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ここ数日ネットから目を離してるうちに、オーマイニュースに動きがあった。
11月17日から、「オピニオン会員」によるコメントは受け付けず、記事に対してコメントできるのは、「市民記者」だけとなることに決定した模様。

「オーマイニュース」市民記者規約 2006年11月10日改定版
http://www.ohmynews.co.jp/blog/archives/2006/11/post_135.html

もともと私は「オピニオン会員」なるものが出来た事自体に驚いていたので、「やっと本来の路線に戻ったのだろうな」と言う感想しかないけれども…

準備blogの7月13日 編集部記事より
http://www.ohmynews.co.jp/blog/archives/2006/07/post_71.html

また、8月末に創刊予定のオーマイニュースβ版では記事に対するコメントが可能となります。これについてはペンネームなどでのコメントを可能とするかどうか検討中ですが、いずれにせよオーマイニュースに「準市民記者会員」として実名で登録する手続きを取らなければ書き込みができない形を取ります。記事に対するコメントにおいても、「責任ある参加」を促すためであり、オーマイニュースは完全匿名による誹謗中傷や無責任な発言などを「市民記者の責任ある参加」とは考えていません。

一方、本ブログは一般のブログと同様、匿名によるコメント書き込みが可能となっています。これは本ブログがあくまで創刊までのオーマイニュースの動きなどをお伝えする「開店準備中blog」にすぎないためですが、上記の通り8月末創刊のオーマイニュースβ版では全く状況が異なります。

一部エントリにコメントが多数寄せられたことにより「ちゃんとした人が楽しく読めなくなる」「なぜきちんと管理しないのか」とのご指摘、 ご批判、憂慮の声も寄せられ、さまざまな考慮もしましたが、当面はコメントを削除するなど措置は取らないこととしました。見苦しい点もあるかと思いますが、「準備ブログ」ということでご容赦ください。繰り返しますが、8月末の創刊後はこうした状況となることはありません。


「準市民記者会員」を「オピニオン会員」に名称変更したわけだが、準備blogよりも見苦しい、むごい状況だなぁ。



佐々木俊尚非常勤編集委員の編集部入りの経緯と、現時点での総括のようなものが挙がってた。

それにしても…、Cnetにもオーマイニュースのことを書いたりしていて、改めてオーマイニュースには彼の居場所がないということを感じたりもするが…
どこか節操がない印象。
一所懸命という感じではないな。

市民ジャーナリズムは、混乱と炎上を越えて立ち上がるか
オーマイニュース日本版船出の裏側
http://opendoors.asahi.com/ronza/story/
創刊前のアドバイス


徹底的に中立のメディアとして「場」を提供していくのか、それとも何らかの意思を持ったメディアとして先鋭的なジャーナリズムを実現していくのかを切り分けなければならないと話し、「ちょっと言いすぎか」と自分で思いながらも、次のようなことまで呉代表にアドバイスしたのだった。
 「もし前者を選ぶのだったら、新聞社を定年退職したような人は編集者には選ばない方がいい。もっと柔軟でネットメディアの感性を持っている若い人を編集長や編集者に」


この時佐々木氏は、だれか特定の人を推薦したのだろうか?
「場」を作り、運営する若い人といえば2ちゃんねるのひろゆき氏、はてな近藤氏、mixi笠原氏のようなイメージが思い浮かぶのだが…

また後者の「何らかの意思を持ったメディアとして先鋭的なジャーナリズム」にすることになったとしても、佐々木氏は鳥越俊太郎を推薦しただろうか?
いまふと思い浮かんだのは、ネットではもうベテラン、萬晩報(よろずばんぽう)の伴武澄氏(*、団藤保晴氏…

鳥越氏とは、あまりに想定外のように思う。
ほぼ日刊イトイ新聞にコラム書いてる団塊世代のテレビタレントジャーナリストは、「お飾り」ならば問題はないだろうけれどもなぁ。

佐々木氏が非常勤編集委員となったのは、鳥越氏が編集長就任直前だったそうだ。 日本版の立ち上げや、スタッフ集めにも関わってもいないのだろう。
彼にだってそれなりの人脈があっただろうに、現在編集部内で孤立しているように見える。 
ちなみに現在オーマイニュース編集部で一番若いスタッフは、鳥越氏が関西大学で教えていた時の教え子だったりもする。
http://www.tbs.co.jp/radio/np/eye/060826.html

β版創刊2ヶ月を経て、編集部のあまりの力不足が明らかになってきているけれども、これは準備blogの段階からその兆しはあった。

「オーマイニュース編集部には新聞記者出身のスタッフが多く」と佐々木氏は書くが、むしろ「新聞社に勤めていた経験があるスタッフと、社会経験ネット経験が少ない新人」といった方がいいだろう。
このネットに不慣れなスタッフと、ネットに詳しい佐々木氏が組もうと思ったのが、いささか不思議だとも思う。
しかし、佐々木氏の「ことのは問題」やライブドアの取材記事を読むと、そう不思議でもないかも。 反権力の人とベンチャーIT業界人には、かなり甘い。
どこかに「身内感覚」があるように見える。

2ちゃんねるでは分裂独立という観測も有るが、そういう事態にはならないと予想している。
喧嘩別れ、独立というような形は彼のスタイルには無いように感じる。
「オーマイニュース非常勤編集委員」というのは、それなりに彼の経歴の中で重要な位置にあるので、泥沼の底まで付き合うのじゃないかな?


*
萬晩報(よろずばんぽう)は1998年にネット上に創刊。
現在主筆の伴武澄さんはMSNジャーナルにもよく寄稿していて、当時は結構アクセスを集めていたサイトです。
「市民記者」制ニュースサイトの先駆者の一人と言っていいと思う。
http://www.yorozubp.com/

韓国で急成長するネットジャーナリズム 2002年08月02日(金)
萬晩報主宰 伴 武澄
http://www.yorozubp.com/0208/020802.htm
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11月1日鳥越氏NHK、スタジオパークに生出演。
NHK家族に乾杯の番宣のため。 11月6日放送予定 − 石川県白山市 鳥越地区 − 

団塊世代のアイドルなんだろうかなぁ? けっこう歓声が凄かった。
たしかにビジュアル的には映える人だとは思うが…

本人や回りの意識としては、映画「大統領の陰謀」(1976)のロバート・レッドフォードのイメージなんだろうなぁ。

レッドフォードがジャーナリスト役をやった映画としては、「アンカーウーマン」(1996)というのも有ったな。
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD10406/index.html
野心だけは有るお気楽お天気キャスター(ミシェル・ファイファー)を鍛える、屈折した元敏腕ジャーナリストという役どころだった。
二人がジャーナリストとして自立していく姿が、ベタとはいえ格好良かった。
ローカルテレビ局を舞台にした「マイ・フェア・レディ」といった感じ。
ウォーターゲート事件、CNNなどを誇るべき歴史として抱えている国ならではの映画という雰囲気だったな。

最近BSで放映されたハンフリー・ボガード主演「殴られる男」(1955)を始め、ジャーナリズムをテーマにした秀作は多い。
これらの映画を見て、身を引き締めてジャーナリストを目指す人がいるのだろうなとは思う。

日本でもニュースキャスターをテーマにしたドラマは有るのだけれど…
どうなんだろうなぁ?
ジャーナリストを目指したくなるようなモノが、最近つくられているのだろうか?


で、まぁNHKでの鳥越氏は自身の経歴の話は、大学に7年、なんとなく新聞社に入社、落第記者だった…云々。
エリートと呼ばれることを拒否。 花形記者・看板タレントであることを否定。
コメンテーターではあるけれど、いわゆる「オピニオンリーダー」であることにも抵抗感があるのだろうなという印象。

「家族に乾杯」みたいなお気楽なレポーターとして余生を送りたいのかなぁ…?

そんなことを思いつつオーマイニュース編集長インタビュー記事を読む。

小林よしのり氏に編集長インタビュー
http://www.ohmynews.co.jp/omn/InterView.aspx?news_id=000000002852

あまりにヌルい対談に脱力。 どちらが「知識人」「言論人」として格が上かは、一目瞭然。(当然小林氏が上)
鳥越氏は事前の下調べも不十分だし、話も散漫。
父親の話に切り込むかと思えば、あっさりしているし…
溝口敦さんの息子や加藤紘一の事件を「言論弾圧」として話を振るけれど、あっさり斬り返されて尻切れトンボ…。
鳥越氏が「軽くあしらわれた」というインタビューだった。

そもそも編集部の『小林氏は最近『ゴーマニズム宣言』をはじめとする漫画家としての顔だけでなく、最近では言論人としても活躍する。』という紹介からして、なんていうか…「しょせん漫画家風情が…」ということかな。
これが団塊世代を対象とする雑誌の対談なら、こんなものだろうけれど、ものすごく感覚がずれている。 そもそも現在の小林氏に興味を持つこと自体が…

しかしまぁ、解らなくもない。
現在、微妙に鳥越氏と主張が重なる部分が有るのは確か、ではあるけれど…

それにしても今、小林よしのりにオーマイニュース編集長がインタビューするべきなのは、ネットについての事じゃないのか?
ちょっと前まで小林氏は反匿名・反2ちゃんねるだったし、その後やや軌道修正しているところを聞くべきだったはずなのだがなぁ。

小林氏をオーマイニュースに引き込むことまで、編集部が戦略を立てているならば、まだ見こみはあるのだろうけれど…
無理そうだな。
狭義の団塊世代は、1947年(昭和22年)から1949年(昭和24年)の3年間に生まれた人たち。
1948年優生保護法成立以降、1959年までのわずか10年間で出生率は人口千人当たり30人台からわずか10年で15人程度まで、「合計特殊出生率」(1人の女性が一生の間に生む子供の数)は4.32人から2.04人へ低下しました。
「家族計画」が大成功。







団塊世代の母親は当時の10代後半方〜30代前半、つまり大正末から昭和初めに産まれています。 西暦だと1920年代前後。 多産多死から多産少子へ移行しつつある時代です。

兄弟姉妹は4人以上は普通で、夭折した身内がいるのも普通。 人口圧力のため、親戚知人のなかに海外雄飛というか、満州・ハワイ・南米移住した人も多い。

「産児制限」は1920年代から日本でも議論され始めています。 優生学の影響がかなり強い。
1939年に「産めよ殖せよ国の為」と号令がかかるけれども、特に産児制限の議論は「弾圧」されてはいません。
「量より質」じゃないか、という雰囲気も有ったためらしい。

つまり国策による

多産多死→多産少死→戦争→超・多産少死→少産少死

という流れを一代で目撃・体験している世代ともいえる。
子供は「さずかる」ものではなく「つくったり、つくらなかったり」するモノだという意識は、この世代から一般化し始めたのだろうな。



表は経済企画庁 国民生活白書から

平成6年 国民生活白書
高齢化と各世代との関係
http://wp.cao.go.jp/zenbun/seikatsu/wp-pl94/wp-pl94-01201.html

平成10年 国民生活白書
人口増加時代の終了と人口の年齢構成の変化
http://wp.cao.go.jp/zenbun/seikatsu/wp-pl98/wp-pl98-01101.html
カリール・ジブランの「子供について」という詩を紹介したのだけれど、その中の一節で、ちょっと気がついたことなど。

あなたは弓です。 その弓から、子は生きた矢となって放たれて行きます。



レバノン産まれのキリスト教徒の詩人ということなので、これは創世記におけるイシュマエルの伝承を踏まえているのじゃないかなと、ふと思う。

イシュマエルはアブラハムの息子でアラブ人の先祖、弓矢を射る者とされています。

神がその子と共におられたので、その子は成長し、荒れ野に住んで弓を射る者となった     創世記 / 21章 20節(新共同訳)


つまり、神が射手になり弓(母親)を引き絞り、矢(子供)を的に射るという、神を讃える詩です。


イシュマエルとイサクは共にアブラハムの息子で兄弟です。

イサクとイシュマエル wikiより

イサクが生まれる前、出産をあきらめていたサラは、女奴隷のハガルによってアブラハムにイシュマエルをもうけさせていた。ところが、ハガルは増長して主人のサラを軽視するようになり、サラの腹から生まれたイサクをイシュマエルがからかっている光景をサラが目にしたことから、サラはアブラハムに母子を追い出すよう迫る。アブラハムは神の「心配せず妻の言う通りにせよ(取意)」とのお告げを受けてこの母子を追い出す。母子は放浪のあげく、泉を見つけて安堵する。この系列はイシュマエル人としてヘブライ人(ユダヤ人)とは別の民族になったとして、旧約にも登場する(ヨセフをエジプトへ連行したのもイシュマエル人の隊商である)。のちに、アラブ人はこのイシュマエルを祖とするイシュマエル人の子孫と称し、アラブ人が開いたイスラム教ではイサクよりもイシュマエルが重視される。



wikiでは省かれているけれど、ハガルは妊娠中にも追放され荒れ地をさまよっています。

イシュマエルとその母ハガルの母子の話は、けっこう文学や絵画のモチーフにされています。
裏聖母子像という感じかなぁ。 嘆きの母子、さすらいの母子像として描かれてる。

 荒れ地をさまよう母子。 息子が死に瀕して嘆いている姿。泉で天使と会う場面。などの絵画。
http://images.google.com/images?client=opera&rls=ja&q=Hagar%20%20Ishmael&sourceid=opera&ie=UTF-8&oe=UTF-8&sa=N&tab=wi
ハガル・イシュマエル母子を追放するアブラハム
http://images.google.com/images?svnum=10&hl=ja&lr=&safe=off&client=opera&rls=ja&q=Hagar++Abraham&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2
ハガルの帰還  http://www.salvastyle.com/menu_baroque/cortona_hagar.html
ハガルと天使
http://images.google.com/images?client=opera&rls=ja&q=Hagar%20meets%20the%20Angel&sourceid=opera&ie=UTF-8&oe=UTF-8&sa=N&tab=wi

奴隷と自由人、「霊」と「肉」という喩えとして、パウロの手紙にも出てくるし、正妻と妾との対立、という文脈というのもある。
ユダヤとアラブの対立の原点なんて言い方をされることも多い。

そういえばアブラハムとサラは、不妊・高齢出産の象徴でもあるなぁ。


以下、新共同訳聖書からの引用です
あなたの子どもは あなたの子どもではない
子どもは「生命」の渇望からの子どもである
子どもは あなたを通ってくる
しかし あなたからではない
子どもは あなたと共にある
しかし 子どもは あなたのものではない

あなたは 子どもに愛を与えることが出来る
しかし 考えを与えることは出来ない
子どもは 自分の考えをもっているのだから
あなたは 子どもの体を 動かしてやれる
しかし 子どもの心は 動かせない

子どもは 明日の家に生きている
あなたは それを訪ねることも 見ることもできない
あなたは あなたの子どもを 思い通りにしようとしてはいけない
人生は 後ろに退き 昨日にとどまるものではないのだから

あなたは 弓である
そして あなたの子どもらは 
生きた矢としてあなたの手から放たれる

弓ひくあなたの手にこそ 喜びあれ……と




Children  

"Your children are not your children.

They are the sons and daughters of Life's longing for itself.

They come through you but not from you, And though they are with you, yet they belong not to you.

You may give them your love but not your thoughts. For they have their own thoughts.

You may house their bodies but not their souls, For their souls dwell in the house of tomorrow, which you cannot visit, not even in your dreams.

You may strive to be like them, but seek not to make them like you. For life goes not backward nor tarries with yesterday.

You are the bows from which your children as living arrows are sent forth.

The archer sees the mark upon the path of the infinite, and He bends you with His might that His arrows may go swift and far. Let your bending in the archer's hand be for gladness; For even as he loves the arrow that flies, so He loves also the bow that is stable."

(extracted from the "Prophet" by Karlil Gibran)




神谷美恵子の訳だと「ハリール・ジブラーン」となっているけれど、「カーリル・ギブラン」のほうが一般的かな。
Kahlil Gibran (1883-1931)
レバノン生まれの詩人です。 朗唱するタイプの詩だと思う。

【追記】
「弓矢」という語句について、ちょっと考察
「弓を射る者」http://belena.blog70.fc2.com/blog-entry-220.html

別のアラブっぽい(?)バージョンも、ついでに。



 「子供について

 そこで、子供を胸にかかえた女が言った。お話ください。子供のことを。
 アルムスタファは言った。
 あなたの子は、あなたの子ではありません。
 自らを保つこと、それが生命の願望。そこから生まれた息子や娘、それがあなたの子なのです。
 あなたを通してやって来ますが、あなたからではなく、あなたと一緒にいますが、それでいてあなたのものではないのです。
 子に愛を注ぐがよい。でも考えは別です。
 子には子の考えがあるからです。
 あなたの家に子の体を住まわせるがよい。でもその魂は別です。子の魂は明日の家に住んでいて、あなたは夢のなかにでも、そこには立ち入れないのです。
 子のようになろうと努めるがよい。でも、子をあなたのようにしようとしてはいけません。
 なぜなら、生命は後へは戻らず、昨日と一緒に留まってもいません。
 あなたは弓です。その弓から、子は生きた矢となって放たれて行きます。射手は無窮の道程にある的を見ながら、力強くあなたを引きしぼるのです。かれの矢が早く遠くに飛んでいくために。
 あの射手に引きしぼられるとは、何と有難いことではありませんか。
 なぜなら、射手が、飛んで行く矢を愛しているなら、留まっている弓をも愛しているのですから。


カリール・ジブラン著『預言者』佐久間彪訳


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