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立松和平は1947年生まれ
インド旅行の話を書いている。

『一人旅は人生みたいだ』
http://www.webarts.co.jp/onetravel.html
旅に出たには1970年代半ばだろうか?


藤原新也、宮内勝典、夫馬基彦、船戸与一は1944〜1945年生まれ。
彼らの方が、先にインド放浪している。

1960年代後半からインド放浪ブームというのが有るのだが…
月並みに言えば、物質文明万能世界から精神世界への旅とか云々だろうかなぁ

フリードマン「フラット化する世界」のインドIT事情あたりを今読んでる最中だけど、彼らは現在核保有国になったインドに何を期待していたのだろうかな?


津島佑子と宮内勝典対談から

文学は敗北したのか?
http://pws.prserv.net/umigame/dia4.htm

●宮内(勝典) オウムの信者たちと話をすると、この経済至上主義の国では生きがたくて、心の営みに意味を見いだそうとして、悩み、もがいている繊細な人たちなんですね。本来、そういう人たちを引き受けてきたのが文学だったはずです。でも、かれらは文学ではなく、オウムのほうに行ってしまった。既成仏教でもなかった。どうしてなのか訊ねてみたのです。すると「お寺なんか、ただの風景にしか見えなかった」という返事でした。門を叩いても、なかは空っぽだと思っていたんでしょうね。それを聞いたとき、そうか、かれらにとって文学もやはり風景にすぎなかったんだろうなという気がして、無念でした。

 事件が起こったとき発言しようと決めました。発言しなければならないと思ったのです。声をかけられるとテレビにも出ました。それがきっかけで、オウムの若い信者たちからよく電話がかかってくるようになったのです。脅迫みたいな電話もありましたが、ほとんど真摯な相談事でした。教祖への信が揺らいで迷っていたんでしょうね。そうして電話をかけてきた信者のなかに、ぼくの本を読んでいるという人たちもいてショックでした。そのとき、つくづく負けたんだなあと思いました。だから、ここを避けてしまったら、ぼくたちの思想は死ぬ、文学も死ぬという気がして、オウムの教義を論破しようと途中から本気になってきたのです。


対談の中で「本気になっ」たという本
『善悪の彼岸へ』 (長編評論)
集英社 2000年

こちらも後で読もう

『日本社会がオウムを生んだ』 (対話+エッセイ)
河出書房新社 1999年

『金色の虎』(長編小説)
講談社 2002年
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