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 vol.439 を読みました。
 以前の炎上についての記事では「サイバーカスケード」という研究が紹介されていましたが、今回は日本の匿名志向を指摘するだけにとどまっています。
今現在、日本の「炎上」について論じるのならば、格好の素材はいろいろあるように思えます。

 「ネットいなご」という言葉が最近ちょっとした話題をよんでいます。言葉の起源から定義まで、様々な議論があります。 これは、ここ最近の炎上について、古参(?)ネットワーカーがある種の違和感を感じていることの表れのようです。
 論じている人たちこそ、かつての炎上に深く関与してきただろうと、傍目には見えるのですが、その人たちが現在の「炎上」については嫌悪感を隠していません。

 歌田さんはサイバーカスケードという言葉をいち早く紹介しておられるので、この「ネットいなご」議論に参加し「ネットいなご」よりも国際標準の言葉があるよ、と提案なされたらよかったのに、と残念に思っています。
「サイバーカスケード」が「サイバー滓外道」「サイバーかす」とアレンジされて、「ネットいなご」という言葉にとって変わる可能性もあったかもしれません(笑)

 これらの議論が活発に行われるようになったのは、匿名でいい放しの掲示板ではありません。 トラックバックとコメントなどblogの特性で、反論・提案などが活発に行われている、とあるブログ界隈です。

 blogのコメント欄が匿名発言で炎上するのと、匿名blog間の議論や抗争は分けて考えるべき問題です。 それを敢えて「匿名」でひとくくりにして論ずる今回の記事には、本当に【がっかり】しました。



追記 
記事がblogに掲載されました。 ここのところ掲載が早い。
2006.06.23
日本のネットはなぜかくも匿名志向が強いのか
http://blog.a-utada.com/chikyu/2006/06/post_b840.html

『しかし、紙の読者を対象に書いたことをネットに載せるのは、いまやときにかなりのリスクをともなう。』

週刊アスキーは、創刊時から「インターネット世代」の読者向けの雑誌だったはずだけどなぁ。
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歌田さんの青土社やジャストシステムでの本・雑誌は、昔読んでいたと思う。
週刊アスキーも、たしか創刊準備号から読んでいた記憶がある。
仮想報道も、たぶん最初期から読んでいた。
歌田さんは、おそらく「教科書には載らないインターネットの歴史」とか言う本に出てくるような、危ないサイトもほぼリアルタイムで読んでいたはずです。
SNSとか検索ビジネス等についても、かなり以前から書いています。

だから、web.1.0とかweb.2.0 なんて本を書いてもおかしくない立場のような気もするけれど、まぁ資質が向いていないのだろうかなぁ

こちらからTBを送って、歌田さんの記事の所に一時的に表示されたあとに消されたのですが、まぁ通っただけで放置されるよりも、リアクションが有ったことが解って、妙にうれしかったりもする。


ちなみに、詩はほとんど手打ちでやってます。
なかなか書けなくても、キーボードを打っていると、なんとなく勢いがつくようなので。
 前のエントリーで歌田さんがGoogle Earthにはまっているのでは、などと勝手な妄想をしておりますが、そのことについてもう少し書いてみます。

 なぜそんな妄想を持ったかというと、「仮想報道」の方法論は、Google Earthの空撮写真のみを見て、現地調査なしに地誌を書くようなものじゃないか、と思えたからです。
 Google Earthは三次元的にも表示出来ますが、それはあくまでも「仮想」です。
 たしかに写真は一次情報かもしれませんが、それだけに頼ってあれこれ考察するのではなく、もう少し別の情報収集や現地取材が必要ではないでしょうか。

われわれはみな「隠れオウム」の容疑者 http://blog.a-utada.com/chikyu/2006/06/post_4d6d.html

 この記事には驚きました。すでにネット上でいろいろ批判されているので詳しくは書きませんが、この件では歌田さんは「現場」に近い場所にいたのに、ネット上の記事のみを使い、そしてその情報の選択が偏っていることに、非常に違和感があります。

「実質的により深刻な被害を受けたのは、泉氏にサーバーを貸していた男性かもしれない。「この男性こそが、『オウムの謀略』をたくらんだ黒幕」といった声が上がり、憶測にすぎないそうした話もネットで広まった。」

 たとえば、この部分の「泉氏にサーバーを貸していた男性」という記述のには問題があります。
 歌田さんが記事を書かれる以前に、泉氏はこの男性が「ネットを使った報道機関」の協力者だったと認められております。 
 泉氏が作ろうとしていたネット報道機関設立のための重要人物だという点を無視し、善意の第三者のように何故書かれたのか疑問を持ちます。

 泉氏は、ブロガーと政党の懇談会の立役者という実績を元に、報道機関設立を考えていたように思えます。
 デジタルジャーナリズム研究会には、歌田さんも泉さんも参加されておられます。そこで泉さんと報道機関設立について、話題にならなかったのでしょうか。

 記事の中で、泉さんの報道機関設立のことに触れておれられないことを、非常に訝しく思っています。
 歌田さんは、ご自身は「現場」の外に立って眺めているだけ、のような書き方をされております。しかし、歌田さんは「現場」に非常に近いところにおられるのではないでしょうか。

 この件については、もう少し「現場」の中のことを取材して書かれることを、期待しております。
 仮想報道 Vol.438 が掲載された週刊アスキーが発売されました。
 一読して、歌田さんは辞書を引いたり史料を調べるような文献探索が好きなんだな、と改めて感じました。もしかしたら地図を見るのも好きで、Google Earth にはまっているかも知れないと想像しています。
 
 「ジャーナリスト」時代の回想も興味深かった。
 
 「これからの社会を変えていくなまなましい”現場”は、まさにネットの中にあるように、見えた。(中略)それも二次情報ではなくて、しばしば当事者自身が書いたり、しゃべったりしたことにそのままアクセスできる。」

ネットでアクセス出来るようになったのは、一次情報ではないでしょうか。 「現場」と「一次情報」は、辞書を引くまでもなく違った概念です。 「事実」とも距離があります。
 今回の記事は「仮想報道の連載は、”ネットの一次情報”の報道・解説・批評などを行う活動だった」という総括のように思えます。

 連載はもう438回を超えました。 インターネットが拡大・発達をするなかで、一個人の視点で「仮想報道」を続けてきたのは、大変にすばらしい仕事です。  まさにarchiveになっていると思います。

 これからも連載が長く続くことを期待しています。
歌田氏の自著の紹介で気になる部分があります。

『20世紀のメディア 4』1996年
>彼(ヴァニヴァー・ブッシュ)の生涯から浮かび上がる「道をたどる」ことへの興味と、彼が生んだ「ハイパーテキスト」概念の結びつきを見ることで、ハイパーテキストのより大きな可能性を探る。

『科学大国アメリカは原爆投下によって生まれた』2005年
> いまのウェッブの「リンク」のもとになるアイデアを考え(中略)たアメリカの科学者ヴァニヴァー・ブッシュの伝記。

この二つの本は同じテーマを扱っています。大幅に再調査し新資料を探し出した、まぁライフワークというのは大げさだろうけれど、労作です。

 9年の歳月が「ハイパーテキストの可能性」を『「リンク」の元になるアイデア』に書き換えることになったのだなぁ、という感慨があります。

 しかし、本当にそうなのかという疑問を感じています。
ブッシュのアイデアは「ハイパーテキスト」どまりじゃないでしょうか。
大量の文献を効率よく読むための仕組みというのが基本で、それ以上の意味づけは、やや強引な気がします。

 1996年でもリンクはコミュニケーションの一手段として機能しており、無断リンク禁止論議も盛んでした。
 webサイトはハイパーテキストですが、リンクはコミュニケーションの問題、外のサイトとの関係性が問題となっていました。

 そういえば、リンクよりもメールこそがインターネットコミュニケーションの本質だ、という話が盛り上がってもいました。 チェーンメール、デマメールがよく話題になっていましたね。

 「20世紀…」の中で「ハイパーテキストのより大きな可能性」は、コミュニケーションツールの「リンク」を予感させるものとして論じられていたのでしょうか? 
「ハイパーテキストのより大きな可能性」は「マニュアル」「図書館」「新聞」、そしてラジオやテレビ・ビデオのようなメディアとしてのみ考察されているような印象を持ちました。
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