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1996年4月24日、オウム真理教(現・アレフ)麻原彰晃こと松本千津夫被告の初公判に際し、朝日新聞夕刊に掲載された連合赤軍事件の坂口弘死刑囚の手記。
当時逃亡中の林泰男に宛てた手紙です。


オウム信者へ「早く目を覚まして」

この手紙が、あなた<オウム信者のこと>を始めとする潜伏中の皆さんの目に触れることを念じつつ書いています。

かつて、重大な過ちを犯した人間である私は、地下鉄サリン事件など一連の事件に関与したオウム真理教信者の方々に対し、痛ましい思いで深い同情を禁じえません。

あなた方は、サリンをまくためにオウム真理教に入信されたわけではないでしょう。また、地下鉄サリン事件を立案し、計画したわけでもないようです。教団の中にあって、たまたまその地位や立場が悪かったために指名手配され、実行に関与することになったのです。私自身の経験から、組織の中にいて、そのような指示を容易に拒めるものではないことはよくわかります。

僧侶の林さん<泰男容疑者のことか>と左翼の私とは、住む世界が異なりますが、それにもかかわらずお互いによく似た傾向があることに気づかされます。それは、カリスマ性をもつ指導者への帰依です。かつての私は、この傾向が人一倍強い人間で、恋も及ばぬほど熱烈に指導者を愛し、忠誠を誓い、この人のためなら死んでもおしくないとまで思っていました。

この盲目性から私は、組織が始めた武装闘争に加わり、獄中にいた指導者の奪還を企てたのですが、これが武器のエスカレートを招き、その過程に脱落した仲間を口封じのために殺害し、さらに、目的を変じて、山岳ベースでの大勢の同志殺害からあさま山荘でのろう城発砲へと、命がいくつあっても足りぬ罪を重ねてしまいました。

過ちに気づいたのは逮捕されてからでした。国内外の激動した情勢に、どうも自分たちの武装路線は適合していないのではないか、という疑問が芽生え、この疑問をつきつめてゆく過程において、なおも路線を堅持する指導者と衝突しました。そして、激しい論戦を経て、ようやく武装路線から脱却できたのです。

この体験から私は、自らの行為に疑問や迷いが生じた時には、何にもまして実感を大切にしなければならない、と心するようにしました。自分の心に感じたものにこだわり、それがスッキリするまで、しつこいように追求してゆく、ということです。

教団の中で、求道のため、麻原さんの指示を率先して実行した井上嘉浩さんも、今私と似たような体験をされているようです。

彼は、麻原さんの指示を実行していても自分の心は解放されず、かえって暗くなってゆくのはなぜか、という疑問にこだわったそうです。逮捕後、これをつきつめていった結果、一連の事件は麻原さんのエゴの実践に過ぎなかったとの結論に達し、法廷で麻原さんと対決してゆく意志を表明されました。

手段が悪いのは目的が悪いからだ、という言葉があります。実感を大切にされ、ご自分の判断で運命をひらいて下さい。

<>内は新聞社が書き足し。



この手紙とオウム事件の関連について、某巨大掲示板で話題になっていたものを、以下に抜粋します。
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藤原新也についてもう少し書こうと思ったら、こんなニュースが有った。

連合赤軍 永田・坂口両死刑囚の再審棄却 東京地裁
http://www.sankei.co.jp/shakai/jiken/061202/jkn061202002.htm

まだ再審請求の棄却がされてなかった事の方に驚いた。
再審請求はあの安田好弘弁護士が担当してたはず。
1993年最高裁で上告棄却、死刑が確定している。2000年に再審請求して、その判断がようやく下されたということなのだろう。

ちょっと前に連合赤軍の法廷闘争について調べていた。
裁判が革命運動の延長線上にあり、裁判制度がいろいろ戦術的に使われ、被告人同士の相互批判・自己批判の繰り返しがあり、刑務所改善運動・死刑廃止運動も絡んでいて、ものすごくウンザリした。

それはさておき、
坂口弘氏は1996年4月24日麻原彰晃こと松本千津夫被告の初公判に際し、朝日新聞社宛に手記をよせている。
当時、逃亡中の林泰男に向けてのメッセージです。

オウム信者へ「早く目を覚まして」

この手紙が、あなた<オウム信者のこと>を始めとする潜伏中の皆さんの目に触れることを念じつつ書いています。

かつて、重大な過ちを犯した人間である私は、地下鉄サリン事件など一連の事件に関与したオウム真理教信者の方々に対し、痛ましい思いで深い同情を禁じえません。

あなた方は、サリンをまくためにオウム真理教に入信されたわけではないでしょう。また、地下鉄サリン事件を立案し、計画したわけでもないようです。教団の中にあって、たまたまその地位や立場が悪かったために指名手配され、実行に関与することになったのです。私自身の経験から、組織の中にいて、そのような指示を容易に拒めるものではないことはよくわかります。

以下略
ほぼ原文のまま。 <>内は新聞社の書き足し。 手記全文は次のエントリー



さて、2006年3月筆名を松永英明と名乗る元オウム信者が手記を書き始めている。

その中の一節

オウム・アレフ(アーレフ)の物語
http://aum-aleph.g.hatena.ne.jp/matsunaga/20060320

 オウム真理教は、いつの間にか「テロ組織」として認定されていた。だが、これは理解していただきたいところだが、テロリストになりたくて、あるいはテロを起こすためにオウム真理教に入った人はいないということだ。テロを起こすことは団体の目的ではなく、入信する動機が「この団体に入ればテロが実行できる」と思っていた人はいない。教団に残っている人たちも、あの上祐でさえ、テロがやりたくて残っているわけではない。もしテロリストになりたければ、もっと別のテロ組織に入った方がいい。なぜなら、それは武力闘争をすることが団体の目的の中に明記されているからである。アーレフではそれは完全に禁じられているし、もうこれ以上警察に関わりたくないとうんざりしていて、警察に張り合う気力さえないのが現状だ。そこだけは理解しておいていただきたい。


坂口の手記をお手本にしているように思える。

逃亡オウム信者にむけて自首を勧め、指導者への帰依からの脱却を勧めた手記が、こんな形で参考にされるとは、なんともはやと溜息が出る。

ご本人から、この手記は読んでいないとのコメントがありました。

それで、前のエントリーとかぶるけれど、藤原新也氏について。

「黄泉の犬」について読者からメールでの質問があり、それが返事とともに公開されている。
http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php?mode=cal_view&no=20061119

2006/11/19(Sun)
 ○○○○さま
 
 ○○さんは、この宗教がオウム神泉の会からオウム真理教となり、その後、早川紀代秀(ホーリーネーム・ティローパ)が教団に入り、この集団が北朝鮮の息のかかる過激な政治集団となった過程をご存じですか。
 麻原の地位の下にありながら麻原を支配していた早川紀代秀がこの集団が利用できると考えたのは、オウム真理教が世間から叩かれることにより除々に怒りを貯め込んだモンスターと化しつつあったからです。
 まだ弱者の1救済組織に過ぎなかった初期のオウム真理教が叩かれるきっかけは入信者の中に多数、崩壊家庭の家族から逃げ出した者がおり、世間とマスコミはきわめて小市民的な反応(家族から信者を誘拐したという)によって除々にオウム真理教と麻原を追いつめて行きます。彼らは追われるままに日本国中をさまよい、最後に麻原の故郷である熊本に居を構えるのですが、そこでも迫害に会い世間を完全に遮断し、敵にまわすことになります。

 いわゆる私たちが認識しているオウム真理教とその犯罪は麻原とその信者が起こした事件であるとともに、小市民が起こした事件でもあると私は認識しております。つまり小市民も迂遠して殺人を犯しているということ。ジム・ジョーンズ率いる人民寺院の信者たちが起こしたガイアナでの集団自殺もそうですが、世界の宗教集団がカルト化し、攻撃的に変容するか自傷化するかの過程には必ずこの小市民による根拠のない迫害がその芽を作っております。オウム真理教の場合もその例外ではありませんでした。

 私はオウム真理教の残存組織の内情を知らないわけではありません。
 彼らはすでに政治集団として利用されるほどの怒りも体力も財力もありません。
 ただし、その集団の前歴が大きな犯罪が関わっていることにより、過剰な監視と、再びの小市民的迫害がなされるなら、また再びその集団がカルト化するおそれは決して皆無ではありません。その時にこそ神格化される麻原は意味を持つわけです。
 そしていっかいのただの人間をモンスター化させてしまう小市民的な感性が貴方の中にも眠っていることを、残念ながら貴方の文面からも感じざるを得ません。たぶんそれは私の中にも眠っているはずです。
 それがいかに私たち小市民感覚とはかけ離れた集団であろうと、信教の自由を私たちの手によって迫害するのではなく、守ることが敷衍して人々の命を救い、民主主義を守ることだと思っております。

                          藤原新也


われわれ「小市民」は殺人犯だったのかぁ…… オヒオヒ

藤原氏のオウムについての認識は、オウム信者、親族の自己申告による主観的な「事実」を元にしたもののようだ。
この手の擁護論の定番である、「カルト」として一般化・相対化する論調になっている。

また、こんな弁明(?)も書いている。

http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php?mode=cal_view&no=20061130

2006/11/30(Thu)
事実を事実として伝えるのみ
(略)
また、最近、この本で触れているオーム真理教事件に関して少々の誤解が一人歩きをしているようなので、ひとこと付けくわえておきたい。
私はこの本で麻原彰晃と水俣病の関連に言及しているが、そのことをもってしてオーム真理教とその元教祖の擁護をするという意識はまったくない。私はただ自分が出会った事実を事実として淡々と書いたまでだ。そのことによって麻原の犯した罪が微塵も変わることはありえない。
マスコミがこの本を取り上げないひとつの理由に国家転覆をもくろみ、無差別な殺人を犯した者を、擁護するかに誤解されかねないものには触れたくないということだろうが、またそのことによって天皇問題と同じようにオーム真理教事件問題に別の角度で触れることが今日では暗黙のタブーとなっている現実を知った思いがある。
(略)


本は未読なのだが、藤原氏はオウムと関わらざるを得なかった「小市民」に取材をしているのだろうか。
元(?)オウム信者や親族が語った「事実」の検証をしているのだろうか。
プロパガンダに乗せられたか、または自ら乗っているようにも見える。

タブーだから触れられないのではなく、あまりに主観的で事実誤認が多いからトンデモ本扱いされているだけではないのか?

藤原氏は「擁護をするという意識はまったくない」のかもしれないが、本やblogの文章はオウム・アレフ擁護・弁明の文脈でさんざん利用されていくのだろう。
かつての坂口の手記がそうなったように。


かなり、ウンザリする。
「アルファブロガー」は成立しているか
http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000002238

いまさら「アルファブロガー」ネタとは…2年は遅れてると思う。
アルファブロガーについては、「2004〜2005年のネットを考える。」
で、私もちょっと書いてはみている。
なんていうか、賞味期限切れの言葉だと思う。

『米国では、人気のあるブログの管理者のことを「アルファブロガー」と言うそうです。』

「なるほど、そうなんですか」、と思うような読者向けの記事なんだろうなぁ。
そういう読者って多いのだろうか? いまや一部のコアなファンが主流だと思うのだが。

それはさておき、一番の驚きは『ブログの変遷また動向に通じている「ことのは編集室」の松永英明氏にインタビューしてみました。』という記述だなぁ。
怖いもの知らずなのか、なんというか…一瞬絶句して爆笑。
事実は小説より奇なり

松永氏については、うちのblogに「ことのは問題」というカテゴリーが有るわけで、詳しくはそちらを参照してください。
直接松永氏に言及しているエントリーは

幻の報道機関設立計画(15)(16)(17)
疑惑の推移(21)   
「GripBlog」「GripForum」とは、結局なんなんだったのだろう?(3)
【書評】声に出して読めないネット掲示板

9月、某所にこんな書き込みが有ったが、まさか本当に関わってくるとは思わなかったな。
一部伏せ字

http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news2/1157445177/704-705 (dat落ち)
704 名前:朝まで名無しさん sage 投稿日:2006/09/13(水) 03:38:39 ID:4CnzK9ws
>>680
> **がトラックバック論のオーソリティみたいな扱いを
> 一般人から受けている、とか言う人がいたけど、それって本当?
> なんかちゃんとした書籍とかそういうの出してるの?

このエントリーのことだろうな。

トラックバックをめぐる4つの文化圏の文化衝突
ttp://kotonoha.main.jp/2006/01/06trackback.html

『ウェブログ超入門!』てな本を出してる。 2004年出版だったか?
その一部は公開してる。『日本のウェブログの歴史(詳細版)』
ttp://kotonoha.main.jp/weblog/000844_history.html
Amazonだとそこそこ好評だけど、なんか安直なケバい装丁で損してる印象。

もしこの事件・病気等がなければ…、2ちゃんねる批判を加筆して再販すれば、そこそこは
売そーな気はする。
アルファブロガーや反2ちゃんねるの人は絶賛だろうし。 うまくいけば(?)おーまいニュース
に参加できたかもな 
活字メディアとネットを繋ぐキーパーソンとして幹部待遇とか


705 名前:朝まで名無しさん sage 投稿日:2006/09/13(水) 03:49:12 ID:4CnzK9ws
河上イチロー時代から宮崎学との付き合いはある。
なんちゅうかなぁ、オウム批判に乗じた国家権力によるネット検閲・破防法の暴走に
警戒しろ、ちゅー感じのメッセージを発していたかな。
けっこう心酔者がいたけれど、実はオウムでしたってことで、まさにネット界が震撼

いろいろと批判はしているけれど、これは今の時点だから言えることだとも思う。
日本版オーマイニュースが、もうすぐ正式にスタートするらしいが、それに比べればものすごく真っ当な動きをしていたと思う。

会員制の闘病サイトは、テーマの性格上クローズドな会員制にせざるをえないだろう。
きめ細かい掲示板などのケアも必要だろうから、管理者か関わりやすい自前の鯖を使うというのも理解できる。

記者クラブ問題にしたって、日本版オーマイニュースは結局はソフトバンクと鳥越の後ろ盾があってこそ参加を要求するのだろう。 それに比べれば、個人で相当に頑張って問題提起して、いろんな場に潜入することに成功しているのは凄い。

「市民記者」といういささか変な色の付いた肩書きではなくて、(たとえ仮名でも)プロフィールを公開して取材・発表する姿勢も評価するべきだろう。

GripBlogとしてのテーマ選択に批判的なことを書いたけれど、それでも資料や取材のまとめの出し方は評価するし、コメント欄での批判にも丁寧に答えている。
一人で毎週テーマを変えて取材という手法はいかがなモノか、とは思う。でもテーマの選択や、その取り上げ方は、戦略としては「有り」だろう。オーマイニュースの市民記者と比較すれば、そりゃぁ泉あい氏の方に好感を持ってしまう。

日本版オーマイニュースの惨状を見ると、なんかGripBlogを弁護したくなってしまうなぁ。
GripBlogの第2弾は1月10日から始まる『新潟中越地震に見るマスコミの教訓』です。
「天漢日乗」さんのtエントリーがきっかけと言うことになっています。

しかし、この「マスゴミ」ネタは
『週刊!木村剛:これが新潟県中越地震の真実だ!』 http://kimuratakeshi.cocolog-nifty.com/blog/2004/10/blog_of_the_wee_2.html
で取り上げられて、かなり反響があった話である。
そして【絵文録ことのは】で松永秀明氏が批判している話でもある。
『木村剛の「マスメディアへの対抗意識」は時代錯誤。中越地震マスゴミ批判記事を検証する』
http://kotonoha.main.jp/2004/11/03anti-media.html

このエントリーは2004年11月03日に書かれています。木村氏へのトラックバックも同日です。 
木村剛氏批判として、まっとうなものですし、松永氏のジャーナリズム論・blogジャーナリズム論としても興味深い記事です。
この記事を泉氏は読んでいないのだろうか? 

木村剛氏の取り上げた「2ちゃんねる」記事は「現場」との接点がない

 検証がなかったことに加えて、もう一つ、木村剛氏の今回の取り上げ方については、「現場」との接点がないという大きな問題点がある。

 ジャーナリストは「足で稼げ」といわれている。つまり、実際の取材が必要だということだ。現場に行く、当事者に話を聞く、関係者に話を聞く。そういった検証を踏まえずに又聞き・伝聞だけを垂れ流すのであれば、噂・デマと何ら変わることがない。

 しかし、わたしは別にここで「木村剛氏は現地に行って調査せよ」と主張するつもりはない。そこでこそブログの力を発揮すべきなのではないか。つまり、現地の生の情報を伝えるブロガーがいるだろう。あるいは、現地に親族や知人がいて、そういう話を間接的に聞けるブロガーもいるだろう。そういう人たちの情報をトラックバックとまとめ記事で集約するならば、それは一級の情報となり、ひいてはマスメディアの現地取材方法についての反省を促す力を持ち得るはずである。


ここあたりはまるでGripBlogの方針を述べているような印象が有る。

ちなみに、泉氏が松永氏を知ったのは2005年8月ということになっている。

はじめにご連絡を取ったのは私の方からで、それは昨年の衆議院選挙前の自民党の懇談会の後、世耕議員へ単独インタビューできることになり、世耕さんへの質問を著名なブロガーから募ろうといろいろブログを見て回っていた時、R30さんのエントリーに

R30:: 「【速報】自民党、ブロガー巻き込み戦術を加速」より

  速報ニュースやインタビュー系に強いブロガー(コグレマサト氏@ネタフル、松永氏@ことのは、渡辺聡氏@情報化社会など)が入ってないから、全然つまんない


というのがあり、そこで初めて松永さんのことを知りました。


2004年でも松永氏は充分に著名で有ったと思う。 blogジャーナリズムに関心を持っているのならば、知らなかったとは思えないのだがなぁ。

R30氏の3月20日のエントリーに、前出の木村剛批判のその後の展開が紹介され、松永氏もコメントを寄せています。
『オープンが、オールドタイプということなのか』
http://shinta.tea-nifty.com/nikki/2005/03/oldtype_blog.html

泉氏はこれも読んでいないのだろうか? R30氏とは2月にはTBのやりとり等していたはずだし、ブログ時評の団藤保晴氏なども話題になっているのだが。

まぁ、知らないでネットジャーナリズム業界(?)に進出し、政治取材をするということもあり得るだろう。 事前調査不足は再三指摘されているのだから。

とはいえ、いまひとつ納得しがたい気分は残るのだが…
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