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昔の少女文化は「アンネの日記」と「赤毛のアン」抜きには語れないように思う。
鍵付きの秘密の日記を書き、小道や樹木に自分だけの名前をつけたりとか…

だけど「アンネの日記」はそもそもが公開を前提にしてかかれた日記だったりする。
亡命オランダ政府が、戦中の庶民のルポを募集しているというのをラジオで聞いて、そのために書かれたものです。

だから、まず当日に「日記」として書き(Aテキスト)、それを後日清書(Bテキスト)しています。 戦後になって、父親があらためて編集し(Cテキスト)出版されたのが、最初の「アンネの日記」です。*注
最初は「隠れ家」という書名で、そのほかいろんな言語・書名出だされていて、たしか「ある少女の日記」というのもあったはず。まぁ「名無しさんの手記」という感じだったのかも。

内容のほとんどが「手紙」という形式で書かれているので、「日記」というのには若干の問題があるかもしれない。

最初の翻訳は父親が編集したものを元にしているので、冒頭はすべて「キティーへ」となっている。
現在の「完全版」では、さまざまな宛先、呼びかけ方が再現されています。
最初期には「あなた」とだけ、後に「親愛なるキティーへ」「だれよりもたいせつなキティーへ」「わたしのたいせつなキティーへ」「だれよりも親愛なるキティーへ」など。

「研究版」というのもある。 筆跡鑑定、三種類の「日記」テキストの徹底比較とか、いろいろ興味深い。
たとえば「キティー」宛ではない日記も存在します。 「完全版」はそこあたりを編集して、最初に書かれたAテキストを生かした文体を主体にしているんだなぁ、ということがわかったりする。 日々の細々としたディティール・メモなんかはBテキストでは省かれたりしてる。

また父親が編集した際に、なにを削除したのかもわかる。 性のこと、同居人たちへの辛辣な批判などが中心だけど。 
あまりに辛辣なんで、父親の死後に新たに出てきた部分もあったりする。
口喧嘩とか、同居人・家族を批判した部分は、最初の版だといくぶん和らげられたふうに編集されているのだけど、完全版だと「もう一言多い」という感じかな。


で、まぁ〜無理矢理なまとめにはいると、blogという公開日記はアンネの日記の伝統に繋がってるのかもしれないな、などと思ったりする。



*そこあたりの成立事情とか、もろもろでいろんな論争がいまだに続く。
 こことか http://ja.wikipedia.org/wiki/ノート:アンネの日記
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