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Pictures of Adolf Again



In the papers, on the TV screens

Pictures of Adolf again

As sure as I sit here, there will appear

Pictures of Adolf again


You're wrong, you're wrong

Throw down your cards

You're wrong, you're wrong

If you say Adolf he wont come


OK, deny representation

By leaders of all nations

But have you got, have you really got

Anyone to replace them?


You're wrong, you're wrong

Throw down your cards

You're wrong, you're wrong

OK then, whos gonna come?


Christ or Hitler? Christ or Vorster

Christ or all the Caesars to come?


Thats a choice, thats a choice

Sooner or later

Thats the choice, thats the choice

That you're all going to have to make



映画「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」でエンドロールに流れる曲。

演奏はジム・オルーク




2月5日 獄中で病死した永田洋子を偲ぶには、まったくふさわしくない曲だけど。

映画について、そろそろ書いてみようかな

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佐々敦行「東大落城」と一緒に借りて読んだ。
単行本だと黒白を基調とした装丁や手触りが似ている。

立松和平は、この小説を書くためにトラック2台分くらいの資料を読んだらしい。
たしかに興味深い証言が(おそらくそのまま)引用されていており、興味深いけれど…
小説としては、かなり不満が多い。


時代設定について

時代設定が西暦2026年!! 
その時代は死刑が廃止され、恩赦で釈放された坂口をモデルとした主人公が、若者に事件のことを語っていくという物語。

かなり驚いた。 理解に苦しむ、というか腹が立った。
これを書いている2006年のさらに20年後。 小説の若者は大学浪人ということなので、まだ生まれていないぞ。

まず風俗描写に無理が有りすぎ。
大学浪人が壁の薄い安アパートで一人暮らし。中古のバイクで暴走し、恋人とゲーセンで体感ゲームやって憂さを晴らす。 その恋人は援助交際(?)している!

1998年(小説執筆時)にアパートを建てたとしても築28年だから、壁が薄いとなると余程の安アパートだろうし、バイクのイメージも仮面ライダーか片岡義男だ。 ゲームに至っては…
これは1998年頃の風俗と1970年代が入り交じったものだろう。
登場する若者も、単に記号としての「若者」でしかない。

死期の迫る主人公が事件を知らない若者に向かい、最後の力を振り絞って語り始めるのだが…
つまり、事件が世間から忘れ去られるために、2026年という設定が必要だったということなのだろうか?
事件は1972年、最高裁判決が93年、坂口の本も同じ年で、98年当時の「若者」にとっても充分に「過去」で有ったはずだ。 
映画「光の雨」は、そういう状況を背景にしている。 映画の設定の方が、余程気が利いている。


この小説は事件発生時の「過去」と、それが忘れ去られた「未来」しか書いていない。 「現在」を舞台にしていない。
この事件については、大勢の者が衝撃を受け、論じ続け、再審請求だって進行中だったのに、そういう言葉は小説の中には何一つ無い。

この小説が書かれた1998年、著者や事件当事者は50代になっている。 (子供は作れなくもないけれど)自分たちの子供に向けて書いているわけでもなさそうだ。 
見えない未来の若者(孫の世代だろうか?)に向かって、「事件を総括した」というアリバイ作りをしているように見えてしまう。

事件当事者たちの手記は「現代」の人に向けて書かれている分だけ、まだマシに思える。


主人公について

主人公は坂口弘をモデルにしており、基本的に「あさま山荘1972」の記述・視点をベースにしている。
しかし、出所後に支援者が誰もいない。 事件の詳細を後世に残せずにいる。 誰でもいい、とにかく死ぬまでに誰かに聞いてもらいたいと焦る「玉井」という人物像は、坂口弘に対してかなり失礼ではないのか?

そもそも山岳アジトで、過去の活動から生い立ちに至るまで自己批判と総括をやり続けた事件であり、彼らは逮捕拘留後も獄中や獄外でそれを延々と継続している。
逆に言えば、そういう総括ばっかりするような人々だったからこそ、この事件が起こったとも言える訳なのだから、80歳になり、やっと若者に語りかけることが出来たという人物像には、かなり違和感を感じる。


登場人物

様々な人物や霊魂、銃までが主人公の口を借りて語るという構成にも違和感がある。
連作小説という形をとって主人公を変えても良かったのじゃないか?
何故、一人にのみ語らせるのか?

それこそ主人公の経験だけを書くという方法もあるだろうに。 ベースにしている坂口弘「様山荘1972」では、見てきたようなフィクションは書かなくても、充分に事件の概要・個々の人物像を推測できる手がかりが多数有った。

上杉和枝(永田洋子)の語りの語尾が「〜だわ」「〜よね」となっており、読んでいてかなりイライラするが、これは、永田洋子の獄中からの手紙の文体を模したもの。

玉井潔(坂口弘)vs倉重鉄太郎(森恒夫)については、それなりに力が入っていて読ませるけれど…

黒木利一(向山茂徳)は小説家志望だったため、著者の思い入れがかなり入っているみたい。


彼らと関わった一般人の描写は少ない。
いわゆる当時の「労働者」は、パートのおばちゃんくらいしか出てこない。
シンパの恋人とか、狭い世界のみでの話だ。
担当刑事・公安とかの「権力側」は、型どおりの描写。

あとは目撃情報・被害報告が、調書からそのまま引用されるのみ。

結末で唖然 (ネタバレを含む)

小説後半に、少女は「天使」とまで書かれる。 語り手の玉井の臨終を予感させるラストで、彼は「光の雨」の中に吸い込まれていく。
つまりは少女に罪を告白し、癒され救われるという詰末。
「聖なる少女娼婦に告白し、救われる」というのは、手塚治虫版「罪と罰」みたいだ。

彼らは地獄に行くに決まっている、と思うのだがなぁ。 著者は悪人正機説なんだろうか?
結果的に「極左運動を潰した」ことが善行というのなら、それもまた一つの立場だろうけど。
かなり安易に救いを導入しているように見える。

現実の坂口弘の著作活動等を、私は評価しているけれど…、この本はそうゆう立場でもないようだ。
小説の主人公は当時を回想し「夢を見ていた」などとも語っているが、著者も今でも同じ夢を見続けているのではないか。

この事件は「悪霊」の再現だと言われていた。
日本版「悪霊」として構想するべきだったが、ファンタジー小説になってしまった。
 
事件の本を読んでいても、活字だけだと今ひとつ具体的なイメージが掴めない。
特に山岳ベースの具体的なイメージが見えてこないのが不満になる。
写真で見る連合赤軍事件なんてのが有ればいいのだけれど、それでも建物の外観写真だけじゃ具体的な部分が解らない。
そこが映画を見ようと思った、一番の動機だった。

映画自体は意欲作であり、それなりに評価できるけれど…
「若い人に伝えたい」という制作者の思いから、事件当時の説明もそこそこ丁寧に解説されてはいるけれど、やはり予備知識が無いとつらい映画だった。

連合赤軍事件の映画化に挑むスタッフと若い役者たちの姿を描いた群像劇、という構成はうまいと思う。
映画の中で撮られている映画と、その映画を作ることの困難さの両面で、それぞれに考えさせられた。

山岳アジト、洞窟やファッションもよく再現されていたと思う。
山岳アジトそのものは、かなり本格的な作りだったのだなぁ…
柱に縛る、吊す、床下に放置というのは、活字のみだと状況がよく解らなかったし。

事件当事者の手記にある、よく革命歌を合唱していたという描写が少ないなと思った。
途中の打ち上げシーンで、若い役者達の革命歌合唱は良かった(笑えた)だけに、ちょっと残念。

映画で亡くなった人物全員を描写しなくちゃいけない、という思いがあったようだ。
そのためか、ペース配分のメリハリがないまま、延々とリンチシーンが続いたりする。
個々の人物全員に台詞・見せ場を振り分けて、時間不足になったのかな?
逆にいまいち唐突・散漫な印象になったように思う。

劇中の人物名は、実在の人物とは変えてある。 あくまでも「フィクション」という立場。
「実録」だという若松孝二版とは、そこが違うけれど、以下は実在の人物名で、個々の人物の印象を書いてみます。

劇中映画は坂口の視点で話が始まり、終わるのだけれど、状況に振り回される人物にしか見えない。 狂言回しという役割になってしまったかなぁ。

革命左派視点だから、森をはじめとする赤軍派のことがよくわからない。
両党の統一問題、セクト間の駆け引きという部分は、大幅に省かれたような感じ。

永田は雰囲気が出ていたとおもう。
いかにも頭が悪そうな感じでリアリティを感じた。
オーディション時点では地味なのだが、総括シーンは凄い迫力だ。
映画「光の雨」の功績の一つは、「永田洋子=ブス説」を無効にしたことじゃないだろうか。
かなり初期から議論の的になっているのだけれど、ブスじゃなくてもああいう行動をとることが出来るというのが、説得力がある演技で証明されたように思う。

森については、どうなんだろうなぁ、 …微妙。
弁が立つようにも、腕っ節が強いとかのカリスマ性なんてのは、今ひとつ感じられない。 猜疑心が強いところだけが強調されていたようだ。 
何故あんな独裁が可能になったのかが、いまひとつ描写されていないかんじ。

遠山は、オーディション時からそれと解る女王様ぶりで、脚本とキャスティングが成功したとおもう。
映画前半は彼女が引っ張っている。

向山は小説家志望ということで、原作と同じく思い入れたっぷり創作されているが…、映画としては冗長じゃないかな。

尾崎の総括は劇中劇の最初の山場。
もうけ役だな。

その他は、金子関係の描写が今ひとつ印象に残らないのは、映画のペース配分のメリハリがないまま後半に出てくるせいだろうか?
パンタロンや風呂などの、総括のきっかけとなった個々の事象だけを台詞に取り入れているけれど、それだけじゃぁやはり唐突な印象がある。

映画を見る前に予備知識があったから、それなりに事態を理解できたけれど、とにかく詰め込みすぎという印象のみが強かった。

削るとするならば監督(大杉連)の場面と、向山の所かなぁ。

以下は、役名とモデルになった組織・人物とキャストの対照表です。
植垣康博の「バロン」という渾名は、マンガから

翌4日、私はバスで長野市内に行き、市内のメガネ屋でコンタクトレンズを買った。それに慣れるまで時間がかかりそうだったが、私としてはこれでメガネをかけずにすむのでありがたかった。というのは、私の指名手配写真はほとんどがめがねをかけたものだったからである。

しかし、慣れないコンタクトレンズのためにすぐに目が痛くなり、涙ばかり出た。そのため、皆が私を「潤目(うるめ)敢太郎」と呼んだ。 「敢太郎」という呼び名は、その頃流行っていたバロン吉本の『昭和柔侠伝』の敢太郎に似ているということでついたものだったが、このことから、皆は私を「バロン」と呼ぶようになったのである。


バロン吉本の『昭和柔侠伝』は双葉社のサイトで試し読みできます
http://www.comicpark.net/cat/detail.asp?sitekey=futabasha&content_id=COMC_AFT00002



総括で問題となった「パンタロン」というのが通じないかもしれない…

ジュニアコミック_1969年3月号 表紙 水野英子 画

真ん中のお姉さんがはいているのがパンタロン。 かなりサイケでフラワーですが。


【追記】
1970年 吉祥寺でキャンペーン中の藤圭子



写真はここから 1970年の音楽(jazz、ロック、アイドル等)の話と写真がいっぱい。
kiis blue 24
http://homepage.mac.com/kiis/blues/blue_24.html




前のエントリーで「樹村みのり」と書いちゃったので、ちょっと補足。


ジュニアコミック 1969年5月号「新鋭登場」のなかに、樹村みのりの名前があります。

 樹村みのりは1949年生まれで、いわゆる団塊の世代、少女マンガの昭和24年組の1人でもあることになります。この世代の漫画家の人たちが70年代の少女マンガに新しい潮流を作り、それまでの少女マンガの枠をはずしてマンガ界全体に活気をもたらし、その後の漫画に大きな影響を及ぼしていくわけですが、それは後から思えばそうだったということで、当時10代の1読者だった私にとっては単に「最近は面白くて読みごたえあって感動できる漫画が増えたなあ。」ぐらいの感じでした。

 樹村みのりは15才の1964年には既にデビューしていますが、そういった初期の頃から、戦死した父親のことを知らされる少年の心の痛みを描いた「トミィ」など、反戦テーマの作品が見られます。ベトナム戦争を描いた「海へ…」は、平和な海岸を駆ける少年の夢を描き、タルコフスキーの「僕の村は戦場だった」を思い出させます。樹村みのりの同世代感覚として、当然ながらベトナム戦争は大きな意味を持っていたのだろうと感じさせられます。
http://www.chatran.net/dispfw.php3?_manga/_kimura

(補足)「トミィ」1968年ジュニアコミック3号に掲載(リボンの姉妹誌)
「海へ…」1970年りぼんコミック9月号の掲載



60年代後半、姉や従姉が読んでいた雑誌をけっこう見ていた。 少女フレンド・マーガレット、少女コミック、セブンティーン、女学生の友…
COMに反戦マンガが載っても、それは当たり前。 普通の少女マンガ雑誌にも、一つくらいは「社会派」マンガが載っていた。 学園マンガにだって、微妙に社会情勢は反映していた。
24年組・おとめちっく登場以前は、何にも重要なことが無かったような少女マンガ史観は、ゆがんでる。
最近、ようやく発掘・評価が進んできたところだなぁ。
連合赤軍事件の一審判決は1982年。
既に事件から10年経っていて、学生運動・新左翼は影をひそめてはいたが、それでも重大事件の判決ということで再び注目されていた。
厳しい判決が予想されていたため、永田洋子の「十六の墓標」の出版は「不当判決への抗議」というものになるのかと思われていた。

そもそも永田が革命左派のトップになったのは、機関紙の記事を書いていたからだった。
幹部が次々と逮捕されるなかで、機関紙の主筆というような立場になっていった。

裁判中も出廷拒否で暴れたというか、抵抗したという「革命戦士」っぽい行動が報じられていたので、さぞかし「革命的」な内容になるのじゃないかという観測もあったようだ。
当時はまだ重信房子が「アイドル」視されている空気も残っていたから、永田も同じ路線で獄中で戦い、突っ張り続けるのだろう、とか。

一審判決から抜粋

「(事件が)組織防衛とか路線の誤りなど革命運動自体に由来するごとく考えるのは、事柄の本質を見誤ったというしかない」

「あくまで被告人永田の個人的資質の欠陥と森の器量不足に大きく帰因」

「自己顕示欲が旺盛で、感情的、攻撃的な性格とともに強い猜疑心、嫉妬心を有し、これに女性特有の執拗さ、底意地の悪さ、冷酷な加虐趣味が加わり、その資質に幾多の問題を蔵していた」


そのほか、森の自殺を肯定的に評価していたりもする。
「女性特有」という部分が差別的だとか、あまりに時代錯誤だとが、あれこれ非サヨクからも批判される判決でした。

永田の本は、この一審判決に対して「革命的」に抗議するものかと思いきや……全く違うものだった。
左翼用語をなるべく排して、自身の半生を訥々と、事件を淡々と記述している。

この本だけを読むと、川島豪・森恒夫・坂口弘が身勝手で無謀な奴で、彼女がそれに引きずられていってしまったようにも感じられる。

坂東国男は「永田洋子さんへの手紙」の中で、次のように書かずにはいられない。

永田同志の「十六の墓標」の中でも、比較的永田同志の本音の感情が書かれておりいろいろ動揺したことが書かれています。しかし、私や同志達に映っていた永田同志は、そんな人間的感情のひとかけらもない「鬼ババア」でしかありませんでした。私も当時は、恐ろしい人、動揺しない人と考えていたのですから、下部の人が、私たち指導部を「お上=神」と恐れたのも無理はありません。





「愛と命の淵に」「私生きています」「獄中からの手紙」は、支援者への手紙をまとめたものです。 (「愛と命の淵に」は瀬戸内寂聴との往復書簡)

全部は読んでいないのだけれど、「思いこんだら一途」という人だなぁと思った。
80年代は瀬戸内寂聴にはまり、90年代は高橋和巳に心酔していたみたいだ。

獄中サバイバル術・闘病記という感じの記述も多い。 病気治療や薬などは、最低限の処方しかされないので、飲尿療法を実践中。 最初は、なかなかきついらしい。

あと、目次と内容の整合性がいまいちとれていない感じ。 あんまり読む必要がないかなと思っていた手紙の中に、事件への思いなどが書かれていたりする。 斜め読みしてたら、うっかり読み落としそうになった。

「獄中からの手紙」には彼女のスケッチが載っています。
花は写実的に描いている。 それに対して人物が入っている絵(看守と廊下を歩いたり、体操したり)は、どこかマンガ的。
そこに「乙女ちっく」を見出したのが大塚英志 。
彼女たち」の連合赤軍―サブカルチャーと戦後民主主義
出版社/著者からの内容紹介
永田洋子はなぜ「乙女ちっく」な夢を見たのか?

獄中で乙女ちっくな絵を描いた永田洋子、森恒夫の顔を「かわいい」と言ったため殺された女性兵士。連合赤軍の悲劇をサブカルチャー論の第一人者が大胆に論じた画期的な評論集がついに文庫化!新たに重信房子論も掲載


しかし、改めて彼女の絵を見たけど、彼女が昔読んでいたマンガの文法が自然に出ただけのように感じた。 彼女の絵そのものは、それほど「乙女ちっく」とは思えないがなぁ…

1949年生まれでリボンにも描いていた樹村 みのりは、大塚の視野に入っていたかなぁ? 

ちなみに、重信房子の著書の題名は、どこか俵万知に通じてると思う。
「大地に耳をつければ日本の音がする」「りんごの木の下であなたを産もうと決めた」



瀬戸内寂聴の言葉

なぜ永田洋子さんとつきあうのか、連赤問題の裁判に関わるのかとよく聞かれる。ある人が「あんなやつはきちがいですよ。きちがいでなければ、あんなことは出来ない。あんなやつはさっさと殺してしまえばいいんだ」と言った。
同じ頃私の小学校の同窓会があって「どうしてあなたはあんな怖ろしい人のことをかばうの、どうしてもわからんけん、教えて」と言った。前者に怒りを覚え、後者に悲しくなった。前者の思い上がった意見と、後者の素朴な感慨が、今永田洋子に対して抱く、世間の感情のほとんどを代表するものだと思う。

わたしもかつては、この二つの意見に似たような気持ちを抱いていた。それがなぜ、今のような彼女と関わってしまったのか、やはり、自分が出家していたからだとしか思えない。
正直いって、けっして好きにはなれなかった永田洋子さんから、手紙が来るようになり、その手紙によって、わたしは自分が抱いていた永田洋子のイメージと全く違う人物と個性をそこに発見したのである。

大量の同志殺害をした狂気の殺人鬼というイメージは彼女の手紙のどこにもなかった。
ごく普通の女性がそこにいた。世間知らずの、一本気の、単純な正義感に支えられて、ひたすら、世直しを夢見ていた少女が、そのまま年をとらずに獄中で凍結されたままいるような気がした。(中略)

今では彼女の手紙は私の手元に300通を超えている。そのどれもが、素直で赤裸々ないい手紙だとわたしは思う。
よくもあれだけ殺して平気で生きられるという声も、わたしはよく聞く。そんなときわたしは「汝の罪なき者石をもて彼女を撃て」と言ったキリストの言葉を思い出さずにはいられない。
獄中の彼女は、私と何年つきあったところで宗教を持つわけでなく、あの世を信じているわけでもないようだ。
それでも、殺した人々の冥福を私に祈ってほしいとは度々もらしている。

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