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最近70年代以降の事が気になってきたので、ちょっと各時代論のようなものを読んでいた。
七〇年代:坪内祐三「一九七二」
八〇年代:吉崎 達彦「1985年」 堀井憲一郎「若者殺しの時代」

九〇年代は、ついつい2005年12月号「特集 1990年代論 規律から管理へ」を選んでしまったのだが…

読み通すことが苦痛だった。 社会党共産党新左翼の機関誌を読まされている印象。
というか、まぁね なんていうか 無惨な感じ。

同じ出版社の雑誌ユリイカはそれなりに時流に乗って、まぁ気になる特集もあるのに、何故こんな執筆者たちを集めてしまうのだろうか?
ニューアカのあとに人材・人脈が枯渇してしまったのだろうか?
古典的な左翼用語を使って、なにやら分析しているがまるで届かない。


冒頭の酒井隆史はドラマ「ケイゾク」を分析しているが、これがそれほど意味がある考察なんだろうか? 90年代を象徴するドラマだったのか?

平井玄は映画「赤軍ーPFLP 世界戦争宣言」から段ボールハウスペインティングなどを論じているが、自身の運動論に酔っているとしか思えない。 そんなに資本主義が嫌いなのか?

倉数茂、日本の言語空間と対置されるべき「アジア」の実態がまるで無いのではないか。理念の中にしか存在していない「アジア」
で、ググってみると1969年生まれかぁ。写真について論じてるのをちょっと読んでみたけれど、たいしたこと無い、ただの若手という印象。

渡辺治。60年安保の時に中2だったというから、もろに全共闘世代。
軍事大国化批判・新自由主義批判が未だに有効だと思っているとは

毛利嘉孝 1963 年生まれかぁ。
ダンボールハウスとフリーターがキーワードなのだが、なんかずれている。
なぜこんなに素朴に政治が語れてしまうのだろうか? 美術評論もやっているのは倉数と同じだけれど、政治と芸術を語る言葉がなぜこんなに素直に反戦・反政府にずれていくのだろうか? なぜ、こんな風に反戦運動を持ち上げることが出来るのだろうか?

それこそ、戦前に芸術家・文化人が総動員されたことのネガのようにも思う。

道場親信 1967年愛知県生 まぁ、こうやって経歴を調べていくと、年齢というのはそれほど意味がないという気がしてくるな。 92年の牛歩戦術に呼応してデモに参加か。
これは政治状況の記述としては、まぁ違和感がない論文。

山の手緑
1970年生まれ。『現代思想』『文藝』などでアクティヴでラジカルな発言で注目を集めるダメ連周辺の“共産党ユニット”。退屈お手上げ会議、自由民権運動・ラジカル九州、投票率ダウン・キャンペーン……ググって周辺情報から抜き出したが、ものすごく脱力する。何処がラジカルなんだろうか? 単純に馬鹿だろ。 なんで連載させてるの? 色もの担当?

そうかぁ、70年代生まれでもサヨクになれるんだなぁ。日本の「サヨク」の伝統はちゃんと継承されているのだなと、妙なところで感心する。
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