは凄いと改めて思う。
今回の富田メモ論争の行方に注目。

すでにネットでの検証進んでいるが、どうなるかなぁ。
永田メモで一度練習済みの問題という気がする。 あのときのフォント問題での勇み足が、それなりに教訓となっているようにも思える。

今後は『メモ【誤報】問題』と呼ばれるのだろうか? ちょっと気になる。
昨今のマスコミ批判の重要な要因にオウム報道がある。
そのときその渦中にTBSにいた下村健一氏の1999年の講演録と2004年のラジオでの発言を見つけたので、これを元に考察して見ようとしたが…
ちょっと、ぐだぐだに成ってしまった。

マスコミから市民メディアに到るまでの経緯と、オウムにどう向き合うのか、という話が混在して、書いた本人でさえ読みにくいが…とりあえずアップしてみる。



99年7月8日 同志社大学講演会
http://www1.doshisha.ac.jp/~kasano/STUDENT/junior99/junior99-shimomura.html

 3年前、ちょうど私がニューヨークに転勤する直前のあの"オウム報道フィーバー"の頃、私はオウム教団自体よりも、世の中の反オウム大合唱のほうがずっと恐かった。明らかになった犯罪行為だけを批判するのならいいけれど、何でもかんでもオウムは悪い、それに異を唱える奴は非国民、という集団ヒステリー反応。これは本当に恐かったです。だって、オウムが全員一丸となって暴走した結果出る犠牲者の数と、日本社会が一丸となって暴走した結果出る犠牲者の数とでは、どっちが甚大か、明らかじゃないですか。日本社会全体がどこかに向かってバッと走る方がずっと恐い、というのはみんな学校で歴史を勉強して(或いは半世紀余り前に自ら体験して)分かってるはずなのに、どうしてこんなにすぐに大合唱してしまうのか。


この講演はTBSを退社する前後の時期なのだが、これは自身がTBSというマスコミに属していたからこその感慨なんだろう。
何を報道対象として選ぶのかは、フリーならば個々のジャーナリストの判断だろう。 しかし、TBSが報道対象を選ぶ姿勢は、どうやら「日本社会全体」の利益被害者の「数」が基準となっていたらしい。

オウム関連の下村氏の言葉を分析するならば
「オウムが全員一丸となって暴走した結果出る犠牲者の数」
からは、下村氏は一連のオウム事件を「一部が暴走した」事件と捉えていたようだ。

オウム報道の中心にいて、村上春樹の「アンダーグラウンド」(1997年)「約束された場所で―underground 2」(1998年)の後でさえもこうなのかと思い、ちょっと憂鬱になる。

2004年に下村氏は元オウム信者にインタビューしています。
http://www.tbs.co.jp/radio/np/eye/040320.html
http://www.tbs.co.jp/radio/np/eye/040327.html
このインタビューだと、オウム事件を「一部が暴走」という視点からは捉えてはいない様なのだが…

これだけ≪考えずに指示に従う≫構造だと、今また「麻原回帰」と公安の報告でも言われる中で、また何か上層部から指示が出たらそのまま従ってしまう一般信者がいるのでは、と心配する声もあるだろう。しかし、何事も可能性がゼロとは言えないが、今のアーレフには、攻撃的行動に出る≪手段≫が特に無い。差し迫った危険よりは、むしろそうやって「怖い、怖い」と仲間はずれにし続けて、反社会的気持ちを彼らにわざわざ与える方が、よっぽど危険ではないだろうか。


下村氏は、はたしてどれくらいの取材をしてオウム(アレフ)の危険性を判断しているのだろうか? ちょっと疑問に思う。 「日本社会全体」を考えるという視点から、受け入れ側の問題が興味の中心のように見える。
相変わらず「オウムの暴走」よりも「日本社会の暴走」のほうが大きな問題、緊急の課題だと考えているように思えるのだが…

では「マスコミの暴走」についてはどうなのだろうか。
前出の講演の質疑応答から

【Q】 最近の"野村サッチー"報道についてどう思うか。

【A】 実は昨日アメリカから帰ってきたばかりで、サッチー問題とかあまり分からないのですが、何かすごいことになっているらしいというのは聞いています。向こうでも日本の新聞は読めますので、その紙面の下にある週刊誌の広告で見出しを見て、何これという感じで受け止めている程度ですので、きわめて大雑把なことしか言えませんが、あれはある面で、もう沙知代さんに対するいじめじゃないですか。沙知代さんが何をしたかは知りませんが、見出し等を見ていても、よってたかってあんな事こんな事をした、と叩いてますでしょ。その読者やサッチーバッシングをしている人たちというのは、みんなとりあえず、いじめる側に寄っていればいい、と思って振る舞っている感じがして仕方がないのです。いつ流れが一変して自分がいじめられる側になるか分からないのに、とりあえずいじめる側に乗っているか、見て見ぬふりをして、いじめられる人を助けない。小学校のクラスで行われている風景と、全く一緒なのではないかと思います。一般的なことしか言えなくてすみません。


この質問は、マスコミこそ「非国民と罵る集団ヒステリー反応」をしたのではないか、という批判だったような気がする。 おそらく質問者はマスコミ側の報道姿勢に対するコメントを期待したのだろうけれど、下村氏はマスコミの受け手・読者のほうの話にずらしてしまった。

下村氏は現在は自称「市民メディア・アドバイザー」となっっているけれど、それはこの時のマスコミ批判への、彼なりの答えなのだろう。 「主要メディアが報じぬ話」を中心に情報発信をしています。

それはそれで、まぁ評価すべきことだとは思う。

しかし、ちょっと気になる点もある。
「市民」はメディアリテラシーを高めなければいけないということで、啓蒙活動をしている。
影響力の強いマスコミに対しての批判も忘れてはいない。
そして市民メディア・アドバイザーを「職業」と自称している。

これら一連の活動は、彼の中では一貫しているのだろうけれど…
http://www.tbs.co.jp/radio/np/eye/040612.html

林:
松本サリン事件の時にテレビが果たした世論形成と、10年が経った今とでは、随分変わったように思います。あの頃あった報道系のワイドショーなど、《その他の視点》を提示する部分が、全部ネットに落ちていった。誹謗中傷もすごくあって、どんどん増殖して、形成されているような気がしています。
下村:
ネットに落ちてきたのは、誹謗中傷だけでなく、もう反対の端の方も、ですよね。


彼は「市民」は「非国民と罵る集団ヒステリー反応」をするものだ、という思いがある一方で、市民メディアにも期待を寄せているのだろう。
そして市民メディアを応援するのが自分の役割と捉えて、「職業」と自称しているのだろうが…

ぶっちゃけ、アクセルとブレーキを同時に踏んでいるような態度じゃないかなぁ
ある種のエリート意識というか、上からものを言う姿勢も感じられる。

さて「市民メディア」の明日はどっちだ 
泉あいさんの政治家インタビューシリーズも、もう4人目なわけなのだが
http://voice.fresheye.com/ais_eye/

「政治家の資質とは」というテーマのようなのだが、それになんの意味があるのだろうか?
河野太郎氏のインタビューでは、いちおうそれに関連した話にはなってはいるのだが。

鈴木宗男氏インタビューについては、すでにエレニさんからの詳しいエントリーがある。
http://d.hatena.ne.jp/Ereni/20060605#p3
特に付け加えることはないのだけれど…
あえて付け加えるならば、鈴木氏のサイトはかなり充実していて、2000年頃だとデザインやフラッシュの格好良さが際だっていた。 現在だって高水準なほうだ。
そこあたりのいきさつや戦略は、ネット出身という泉さんなら聞きやすい立場かなと思ったが…まぁ期待はしていなかったけれどね。

河野太郎氏はインタビューで語っている通りメルマガを長くやっている。
彼には臓器移植とかスタッフに外国人を採用とか最近の選挙での働きなど、いろいろ面白いネタが有る。 しかし、誰でも聴きたがり彼も話したがることばかりの、ありきたりのインタビューだった。
そりゃぁ、今現在インタビューするならば総裁選絡みになるのは自然だけれど、それならば別に泉さんじゃなくても他の人で充分である。


これは志位和夫氏でも同じで、別にインタビューを読まなくとも赤旗を読めばいい話しか聴いていない。
ネットジャーナリストと名乗るならば、赤旗のネット戦略を聴くとかしたらよかったのではないのだろうか。

第44回衆議院選挙取材で各政党の広報に顔を覚えてもらい、現在はfresheyeの後ろ盾をえてインタビュー出来ているけれど、はたしていつまで続けられるのだろうか。
「政治家の資質とは」というテーマも自身で深く考えているようにも思えず、質問を募集しても集まらず、しかもそれをインタビューに反映させることも出来ず、またサイトの更新も決して早くない。
インタビュー自体も独自色がないのだから、はたしてアクセス数は稼げているのだろうか。
月刊アスキーは最後の頃は山崎マキコ氏の連載くらいしか、まともに読んでなかった気がする。
webに連載していた恋愛ゲームレビューも愛読していたなぁ。
小説は読んではいないけれど(汗

田口ランディ絡みで名前が出たときは、ちょっと驚いた。

で、月刊アスキー休止で、ふとネットを眺めていたのだが…

http://www.bitway.ne.jp/bunshun/ronten/so-net/sample/onti/050303/index.html

はて? ここに登場する「フレディー」氏とは、もしかして…
1995年から97年まで、毎日新聞社会部で警視庁捜査一課を担当。1999年10月、アスキーに移籍。月刊アスキー編集部などを経て2003年2月に退社した、あの人じゃないかな?
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