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ネットでの拾いもの

非核四原則

作らない・持たない・持ち込ませない・議論しない


産科三原則

持たず→産科は廃止ね!
作らず→産科医師は減らす方向でね!
持ち込ませず→搬送はお断り!


医師三原則

第一条 医師は患者に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、患者に危害を及ぼしてはならない。

第二条 医師は患者にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。

第三条 医師は、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。
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複雑な家庭環境での家族の物語の古典。 複雑とはいっても、それほど特異なわけじゃないだろう。 時代は昭和初期だ。

『次郎物語』 第一部〜第五部
下村湖人 著
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1097.html#sakuhin_list_1

パソコンのモニターでも読めるけれど、これだけ長編だと辛い。 普通に本で読むべき物語だな。
テレビドラマ化も何回かされている。 寝小便のシーンを妙に憶えている。

三回映画化されているけれど、微妙に描き方が違うようだ。
1987年版だと、実母の性格がかなり違っているみたいだ。
実母:高橋恵子 養母:泉ピン子 かぁ…。  ちょっと微妙なキャスト。
古い方を観たほうがいいように思うなぁ。 
時代が下るにつれて、母親を「悪役」というか…、厳しく描けなくなってきたのだろうか?

あらすじを比較。

1955年版
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD24564/story.html

小高い丘の分教場で小使をしながら細々と暮らしている勘作、お浜夫婦のもとに病弱な次郎が預けられてから早くも七年、夫婦はわが子より可愛い腕白ざかりの次郎を、心ならずも村一番の旧家本田家に返さなければならぬ日が来た。手許に引き取ったものの勝気な生みの母民子と祖母は、次郎がすこしも自分たちになじまないのは蔭でお浜が入れ智恵するからだと邪推し、長男の恭一や三男俊三よりもきびしく躾けようとするが、祖父と父俊亮は何かにつけて次郎をかばうのだった。


1960年版
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD22936/story.html

昭和二年、次郎は九歳になった。彼には兄・恭一、弟・俊三の兄弟がいたが、母・お民の乳が足りぬため、今までお浜の許へ里子に出されていたのだった。兄弟は「士族」の子らしく成長したが、次郎は「庶民」の子に育っていた。そのため、祖母や母に冷たく扱われた。次郎の味方になってくれるのは、父と飯たきのお糸婆さんだった。学校からの帰り道、次郎はお糸婆さんの家をさがしている関取に会った。病気で親類に帰っているお糸婆さんの許に案内した。関取は大豊といい、お糸の孫だった。


1987年版
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD17834/story.html

昭和の初め、次郎は母・お民の体が弱かったため、生まれてすぐお浜の家に預けられた。お民も元気になり実家に引きとられたが、お浜になついている次郎は連れ戻されるたびに逃げ帰るのだった。次郎の実家、本田家は、古くから続いた由緒正しい家柄で、士族の格式を守り子供たちの躾も厳しかった。6歳の夏、とうとう実家に連れ戻された次郎は、それまで自然の中で伸び伸びと育てられていたから、本田家の家風に息もつまりそうな思いの日々が始まる。祖母のおことは、乳母のお浜を恋しがる次郎に何かにつけて辛くあたった。体の丈夫でないお民は、おことと次郎の間でおろおろするばかり。



今の時代、乳が出ないから乳母とか里子いうのは、ほとんど無いだろうな。
育児用粉ミルクが普及したのは1950年代頃。
http://ja.wikipedia.org/wiki/粉ミルク

自宅出産と施設出産の比率が半々になったのが1958年。 それ以降はほとんど病院で産むようになった。
病院で産まれ粉ミルクで育った世代が40代。 その母親が70代あたり。
科学の進歩が信じられた世代、そして高度成長を支え、戦争で苦労した世代でも有る。 
六十代、七十代の女性の多くは、自分たちのしてきた結婚や、出産、そして夫との関係を、「楽しかった」と言い切れるようなものとは考えていないようなのです。「あんな結婚ならしなければ良かった」「娘たちは出産を避けて通れるものならそうしてほしい」とさえ思っています。そしてそのような考え方は、現在の二十代から四十代の女性に見事に反映しているようです。

「オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す」 三砂 ちづる 著 より
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4334032664/sr=8-1/qid=1161786753/ref=sr_1_1/250-7344768-5977014?ie=UTF8&s=books


なんていうか、昭和を戦前戦後で分ける歴史観が主流ではあるけれど、文化的断絶は1950年代にあるよう思えてくる。
一応は広義の「戦後」では有るけれど。

【関連】
「オーマイ」誕生秘話
http://londonbridge.blog.shinobi.jp/Entry/195/
アンネナプキンの歴史
http://londonbridge.blog.shinobi.jp/Entry/196/
代用食品
http://londonbridge.blog.shinobi.jp/Entry/197/
毎日新聞の「スクープ」裏話がネットに載っている

支局長からの手紙:遺族と医師の間で /奈良
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/nara/news/20061022ddlk29070364000c.html

記事発表以来、ワイドショー等でも話題ではあるが、基本的には遺族側と県警の情報がメインと思われるな。
病院・医師の医療ミスを暴こうとしているようだ。

それをうけてネットでは、医療関係者が緊張感もって議論している。

そんななか医師免許を持っているタレントのblogが、テレビでの不用意な発言で炎上。

おおたわ史絵
http://ameblo.jp/fumie-otawa/entry-10018584139.html#cbox

掲示板で「医者がトンでも発言」という情報は知っていたが、この人だったのかぁ、と納得。
医師免許を持っている「表現者」じゃぁ、しょうがないかも。

スーパードクターズエッセイ「7人の名医たち」おおたわ 史絵 先生
「資格制度とあかひげ先生」
http://www.e-resident.jp/essay/article.php?int_id=40
このエッセイを読むと、医療現場の現状というか惨状を知っているとも思えないしなぁ…
バックナンバーも、似たような印象。

西川史子も、同種の発言しているが、こっちは「所詮色物」扱いなのか、スルーされている印象。


産経新聞 平成18(2006)年10月24日[火]
■【主張】病院たらい回し 患者本位の基本忘れるな
http://www.sankei.co.jp/news/061024/edi000.htm
基本的な情報は、毎日新聞の「スクープ」そのままの模様。
つまり遺族と県警情報であり、「刑事事件」になれば、この路線で病院が訴えられるのだろうな。


日刊スポーツ 記者コラム「見た 聞いた 思った」
命を救ってこそ病院
http://blog.nikkansports.com//nikkansports/writer/archives/2006/10/post_565.html
病院にたいして、えらく怒っている。 こんな調子で病院や医者を責め立てるのだろう。
何故か無署名なのが不思議だ。 怒りのあまり非論理的、客観性が失われている感じ。

理由はあるだろう、いくらでも。後から探せば何とでも言える。できない理由など100でも1000でも探せる。


ふと「三百代言」という言葉が思い浮かぶ。 
「三百もの言葉を使って相手を言いくるめること 口が達者な人、弁護士のこと」という意味だと思っていたので、ちょっと調べてみた。 
違ってた。

意 味: もと、資格を持たない代議人(弁護士の元の呼び名)を軽蔑して呼んだ言い方。相手を言いくるめてしまうこと。
解 説: 「三百」は三百文の略で、価値が低いことのたとえ。「代言」は代言人の略で、昔は弁護士のことをこう読んだ。
英 訳: pettifogger /pettifogging lawyer /pettifogging shyster
用 例: 不祥事が起こるたびに、三百代言を並べ立てるのにはあきれる。


三百は「三文文士」「三下野郎」「三ピン侍」「二束三文」に類する言い方で、安いという意味らしい。 
「多い」という意味ではなかった。orz


ともあれ

「医師叩き報道で医療崩壊が始まった」
 ↓
「医療崩壊が産科から始まった」
 ↓
「産科医からの反撃で報道崩壊が始まった」

という事になるのだろうか? 
朝日新聞記事を時系列順に並べてみた。

奈良の妊婦が死亡 19病院が転送拒否、6時間“放置” 10月17日
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200610170022.html

 大淀病院の横沢一二三事務局長は「脳内出血を子癇発作と間違ったことは担当医が認めている」と話した。搬送が遅れたことについては「人員不足などを抱える今の病院のシステムでは、このような対応はやむを得なかった。補償も視野に遺族と話していきたい」としている。



産婦人科医会「主治医にミスなし」 奈良・妊婦死亡 10月19日
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200610190064.html

意識消失の妊婦、1時間以上放置 奈良・町立大淀病院 10月20日15時41分
http://www.asahi.com/national/update/1020/OSK200610200045.html

意識消失後、1時間20分放置 奈良・妊婦死亡 10月20日 (記事内容は上と同じ)
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200610200036.html  

この看護記録を見た日本産科婦人科学会の専門医は「意識を失った患者には医師が付き添い、原因を調べなければならない。けいれんが起きるまで1時間以上放置したのは信じられない行為」と驚く。



Googlキャッシュには、この記事は違う見出しで残っている。

「意識消失」80分放置 奈良・妊婦死亡
朝日新聞 - 2006年10月19日

6時間が1時間以上、1時間20分に変化するのも何だか変だ。
病院事務局員と。匿名の医師と、奈良県の産婦人科学会の判断も割れている。
8月に起きたことなので、充分に取材したのかと思ってたが、この報道の揺れ方には不信感のほうが増すなぁ。
拒否、たらい回し、放置…第一印象では、病院と医師が「絶対悪」に見えるのも気になるところ。
用語が変化するかどうかについても、引き続き注目だな。



ネットを見渡せば「真相」らしきもののコピペが流れている。
医療関係者からの反論が、かなり切実かつ多いと言う印象だ。
たとえば、医師を糾弾したことに対して反論の嵐のblog(敢えて炎上とは書かない)

医療現場は今・・・(18病院が受け入れ拒否)に思う
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshimizushrine/41158780.html

事務局長が遺族への説明に失敗した、ということのようにも思えるが…

医者と患者・マスコミ・警察との対立が、かなり大きくなっているようにも感じる。

MRICインタビュー「もはや医療崩壊は止まらないかもしれない」で小松秀樹・虎の門病院泌尿器科部長の話でも、医師と患者の対立が語られている。
http://mric.tanaka.md/2006/06/09/vol_17_mric.html#more

 本の中では、公的な医療事故調査機関と公平な補償制度、安全を目的とする行政処分制度の整備を提唱しました。ですが実は今、こうした制度が整備されたとしても、医療の崩壊は食い止められないのでないかと考えています。医療従事者が病院から立ち去る原因となっている社会からの過剰な攻撃は、制度整備してもなくならないのでないかと感じているのです。

 ハナ・アーレントがナチによるユダヤ人攻撃について考察した「全体主義の起源」という本があります。その中でアーレントは、トックビルの大発見を紹介しています。フランス革命のはじめに突然、堰をきったように、大衆が貴族を攻撃し始めました。革命の時点で貴族は既にその権威を失っており、貴族による抑圧や搾取はまったく存在しなかった、むしろ誰の目にも明らかな権力喪失が民衆の憎悪をかきたてた、というのです。

 イギリスで医療従事者が暴力に晒されているのも同じ構造に見えます。これが民主主義の普遍的に内在する攻撃性だとすると、むしろ医療側が努力すればするほど、攻撃を促進させ崩壊を早める危険があると思います。



アメリカでの医療訴訟問題とも考え合わせると、かなり暗い気分になるなぁ





朝日新聞

言葉は身勝手だ
感情的で残酷で時に無力だ
それでも私達は言葉の力を信じている
ジャーナリスト宣言・朝日新聞




奈良新聞の金曜時評 10月20日
http://www.nara-np.co.jp/clm_fri/06/fri061020a.shtml
根本から改めよう  編集委員 水村勤

 受け入れ先の病院を18カ所も転院拒否を受け、意識不明となった五條市の妊婦(32)が出産後、意識不明で亡くなった問題は身につまされた。母親のぬくもりを知らずに生まれた赤ちゃんを抱き、遺影のある祭壇を前に悲しみと怒りで声を震わせて語る若い父親(24)をテレビ映像で見たが、慰めとなる言葉が見つからない。父親の胸の中で目のぱっちりとした赤ちゃんが無邪気にかわいい動きを見せる。涙が出てきた。

太字は引用者


奈良新聞は「ジャーナリスト廃業宣言なのか?」と、ちょっと皮肉りたくなる。
「人が死んでんねんで!」を、何となく連想した。
昇(のぼ)りぬる煙はそれと分(わ)かねどもなべて雲井の哀れなるかな

限りあればうす墨衣浅けれど涙ぞ袖(そで)を淵(ふち)となしける

結び置くかたみの子だになかりせば何に忍ぶの草を摘ままし

時しもあれ秋やは人の別るべき有るを見るだに恋しきものを

とまる身も消えしも同じ露の世に心置くらんほどぞはかなき

草枯れの籬(まがき)に残る撫子を別れし秋の形見とぞ見る

今も見てなかなか袖(そで)を濡(ぬ)らすかな垣(かき)ほあれにしやまと撫子

亡(な)き魂(たま)ぞいとど悲しき寝し床(とこ)のあくがれがたき心ならひに

君なくて塵(ちり)積もりぬる床なつの露うち払ひいく夜寝(い)ぬらん





源氏物語 「葵」(与謝野晶子訳)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000052/files/5024_11085.html 
あらすじ等
http://ja.wikipedia.org/wiki/葵

その後葵の上は、病の床についてしまう。それは六条御息所の生霊の仕業だった。8月の中ごろに彼女は難産のすえ男子(夕霧)を出産するが、数日生霊により後息絶える。火葬と葬儀は8月20日過ぎに行われた。

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