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  虚無の味覚

陰鬱な精神よ、昔はあれほどたたかいが好きだったのに、
拍車を蹴っておまえの癇の強さを掻き立てた、あの「希望」さえ
おまえにまたがろうとはしなくなった! 恥を忘れて横になれ、
老いぼれ馬め、邪魔物一つ一つに足がつまずく。

諦めろ、私の心よ。けだものの眠りを眠れ。

負かされて、へばり込んだ精神よ! 老いた泥棒、おまえには
恋ももう味がなくなり、いさかいももうつまらない。
ではお別れだ、金管(ブラス)の歌よ、フルートの溜息よ!
楽しみよ、陰気にふさいだ心を誘うのはもうやめてくれ!

すばらしい「春」ももはや匂いを失った!

そして「時間」が刻一刻と私を呑みこんでいく、
硬直した死体を大雪が呑み尽くすように。
高みから 丸い地球をつくづくと眺めてみても
身をひそめるあばら屋ひとつ もう見つからない。

雪崩よ、ひと思いに私をさらってくれないか?




ボードレール「悪の華」より 安藤元雄訳
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オーマイニュース編集長の鳥越俊太郎氏(66)の世代観がずれている件について。

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/heiwa/nipponni/news/20060801ddm041040144000c.html

 編集長の鳥越俊太郎さん(66)は「戦争を知らない若い世代が、経済発展した韓国に違和感を覚え、過去にあった差別意識を再生産した。ネットという匿名の場に、ネガティブな感情が噴出している。書き込み可能な読者の登録制は、当初からの予定通り」と語る。


「戦争を知らないこども達」という歌が流行ったのが1970年で、その歌を知らない世代が今のネットの中心なんだがなぁ…
『「戦争を知らないこども達」を知らない子供達』にとっての韓国経済はどう見えているか考えないのだろうか。
たとえば1975年生まれだとソウルオリンピックの1988年は13歳、NICsから NIEs(Newly Industrializing Economies, 新興工業経済地域)と呼び名が変わった頃だ。 「漢口の奇跡」が喧伝され、中進国とか呼ばれていた。 1997年、22歳のときにアジア通貨危機、韓国はIMFの管理下になってる。
先進国を目指す途中で一度躓いた国、というイメージじゃないのか?

一九七五年前後に生まれた世代について、いくつかの本が考察している。

島田裕巳著「宗教としてのバブル」
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4797333413/503-1168760-6805514?v=glance&n=465392
これは「バブルを知る世代と知らない世代の価値観はどのように異なるのか?」について考察してる新書。

坪内祐三著『一九七二―「はじまりのおわり」と「おわりのはじまり」』
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4163596801/503-1168760-6805514?v=glance&n=465392&s=books
これは3億円事件を知らない世代に向けて書かれた連載、という側面もある。

一九七五年前後に生まれた世代は「団塊ジュニア」とか言われて、10代の頃からいろいろ論じられてきた世代でもある。 人口が多いから商売のターゲットにもされた。

バブル崩壊後を「失われた十年」というけれど、そのとき就職難だった世代が自らを「失われた世代」と自称していたりもする。*注

そもそも「戦争を知らない」は団塊の世代の枕詞だった。 小沢一郎が「普通の国」と言っていたとき、上の世代からそう批判されていたものだった。 というか、そう批判していた側に鳥越氏は居たように思うのだが。

それはさておき、韓国のオーマイニュースの躍進を支えたのが【386世代】。
30代、80年代の活動家、60年代生まれで「朝鮮戦争を知らない世代」だ。

鳥越氏の世代認識、歴史認識はどうなっているのだろうか?
こんなことを書いているのだが…
http://www.ohmynews.co.jp/blog/archives/2006/06/post_50.html

ただ一つだけ私の考えを言っておきますが、日本人、いや人間の記憶は歴史の形成に重要な意味を持っていると思いますので、オーマイニュースの中でできるだけ多くの「記憶の広場」を作って皆さんの記憶とまたそれについての議論も掲載していこうと思います。
そういう意味では現在を中心にして両端に過去と未来がぶら下がっている天秤みたいなものをイメージして頂けたらいいかと思います。それが私たちオーマイニュースが求めているニュースです。






ちなみに中国での「失われた世代」は、文革の時代に下放(農村に配属)されたり、勉学の機会を奪われた世代。現在 50才代。

「Lost Generation」から派生した言葉なんだろうな。 第一次世界大戦後に青年期を迎えた多くのアメリカ人たちや作家を指していた。 ヨーロッパでは「1914年世代」とも呼ばれてる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/失われた世代
glocomの討議など読むと世代の違いを感じるな。
2005年4月号『特集*ブログ作法』を読んだときにも感じたのだが、最初からネットに参加するのが掲示板だった世代との差とでもいうか。
初期のインターネットのサイトにはオタクコレクションのデータベース的なものも多かった。

手書き→ワープロ→パソコン
マイコン(自分でプログラム)→市販ソフト→オンラインソフト
という体験の差も有るだろうな。


「オン書き」する奴は、そりゃパソ通のときからいたけれど、今ひとつ理解しがたかった。
そりゃ、1行程度のチャットなら解るが、論争モードでそれをやるのは揚げ足とられるだけだと思うのだが。
まぁ、そして結局は発言を削除するはめになり、なんだかなぁとなるのがオチなわけだが。

インターネットは「僕ら」を幸せにしたか?―情報化がもたらした「リスクヘッジ社会」の行方  森健著
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4757211708/503-1168760-6805514?v=glance&n=465392&s=gateway
を読んで、そういえばそうだなと思ったのが、メールに即返事をつけるという風潮。
本書でも言われているけれど、メールは相手の時間を拘束しないのがメリットなはずなのに、もはや半日どころか数分も放っておけない時代らしい。 わたしは平気で放置するがなぁ…

わしらの世代だと長電話がトレンド(?)だった気がするが、mixiへのはまり方はその延長線上なのかな、などと無根拠に思う。

サイトを毎日更新しなきゃいけないと思いこんでいるのも、似たようなモノかな?
そりゃ更新が少ないサイトは見に行かなくなるけれど、更新するから見に行くモノでもないのだが…。
最近は検索とか、個人ニュースサイト、掲示板経由で直接に記事に飛ぶことの方が多い。他の記事を読むかは、その時の気分次第かなぁ…。

日記系blogだと、過去の記事へのリンクがないのも結構ある。 書き捨て、とまでは言わないが…そういう感覚なんだろうなぁ、とは思う。

ここのblogサイトには、現在は過去記事へのリンク方法が3つも有る。(汗
「タイトルリスト#」だけで十分だと思うのだが、タイトル名が長すぎるとちょっと表示が乱れるので…試行錯誤中。


2ちゃんねらは990万人 30代と40代が過半数 年齢別ユーザー分析結果
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/503654.html

数字の信頼性はともかく(以下参照)
http://d.hatena.ne.jp/tks_period/20060308/1141808416
まぁ、数字をそのまま信じちゃうのも痛いけれども、「若者」達の反応が興味深い。
30台40台が意外に多いってのは、よく読めば明らかだと思っていたのだが。
60年代にヒッピーやってた団塊の世代なんか、そろそろ定年だが妙に「若い」奴も多いぞ。
「2ちゃんねるは終わった」というは何度も繰り返し言われてるし、管理人本人も言っていたはず。
その中でも2004年秋の「ised@glocom」の倫理研の共同討議が、現在に繋がる動きというか、底流に有るのかな、とも思う。

http://ised.glocom.jp/ised/20041030

共同討議 第1部:「2ちゃんねるの時代」の終焉をめぐって
3. 第1部(1):韓国のネット事情
4. 第1部(2):日本における「2ちゃんねるの時代」を振り返る
5. 第1部(3):メディアリテラシーとタブロイド的関心の行方


どうやら、ここで討議されているのは主に「掲示板文化」のように思える。
オーマイニュース関連の話や「はてな」も関係してくる話。
「繋がりの社会性」というのが参加者の共通認識らしいが、その概念はよくわからないなぁ。

当時のネット事情についての図式は以下で示されています。

2. 倫理研第4回: 加野瀬未友 講演(2) http://ised.glocom.jp/ised/07020514
2ちゃんねるモデル・まとめサイトの重要性・ブログモデルという形で図解されています

以下のサイトも紹介されています。

ブログを巡る情報集積・共有、対応行動の概要モデル
http://s03.2log.net/home/singbrain/archives/blog168.html

ネットの「速さ」と「パワー」の威力とは何か:ネット右翼問題を題材に
http://www.policyspace.com/archives/200503/post_335.php

少数の有力なブログ(良質な記事を更新しており、固定客が大勢居るサイト)にはリンク関係が集中する傾向がある。つまりオピニオンリーダーとなる、ハブ的な役割を担うブログが存在することが分かってきた。


つまり、本来の学術的意味での「アルファブロガー」が論じられています。
非常に雑な表現するなら「2chで晒されて炎上する時代は終わった、切り込み隊長が放火する時代だ」

ここでリンクした図は 
インターネットと“世論”形成―間メディア的言説の連鎖と抗争 遠藤薫編著
に載ってるのよりは、遙かにいいと思う。
関連【書評】 http://belena.blog70.fc2.com/blog-entry-88.html


glocomはジャーナリズムの考察もしてますな。

「ネットとジャーナリズムの将来像について」ゲスト:湯川鶴章氏(時事通信)
2004年12月の定例会(2004/12/19、@Glocom)のメモ
http://www.infosoc.jp/pukiwiki/index.php?%5B%5B2004-12-19-memo%5D%5D

いろいろと興味深い。 
そして、こんな状況の中、2005年1月に泉あい氏はGripBlogを始めるわけなのだが…。
いろいろと批判はしているけれど、これは今の時点だから言えることだとも思う。
日本版オーマイニュースが、もうすぐ正式にスタートするらしいが、それに比べればものすごく真っ当な動きをしていたと思う。

会員制の闘病サイトは、テーマの性格上クローズドな会員制にせざるをえないだろう。
きめ細かい掲示板などのケアも必要だろうから、管理者か関わりやすい自前の鯖を使うというのも理解できる。

記者クラブ問題にしたって、日本版オーマイニュースは結局はソフトバンクと鳥越の後ろ盾があってこそ参加を要求するのだろう。 それに比べれば、個人で相当に頑張って問題提起して、いろんな場に潜入することに成功しているのは凄い。

「市民記者」といういささか変な色の付いた肩書きではなくて、(たとえ仮名でも)プロフィールを公開して取材・発表する姿勢も評価するべきだろう。

GripBlogとしてのテーマ選択に批判的なことを書いたけれど、それでも資料や取材のまとめの出し方は評価するし、コメント欄での批判にも丁寧に答えている。
一人で毎週テーマを変えて取材という手法はいかがなモノか、とは思う。でもテーマの選択や、その取り上げ方は、戦略としては「有り」だろう。オーマイニュースの市民記者と比較すれば、そりゃぁ泉あい氏の方に好感を持ってしまう。

日本版オーマイニュースの惨状を見ると、なんかGripBlogを弁護したくなってしまうなぁ。
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