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  それぞれがキマイラを


 広大な灰色の空の下、道もなく、芝もなく、薊一本、蕁麻一本もない、埃っぽい広大な平原で、私は、身を屈めて歩く幾人もの男たちに出会った。

 彼らはそれぞれ、一匹の巨大な〈幻想獣(キマイラ)〉を背負っていたのだが、それは小麦粉か石炭の袋、あるいは古代ローマの歩兵の装具一式と同じほど重いものだった。

 だがこの怪獣は、身動きせぬ重荷というわけではなかった。それどころか、弾力性に富んだ強力な筋肉で、人間に覆いかぶさり、押さえ付けているのだった。人間を乗物にして、二本の巨大な爪でその胸にしがみつき、想像を絶する頭部は人間の額の上部に重なって、まるで、昔の戦士たちが敵に更なる恐怖を与えようと欲して用いた、あれらのおぞましい兜の一つのようだった。

 私はその男たちの一人に問いかけて、そんな状態で彼らはどこへ行くのかと尋ねてみた。彼は私に、自分も他の者たちも、そんなことは全くわからない、だが、明らかにどこかに行くのではある、というのも、歩こうとする止み難い欲求に駆り立てられているのだから、と答えた。

 記すべき奇妙なこと。これら旅人のだれ一人として、その首にぶら下がり背中に張り付いている凶暴な獣に対して、苛立つ様子をしていなかった。まるで自分の身体の一部を成すものとみなしているかのようだった。これらすべての疲弊した深刻な顔は、しかし、絶望の色を全く浮かべてはいないのだ。空の憂愁に充ちた円天井の下、その空と同じほど荒廃した地面の砂塵に足をめりこませて、彼らは、いつまでも希望を抱き続けるという罰を受けた者たちの、諦めた表情をしながら、道をたどって行くのだった。

 そしてその行列は私の傍らを過ぎ、地平線の大気の中に、この惑星の円い表面が好奇にみちた人間の視線を免れるところに、沈んで行った。

 そしてしばらくの間、私はこの不可思議を理解しようと思い詰めた。だがじきに、免れるべくもない〈無関心〉が私にのしかかり、私は、あの男たちが圧倒的な〈幻想獣(キマイラ)〉に圧し潰されていたのより更に重く、〈無関心〉に圧し潰されてしまったのだ。




ボードレーヌ「パリの憂鬱」より 山田兼士訳


原題「Chacun sa chimère」は「人それぞれに幻想を」という意味の慣用句
フランス語でシメール (chimère)は頭はライオン、体はヤギ、シッポは竜のギリシャ神話に出てくる怪獣。キマイラ、キメラというほうが馴染みがあるな。
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