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インターネットと“世論”形成―間メディア的言説の連鎖と抗争 遠藤薫編著
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4501620501/503-1168760-6805514?v=glance&n=465392

とりあえずのメモと愚痴

読みにくい本だ。 学者が学者向けに書いた論文集だが、執筆者によって視点のばらつきも感じられるかな。 
全体の学術論文臭い記述の中に、普通のおばさん然とした遠藤薫氏と西村博之氏との対談がある。

やたらと文献の引用が多くてイヤになる。 読んでいてむかついたのは第2章。

リップマンはこう言うと引用。リップマンの認識はルーマンの理解とも響きあうとまた引用。 さらにリップマンの引用がまた出てくる。引用の中にはフッサールへの言及が、そしてさらにシュッツ、パーソンズへの言及まで有る。

教授が本をたくさん読んでおられるのは、わかりました。 ついていくのに疲れますが。

図表がたくさんあるが、妥当なんだろうか? かなり疑問が有るのだけれどなぁ。 

2004年に執筆されたことも影響してるのかな。 現在の目で見ると、情報の選択のある種の偏りをちょっと感じる。 ネット事件のその後の展開を読み違えているのではないかという部分も有るようにも…

ネットの出来事を後追いで論理付け、または過去の理論で説明しようとして、やたらと引用やら参考文献が多くなっているのではないか。
とにかくもモデル化しようと、やたらと図表はあるが、どこか外してる感じもある。

この本を精読して紹介とか批判するのは、時間の無駄という気がしてきている。

まぁ、補助線として遠山教授のサイトを覗きながら読んでる最中だが。
ネットで拾ったプロフィール
遠藤 薫
1952年7月神奈川県に生まれる。1977年3月東京大学教養学部卒業。東京工業大学大学院博士課程、信州大学人文学部助教授を経て、1996年4月東京工業大学大学院社会理工学研究科助教授、2003年学習院大学大学院法学部政治学科教授。専門は社会システム論(理論社会学)、社会シュミレーション、社会情報論

http://endo-lab.org/
書評(1997年が中心)を読んでのメモ

どちらかというと偏食の質である。とくに乳製品はいっさい食べない。
子どもの頃は、肉類も駄目だった。

「ふるさと」というものがない。都市部に生まれ、都市部で育った。おまけに、父の勤め先の関係で数年ごとに引っ越した。だから、愛着をもてる「街」も、幼なじみもいない。「根無し草」である。

クリスティのファン?

「四谷怪談」フリークである。

「マルチメディア」は愚かな「歴史の繰り返し」なのか、それとも、新たな飛躍なのか?

ヴァーチャル・リアリティ技術をどのように人間社会に位置づけるか、その責任はわれわれ自身にかかっているのである。

サイバースペースは、すでにわれわれの「生きている現実」となりつつある。

 本来、パソコン(仕方ないからこの言葉を使いますが)の誕生は、「生の革命」ともいうべき衝撃的な出来事だった。それは、個人の自由、個人の表現、一人の人間が生きることを、それ以前とは比べものにならないほど豊かにしてくれる可能性をもつ「思考の乗り物」として創られた。この「乗り物」に乗れば、広大無辺の宇宙をどこまででも探索でき、同じように飛び回っている顔も知らない仲間たちと共感できる、そんな希望があった。

「やおい」にも一家言あるようだ。

蛇足ながら、両性具有の美を描いた少女マンガの最高傑作は、山岸涼子「日出処の天子」と坂田靖子「村野」であると、独断しておく。
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