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鴨長明は琵琶の名手でもあった。
そんなことを踏まえて、オフィシャルサイトのプロフィールを読んでみる。

 自伝小説『鉄輪』に描かれるように、そもそも藤原新也が上京したのはラテンギターを習得するためだった。彼は東京に出るとすぐに郷里で手にしていたギターの教則本の著者、武蔵小山にあった溝渕浩五郎の門を叩くのだが、3ヶ月で退所している。自由奔放なラテンギターをやるための、厳格なクラシックギターの堅苦しいレッスンが肌に合わなかったのだ。彼はギターを辞め、それ以降30種に及ぶ仕事を転々としながら、ただ東京を漂流する日々を送った。

http://www.fujiwarashinya.com/profile3.html


この「事実」は始めて知った。 80年代の本に書いていただろうか?
記憶にない。

ふ〜ん、という醒めた感想になるのは、「黄泉の犬」での芸大の先生に対する記述と、あまりに温度差があるからでもある。
「ネクタイを締めて芸術などできるか」などといってた芸大生が、その直前にクラシックギター教則本の先生にレッスンを希望かぁ…
60年代後半のギターっていったら、それこそ皆適当に弾きまくっていたはず。 フォークゲリラとか云っていた時代だ。 
自由奔放なラテンギターかぁ…

謎だ

【追記】
●本当にラテンギターを弾きたいと思っていた

●ビートルズに影響されたと書くのが癪だった(ビートルズのインド指向が許せない)

●アメリカの音楽シーンに影響され(略 (ヒッピーの(略

答えは自伝小説『鉄輪』の中にあるのだろうか?
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