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「誠実な学者」としての、分かりやすく整理された研究

映画・マンガの評論家としてではなくて、「さまよえる流れ者学者」として「かわいい」を研究した新書です。
本書は、1994年イタリアの田舎町やコソヴォでセーラームーンが流行っているのを見たことから書き起こされている。
下のプロフィールに有るように、日本の「かわいい」ものが、かなり以前から海外で妙に広まっていることを現地で見て、注目していた人です。

http://www.meijigakuin.ac.jp/~art/prof/yomota/index.html
 東京大学で宗教学を、同大学院で比較文学比較文化を学ぶ。その後、韓国のコングック大学、コロンビア大学、ボローニャ大学などを「さまよえる流れ者学者」として放浪し、2004年にはテルアヴィヴ大学や、プリシュティナ大学分校で客員教授を勤めた。ちなみに後者はコソヴォの難民キャンプに隣接する、プレハブ校舎の大学で、断水と停電のなかで日本映画について集中講義を続けた。


最近だと、こんなニュースもあるからなぁ。
「涼宮ハルヒ」のプラカードを掲げてパレスチナ自治区でのデモ行進に参加する少女(2006年 12月 15日)
http://www.afpbb.com/article/1174867
涼宮ハルヒ@パレスチナ

世界各国の比較文化的考察を底流に踏まえ、学生にアンケートなどをして、秋葉原・池袋(乙女ロード)・新宿二丁目をフィールドワークし、ファッション誌(ハイティーン向けから熟年向けまで)を比較検討するなど、多角的に論じられています。

「誠実な学者」としての、分かりやすく整理された研究だと思う。 分かったこと、分からなかったこと、これからの課題などをきちんと提示している。

ここで「誠実な学者」と書くのは、大塚英志との対比しての印象です。
本の最後の方で、大塚の名前は出してはいないが彼を批判している。

…日本では一九七二年に連合赤軍事件で大量の同士を殺害した女性が獄中で描いた、事件再現のイラストが話題になっていた。 犠牲者の女性たちが一昔前の少女漫画のタッチで描かれていたというので、それを手がかりとして現代社会におけるサブカルチャーの重要性を喧伝するという論客が、いささか強引な論陣を張っていた。 私はそれを聞いても、何の衝撃も受けなかった。当事者の女性が少女漫画を描くことに夢中になったとしても、それは純粋に世代の「刷り込み」問題であり、それ以上でも以下でもない。 ふと口をついて出てくるTVドラマの主題歌の旋律以上に、それは文化批評として特別の意味を持ち得ない。 むしろこうした細部だけを強調することは、あのドストエフスキーの『悪霊』を思わせる陰惨な事件の本質をみえなくさせてしまうだけであるような印象を持った。
(p.196)



これは「彼女たち」の連合赤軍―サブカルチャーと戦後民主主義 / 大塚 英志のことです。
「かわいい」を精神の内面に抑圧した永田洋子が、「かわいい」を体現していた同志女性を総括したという、大塚の解釈に疑問を投げかけている。

1986年頃、大塚は「かわいい」をキーワードに少女文化を読み解こうとしていた。
少女民俗学―世紀末の神話をつむぐ「巫女の末裔」 / 大塚 英志 、たそがれ時に見つけたもの―『りぼん』のふろくとその時代 / 大塚 英志 と合わせて三部作といっていたかなぁ?

興味深いのは、大塚の『「彼女たち」の連合赤軍』を上野千鶴子が非常に高く評価してたこと。 (文庫の後書きを書いていたような記憶が… 別の本だったか?)
その上野のことを、著者はこう書いている。

私の見聞したかぎり、「かわいい」に対して最も深い憎悪をしめしたのは、社会学者の上野千鶴子である。 彼女は老人問題を扱った最近の著作のなかで、「かわいい」とは「女が生存戦略のために、ずっと採用してきた」媚態であると一刀両断し、子供や孫の面倒を見てもらうために「かわいい」老人であることが推奨されている今日の日本社会のあり方に、疑問を呈している。 かわいければ得をする、かわいくなければ女じゃない。 こうした認識はまさしくイデオロギー的なものであって、女性を旧来の依存的存在に押し留めておくための方便であり、またかかる状況にあって女性が生き抜いていくための生存戦略でしかない。 老人と子供が「かわいい」と呼ばれるのは、いずれも責任能力を欠落させた存在であるためであり、厄介者、お荷物扱いされる点では、変わるところがない。 このように立論する上野は、人から「かわいくない女」と呼ばれることを得意げに披露し、老後にあっても「かわいいお婆ちゃん」であることを拒否したいと、堂々と抱負を述べている。
(p.16)


この上野の「かわいい」論てのは、乳の海 / 藤原 新也 の中の松田聖子論とほぼ同一だったりするのも、偶然とは思えないなぁ。
「かわいい」「萌え」に対して、激しい敵意が感じられる人達だ。

西欧のミニチュアールやドルズハウス、鉄道模型の考察もある。 これらから感じられるノスタルジアという感情と、「かわいい」は何処か通底しているようだ。


「かわいい」論 「かわいい」論
四方田 犬彦 (2006/01)
筑摩書房

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ちなみに、この考察のなかで映画「ライフ・イズ・ミラクル」が出てきて、ちょっとびっくり。 前にこのblogで映画評を書いてた。
http://londonbridge.blog.shinobi.jp/Entry/46/

ライフ・イズ・ミラクル ライフ・イズ・ミラクル
スラブコ・スティマチ (2006/04/05)
アミューズソフトエンタテインメント

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みすず2006年11月号(no.544) 12月号(no.545)
日本代表オシム監督の通訳として 千田 善
 「サッカーは人生に似ている」(11月号)
 「アタマを使って走るトレーニング」(12月号)

オシム監督と何語で話しているかについては、微妙な問題だとか、いろいろ面白かった。



猫の問題について、いちおう関連するモノを読んだ。


おはよう、水晶――おやすみ、水晶」(「ちくま」に連載中・2006年11月号)

数行のみの記述だった。まぁ普通に不快感を表明という感じかな。


竜の箪笥を、詩になさ・いなくに」『新潮』2006年12月号

著者本人を思わせる女性小説家に、新聞社から電話インタビューがあり、それに答えるという形で事件に言及。 新聞には載せられないような言葉で批判していたのを、小説にしたという設定。
無抵抗で柔らかくカワイイものを、あえて踏みにじって、その行為を見せつけるのは、ロリコン・ペドフェリアのオタクたちと同族だ、ということらしい。


毎日新聞報道だと
笙野頼子さん:批判の言葉研ぎ澄まして、小説「竜の箪笥を、」発表
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/archive/news/2006/12/19/20061219dde014040055000c.html

読んでみると、「批判の言葉の垂れ流し」という印象だった。
最近の小説も、ちょっと目を通したけれど… こういう「小説」が好きな人もいるんだなぁと、違う意味で感心した。
編集者とか文壇が、彼女を絶賛、賞をあげて、どんどん暴走させて面白がっているのだろうか、などと思ったりもする。


『子猫殺し』でついに訴訟騒動に」坂東眞砂子 『文藝春秋』2006年12月号
タヒチでの騒動の報告。
事件がフランス語に翻訳される際、けっこう伝言ゲーム化して「誤訳」っぽい紹介だったと怒ってる。 タヒチが動物の死骸だらけのように書いたと報道され、高い崖の上から投げ捨てる描写も魔女っぽく書かれた云々…
いちおう訴訟されるという報道があったのは事実だが、執筆時には動きは無し。 訴訟とは言っても、車のシートベルト不装着の罰金程度のことらしいが…



藤原新也関連で読んだ本、読めなかった本

文学部をめぐる病い―教養主義・ナチス・旧制高校 文学部をめぐる病い―教養主義・ナチス・旧制高校
高田 里惠子 (2006/05)
筑摩書房

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ヘッセの翻訳者でもある高橋健二と、その周辺事情についての本です。
文庫になってたのは、後から気がついた。 図書館で単行本の方を読む。
文庫の後書きを斎藤美奈子が書いている。 そもそも単行本が出たとき朝日新聞書評欄で絶賛してた模様。
そうかぁ、その縁があった所為かグロテスクな教養 / 高田 里惠子の後半部分は、まるで斎藤美奈子のような文体になったのかぁ、と納得したりする。


R.D.レインを読もうと思っているが、貸し出し中…
これを読まずに藤原新也論というのは、なんだかやりにくいけど、まぁしょうがない。

意外なことに、日本語wikiにR.D.レインの項目が無かった。
過去の人扱いなのかなぁ? 「学問」として扱われていないのかな?
ポエムは根強い人気があるみたい。
日本のポエムのルーツはどこあたりなんだろうか?
最初に星菫派(せいきんは)と言われた、与謝野鉄幹・晶子の頃まで遡るのだろうか?

今時の若者(w)はどこでポエムを読んで、書き始めるのだろう。
やはりマンガかアニメなんだろうかなぁ。

詩を求める人は、それなりに、いろいろ多くいるとは思う。
「ヤン詩/族詩」の需要も無視できないぞ。
http://blogs.yahoo.co.jp/o0love_play_boy0o/folder/565630.html#2908798

「姉ちゃんの詩集」はタレント本のような売られ方みたいだ。
どこか懐かしい「ネットアイドル」なんてのを思い出したりする。 

売れるのかなぁ?
ネットとリアルの距離を測る、指標の一つとなるかな?

ところで、最近藤原新也HPで話題なのが「新風舎」問題なわけだけど…
金を出す人が耐えないのだなぁと、体験談を読んでしみじみ思う。
詩集というのは売れないもの代表格、または道ばたで売るものだというのは、はるか古くからの常識のはずなのだがなぁ。

以下は2000年に書かれたテキスト。かなり具体的で興味深い。

「詩集」出版に関するメモ
http://www2s.biglobe.ne.jp/~ipsenon/memo4.html
姉ちゃんの詩集 姉ちゃんの詩集
サマー (2006/12/21)
講談社

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平積みになってた
「電車男」に続く「ポエマー姉ちゃん」
みんな癒されてるみたいだ
ふしぎだな




「新潮」2006年11月号に谷川俊太郎の対談が載っていた。
ファンの人に「谷川さんと相田みつをが好きです」と言われると、ちょっとへこむと同時に、ちょっとみつをが羨ましいそうだ。

読まれる、暗誦されるって事は、それなりに凄いことだとは思うが、なぜいま「姉ちゃんの詩集」が受けているのだろうか?
「家族」というのもキーワードみたいだけど。

姉ちゃんの詩集Wiki http://neetyannno.info/



岡田有希子_1

有希子のポエム初体験。 
ワープロソフト内蔵のMSX。

岡田有希子_2

今日、パソピアIQでポエムしました。
年末、書店でちょっと驚いたこと。

甦るヴェイユ / 吉本 隆明

新書版で発売されていること、1470円という新書っぽくない価格だったこと両方にびっくり。 もともとは1992年にJICC出版局 から出た本(当時も1400円)なので。

そうしたら、雑誌「世界」1月号にもヴェイユの記事が載っていた。

戦争とイーリアス(後編)   今福龍太 (東京外国語大学)
http://www.iwanami.co.jp/sekai/2007/01/200.html

wikiの記述は簡単なものしか載ってなかったよなぁ、と確認したら、ものすごいボリュームにふくれあがってた。 大晦日に、頑張った人がいたようだ。
蘇っているのだろうか? アマゾンを見ると、それなりに新しい本が並んでいる。

wikipediaのシモーヌ・ヴェイユ 
  
まぁ、頑張りはわかるが、これじゃぁ誰も読まないだろうなとも思う。
私が書き加えるとするなら…

シモーヌ・ヴェイユ(Simone Weil, 1909年2月3日 パリ、フランス - 1943年8月24日 ロンドン、イギリス)は、フランスの哲学者である。父はユダヤ系の医師で、数学者のアンドレ・ヴェイユは兄。

リセ時代、哲学者アランの教えを受け、パリの女子高等師範学校に入学、哲学のアグレガシオン(1級教員資格)を優秀な成績で取得する。卒業後、1931年にはリセの教員となる。
ヒトラーが台頭するドイツの政治・社会を分析し雑誌に発表するなど、政治活動も始める。
教員をやめ、労働階級の境遇を分かち合おうと工場や農場で単純肉体労働に従事。身体をこわす。
1936年、スペイン内戦に際して、人民戦線派義勇兵に志願。
前線では鉄砲を空に向かって撃つ。 後方に回され炊事当番をしているとき、鍋をひっくり返し、やけどをおってフランスに帰国。
1938年、修道院の礼拝中での神秘体験を期にキリスト教に帰依するが、教会とは距離を置く。
1942年にはアメリカに移住し、その後、ロンドンに移り、ド・ゴールの自由フランス軍にレジスタンスとして参加しようとする。
看護婦部隊編成計画を立案するが実現不可能と却下される。
戦争の悲惨さ、残酷さに抗議してハンストを行い、1943年、34歳でその生涯を閉じる。


こんな感じかなぁ?

最近の「蘇り」は、いわゆる後期ヴェイユ(1938年以降?)のことが中心なのかな?
私は、いわゆる前期の、ヒトラー政権誕生前夜のドイツ旅行記とか社会分析のころが、なんていうか、好きかも。

最初に読んだのが
工場日記 / シモーヌ ヴェイユ
だった、という影響もあるかな。

前期の、いわゆる普通に鋭い社会分析をしていた人が、いろんな事があって……語句が微妙にアレで、怒る人もいると思うが……「壊れて」いく、その落差が、ちょっと凄い。



シモーヌ・ヴェーユ著作集〈5〉根をもつこと
のタイトルの件で、某氏のことを根に持っているのかもしれない w
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