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ガ島さんがDJ研の様子をレポートされています。
その中で気になる部分。

[イベント]「デジタル・ジャーナリズム研究会」連続討論スタート
http://d.hatena.ne.jp/gatonews/20060520

さらに、ジャーナリズムとビジネスの問題、仮にマスコミが暴力装置としての国家への対抗力を引き受けているのであればブログなどはどうなるのか(国家権力が本気を出せばブロガーなど軽々となぎ倒されてしまう。そういう意味では新聞ジャーナリズムがこのまま弱くなるのは大きな問題だ…)、などの課題も提起されました。


これは佐々木俊尚さんが提起された課題なのではないか、という気がします。
その直後の佐々木さんの記事 http://blog.japan.cnet.com/sasaki/2006/05/post.html には、その問題意識が潜んでいるように思います。

この課題は佐々木さんの中では次のように意識されているのではないでしょうか。
新聞ジャーナリスト達のブログが軽々と炎上し、なぎ倒されるのは大きな問題だ…
国家への対抗力、チェック機能をはたすべきジャーナリストという役割は強く意識されています。 しかし佐々木さん、歌田さんの「ことのは問題」のインタビューや記事にはオウムに対する対抗力・チェック機能はあったのでしょうか。

佐々木さんは記者時代のオウム取材経験を長々と書いておられます。そして松永さんに対してインタビューもしています。 そして、松永さんの意見をそのまま鵜呑みなされたように、次のように書かれています。

彼の意見から私が受け止めたのは、「オウム」や「大日本帝国」という被害を与えた側の認識のあり方の問題ではない。そうではなく、オウムや大日本帝国から被害を受けた側――つまり大日本帝国に侵略された中国や韓国と、オウムによって生命の危険を感じた日本国民の側の認識のありかたの問題だった。


佐々木さんが、まるで松永さんの代弁者になられたかのように見えます。
様々な批判に、佐々木さんはこう答えています。

滝本太郎先生へのご返事
http://blog.japan.cnet.com/sasaki/2006/06/post_3.html

多くの人たちは、ただ漠然とした不安から、オウムのことをこれ以上知る必要はなく、とにかく排除すべきだと考えている――つまりオウムに対する認識の再構成を拒否しているのではないかと、私は思うのです。そして私は、その考え方はある種の危険性をはらんでいるのではないかと、やはり思うのです。

そう思ってしまう私は、危険な相対主義の持ち主なのでしょうか? そういうお利口さん的な高見に立ったような偉そうな考え方は捨て、「社会のために」という旗のもとに、オウムと戦い続けるべきなのでしょうか?



佐々木さんがジャーナリストとしてするべき戦いは、それこそ「オウムに対する認識の再構成」であるはずです。
松永さんのインタビューが、はたして現在のアレフのことを正確に語っていたのかを検証することが、佐々木さんのジャーナリストとしての使命です。

佐々木さんは「危険な相対主義の持ち主」ではないでしょう。
オウムを無邪気に擁護していた昔のジャーナリストたちと同じの、
ただの危険な馬鹿です。
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