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湯川鶴章さんによると、ダン・ギルモア氏が取り組んでいる市民記者型ニュースサイトが不調だそうだ。
http://it.blog-jiji.com/0001/2006/03/post_7000.html
アメリカの、あのギルモア氏でさえも苦戦かぁ、とも思う。

彼は2005/09/28に来日しています。
http://clione.cocolog-nifty.com/clione/2005/09/dan_gillmor_mee.html
そのときの様子がいろんなblogで紹介されているのを見ると、民主党ブロガー懇談会のことが思い出されるな。 (私は参加はしていないが、blogは見ていた)
そこに日本のwebの可能性を見た人も多かったのだろうな (遠い目)

H-Yamaguchiさんのレポートが興味深い。

http://www.h-yamaguchi.net/2005/09/legacymain_stre_1701.html

もうひとつ、議論の中で気づいたのは、ギルモア氏のメディアに対する「自然体の」態度だ。メディアとしてのブログを過大評価せず、マスメディアを特別視しない考え方、ということになろうか。日本のジャーナリズムは、どうも自分たちの仕事をいたずらに聖域化したがる傾向にあり、ブログのような新しいメディアに対してやや過剰反応しすぎなのではないか。

また一方で、ジャーナリストの中には、既存マスメディアへの失望やあせりからか、必要以上に攻撃的になったり、その将来に危機感を煽ったりする人もいるように思う。別に湯川氏がそうだというのではないが、印象的な対比があった。既存マスメディアをさすことばとして、湯川氏が「legacy media」ということばをしばしばキーワードのように使っていたのに対し、ギルモア氏は一貫して「mainstream media」ということばを使っていた。この差は重要だと思う。「legacy」という言い方は「古臭い、本来淘汰されるべきものが残ってしまっている」というニュアンスをもっているように思うが、「mainstream」という言い方は、今後もマスメディアが社会に果たすべき役割は変わらない、という見方を反映している。



私も湯川氏を攻撃的・危機感を煽る人とは思っていないけれども、今度出した本のタイトルの経緯を見ると、なるほどなと思う。

http://kusanone.exblog.jp/3728175/
「ブログの読者からは『ネットにやられてたまるか』というタイトルを提案してもらったんだけど」と話したら「それでいきましょう。編集会議でそのタイトルを強く推します」と言っていた。

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ボクシングの話が盛り上がってるなぁ。面白かったエントリー紹介

「なんでかフラメンコ」さん 「ボクシング型コント」という新ジャンルを生み出したTBS
http://d.hatena.ne.jp/orochon56/20060803#p1

このように、笑いのスタイルとしては、ほぼ完璧に見える亀田さんの試合であったが、ひとつだけ欠けているものがあった。このコントにはツッコミがいないのである。出演者全員ひたすらボケるだけ。つまりこれは、観客をツッコミ役に想定している視聴者参加型のコントなのである。


最近のマスコミ報道は、ネットとセットでなければ楽しめなくなってしまった気もする。
今回は客席に誰が居たかという情報が一番面白かった。

ボケのネタ供給源としてのマスコミ…
いつまでも、どこまでも、あくまでもマスコミはボケを続けるのだろうか…

などと、一応は言わなきゃいけないのだろうな。

TBSと他メディアの手のひら替えしも含めて、さすがに「面白い」とは思わない。 
「不愉快」という気持ちが強い。
前のエントリーで「繋がりの社会性」が解らないと書いたけれど、堀江貴文社長(当時)と湯川鶴章氏を補助線にし考えてみると、なんとなく腑に落ちた。

電通総研の広報誌「Communication Inquiries」(PDFファイル)の2004年10月号にライブドアの堀江貴文社長のインタビュー記事
http://dci.dentsu.co.jp/pdf/communication03.pdf
ライブドア堀江社長が予測するマスコミとブログの今後
http://kusanone.exblog.jp/1166502

これからは検索ではなくコミュニティーの時代になるという堀江社長の考え方がキーポイントかな。
たぶん次の展開としてSNSを考えていたのだろう。

今大きなパラダイムシフトがブログによって、起こっているんです。ポータルサイトは、これからは検索主導型からコミュニティ主導型になる。(中略)ユーザーがインターネットに慣れてきて、ネット上で友達のブログを登録したりとか、興味ある人のブログとウェブサイトを登録しはじめて、いったんそのコミュニティを作ってしまえば、それが中心のライフスタイルになると思うんです。例えば、気になるニュースに対して、俺はこう思うとか……。ブログを書き始める。実はブログのRSSの裏にはFOAFリンクというのがあって、裏でつながっているんですね。トラックバックとかタイプキーとか使ってコメントをした時点で、お互いの繋がりの構造というのが裏で出来ているんです。きっかけは、ニュースの検索だったりするんだけれど、知らないうちに同じ嗜好性を持った人同士がつながる。ニュース自体もRSSですでに発信されてますから。本当の意味でのマイポータルがRSSを中心にそこに出来てきているようなかたちになっている。自分にカスタマイズされた情報源になる。(中略)今までは、何かを探すためにインターネットを使っていたが、これからは違う。これからは、本来のインターネットのよい点、コアであるコミュニケーションの部分にどんどん到達していく。コミュニケーションのパラダイムシフトを起こしていくことに使われるのではないか。もちろん、探すという行為は、無くなるわけではないんですが、「探す」よりも「繋がる」ことのほうに変わっていく。

ホリエモンが「世界一受けたい授業」に出演したとき、これからのネットは「出会い系」になりますと断言していたのを思い出すな。
なかなか挑発的で面白いと思ったのと同時に、それほど「繋がる」ことに未来を賭けて大丈夫なのか、とも感じた。

最近はmixi内での様々な軋轢(?)や燃えつき症候群も報じられているけれど、これってパソ通時代に一度通った道じゃないか? とも思う。 (mixiに参加してないから解らんが)
glocomの討議など読むと世代の違いを感じるな。
2005年4月号『特集*ブログ作法』を読んだときにも感じたのだが、最初からネットに参加するのが掲示板だった世代との差とでもいうか。
初期のインターネットのサイトにはオタクコレクションのデータベース的なものも多かった。

手書き→ワープロ→パソコン
マイコン(自分でプログラム)→市販ソフト→オンラインソフト
という体験の差も有るだろうな。


「オン書き」する奴は、そりゃパソ通のときからいたけれど、今ひとつ理解しがたかった。
そりゃ、1行程度のチャットなら解るが、論争モードでそれをやるのは揚げ足とられるだけだと思うのだが。
まぁ、そして結局は発言を削除するはめになり、なんだかなぁとなるのがオチなわけだが。

インターネットは「僕ら」を幸せにしたか?―情報化がもたらした「リスクヘッジ社会」の行方  森健著
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4757211708/503-1168760-6805514?v=glance&n=465392&s=gateway
を読んで、そういえばそうだなと思ったのが、メールに即返事をつけるという風潮。
本書でも言われているけれど、メールは相手の時間を拘束しないのがメリットなはずなのに、もはや半日どころか数分も放っておけない時代らしい。 わたしは平気で放置するがなぁ…

わしらの世代だと長電話がトレンド(?)だった気がするが、mixiへのはまり方はその延長線上なのかな、などと無根拠に思う。

サイトを毎日更新しなきゃいけないと思いこんでいるのも、似たようなモノかな?
そりゃ更新が少ないサイトは見に行かなくなるけれど、更新するから見に行くモノでもないのだが…。
最近は検索とか、個人ニュースサイト、掲示板経由で直接に記事に飛ぶことの方が多い。他の記事を読むかは、その時の気分次第かなぁ…。

日記系blogだと、過去の記事へのリンクがないのも結構ある。 書き捨て、とまでは言わないが…そういう感覚なんだろうなぁ、とは思う。

ここのblogサイトには、現在は過去記事へのリンク方法が3つも有る。(汗
「タイトルリスト#」だけで十分だと思うのだが、タイトル名が長すぎるとちょっと表示が乱れるので…試行錯誤中。


2ちゃんねらは990万人 30代と40代が過半数 年齢別ユーザー分析結果
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/503654.html

数字の信頼性はともかく(以下参照)
http://d.hatena.ne.jp/tks_period/20060308/1141808416
まぁ、数字をそのまま信じちゃうのも痛いけれども、「若者」達の反応が興味深い。
30台40台が意外に多いってのは、よく読めば明らかだと思っていたのだが。
60年代にヒッピーやってた団塊の世代なんか、そろそろ定年だが妙に「若い」奴も多いぞ。
「2ちゃんねるは終わった」というは何度も繰り返し言われてるし、管理人本人も言っていたはず。
その中でも2004年秋の「ised@glocom」の倫理研の共同討議が、現在に繋がる動きというか、底流に有るのかな、とも思う。

http://ised.glocom.jp/ised/20041030

共同討議 第1部:「2ちゃんねるの時代」の終焉をめぐって
3. 第1部(1):韓国のネット事情
4. 第1部(2):日本における「2ちゃんねるの時代」を振り返る
5. 第1部(3):メディアリテラシーとタブロイド的関心の行方


どうやら、ここで討議されているのは主に「掲示板文化」のように思える。
オーマイニュース関連の話や「はてな」も関係してくる話。
「繋がりの社会性」というのが参加者の共通認識らしいが、その概念はよくわからないなぁ。

当時のネット事情についての図式は以下で示されています。

2. 倫理研第4回: 加野瀬未友 講演(2) http://ised.glocom.jp/ised/07020514
2ちゃんねるモデル・まとめサイトの重要性・ブログモデルという形で図解されています

以下のサイトも紹介されています。

ブログを巡る情報集積・共有、対応行動の概要モデル
http://s03.2log.net/home/singbrain/archives/blog168.html

ネットの「速さ」と「パワー」の威力とは何か:ネット右翼問題を題材に
http://www.policyspace.com/archives/200503/post_335.php

少数の有力なブログ(良質な記事を更新しており、固定客が大勢居るサイト)にはリンク関係が集中する傾向がある。つまりオピニオンリーダーとなる、ハブ的な役割を担うブログが存在することが分かってきた。


つまり、本来の学術的意味での「アルファブロガー」が論じられています。
非常に雑な表現するなら「2chで晒されて炎上する時代は終わった、切り込み隊長が放火する時代だ」

ここでリンクした図は 
インターネットと“世論”形成―間メディア的言説の連鎖と抗争 遠藤薫編著
に載ってるのよりは、遙かにいいと思う。
関連【書評】 http://belena.blog70.fc2.com/blog-entry-88.html


glocomはジャーナリズムの考察もしてますな。

「ネットとジャーナリズムの将来像について」ゲスト:湯川鶴章氏(時事通信)
2004年12月の定例会(2004/12/19、@Glocom)のメモ
http://www.infosoc.jp/pukiwiki/index.php?%5B%5B2004-12-19-memo%5D%5D

いろいろと興味深い。 
そして、こんな状況の中、2005年1月に泉あい氏はGripBlogを始めるわけなのだが…。
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